2020年9月19日 (土)

来年のカレンダー

久し振りにJTB時刻表*を買うたら、もう来年のカレンダーが附いていた。通常の年なら“もう”などという感覚にはならない。9月でもおかしくない。
随分昔のアメリカのヒトコマ漫画だったか笑い話だったか。どちらに載っていたか記憶は定かでないが、内容ははっきり覚えている。
       「早いものだねえ、もう10月だよ。街にジングルベルが聞こえる」

裏面末尾に“祝日法の改正により、祝日や休日が変更になることがあります。” と時刻表本文というか本表より小さい字で但し書きがあり、当然天眼鏡のお世話になった。このやり方で他社より早く出版する、まあこれはオマケであるが、は一つの見識かと思う。

使われている写真には、蒸気機関車にアンバランスかつ軽薄な近代客車などはなく、来年一年気分よく使えそうだ。また、くだらない六曜が記載されていないのもよい。どんなにデザインが良く美しいカレンダーでも、六曜が記載されているものは買うことは絶対にないし、戴いたものは即座に塵箱行きである。社会生活に餘計な制約を課す風潮を助長し、気にする人を再生産するだけだ。趣味的に気にしたい人はそうすればよいが、一般社会は莫迦莫迦しい迷信とはもう縁を切って欲しい。

小生が会員の末席を汚す鉄道趣味の会では、これで3年連続になるが来年のカレンダーを制作する予定で、会員および会員の家族から写真を募った。
“募った”ということは“募集した”と同義であることは言うまでもない。ただし、前者は和語であり使う漢字を訓読みする、後者は漢字語で音読みするという違いがあり、響き・雰囲気が異なる。繰り返すが、あくまでも意味、行為の内容は同じである。しかしさる国の去った・自称”立法府の長“はお腹だけではなく言語感覚も繊細であったようで、両者は別物であるとの考えに基づいた発言をしたと傳えられた。言語学や文学の講義なら素晴らしいのだが。
“募集”が漢語(漢族の言語、所謂中国語)起源かどうかは手持ちの漢和辞典では調べきれなかったが、日本用法のように思える。同義の“募召”は漢籍にある言葉である。
話が横道にずれたが、「カレンダーにはお前の写真も一枚使ってやる、また褒美として出来上がったら3部送るよ」と会の事務局から案内が来た。しかし印刷は来年の祝日が各停してからとのことである。

今年はオリンピック・パラリンピックという年貢忠則世界運動会のために、特例法を作って祝日を移動させた。来年なら開催ができるかどうか、まあ今年のように祝日移動をしても結局は無駄だったとなるのではないかと小生は思っている。“憂慮”しているではない。
これすら来年開催できないようでは、小生などがまた自由に欧米などの蒸機を見に行けるようにはならないということである。しかし、開催できなければできないで、小生としては「ザマー見ろ」と留飲を下げることができる。

尤も最も悪い展開としては、運動会は無観客かとてつもなく制限した観客数で催行する。入場料収入は無くなるかごく少額、おこぼれにあずかろうとした観光業者などはどんどん倒産する。都民税だけではなく、国税も尻拭いに大量投入される。東日本大震災の後始末のための税率加算のような、税率加算が行われる。天災ではなく人災なのに。消費税率をすぐにでも上げることに与野党とも合意ないし、内諾がされる。選手や関係者、少数でも観客などが持ち込んだ変種のヴィルスで爆発的感染が再々々度起きる。
といったところであろうか。

そもそもWHO(Wuhan Hidden Outbreak)ヴィルス騒ぎなんぞが起きる前から、こんな馬鹿馬鹿しい運動会で税金の無駄使いをするのはケシカランと思っているのである。

冒頭に書いた紙の時刻表なんぞ今更要らないではないか?という疑問を抱かれる方もあるかと思うが、旅行計画を立てたり、持って行ったりするには、実はこちらの方がJR関空特急に使いやすく便利なのである。この説明は以前書いたような気がするがどこだったか。
*なお、カレンダーにつられたわけではない。必要な際はいつでもJR時刻表ではなくJTB時刻表を購入する。JRのは東海道線本線米原以西、山陽本線が大きく後ろの頁に飛んでしまうのが使いにくいのである。

あまらぼ鍋屋町

2020年9月13日 (日)

20年前のエッセイ集

「日本語のこころ」 日本エッセイスト・クラブ編 ’00年版ベスト・エッセイ集 文藝春秋 20007

一向に先の見えないWHOWuhan Hidden Outbreak)ヴィルス感染症のパンデミック(世界的蔓延)で海外撮影行が絶たれて、部屋の中を引っ掻き回すことが増えた。その際に出てきた本である。全く見覚えもなく、ちょっと得した気分になった。買うたものの読んでいなかったようで、本当は損をしたと感じるべきなのだが。忙しいころだったので、タイトルをみて日本語関係のエッセイを集めたものと勘違いして発注したのだろうか。‘00年版とあるようにこのベスト・エッセイ集は毎年出ていたが数年前に終了したとのことだ。

61篇を収めているが、一つのエッセイの題を代表のタイトルにも用いて4つに分けている。出版時だったらその通りと共感しただろうが、20年を経て“見当違いや”と感じるものもあるし、先月出版であってもおかしくないものもある。惜しいことだが20年も経つと鬼籍に入られた著者が少なからずいらっしゃる。

その“見当違いやった”の一つであるが、決して著者が悪いのではない。我々大多数がそう思ったのだ。

「無常とカメラ」 山崎正和
ライフ創刊号の表紙を飾った巨大ダム写真を撮影した女流写真家*から話をおこしているのだが、、、
Margaret Bourke-White、山崎氏の文に女流写真家とあるので、そのまま用いたのだが、考えてみると変な語だ。運動競技でもあるまいに。女性だからと言って使う機材や使用法が違うわけではない。男女の差異は野外で写真を撮るときに立ちションベンで済ませられるか否かだけであろう。結果、できた写真、が全てだ。

> ナチスもソ連も、すべて強烈で邪悪な政治的情熱が灰のように霧散した**。工業化への
>営々たる努力がポスト工業化を招き、全人類が自分の国家を持った*3とたんに、皮肉に
>も市場の世界化が始まった。情報*4は増殖することで迫力を失い、昨日の地震は今日の大事
>故のまえに影を薄める。
(下線は引用者)

