2017年10月14日 (土)

金色夜叉

名作の片隅の鉄道情景(6)

今日の一般の文藝愛好家にとって読む価値ある作品かどうかは疑問の餘地はあるが、発表当時熱狂的に読まれ、演劇化、映画化もされており「名作」であることは間違いない。多くの人がタイトルと熱海の海岸のシーンはなんとなく知っている。しかし最後まで読んだという方は決して多くないと思う。

尾崎紅葉著 新潮文庫 196911月 読んだのは2004544刷改版 である。

使用漢字に疑問あるところ(後述)もそのまま此の版から引きます。ただし原文にはたっぷりルビが附されているが、興味深いものを除き省略します。

P.74 前編 第七章 最後

 「いえ、滊車の中で鮨を食べました」

駅瓣なのか?それとも街中で買うたかは書いていない。日本の駅瓣の起源には諸説あるが、この小説(最初の部分)が発表された1897年にはもう各所にあった。ただ鮨が駅瓣にあったのかは分からない。また鮨と言っても各種あるがどんなのだったろう?

P.92 中編 第一章 冒頭

  新橋停車場の大時計は四時を過ること二分、東海道行の列車は既に客車の扉を鎖して、機関車に烟を噴かせつつ、三十余輌を聯ねて蜿蜒として横はりたるが、、、、

、、、、駅夫は右往左往に奔走して、早く早くと、、、、、

当時はまだ小型の客車なのだが、30輌餘りは壮観だろう。

P.103 同上 最後

  「、、、、それから切符を切って、歩場(プラットフォームのルビあり)へ入るまで、、、、」

  横!横!と或いは急に、或いは緩く叫ぶ声の窓の外面を飛過るとともに、、、、

、、、、場内の彼方より轟く鐸(ベルのルビあり)の音はこの響きと混雑の中を貫きて奔注せり

 プラットフォームという英語は知られていても日本語の定訳が無いことが推測できる。歩場という語がどれだけ使われたのが分らないが、日本語らしい日本語訳ができないまま、プラットーム、短縮して”ホ”ームが定着してしまった。漢語(いわゆる中国語)では站台や月臺(月台)ができたのに。

月臺については「中華特急のスローライフ」に興味深い考察がある

https://nkurashige.wordpress.com/2017/03/17/%e6%9c%88%e5%8f%b0/

P.104 同 第二章 冒頭

 、、、、午後四時発の列車にて赴任する事をも知るを得しかば、、、、

 、、、、、遽に急ぎて、蓬萊橋口より出でんとあたかも、、、、、

蓬萊橋は汐留川にかかっていた橋。今は汐留川自体が最下流を除いて埋め立てられた。この辺りの由緒ある多くの地名も銀座一色に塗り潰された。情けない限りである。我が居住する市には「名駅」という、まるでホームレスの住所のようなのが、しかも広大な地域に広がっている。対のように「汚な小屋」という市名も近くにある。

P.388 続 第五章 冒頭

  遽に千葉に行く事有りて、貫一は午後五時の本所発を期して車を飛せしに、咄嗟、一歩の時を遅れて、二時間後の次回を待つべき倒懸の難に遭へるなり。、、、停車場前の休憩処に入りて、、、、

本所駅は現・錦糸町駅である。1915年改称。

 今は中央・総武線電車が3,4分おきに出ているかな?快速も各停もある

しかし夕方なのに(あるいは夕方だからか?)二時間間隔とは、まさに隔世の感である

P.464 続続 第一章 (一)の二 冒頭

  車は駛せ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、貫一は、、、、遣る方無き五時間の独に、、、、始て西那須野の駅に下車せり。

、、、、、、

 俥を駆りて白羽坂を、、、

西那須野駅は当時はまだ日本鉄道である。1886年那須駅として設置され、91年改称、06年国有化。

五時間とはこれはもうはるかな遠隔地という感じである。いまは普通列車に乗ると宇都宮で乗り換えを餘儀なくされるが、それでも各停で二時間半ほどである。

この時代、自動車はまだない。時代の先端を行くのは俥、ニンベンが示すように人力車である。

金色夜叉は讀賣新聞に1897年(明治30年)11日から1902年(同35年)511日までと長く連載された。尾崎紅葉が亡くなり未完に終わっている。

単行本は 春陽堂 

1898年(同31年)7月、1899年(同32年)1月、1900年(同33年)1月、1902年(同35年)4月、1903年(同36年)6月 と次々出版された。

やはりイチャモン

新潮文庫版は最後のところに 表記について として、次の通り記載されている。

新潮文庫の文字表記については、「原文を尊重する」という見地に立ち、次のように方針を定めました。

一、 旧仮名づかいで書かれた口語文の作品は、新仮名づかいに改める。

二、 文語文の作品は旧仮名づかいのままとする。

三、 旧字体で書かれているものは、原則として新字体に改める。

以下略 

どこか原文尊重なのか?これではシンチョーではなくケーソツ社である。

旧假名づかい(正假名遣い)の文を間違いなく書くのは今の教育を受けた人には難しい。しかし読むのは決して難しくない。わざわざ新假名遣いに改める必要は全くない。私は書けるようにもなりたいと勉強を始めたがまだ無理である。

この小説は文語文なので正假名遣いそのままである。これは良い。しかし何故手間をかけて新字体に改めなければならないのか?正假名づかいにマガイモノ新字体が混じって実に見苦しいし、何よりいくつかの文字、本来別の文字を統合して新字体にしたものは、元はどれだったか頭の体操を強要される。

例としては 餘(あまる)と余(わたし)を統合した余“(上記の引用にもある)や、

辨(わける)、瓣(はなびら)、辯(<ことばで>あきらかにする)、弁(かんむり)の4つを統合した“弁”などである。もっとも現代語の弁にはかんむりの意味はないが。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 8日 (日)

明治村村民登録更新

10月末で村民登録(年間パス)が切れるので、忘れないうちにと更新に行ってきた。私の住んでいるところから直線距離では遠くないのだが、公共交通機関では一旦名鉄で犬山駅まで行くしかないので時間も料金も驚くほどかかるのが難点である。

もちろんついでに写真を撮る。今回は数か月前に入手した超広角専用中判カメラ(6x12センチ、レンズは55)と、デジカメも超広角ズームだけの軽装である。これには事情があるが別途書きましょう。

ということで、超広角の写真ばかりである。
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御料車6()5号(右)である。実はお召列車には全く興味が無く、一度も撮影したことが無い。車輛を保存するのでも、こういう特殊なものを保存するくらいなら、一般的客車こそ保存すべきと考えている。まあ、美術品としては値打ちは認めるが。

5号は昭憲皇太后用とある。昭憲皇太后と呼ぶのに、どうして貞明皇太后とか香諄皇太后と呼ばないのだろうと不思議に思っていた。生前はもちろん皇太后と呼んでいた。

どうも亡くなられた後に皇太后とは呼ばないようで、昭憲「皇太后」がマチガイらしい。マチガイなら正せば好いと思うのだが、それもできないらしい。面子に拘って恥を永遠に残す。教育勅語の「一旦緩󠄁󠄁アレハ>、、、」を思い出した。

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京都市電は2号車を使っていた。


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蒸機は12号機シャープ・ストュアート。めずらしく煙を出してきた。わずかな蒸機の撮影ポジションは東に開けたところばかりで、朝の列車以外は陰の中なのが残念だ。

雑草が(おっと、こういう言い方は昭和天皇のお叱りを受ける)中途半端だ。生えるままにするならもっと盛大に、刈るならすっきりとお願いしたい。

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尾西鉄道1号ブルックス。ブルックスの保存機は少ない。右の白い建物はアメリカ・ハワイ州ヒロ市にあった日本人のための教会・のち集会所で鉄道とは関係ない。もっとも建てられた時はハワイ王国であった。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 4日 (水)