**無邪気にこんなことが思えた時代だった。政治評論家や歴史家もかなりの方が似たような意見を表明された。時代というほど長くはなく、ほんの瞬間だった。
笹だけを食べるパンダと思って成長するのを助けたが、肉食で狂暴な羆がパンダの縫ぐるみを着ていることが、今頃になってやっと欧米諸国にも理解されつつある、、、、ことを望みたい。もっと始末が悪いのは、羆は己の生息領域を心得ているが、こやつはそうではないことだ。

*3 失礼ながら、どうもおっしゃることが粗雑に過ぎる。
確かに国籍をもたない人は20年前も現在もごく少数である。しかし、「自分の国家」ではないこと、即ち望まない国家に在住すること、望まない国籍を与えられていることは、当事者にとっては国籍がないよりも問題が大きいのである。
パンダの縫ぐるみを着た羆も多くの人が認識する前に、主に辺境や山地でこういう事態をおこした。その悪影響はますます大きくなっているが、後に飼を与えた者たちは、その当時は見逃したり見て見ぬ振りをしたりであった。

*4 ここで著者の言う情報は、=ニュースなので、まあこの通りであるが、国家や権力者などが集め取り入れる情報=インテリジェンスについては様相が全く異なる。
東ドイツは盗聴に力を入れ、国民の電話会話などの膨大なテープを持っていた。しかしその膨大な情報を有効に使えなかった。しかし科学技術の進歩は上述の羆に大量のデータを収集し、巧みに処理し、結果を利用する術を与えてしまったようだ。

>、、、、ふとそれとはまったく別の、奇妙にしみじみした感慨を私に抱かせた。それは、
>十九世紀に生まれた静止映像がなぜかまだ生き延びていて、来世紀にも生き残りそうだ
>という事実の不思議さ*5であった。思えば二十世紀は十九世紀の蒸気を電気で駆逐し*6、
>十九世紀の知らなかった飛行機や核エネルギーや、抗生物質や、、、、
>、、、にもかかわらず、写真は機械技術の変化は示したものの、レンズを向けて静止画像を
>写し、一瞬の姿を時間を越えて残すという文化を変えていない。
(下線は引用者による)

*5:なぜ不思議に思うのだろう?尤も文の先の方を読んでいくと、この文は単なる言葉の綾ととれるが。
以前、photographyは写真と呼ぶより、光画と呼ぶのが相応しいと書いたことがあるが、画の一方法、一手段と考えればこういう感想はでてこないように思う。
現実世界即ち四次元時空連続体の中でのモノの動き(静止も含め)を二次元の静止画像に留めるのはアルタミラ洞窟(#)以来の人類の行いだ、一世紀やそこらではない。静止画像は動画に勝る点が多々あるからこそ、作られ、使われ、貯められていくのである。
(#)名(だけ)を知っているので挙げたが、最古のものではなさそうだ。どれが最古か、誰が書いたのかということも諸説あり、研究も進んでいるのでそれに連れて変化するようだ。

*6:どうも輸送機械の動力など、表層だけが目にとまっているようだ。技術に詳しくない方にとっては致し方ないことではあるが。
化石燃料にせよ、核分裂にせよ、そのエネルギーは一旦蒸気に形を変えないとーすくなくとも現在の科学技術ではー大量に実用的に電気に変換できないことは、もっと知られてよい。(燃焼タービンでもそのエネルギーをできる限り有効に使うには蒸気サイクルを後段に附加する。)
蒸気は、譬えて言えば、今でも人形浄瑠璃で人形を動かす黒衣(クロゴ)であることに何ら変わりはない。顔を出す「出遣い」を行なう場面がごく少なくなっただけである。

「辞書を読む」 阿川弘之
自作を新假名遣いに変更することを認めなかった阿川のものは当然ながら正假名遣いで収められている。
こちらは先月出版でもおかしくないと感じるほうで、「あれ、たしか訃報を目にしたが、遺された原稿かな」である。逆説的だが、正假名遣いであることが時間の経過を感じさせない。そしてもっと大切なことだが読んでいて気持ちが良い。
文庫に入る時に、編輯部が「表記は原則として新漢字、現代かなづかいを採用しました」(ちくま文庫「阿房列車」の例)と故人の意思を無視して乱暴なことをするのだろう。

全体のタイトルとなった「日本語のこころ」は金田一春彦のものである。面白いことは面白いのだが、今では多くの方々に取り上げられる話題―と小生が感じるのは、20年の時の経過によるのか。

あまらぼ鍋屋町

2020年9月11日 (金)

“立ち上げる”愚

いろいろとオカシナ語が使われるようになってきているが、その中でも最大級の愚かなものと小生が感じるのが“立ち上げる”であろう。ケッタイな片假名語でなく、一見まともな語に見えるだけに餘計に始末が悪いかもしれない。

まず、文法的に語の構造がおかしい。

「立ち」というのは、自動詞「立つ」(五段活用=文語では四段活用)の連用形である。これに「上がる」を加えると「立ち上がる」意味は明快で説明不要である。 

しかし、「上げる」は他動詞である。 
組みにするなら「立てる」と組むべきである。
他動詞「立てる」は下一段活用(文語では下二段活用)である。その連用形は「立て」
従って「立て上げる」
しかしこれは語感が悪い、それで「立ち上げる」としたのか?しかしこれでは自動詞成分と他動詞成分が混在している。

「上げる」には被動作主(客体)がある。コンピュータでもなんでもよい。しかし、「立ち」は自動詞であるので被動作主(客体)は存在しない。語学書、文法解説書ならば、慣習として文頭に「*」が附されるところだ。これは非文、非文法的など存在しえないこと、マチガイであることを示すやりかたである。

尤も自動詞と他動詞の組合せがいつも拙いわけではなさそうだ。
自動詞「立つ」+他動詞「食う」、動詞(終止形)は「立ち食う」であるが、この使用例は見たことがない。事実上“立ち食い”という名詞形だけが存在する。立つも食うも動作主は主語である。立つは自動詞なので被動作主(客体)はないが、あえて言えば(意味の上で)自身の体、しかし食うは(一般的には)他動詞で、客体はなにがしかの食べ物である。動詞にする場合は「する」を加えるのが自然だ、すなわち「立ち食いする」。しかし「立ち上げる」は発話者が立って、並行して、あるいはその後に何か動作をすることではなさそうだ。