英文精読術・英文翻訳術・英文読解術

いずれも行方昭夫著 DHC それぞれ201511月、20167月、20171月、

このように立て続けに刊行された。レヴェル(おおむね難度)は刊行順ではなく、「読解術」、「精読術」、「翻訳術」の順に上がると考えてよい。

英文を正確に読むための訓練の本である。翻訳は別とは言えない、真に理解するためには翻訳できる(=自然な日本語になる)くらいにならなければいけないというのが氏のスタンスである。

近年の日本の英語教育の風潮は会話重視に傾こうとしていて、文法よりもとにかく会話が強調され、英語学者や英語実務者にはこれに疑問を呈する方が多い。もちろん読み書き聞き話すという4つがバランスよくできるようにならければいけないが、母語ではなく第二言語、第三言語、、の獲得には文法を理解習得することが缺かせない。会話で発音は重要であるが、母語同然に聞き取り話せるようになることは特別な例外を除いて不可能である。例えば西歐人の高名な日本文学者でも、喋るのを聞くと所謂「外人らしい」日本語から抜けていない方も多々いらっしゃる。しかし決して聞き辛くはない。文法的に正確な日本語であり、語の選択が適切でロジカルな話し方だからである。

もっとも行方氏は従来の英語教育により日本人は「会話はできないが英語を読んで理解することはできる」という世間一般の見解には与されていない。だからこそ真に英語を読めるようになるための諸著作を世に出してこられたのである。私もそれらの著作はいくつか読んで、それこそ「頭をガツン」とやられる点が著作ごとに何箇所かあった。

今回の3著作はこれまでの氏の著作、あるいは他の語学書と異なり、とにかく懇切丁寧に優しく(易しくではない)を旨としている。其の為スペースをたっぷりとった贅沢なレイアウトになっている。また、モームの短編を丸ごと一冊読んでいくことにより飽きさせない。

「読解術」では

本文を小セクションに分け、語釈、イディオム、設問 となっていて、更に

設問に対する正解、質疑応答、訳が記載されている。また(主として若い)学習者用に英語よろず相談室(Q&A)があり、そこには行方氏の若い頃の学習史もかなり詳しく記されている。

「精読術」では

本文を小セクションに分け、さらに12文毎に分け、語釈、試訳、決定訳、解説が記されている。次の「翻訳術」でもそうであるが試訳と決定訳の差には、訳として自然な日本語になっているかどうかだけでなく、そもそもきちんと読めているかどうかを自ら確認するための指摘も多い。

「翻訳術」では

本文をセクションに分けた後、さらに小セクションに分けて

若干の語釈を加えたあと、本文からのアプローチとして解説があり、試訳と翻訳が示される。そして、試訳からのアプローチとして更に解説がある。

翻譯の心得その1、2「暗記用例文集」として合わせて100の文が挙げてあり、その1では各文に実に詳細な解説が、その2には翻訳テクニック毎に数頁の解説がある。

また、ユニークなのは文法解説の詳細や参考例を「英文法解説(改訂第三版)」江川泰一郎 金子書房19916月 に委ねてある、つまり同書の何頁のどこどこを見よとの指示されているところがあることである。これは特に「精読術」に多い。当然(故)江川氏の諒解のもとに行われている訳だが、非常に有効なやり方である。*

繰り返し強調されていることは、少しでも疑問に思ったら「まず辞書を引け」である。それを怠ってエエ加減な推測をしても誤解・誤訳に終わる。

日本の「外国語-日本語」辞書は実によくできている。とくに英和辞書は殆どのものがすばらしいのである。鍋屋町は時々重箱の隅をつついてみせるが、それこそ枝葉末節である。大抵の場合は該当する訳語、それが無くても類似の概念が見つかるのである。

これは日本語が同系統の言語が存在しない孤立言語であることも寄与しているのであろう。丁寧に説明しないと分からない、誤解を招くという事項が多々ある。

数年前にオーストリアの語学学校で短期受講したことがあるが、その時に他国からの受講生が使っていた「露独」「伊独」といった辞書は、まるで単語帳のようなもので、説明が殆どないのに驚いた。逆に言えば、縁戚にあたる言語の話者である彼らにはそれで充分なのであろう。

とにかく文句のつけようがないシリーズであるが、イチャモン大好き鍋屋町としては、どうしても書いておきたいことがある。

それはサブタイトルが「餘りにもアホらしい」ということである。

つまりサブタイトルを附けて並べると

英文読解術 東大名誉教授と名作・モームの「物知り博士」で学ぶ

英文精読術 東大名誉教授と名作・モームの「赤毛」を読む

英文翻訳術 東大名誉教授と名作・モームの「大佐の奥方」を訳す

オオモノ、真に優れた人に肩書きは要らない。英文学者として傑出し、特にモーム研究の大家である行方氏を凡百の東大名誉教授と一緒にすることは、非常に失礼である。東大教授や東大名誉教授だからアリガターイと思うのは軽佻浮薄である。営業政策とはいえ情けない。

注*:この本は1953年初版、64年改訂版発行なので私も高校時代に改訂版を使うてたのかな?と思ったが、どうも記憶に無い。今回購入して念のために行方氏の指示通りに該当箇所を読んで確認したが、よくできた文法解説書である。

説明や例文のあとに書いてある<<参考>>、「解説」が痒いところに手が届くようで、さらにうっかりミスをしないように、注意を喚起していて、「ああそうや、こういうニュアンスや!、用心用心」というのは何点か(具体的に何かは個人的秘密!)あった。活用していこうと思う

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 1日 (日)

比較で読みとくスラヴ語のしくみ

三谷恵子著 白水社 20167

白水社に「xx語のしくみ」というシリーズがある。シリーズでも全てを読む人はまずいないだろう。そのXX語の超入門というか、入門以前というか、紹介の本である。この本はそのシリーズの兄貴分、おっと姉貴分である。

読後感-というのは語学書に対して適当ではないかもしれないが-を一言でいえば、疑問に答えてくれるとともに更に好奇心を刺戟する本である。

文字と音のしくみ

語のしくみ

文のしくみ

からなり、全体で250ページ弱とコンパクトで読み通すことが期待されている。

記述はどの項目も2ページに収められている。これは「XX語のしくみ」に倣っているのだろう。あとで読み返すときなどに見やすいが、「紙面の都合上(涙)いきなり答えにいきます、、、」と書かれているところがあるように無理もある。惜しい、そこ(その理由)を知りたいと思うところが出てくる。

扱われている言語は日本人にも馴染のある(いや、ほとんど無いでしょうねえ)ロシア語から、大抵の方がおそらくその名すら耳にしたことが無いであろう上ソルブ語、下ソルブ語*まで多様である。当然ながら「共通スラヴ語」(祖語)やスラヴ語最古の文献である古教会スラヴ語**もでてくる。

本文中に出てくるキリル文字による綴りには多くは読み假名がふってあるが、キリル文字の知識なしに読み通すのは辛いかもしれない。(度々書くが、ロシア文字という呼び方は誤りである。)

古教会スラヴ語の文字(キリル文字にないもののみ)と音は冒頭に簡単に説明されている。IPA(国際音声記号)については最新版のあるサイトを紹介してあるだけで、説明なく使われている。

鍋屋町が、ほんの少し分かるのはロシア語だけである。これも運用能力はない。大学で第二外国語として最低限「可」を貰わないといけないので、授業に出てテストを受けて答案用紙に名前を書いた。実はこうすれば、最低限「可」が貰えるというのがロシア語選択の最大の理由であった。まあ白紙ではみっともないので多少何か書いた。今にして思えば、鉄にもっと役立つドイツ語にしておけば良かったかとも反省するが、落第してはなんにもならない。

また最近は漢語(漢族の言葉という意味、所謂中国語)が人気だそうだが、当時は選択肢になかった。まだ臺灣を切って中華人民共和国と国交を結ぶ前で、かの国の蒸気機関車の状況についてもほとんど知られていなかった。

の大学時代のロシア語の試験の思い出である。

ある学生「試験問題のY番が汚れていて読めません、取り換えて下さい」

ロシア語のU先生「君は新聞の印刷が汚れていたらイチイチ新聞社へ電話して取換えを頼むのかね?そのまま判読しなさい」

 まあ、答えに何が書いてあっても落第させない心算だから言えることである。

U先生は先年亡くなられた。イマドキこんな度胸のある先生はまだいらっしゃるだろうか?