この語を最初に目にしたのは「パソコンを立ち上げる」ではなかったかと思う。
なぜ、こういう語ができたのだろうか。「起動する」では大袈裟、重すぎる印象があったのだろう。漢字語全般にそのきらいはある。

<最大の缺点>
上述の缺点に目を瞑って「立ち上げる」を一つの他動詞と認めても、その行為の対象が既存のものか、新設のものかが判然としないことが最大の缺陥と小生は考える。
「パソコンを立ち上げる」ならパソコンは既に存在し、電源を入れてそれを起動することである。瞬時に使える状態にならない。数秒イライラし、オーケストラの指揮者のようにここぞと思う所で手で持ち上げる合図をしようと思うのか?以下に拾った用例も、瞬時にはできないものがほとんどだ。

会社を立ち上げる。事業を立ち上げる。
なら新規事業と断らなくても、新しい事業と想像できる。

最近見た例では、XX拠点を立ち上げる。
これも新規と考えられる。しかし
   XX拠点として立ち上げる。
なら、どう理解すればよいのか?古い何かを模様替えするのか?

判別が困難ないし不可能なのが、そして頻繁に用いられるのだが、 
    YY対策本部を立ち上げる ZZ会議を立ち上げる。
新しい組織を作ったのか、休眠状態にあったのを活動状態にしたのか、前者が多いとは思うが、後者の可能性も大いにある。

また、この語(複合動詞?)には組みになる反対語が存在しない。
立ち上げる(立て上げる)の反対なら坐り下げる(坐らせ下げる)とか、寝下げる(寝かし下げる)とか、倒れ下げる(倒し下げる)が対になってよさそうだが、こんな語は見たことがない。#下記餘談
止める、停止する、廃止する等々であろう。

もう一つの缺点として語が長いことがある。5文字ある。
一方、既存の語で且つ同義ないし似た語義でより明瞭なものは 設立する、設置する、起動する、動かす、開始する、始める、、、、思いつく限り3~4文字である。

以上、おかしい、曖昧などとイチャモンを附けたが、言語には「わざと(意図的に)傳達しない、させない、不明瞭に済ませる」という“重要な機能”もある。明瞭、誤解の餘地がない、効率的な語が“場合によっては”、とくに政治の世界では“頻繁に”遠ざけられることもある。ただ、現在は “頻繁”が“常時”になっている。

(餘談)
#:この点で、「立ち上げる」は「冷し中華始めました」に似ている。
(冷し中華に関するものは鍋屋町の発見ではない。かなり前の東海林さだおの漫画にあった、申し訳ないがいつのどの漫画であったかは記憶していない。)
「冷し中華始めました」はデカデカと店頭に掲示される
「冷し中華終わりました」と案内されることはまずない。秋口の少し暑い日に「冷し中華!」と注文すると「すんません、もう終わりました」とあくまでも丁寧に返事される。しかし店員の顔には「もう涼しなったのに、このオッサン阿保かいな」と書いてある。
同様にYY対策本部の終了はニュースでまず扱われない、もし扱われても「こっそり、ひっそり、目立たずに」##である。

(更に餘談、結局は鉄話に)
##このシリーズを覚えていらっしゃる方は、かなり年季の入った鉄であろう。これに大井川鐡道井川線が紹介されたことがある。その後、短期間ではあるがこの近くで勤務することになるとは夢にも思わなかった。車輛、雰囲気、風景とも気に入ったので、この地の勤務終了後にも何度も通い、全線に亘って対岸の道路などを歩いた。この“など”は深く追求しないように!
知り合った沿線のかたから材木切り出し輸送の情報を直前に頂き、慌てて駆けつけて珍しい写真をものしたこともある。そういえば今は井川線が森林鉄道と(建設の目的ではなく、残った理由の一つなのだが)呼ばれることもなくなった。

あまらぼ鍋屋町



2020年9月 9日 (水)

振り假名、ルビ

口頭原語*は、音の連続で、順次耳から入ったものを脳が理解していく。完全に不可能ではないかもしれないが、人間が話すときは二つの音を同時並行で出すことはできない。

しかし書記原語**では、二つ(以上)並べて書くことが可能であり、その、あるいはそれらの言語が理解できる人間なら多重的に並行して理解していける。厳密に脳内でどういう信号のやり取りがあって理解に至るか兎も角として。
(*一般には音声言語、平たく言えば話し言葉であるが、厳密には話し言葉は意味が異なる)
(**平たく言えば書き言葉と理解されるが、この二つは厳密には異なる)*と**についてはまた別途)

大袈裟な書きだしをしたが、並べるものとして一番イメージしやすいのは振り假名であろう。

振り假名の第一の目的は読めない、人があまり使わない知らない漢字の読み方を示すことである。しかしそれ以上、それ以外に多様な用法が実は存在する。

今使っているワープロソフトでは振り假名・ルビのように二つ並べて書くことは可能らしいが小生には難しく、それをブログにあげるとなるとお手上げなので、止むを得ず当該の語や部分の後ろに括弧書きとする。並べて書くのと、後ろに括弧書きでは全く雰囲気が異なる。だから振り假名(=並べて書く)に意味があるのだが。

まずは、読み方を示す例である。

フランス語話者で日本語を勉強している男性の面白い振り假名の例がある本(マンガ)に紹介されている。
その学習者が自分の名を書くときエユスタチエと表記する。しかし、実際はウスターシュと読むのでエスタチエの上にウスターシュと振り假名を附けるのである。原表記はEustacheである。発音よりも綴り(の假名表記)を優先する学習者が時々いるとの現地フランスの教師の言が附け加えている。
(日本人の知らない日本語4 蛇蔵&海野凪子 メディアファクトリー 20138月)

次は、読み方ではなく意味を示す例である。

多和田葉子の「カール・マルクス通り」(百年の散歩 新潮社 20173月 所収)の例だが
  >「Heimathafen」という大衆オペラ座のポスターが、、、
Heimathafenの右側に “故郷の港”とルビがある。
この語のハイマートハーフェンという読み方を示すのではなく、意味を日本語で示している。多和田葉子がベルリン在住で、日本語とドイツ語の二つの言語(*)で著作を発表している作家であることを知っている人なら、Heimathafenの読み方と意味はわかっている人は多いだろう。しかし全員とは言えない。ならば読み方“ハイマートハーフェン”と意味“故郷の港”の両者を載せているかというと、そうでもない。
多和田は読者がこの語の読み方も意味も知っていることを期待していて、あるいはそれを前提として、なおかつ故郷の港という意味に関しては注意喚起したいのであろう。