本のご紹介から大幅に脱線してしまったので戻ります。

この本は其々の言語について概観するものではない。あくまでも比較し「しくみ」を見ていくことに重きを置いている。つまりこれを読んでロシア語とかポーランド語とはどんなものだということを知るのは無理である。其々の言語についての概要(もちろん超概要であるが)を知るには同じ著者の「スラヴ語入門」三省堂2011年がよい。というか日本語で読めるものとしては現在容易に入手できる唯一かもしれない。

一箇所だけ誤植というかミスを見つけた。

P.62 コラム 同じ音を表す2つの文字 のなかの表(チェコ語とポーランド語とロシア語で「狭い」と「ナイフ」を比較)であるが、ナイフのところロシア語がキリル文字表記の нож ではなくnožとなっている。これはロシア語のキリル文字のラテン文字翻字ではない。セルビア語だろうか?

 

注*:「神様がラウジッツを創造され、悪魔がそこに褐炭を埋めた」という諺がある。ドイツ語圏(ドイツ東部)に残された唯一のスラヴ語であるが、ラウジッツ地方の褐炭採掘、ナチによるソルブ語使用禁止、その後もコンビナート建設、外部からの労働者移入などにより消滅の危機に瀕している。上ソルブ語は南部でザクセン州、下ソルブ語は北部でブランデンブルク州である。

**:古代教会スラヴ語とも呼ぶ(木村彰一の名著タイトルにはこちらが使われている)が、日本語の「古代」が喚起するイメージほど古くはなく、9世紀から11世紀ころである。

 
あまらぼ鍋屋町

2017年9月27日 (水)

今更ながらロムニー(7)終点ダンジネスまで

ニューロムニーから先は単線である。

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これは車窓からではなく、併行する道路から海側を見た画像である。線路はこの画面とは反対側にある。一体何があったのだろう?残念ながら立入禁止である。

RH&DRは第二次大戦中は軍に接収され、装甲列車も走った。またフランスへの軍事目的のパイプライン建設にも使われた。なおパイプラインは後に撤去された。まあ、70年以上経過しているので、これらとは無関係なのだが。

終点附近は大きなループになっていて、そのループの突端にダンジネス駅Dungenessがある。
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この辺り一帯は自然保護区
Dungeness National Nature Reserveである。


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この地には燈臺が古くから設置されてきた。初代は
1615年製の木製とのことである。画面中央に見える黒いのは1904年完成のもので、現在はもう現役ではない。駅からすぐの所にあり内部見学可能である。

燈臺の右に原子力発電所が見える。燈臺に近い方がダンジネスA、さらにその右(実際の位置は奥)のはダンジネスBと呼ばれる。ダンジネスA1965年運転開始のものでで、現在は運転を終えている。ダンジネスB1983年運転開始で現役である。

ダンジネス駅で列車は暫く停車する。カフェはあるが、ニューロムニーのような鉄道模型や鉄道関係の展示施設は無かった。現在使われているダンジネス燈臺は画面左奥に見える白黒塗分けのもので、1961年製である。

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15インチ軌間の機関車のキャブはこんなのである。


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ダンジネス駅を発車して大きなループを廻り、もとの地に戻って行く。

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注:* ダンジネスA、Bいずれも日本の原子力発電所とは異なる原子炉を使っている。Aはマグノックス型(英国で開発、天然ウラン使用)、Bは改良型ガス冷却炉(低濃縮ウラン使用)である。何れも原理は黒鉛減速、炭酸ガス冷却である。一方、日本のは軽水炉と呼ばれ、軽水減速、軽水冷却である。軽水とは重水に対する言葉で普通の水のことである。なお減速とは原子燃料で効率よく核分裂を継続させるために、核分裂により生じた高速(速すぎる)の中性子の速度を下げることをいう。

RH&DRは終了。次は何にするかな。

あまらぼ鍋屋町

2017年9月24日 (日)

今更ながらロムニー(6)模型レイアウト

前述のようにニューロムニーではかなり停車時間があった。

ここにはビュフェと模型の展示がある.