意味を示す例では、こんな“振り英語”もある

なんと関西辯の解説のためである。
       >、、、「そやかて、、、、」
       >とか、その理由をつづけたくなる。
この“そやかて”の右に“ビコーズ”と振ってある。ここは“だから”と標準語を振ったのでは面白くない。”because“では気障に過ぎるかもしれない、少なくともオセイドンには似合わない(失礼!かな?)。ビコーズと片假名が実にピッタリである。
(「大阪弁おもしろ草紙」田辺聖子 中公文庫20207月 もとは同名の講談社現代新書 859月)

本来ご紹介しようと思った「振り仮名の歴史」今野真二 岩波現代文庫 20203月(元は集英社新書 20097月)に入る前に(例によって)前置きが長くなってしまった。

この本には「二つ(以上)並べて書くこと」あるいはその発展形が歴史をたどって詳しく紹介・考察されている。岩波版には15ページほどの補章と文庫版あとがきが加わっている。補章は出版後に著者がさらに考察を深めた点や、「高輪ゲートウェイ」に代表される日本語環境の変化などにも簡単ではあるが触れられている。

上でルビという語を使ったが、現在では新聞では全く使われておらず、一般の書籍でも著者が(あるいは編輯者が必要と判断し)指定した部分にしか使われない。これは戦後の国語改革(小生はその大部分が愚劣な改悪と考えるが)で決められた(推奨)もので、強く主張しその方向に導いたのは作家の山本有三であったとされる。これについても、また何故ルビと呼ぶのかについても「振り假名の歴史」で触れられている。
ルビが(社会的に)残っていれば、多くの人がもっと間違えずに漢字を読めたのにと小生は残念に思っている。もっともこの歳になると天眼鏡がないと読めないという残念な現実はあるが。

*:毎度言うことだが、こういう場合に、無神経に二ヶ国語というかたが非常に多い。国民の多くが日本語を使う国は残念ながら(?)日本しかないが、ドイツ語が使われる国はドイツ一国ではない。全域で使われるのが他にオーストリア、小国だがリヒテンシュタイン、一部地域で使われる国にはスイス(かなり広域)、ベルギー、ルクセンブルクがある。英語、スペイン語、フランス語などと比べるとずっと数は少ないものの、幾つもの国の言語である。 N(自然数)ヶ国語という概念はそもそも成り立たないものである。

あまらぼ鍋屋町

2020年9月 7日 (月)

颱風に関してもう一点

日本では風速をメートル/秒で表示するが、管見の限り欧米でもアジアでもkm/時あるいはマイル/時ばかりだ。小生は絶対にメートル/秒の方が分かりやすいと思っていたのだが、ある所で70メートル/秒は時速252kmで云々という解説を見た。車や列車なら、その速度で1時間とか2時間とか逆に半時間でどの辺りまで行けるかという見当をつけるのに毎時kmは分かりやすいという利点がある。あいだ車に乗る人は風に関してもその方が分かりやすいのだろうか?感覚として分かりやすい?こんな速度で窓を開けて風を受けて走るわけでもあるまいし、そもそも日本でこの速度を合法的に出せる道路はない。ペーパードライヴァはちょっと附いていけない。
人類最速の短距離選手が10m/秒強、元気盛りの高校生なら特に運動部でなくとも8m/秒くらいだろうか。こういうのは-某国文部科学大臣ではないが-身の丈に合った測定値である。また、風の息や最大風速と瞬間最大風速の関係を分かりやすくするためにも秒速が良いと思うのだが。

もう数年前になると思うが、衣類の洗濯法表示を世界標準に合わせるということで変更されたが、従来の日本のものと違い、直観と食い違う表示が多い。小生の場合はもうスーツなどを頻繁にクリーニングに出す必要性がなくなり、ほとんどのものをできる限り自分で洗おうとするのだが、新しい衣類に附いている新しい表示には極めて分かりにくいのが混じっている。

世界標準にあわせるという美辞麗句で、現在の合理的で分かりやすいものを変更することは行わないようにしてほしいものだ。少数派でも正しいものは正しく、便利なものは便利である。風に関してはそういう議論を聞かないのは幸いである。

あまらぼ鍋屋町

2020年9月 5日 (土)

振り漢字

やってくる2日も3日も前から、気象庁や国土交通省(気象庁はその外局ではあるが)が会見を開き、特別警報を出すぞと豫告するとんでもない颱風がやってくる。

この颱風10号、ニュースサイトによっては末尾に「ハイシェン」と括弧書きなどで附け加えられている。颱風のアジア名である。
この片假名をみて、一般の日本人は何か分かるだろうか、あるいは何かイメージが湧くだろうか? 13号が発生したら、日本語のクジラ(鯨)と名附けられるのだが、一般のアジア諸国民にこれが何かわかるのだろうか?ニュース解説などで「この名前は日本の提案で、、、」とやるのか?

ハイシェンは中華人民共和国提案の名前で、漢字で書けば「海神」、振り假名ならぬ振り漢字*してもらえば日本人にはすぐ分かる。もちろん厳密な定義というか、支那でどんな謂れがあったかは分からなくても、海の神さんあるいは逆に悪さをする神さん(魔物)だろうと想像はできる。残念ながら今回は名前通りの大暴れが予想される。

このアジア名は14の国と地域から10個ずつ提案した名前が計140が順に使われている。
さて14の国と地域、何処が入っているか?
関係しそうな国はフィリピン、臺灣、日本、中華人民共和国、韓国、、、、あとは、、、、ミクロネシア、ヴィエトナム、マレーシア、、、、あまり頻度は高くないがタイ、まだ足りない。
内陸国であるラオス、カンボジアも加わっている。米国も、北朝鮮もある。

そして中国共産党が世界との約束よりも27年前倒しに有名無実にした一国二制度がここでだけ生きていて、香港、マカオがある。
え!15になるではないか!
実は怪しからん話であるが、臺灣は鹿十(シカト)、仲間に入れてもらっていない。ハバにされた臺灣の方がヴィルス対策を巧みに行ったWHOと同じ構造である。

上述の通り140個では数年後には同じ名前を用いることになるので、後ろに括弧書きなどで発生年を入れる必要がある。だったら日本でやっているように最初から年ごとの1からの連番、必要に応じ年を書く、が合理的ではないか?なぜ固有名詞的なものに拘るのだろう?ハッキリ言わせてもらえば、関係者の自己満足に過ぎないのではないか?また、甚大な被害をもたらした場合、もしこのアジア名が当該国で盛んに使われていて、名前と提案国について知られたら悪印象が残るだけではないのか?