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列車の発車までわずか数分しか残り時間が無かったが、模型はどんなのがあるかと中に入ってみた。
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小さなショウケースに分けての展示が多そうだ。断定せず曖昧な書き方なのは、とにかくチラチラと見渡しただけなのである。

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せっかくの小さなケースなら模型の前や後ろも観察できるようにしてくれるとアリガタイのだが、、、

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レイアウト*は当然イギリスで最もポピュラーな
OOスケールであろうと思ったのがが、なんとHOスケールである。**
これはハウウィCaptain J.E.P. Howeyのカナダ好きが反映されたものか?それともドーヴァー海峡、海峡トンネルを経て歐州大陸が近いことに因るのか?

にかく、時間が殆どなくてスナップ写真を数枚撮っただけである。是非再訪したい。

注:*毎度言うことだが、こういうのはジオラマと呼ぶのは本来の用法と異なり不適当である。

まあ、言語変化の歴史は「間違い、無教養が勝利していく」宿命にあるのだが。これはボヤきだすとキリが無いので別に書きま<せう>!

** HOスケールは1フット(1フィート)を3.5mmに作る、即ち1/87で歐州やアメリカで主流。

OOスケールは1フットを4mmに作る、即ち1/76でイギリスで主流。ゲージは16.5mmなので、ここはスケールに合わない。

では日本は?HOではありません、OOでもありません。1/80です。でも模型の箱にはHOと書いてあるではないか?ハッキリ言ってインチキ、ウソです。

私が屋下屋を架す解説をするよりも、詳細正確な解説が

https://www.imon.co.jp/models/hovs16.mbr/html

にあります。他にもありますがこれが一番充実していると思います。

あまらぼ鍋屋町

2017年9月21日 (木)

今更ながらロムニー(5)ニューロムニーにて(続)

屋根附きのヤード兼作業場のようなところには珍しいものが居た。残念ながらこれ以上近づけない。写真に見えるようにもっと近い所にもホーム(らしきもの)があるのだが、そこへ渡れないのだ。周りに他の乗客が多いし、管理のしっかりした観光鉄道で無理は禁物である。

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ノーフォークにあるブア・ヴァレー鉄道
Bure Valley Ryからの訪問機visiting engineである。名前はロクサム・ブロードWroxham Broad 1964年製で蒸機の外観のガソリンエンジン機(名称Tracy Jo)として完成したが複雑な経歴をもつ、92年に蒸機2-6-4Tに改造!された。*

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この日の最後近くハイスへ戻る時にすれ違ったが、これを撮りに行くと倫敦の宿へ戻れないので諦めた。やはり鉄道利用の鉄道撮影には制約が多い。

カヴァーを掛けた数台のカマが構内を移動していった。他の状態では、つまりまともな撮影ができなかったもののみご紹介する。

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2
号機ノーザン・チーフNorthern Chiefである。1号機とともに生前のズボロウスキが発注したものである。GNの外観のパシフィックで製造はやはりDavey Paxman & Co.,1号機とともに1925年製である。RH&DRの本線建設が始まるまではニューロムニー保管されていた。

他の機関車もおおむねそうであるが、ボイラもテンダーも種々の変更の歴史がある。

カヴァーが掛けられているので断言できかねるが、これが8号機ハリケーンと推定される。
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Davey Paxman & Co.
製、登場時は3気筒機のちに2気筒に改造。

注*:Guest Engineering & Maintenance (Ltd)の製造である。

最初はフェアボーン鉄道Fairbourne Railway(ウェイルズ)2年ほど居た。この鉄道は一度訪問したことがあるので、機会があればご紹介したい。

その後各地を転々とし、RH&DRに居たこともある。蒸機への改造はWinson Engineeringというところが担当した。現在は"The No.1 Preservation Group"という団体が所有しBure Valley Ryに貸与である。

あまらぼ鍋屋町

2017年9月18日 (月)

今更ながらロムニー(4)ニューロムニーにて

ハイスから終点ダンジネスへの往路にはニューロムニーでかなりの停車時間があった。乗ってきた列車の機関車は3号機、サザン・メイドSouthern Maid*である。
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Davey Paxman & Co、の製造で1926年製、RH&DRに新製配置された。GNの外観で、ご覧のようにパシフィック(4-6-2)である。塗色は何度も変更されたそうだが現在はRH&DRグリーンと言われるオリジナルの色に戻っている。
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ここで列車交換があり、ハイスへ出て行った列車は7号機タイフーンTyphoonが任に当たっていた。これもパシフィックである。Davey Paxman & Co.1926年製**。
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この7号機と僚機の8号機ハリケーンHurricaneは登場時は3気筒であった。ハウウィはより強力でスムーズな運転ができる機関車が慾しかったのである。しかし、高コストとトラブルによる失点の方が大きく35から36年に2気筒に改造された。第二次大戦後すぐ大型テンダーへ換装、さらに年を置いて除煙板設置、過熱器附き新ボイラへ置換がなされている。もちろん過熱器は他の機関車にも附けられた。
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注*:当時流行ったオペレッタのタイトル、ヒロインと思われる。(済みません、確信ありません)

**:現車銘版による。RH&DRウェブサイトおよび「Locomotives of the RH&DR」by A.R.W.Crowhurst and Richard N. Scarthでは1927年。

颱風なんぞは縁起でもない名称と思えるが、西歐ではハリケーンとともになんとなくロマンティックに響くのだろうか。日本では精々のところ、雷(いかづち)、電光(いなづま)である。(共に関西(カンセイ)鉄道)

つづく

あまらぼ鍋屋町

ご指摘をいただきましたので7号機製造年について修正追記しました。

この相違については今後の勉強とさせていただきます。

2017年9月15日 (金)

今更ながらロムニー(3)ニューロムニーまでの複線

この鉄道はハイスからニューロムニーまで複線である。

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実は列車での訪問の前に仲間と車での沿線撮影に来たのだが、その時はこの附近まで来なかったので、このきれいな菜の花畑の存在は知らなかった。菜の花は年によって植える場所が変わる可能性が大きいが、チャンスがあれば入れて撮影してみたいものだ。これは午後ハイスへ戾る列車からの撮影である。


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RH&DRは単に公共交通機関を目指しただけではなく、高速運転を企図していた。現在の正確な最高速度は知らないが、撮影のために線路近くに立つとけっこう速い。

この機関車は5号機、ハーキュリーズ *(Hercules)、ご覧のように車輪配置4-8-2マウンテンである。Davey Paxman**の1927年製、同716日の開業式の一番列車を牽いたカマである。当初の仕業はバラスト輸送であったが、のちにこの業務から離れ、今の大型テンダーに振替えられた。同形機に6号機のサムソンSamsonがいて、こちらも同様の経歴で、同様の変更がなされている。


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A259号線(ディムシャーチ・ロード)が線路をオーヴァクロスする此処が全線でおそらく一番簡単に上から見下ろす写真が撮れる場所であろう。見えているのはロムニー・ウォーレン停留所 Romney Warren Haltである。

もう少しサイドの見える写真を。なんとかパシフィック(車輪配置4-6-2)であることがわかる。同じオーヴァクロスでニューロムニー方面からの列車を撮影したもの。

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9号機、ウィンストン・チャーチルWinston Churchillである。

来歴は複雑で***最終的に完成させたのはシェフィールドにあったYorkshire Engine Company1927年である。カナディアン・パシフィックのスタイルであるが、これは創立者ハウウィがイギリス流の機関車よりもこの大きなキャブが機関士の労働環境に良いだろうと考えた為と言われている。ハウウィはカナダの鉄道が好きで訪問もしている

ところで当時チャーチルは学校時代の劣等生から脱皮して大蔵大臣になってはいたが、機関車に名前をつけてもらう程のオオモンになるのはずっとのちである。つまり機関車は第二次大戦後に改名されたのであり、元の名はドクター・シンDoctor Synであった。これはこの地方を舞台とした当時のシリーズものの小説の主人公の名である。****