(参考) 気象庁のウェブサイトから
140個のアジア名のうち日本からは、星座名に由来する名前10個を提案しています。星座名を提案した理由として、特定の個人・法人の名称や商標、地名、天気現象名でない「中立的な」名称であること、「自然」の事物であって比較的利害関係が生じにくいこと、大気現象である台風とイメージ上の関連がある天空にあり、かつ、人々に親しまれていることが挙げられます。また、アジア名として採用するには、文字数が多過ぎないこと(アルファベット9文字以内)、音節が多くなくて発音しやすいこと、他の加盟国・地域の言語で感情を害するような意味を持たないことなどの条件もあります。(下線は引用者による)

上記の下線部について:日本からのには上述の通りKujira(鯨)もあるが、星座名という理由を附けて観測気球で突っ込んだのか?オーストラリアがこの14に入っていたら毎度嫌味を言うだろう。米国人は言わないのか?

*:「振り仮名の歴史」今野真二 岩波現代文庫 20203
>また、「上海」(しゃんはい)、「四馬路」(すまあろ)(、、、、、)は、漢字に中国語を振仮名として付けたとみることができるが、
>これを逆にすれば「シャンハイ」(上海)となり原理的には漢字が仮名に振られる振漢字もあるうることになる。、、、、
(下線は引用者による)
“®今野”とは書いてはいない。今野氏による造語なのか、先例があるのかはわからないが、極めて稀な謂わば常識の逆を行く語であることは間違いない。
この本は非常に面白かったので、別途もう少し書きたいと思っている。

あまらぼ鍋屋町

2020年9月 2日 (水)

43タイトルの8割が非常に面白かったエッセイ集

ことば事始め 池内 紀 亜記書房 20196

昨年8月末に亡くなったドイツ文学者・エッセイスト池内紀のエッセイ集である。他分野では更に後のがあるが自らのエッセイ集として最後のものであらう。著作や翻訳は非常に多い。単行本が確実に二百以上はある、ひょっとして四百くらいあるのか。

ことば遊び、つくることば、手書きのことば、老語の行方 の4つのエッセイを代表にして4分類して計43のエッセイを収録している。小生にはそのうち8割が面白かった。

わが猫の額マンションからちょっと距離があるが、JR某駅近くに、大きくはないが人文系図書を大型店に勝るとも劣らないほど取り揃えている書店がある。WHOヴィルスで鉄もままならぬ毎日、いつになるか分からないが来たる海外鉄再開に備えての体力維持の為にここまで散歩することが増えた。あるとき、またここで立読みした際に、わが父方の地のことが載っているのを見て、そのままカウンターに持って行ってしまった。大袈裟に言えば私淑!する小生としても著作を中も見ずにネットで買うことは避けている。

「正月、二月、三月」

そのなかの一つのエッセイのタイトルである。二月堂、三月堂は有名であるが、正月堂をご存知の方は少ないだろう。それがある三重県の村が父方の地である。さて、池内紀は
>奈良発亀山行、JR関西本線で約一時間、、、、
と書いている。湊町から加茂まで電化されてから奈良から亀山への直通は無くなった。暫くはあったのか?池内が訪問したのは何年前なのだろう。なお、極めて多くの方が、地理には詳しいはずの鉄も含めて、木津から月ケ瀬口を奈良県と誤解している。京都府であるので念のため。池内のこの著作でもそのことには触れておらず、尚且つ
>三重県の村ではあるが、あたりの景観はあきらかに奈良である。
と書いてあるので、要注意である。

「われをほむるものハ
あくまとおもうへし」 
2行に書かれているが、これがタイトルである)

百五銀行の頭取などを務めた伊勢商人豪家の川喜多半泥子(男性です、為念)と彼を育てた祖母マサについて書いている。
つい先日地位を退くことを表明した政治家を厳しく批難している。
>、、、「婆々」(引用者注:川喜多の祖母)遺訓がいまもっともあてはまるのは、日本国首相安倍晋三だろう。「オトモダチ」が
>いかなるたぐいの人間かすらわかっていない。
はっきり実名を挙げてこんなにも直截的な批難なのは、著者に「残された時間は長くない」という焦りがあったのか。
そういえば、小生がその著作が大好きで、大作家になるのではと期待した故米原真理(露西亜語同時通訳者、エッセイスト)も、癌に侵されてからの著作ではユーモアを含んだ辛辣さが消え、日本の政治家を罵倒していた。

「つくることば」

>,,,理由は簡単で、数学がまるでできない。
>、、、、、
>、、、貧しい劣等生は学費の安い国立大学で、、、、
>そこは英語の配点が法外に高く、おまけになぜか入試に数学がなかった。
実は小生もこの大学に願書を出した。池内はドイツ語科であるが、小生はイスパニア語科で出した。
小生の行った高校では2年生からだったか、文系と理系にクラスを分けていた。小生は何の迷いもなく理系を選んだが周りの多くには意外と思われたようだ。理系だと地理、世界史、日本史から一つだけ選択学習であった。世界史を選択するのが大多数、次いで地理であったが、小生は何故か日本史をとった。(まあ、今となっては何も覚えていないので、どれでも一緒といえる)

さて件の国立大学、小生の時には入試に数学はあったと記憶する。入試の理科は一つだけ選択だったので、苦手の化学は避けて物理にした。担任教諭は、小生が文系の大学にも願書を出したことにあまり驚かず、次のように励まし、助言してくれた。
「数学と物理はそんなに難しい問題は出ない。落ち着いて取り組めば、理系のお前なら大きく取りこぼすことはないから、文系の受験生より有利だ。」
しかし問題となるのは人文系科目で、二つ選択する必要がある。小生は二つ目の科目として世界史を選んだ。担任は「最初の大学の試験が終わったらこの国立大学の受験日までの二週間、教科書を繰り返し徹底的に読め」と命じた。基礎知識が全くない生徒には最適の指導だ。当時は塾に通う風習はなかったし、大阪の進学校では、与えられた宿題をこなすだけで精一杯で、事実それだけでほとんどの生徒がしかるべく大学に進んでいった。

最初に受けた大学―もちろん理系の学部の某科―になぜか合格してしまったので、池内の進んだ大学には行かなかった。

例によってイチャモン

再度
「われをほむるものハ
あくまとおもうへし」 

池内は
>、、、突如カタカナが入って読みにくい書き文字をメモに、、、、
と書いているが、この[ハ]は片假名ではなく変体假名の平假名であろう。
(参考にしたのは、「正書法のない日本語」今野真二 岩波書店20131月)
元になった漢字は「八」(8)である。なお現在通常使う(変態!でない假名、ノーマル?)「は」の元の漢字は「波」である。
なお、同様の誤解(=平假名の[ハ]について誤解)は桂米朝の著作にもあった。それだけ知られていないということだろう。

あまらぼ鍋屋町

2020年8月25日 (火)

落語から無理に汽車 その4の2

前回に続き
上方落語ノート第四集 桂米朝 岩波現代文庫 20207月初版
元は 四集・上方落語ノート  青蛙房 初版199112
にある話題からである。

<陸蒸気>
明治の頃、蒸気機関車をこう呼んだ。そしてこの言葉、この文字遣い、つまり陸をオカとよむ、は歴史教科書にもあったかと思う。国語辞典でもたいていはこの文字遣いしか載せていない。
オカという発音からはどうしても 丘、岡 に結びつき、陸は他には “陸稲”、“陸に上がった河童”くらいしか思い浮かばないのは小生の教養不足であろう。

しかし、岡蒸気と表記されたことも明治期によくあったようである。その名残というべきか、、、、米朝は昭和十四年(1939年)の雑誌「季節」に正岡容(米朝の寄席演藝研究の師匠)が載せた「大阪秋風」という文を引いている。
>、、、、亡き小文枝*は「三十石」に明治初年の、岡蒸気に客を奪はれた船頭のやるところ
>なき憤懣を巧みに語り、、、、、
*:二代目桂小文枝、小文枝の名で没したのは二代目だけである。(あまらぼ鍋屋町)

この後に
(編集部注・旧漢字を新漢字に、また、一部の旧かな遣いを新かない遣いに改めさせていただきました)
とある。なぜこんな餘計なことをするのか全く理解できない。これでは正岡が実際に 岡 という字を使ったどうかということにすら少し疑念がわくではないか。別の字であるからそういうことはないとは思うが。

三十石(船)は大坂八軒屋と京都伏見を結んでいた。米が三十石運べるのが名の由来であるが、客運の専用船もあったとのこと。京大阪間の鉄道ができてからも暫く残っていた。もちろん伏見行きは船頭が岸から牽いて上った。

また、岳をオカと読む例もある。名市交に高岳という駅があるが、タカオカと読めない方がままいらっしゃる。変圧器などに特化した電機メーカーに同名の会社があった、現在の東光高岳の一部である。
地名のタカオカ(高岳町)は高岳院(ただしこれはコウガクイン)にちなんだものである。全国的に多くの由緒ある地名を抹殺した犯罪的愚挙である住居表示による塗潰しにより高岳町は消えた。現在は駅の北は泉、南は東桜なので、交通局としてはどちらを駅名に採用しても揉めそうで、76年に消えた旧名を約四半世紀後に拾ったのかもしれない。東桜(泉)なんぞというみっともない駅名にならなくてよかった、たまにタカタケと読まれたり、高丘と書かれたりで、詐欺の受け子が間違える可能性も期待できる。

<どうでもよいお断り>
前回末尾に書いた“牽強附会で鉄道に関すること”とは“火吹き達磨”であり、それを書くつもりであった。というのはこれによる火鉢などへの送風が、まだ使えそうな温度と圧力を系外に捨ててしまう(<モッタイナイ)蒸気機関車の通風に通じるところがあると感じたからである。しかし調べてみると、通風ではなく水性ガス反応-これなら燃料節約につながるーとしている説明も見つかった。木炭の燃焼温度は普通の空気供給状態で1000℃くらいになるそうで、理窟の上では-そしておそらく実際にも多少はー吸熱反応である水性ガス反応があってもおかしくないが、大きな暖炉ならともかく火鉢でそういう状態を利用できるほどの規模で継続しているのかは疑問である。自分で実験研究してみる設備も技術もないので、少し文献を当たってみることにする。

あまらぼ鍋屋町

2020年8月21日 (金)

大阪地下鉄 切符売りのおばさん

“落語から無理に汽車 その4”として書き始めたのですが、一つの話題でグダグダと書いてしまいましたのでタイトルを独立させました。

上方落語ノート第四集 桂米朝 岩波現代文庫 20207月初版
元は 四集・上方落語ノート  青蛙房 初版199112

青蛙房版もまだ入手可能であったが、岩波版には補遺として「季刊上方藝能」掲載の「上方落語ノート」も収録してあるのにつられた。両方買うのはいくら何でもモッタイナイので、読みにくいのを我慢した。

「一枚の切符」と題した章

背景も知っていただく必要があるので、一寸長く引用する。
>、、、切符の立売りという商売があった。、、、、たいていは女性で、、、
>、、、地下鉄やバスなどの回数券を一枚ずつバラ売りするのである。当時は地下鉄も一号線
>のみ*で、全線均一料金*だったと思う。十枚分の金額で十一枚買える。これを一枚ずつ
>一枚売ることによって、、、、、
>、、、しかし、自動券売機もなかった頃、出札口が混雑して、、、、
>、、、なお、この商売は東京では成功しなかったそうだ。東京人はこんなあやしげな立売りの切符を買う気がしないらしく、、、、

小生は並ぶこと(行列すること)に対する、大袈裟に言えば嫌悪感が関西人、特に大阪人、と東京人(あるいは首都圏人)で違うことが大きな原因ではないかと思う。大阪人はイラチである。小生はそれほどイラチではないつもりだが、行列は大嫌いである。乗り物に乗る時は致し方ないが、この店は旨いから、などという理由で並ぶのはごめんだ。不味くなければそれでよい。