*:ハーキュリーズ はヘラクレス(ヘーラクレース)というギリシア風の言い方というか読み方の方が日本では一般的だろうか。

**:Davey Paxman & Co.1865年にDavey, Paxman & Davey, Engineersとしてイングランド南東部コルチェスターColchesterに創立された会社、何度もオーナー、名前が変更されている。現在はMANの傘下でディーゼルエンジンの製造をしている。

***:クラウスのボイラとRH&DRの最初の2輌の機関車用の部品を使いDavey Paxmanが着手し、RHDRが引き継いだとのこと

Yorkshire Engine Companyは創業1865年、蒸気機関車の製造は1956年まで、他の業務は65年までであった。英国へは入換機主体であるが海外には本線用も製造した。

****:1915年に発表された最初の物語のタイトルはDoctor Syn: A Tale of the Romney Marshである。18世紀の密貿易を基にしたものとのこと。これに因む行事が時に地元で行われるている。

なお、機関車に関するデータは主にRH&DRのウェブサイトに拠った

つづく

あまらぼ鍋屋町

2017年9月12日 (火)

今更ながらロムニー(2)チキチキバンバン

イギリスの子供向けファンタジーにチキチキバンバンというのがある。なんと007シリーズの原作者イアン・フレミングの作である。ミュージカル映画にもなっていて、こちらの方が有名だろう。英語の題はChitty Chitty Bang Bangなので假名で書くならチティチティだが、(当時の)日本人には言い難かったので誰かが変えたのであろう。*

このチティチティバンバンは車の名であり、主題歌にもなっている。その中で

Chitty Bang BangChitty Chitty Bang Bang のフレーズが、音痴の鍋屋町でも覚えているくらい楽しい強烈なリズムに乗せて何度も繰り返される。知らなかったのだが日本語のもある。

悪い癖で新シリーズを始めると別の話が割り込む?

そうではない。

実はこの空飛ぶ車にはモデルがあり、そのものズバリChitty Bang Bangという。飛びはしないが航空機エンジンを搭載したとんでもない代物であったらしい。所有者はルイス・ズボロウスキCount** Louis Zborowski、大金持ちのレーシングドライヴァであった。

そして彼は鉄道ファンでもあり、友人で同じくレーサーで且つ(ボロウスキほどではないものの)大金持ちのハウウィCaptain J.E.P. Howeyとともに15インチ軌間の鉄道建設を目指した。すでに有った15インチ軌間のレイヴングラス・アンド・エスクデイル鉄道の買収を試みたこともあったとのことである。この鉄道については弊ブログの

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-25bd.html

以降でご紹介した。

ズボロウスキは鉄道の開業(1927)どころか発注した機関車の到着を見ることもなく、1924年にレースで事故死したが、ハウウィはこのロムニーに土地を確保し鉄道を建設開業することに成功した。Captain Howey の名を冠したホテルが、ニューロムニーの駅の向かいにある。

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ニューロムニーに進入の列車から、画面右の建物がThe Captain Howey Hotel、その向こうに小さく見えている屋根がニューロムニー駅である。

注:

*:ティはチに言い換えるのが通常のやり方だが、それではチチチチになってしまう。

餘談に入込んでしまうが、チとティに関しては日本人の発音能力の変遷を窺える面白い例がある。英語からきたカタカナ語の発音と表記である。

team」これは多くの人がチームと発音表記する。ただ最近はティームと発音し表記する人も居る。しかし「teacher」となると、これをチーチャーと発音表記する人は居ない。ティーチャーである。カタカナ語としての受入年代が違うのである。つまり、チームはずっと昔にカタカナ語として定着したが、ティーチャーは比較的最近で日本人がチとティの区別ができるようになってからなのである。その結果、「teaching team」を假名表記すると、同じteaなのに「ティーチング・チーム」とケッタイなことになる。

**:カウントは大陸側でのタイトルで、英国ではearl伯爵に相当する。なお伯爵夫人は英国でもcountessと称するのでヤヤコシイ。

つづく

あまらぼ鍋屋町

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