東京で勤務したことがあり、電車通勤した。期間の前半は川崎に住んだ。初日の某民鉄某駅で。ホームの行列は当たり前だと思っていたが、なんと白枠の中に3列で並び、左隣の枠にも同様に列を作っている。最初の白枠の客が乗り終えた後、左の枠の客がすっと、列を崩さずに右の枠に移動した。もちろんホームの駅員やアルバイトが誘導したり、放送したりするわけではない。実に気味が悪く、共産圏の軍隊ではないかと大袈裟に言えば恐怖感すら覚えた。まあ、その前に暮らしていたのが、関西よりも車内やホームで行儀の悪い(悪かった)名古屋であったから落差が大きかった。

>、、、駅に「出札の窓口以外でお買いになった切符で問題が、、、」**という立札がでたり、、、
>、、、それが、万国博開催となって、禁止してしまえと、、、
>、、、世界中から来るお客さんにみっともない。大阪の恥さらしである、、、どこがみっともないのか

同感である。当時は「海外では、、、アメリカでは、、、、ヨーロッパでは、、、、」と発言する「ではの守(念のためデワノカミと発音する)」の影響力が今よりはるかに強かった。しかし彼らの観察は表面的どころか、見たいものだけを見て、本当の姿を見ていなかった。あるいは敢えて無視、あるいは日本では知らない奴ばかりだろうと嘘を吐いたようなものである。
海外視察という税金を使った物見遊山をいまだに国会議員も全国多くの地方議会議員もやっている。万博からでも半世紀経っているのに

>、、、、当時のある日のことである。動物園前の地下鉄乗り場*3で、私は一人のおばさん
>から切符を買った。そしてお金を渡そうとすると、手を振って受け取らないのである。
>不思議に思ってよく顔を見ると見覚えがある。、、、、
>、、、、十二時までに入場するとちょっと割引になる。その割引タイムに来て夕方までいて
>帰るのだが、いつも最前列にいるので、、、考えてみると雨の日は休んでいたのだ。、、、
>、、、祝儀代わりに一枚プレゼントしてくれたに違いない。十一枚売ってやっともとがとれ
>る一枚の切符、、、、今でも忘れられない有難いご祝儀だった。

人は裕福でなくても、むしろ裕福な人よりも、本当に親切になる。昔の東ドイツでも、ルーマニアでも、キューバでも、ヴィエトナムでも経験している。
そして大阪の地下鉄で、私にも忘れられない思い出がある。

小学校へ上がる前の晩秋に大阪市内で引っ越しをして、地下鉄沿線の家に入った。あと少しだからということだろう、幼稚園はかわらなかった。それでバス通園になった。
家のすぐ前の道は-子供には十分な遊び場であったが-バスが入るには狭く、バス待ちは、家から僅か50mほどしか離れていないのだが、地下鉄の出入口であった。
初日は問題なかった。2日目(あるいは3日目だったか)バスが一向に来ない。小生はそこの切符売りーこの駅では坐って売っていることがほとんどだったがーのお婆さんに遊んでもらったり、道路で一人遊びをしたりで暇つぶしをした。御堂筋線のその辺りまではオープンカット工法で作られ、当時はまだ上部が塞がれていなかったので電車が走るのも見えた。お婆さんは「バス、来えへんね。どうしたんやろね」

昼前になって腹が減って家へ帰った。母は当然ながら呆れかえっていた。

適当なところで止めることをしないのは大きくなっても一緒だ。中華人民共和国へ蒸機の撮影に行き始めたころは、幹線で適当に貨物列車を待って撮ることが多かった。此処が良いと決めて、列車が来なかったり満足いかなかったりすると日没まで諦められないことが何度もあった。

今なら大騒ぎになるだろうが、ノンビリしていた。現在、近所の様子を観察すると、親がバスが来るまで待って、保育士(変な言葉だ、保母、保父でよいではないか)に引き渡すようだ。
母が向いの家で電話を借りて*4幼稚園に連絡したのだろう。こういう楽しいことは二度と起こらなかった。幼稚園が嫌だとも楽しいとも思わなかったのだろう、園内での記憶は皆無である。上で昼前と書いたが、普段幼稚園で昼飯を食べたのか昼前に終ったのかすら覚えていない。

通園バスは2台あり、「つばめ」「はと」と名がついていた。勿論国鉄の「特急つばめ」、「特急はと」にちなむ。
ところで幼児はすぐ物知りになる。甥や姪が幼時にあっというまにJRの特急列車を覚えたことを思い出す。小生はもう国内モノに興味を無くしていて知らないのが半数以上だった。ひょっとしたら鉄になってくれるかと淡い期待を抱いたが、彼らの関心はすぐに他へ移った。

園内での記憶は皆無と書いたが、バスでは強烈な記憶がある。物知りの園児は、もちろん私も、「つばめ」の方が古く、謂わば格上であることを当然知っていた。そして幼児は残酷である。「つばめ」組は「はと」組を見下しバカにした。小生は「はと」であった。大袈裟に言えば人生最初の屈辱であった。

(蛇足)
*これは鉄の観点からはマチガイである。上に引用したのは動物園前駅の出来事なので米朝が隣の大国町を知らなかったとは思えないが、、、すでに大国町で四号線が接続していた。ただ、車掌の案内で「岸里(きしのさと)方面お乗り換えです」(一駅づつ延伸されたので言う駅名は変化した)としか言わなかったし、案内板にも路線名は書いていなかった。だから善良なる非鉄である米朝が一路線と考えたのは無理もない。狭い(当時は餘り危険は感じずに済んだが)ホームの対面に乗り換えるという便利さである。鉄でなければ別路線という意識にはなりにくい。一号線は御堂筋線、四号線は四つ橋線と愛称ができ、これらが浸透して現在は愛称でないと非鉄に理解されない。

**:67年に区間制料金になった、その際、回数券で乗り越しは別途料金、普通切符なら差額徴収で、乗客と改札口で揉めることがあったと聞く。

*3:これは筆の誤りというか、乗り場という語をあまりに広義に捉えているのだろう。乗り場―あるいは小生が狭く解釈しすぎかーでは売っておらず、地下への入り口などである。駅によっては地下通路でも売っていたかと思う。

*4:当時は電話がある家は極めて少なかった。向いの家は店舗ではなかったが、なにか商売をしていたのかもしれない。とにかく、学校や幼稚園のリストに電話番号を書くときは、いつも電話を借りられる、そして取次してくれる近所の家の番号と名前が書いてあった。「呼び出し」と称した。我が家でいえば(呼)東山―こういう書き方で電話を取り次いでくれる家を書きーその後に本人の姓名という具合である。これを組全員に配るのだからプライヴァシーもへっちゃくれもない。

この四集では全く別のことー但し牽強附会で鉄道に関することーがあるので、、、、続く

あまらぼ鍋屋町

2020年8月19日 (水)

落語から無理に汽車 その3

三集・上方落語ノート 桂米朝 青蛙房 初版199112
これは大阪のJ書店で四刷(2009)を見附けたので文庫本を買わずに済んだ。やはり文字の大きいのはありがたい。

まずは牽強附会で鉄道に関することを

>「蘭学の泉、ここに湧き出ず」名塩にある緒方八重の顕彰碑
米朝はこれでは出でず(否定)と読めてしまうと嘆いている。
文語調で書くのに新假名遣いの愚である。 湧き出づ でなければならない。

あんなところまで(失礼!)西宮市かとおもうほどの田舎であったが、いつのまにか大住宅地になっている(らしい)。新しく-と言っても国鉄時代-できた駅は西宮名塩と西宮をワザワザ主張している。でないと鉄道商売上困るのであろう。これは構わないが、滑稽というか情けないのは福知山線に近年JR宝塚線の愛称をつけていること。阪急が築き上げた宝塚ブランドに乗るのが見え見え、他人の褌で相撲をとろうというサモシサ。

>「の」の省略 どうも関西人の方が甚だしい
と米朝は書いている。
山の芋 がヤマイモになったのはまあ、どうでもエエが、北の新地 が キタ新地 になった(米朝は20年くらい前からと書いている、ということは今から半世紀前くらいからか)
ついにはその形でJRの駅名になってしまった。ただ、小生の語感から言えば、北の新地は花街そのもので、「の」が抜けてしまったおかげで大阪の主要駅名にまで昇格できたとも思う。
東の会社について言えは、ヤマテ線と多くの利用者が言いがちであったのをヤマノテ線と統一した優れた見識は一体どこに行ったかと疑われる「XXゲートウェイ」というとんでもない駅名をつけた。「高輪手道之門」と古風なものにでもすればよいのに。
真ん中の会社は、こんなことに煩わされず只管新幹線商売に励んできたが。

くしゃみ講釈のサゲ
>「、、、お二人は、何か私にコショウがあるのですか」
>「いや、コショウがないんでトンガラシくすべたんやがな」
このコショウ(故障)が分かりにくい、今はほとんど“正常に働かないこと”の意で用いるが、“さしさわり”“異議、苦情”の意がありここでは後者である。

>昭和十年代の東京に新作落語に、、、、これの改作があった。
>市内電車―市電*の車掌に恨みのある男が満員電車の中で車掌に胡椒の粉を
>ふりかけて(火にくすべるのではない)、くしゃみをさせて、、、、
*当時は東京市であった。
>、、、「つぎは神保、ハックション、神保町、ハックション、浅草方面ハックション、、、」
>ということになって、とど、市電が止まってしまう。
>「おい、どうした。なぜ電車が止まっちまったんだ」
>「はい、故障でございます」
>、、、、、というようなサゲであって、これは胡椒と故障との地口がよくわかった。

コショウの話題の途中に割り込んで書いているが
>、、、ごだいめ(松鶴)のネタに「車掌の女郎買」というのがあった。、、、、
>  午前二時、時計がチンチンと鳴ると、「動きまぁす」というサゲになるのである。
さて現在どれだけの人が笑うだろうか。

>昭和十八年、この変更(引用者注:東京都になった)の時に私(米朝)は東京にいた。寄席
>で漫才がネタにしていた。」、、、
>、、、トデンという耳慣れない響きがやはりおかしかったのか、少し笑いが起こった。
>「都電に都バスだ。、、、、あんまりとばすなよ」
小生も大学生の時に北海道撮影行の帰途初めてトデンなるものに乗ったが、なんとも耳慣れない感がした。

続いて50年代の伊賀と大阪の記憶に関することを

ラッパとりん
>私の幼少時を過ごした姫路市では、戦前、豆腐屋はりんを手にして、振り鳴らしながら
>町を流していてラッパは煮豆屋が吹いていたと、、、
私の記憶にある50年代大阪市内南部では、豆腐屋がりんを鳴らしながら売っていた。母が何か手を離せない時は呼び止めるのが私の役目であった。
変わったところでは、玉子を他には何も扱っていない普通の民家で買うていたこと。産直だったのか?今と違って高価な物なのに、すぐ近くだったからだろう一人でお使いに行かされた。今のようなプラのパックは当然なくて、箱の中に籾殻を入れてそこへ入れていた。のちには新聞でそうっと包んでいた。

>、、、二つべっついの大きいのがデーンと置いてあって、入ったところからそこまで一間
>の通り庭になったあんねん。そら肥汲み屋でもたんご*かたげた**まま、シューッと
>入っていける。、、、、、
(桂米朝上方落語大全集 第三期第二十一集 株式会社EMIミュージックジャパン)
*たんで と印刷されているので修正して引用した。速記者の続け字の「ご」を「で」と読み誤ったものである。ワープロ時代になってこの混同はなくなってしまった。
**かたげる=担ぐ
>、、、、、肥汲屋でも、おうこの前後に桶をつけて運んだのである
大阪の某地下鉄沿線の家は裏の家と間は半間のろうじ(路地)になっていた。引っ越して数年はおうこに桶をつけて此処を入ってきて柄でくみ取っていた。のちバキュームカーになり臭いが減ったのを覚えている。
古典落語を実感を持って聞けるシーンは残念ながら多くないが、これは嬉しいことに?実感があった。

ついでに 
なにか言い始めるときに 例えば 「えー、本日はお忙しいところ」などと えー と伸ばしていうと エエ(柄)は長い方が汲みやすい と茶化したものである。

あまらぼ鍋屋町

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