ウェスト・サマセット鉄道 その1
4年ぶりの英国とマン島 その11の1、the West Sommerset Railway
この鉄道はイングランドで最長の路線を持つ標準機の保存鉄道Heritage Railwayで、ナショナルレイルとの境界(但し駅は無い)から海辺(ブリストル海峡)の町Mineheadマインヘッドまで22.75 マイル(36.61 km)ある。ただし常時運轉されるのは境界から方面(北西)へ3マイルのBishops Lydeardビショップス・リディヤードとMineheadの間である。イヴェントなどではBishops Lydeardの南東2マイルのところにあるNorton Fitzwarrenノートン・フィッツウォーレンまで運轉されることもある。Norton Fitzwarrenは三角線上にあるので、ここまで運轉したときはカマの方向を変えることが可能である。さらに本線(ナショナルレイル)直通列車を走らせることもある
1862年にWest Sommerset Railway(当時)がTauntonトーントンとWachetウォチェット間を開業した。
現在のWachet駅である。今や単に相対式ホームがあるだけだが、跨線橋の向こうに見える煉瓦建物は元貨物建屋(現在はWachet Boat Museumに轉用)でその東側の現在駐車場になっているあたりにも線路があったと考えられる。また本屋(画面右)の手前の駐車場あたりも短い側線などがあったのだろう。
Tauntonは上述の境界の東、2マイル強にある本線(後述の当時のBristol and Exeter Railway(B&ER)、現在はナショナルレイル)上の主要駅であり、保存鉄道として再開した区間には含まれない。さらに74年にMinehead RailwayがWachetからMineheadまでを開業した。当初はブルネルの広軌7ft1/4in(2,140mm)で建設されたが82年に標準軌に改軌された。早くから、そしてMinehead Railwayは完成直後からB&ERにリースされ、一体で運轉されていた。76年にB&ERが、97年にMinehead RailwayもGreat Western Railway(GWR)に吸収されたが、West Sommerset Railwayは1921年まで独立の存在(但し運営はGWR)であった。
1948年にGWRは他の三大鉄道とともに国有化された。
この路線の廃止は1973年であったが、71年にはすでに保存(再開)に向けての動きが始まり、76年には最初の区間の再開に至っている。Somerset County Council、つまり地元自治体の所有で、West Somerset Railway Public Limited Company の運営という形態である。地元の意向や支持によって距離の長い保存鉄道Heritage Railwayが可能となったと考えてよいだろう。
この鉄道も以前に訪問したことがあるが、ごく部分的なものであり、このブログに書いたり所属する海外鉄道研究会で報告したりしたことは今までなかった。Lynton and Barnstaple Ryリントン・アンド・バーンスタプル鉄道の撮影に行くときに、この鉄道を利用して全線を観察することを検討したこともあるが、終点のMineheadに到着してからのバス接続が不可能ではないもののあまりにも非効率(恰も大部分を戾るかのような大廻り)で諦めた。それで此処でもMさんが事前検討で探し出した地点での撮影である。
現在所属する機関車は稼働状態、オーヴァホール中あわせて9輌と考えられる。(すみません完全には追跡できていません)また、下述のようなvisiting engineの訪問も多い。
撮影した地点を2回に分けてMinehead側からご紹介しよう
Wachet ➟ Doniford Haltにて、特別運轉の貨物列車
窓の開く客車だと参加者が顔、カメラをだして、ぶち壊しになることがあるので、貨物列車はありがたい。(参加費用を出して客レに乗るわけでもない奴は勝手なことぬかすな!)
カマはGWRの9400クラス、0-6-0PT(パニアタンク)の9466、 Robert Stephenson and Hawthorns 7617/1952である。
Norton Fitzwarren ➟Bishops Lydeardにて、GWR 5101クラス2-6-2Tの 5199
GWR Swindon Works で1929–49年に9回にわたって計140輌が建造された。
当機は ?/1934である (製造番号は調べきれなかった)
GWR5101クラスは1903-06年に製造されたGWR3100/5100クラス(当初3100のち5100に改番、計40輌)の後継改良型である。なお5101の最初期製造のは5100の空き番を埋める形での附番でヤヤコシイ。また100輌を越えているので、後期のは4100番台に下がっての附番である。Large Prairieと呼ばれたが中型機で、都市近郊およびローカル旅客用としての設計であるが、貨物にも当然使用された。さらに第二次大戦後の自家用車の普及や気動車への置き換えでそういった仕業が減ると本線の補機運用などに轉用されていった。
同じ地点、GWR 7800クラス(Manorクラス)4-6-0の7812、Swindon Works の1939年製、これも製番は調べきれなかった。Erlestoke Manorの名を持つ。Severn Valley 鉄道に常駐していて、ここにはvisiting engine(定訳は無いと思うが訪問機という訳で良いか)である。
つづく
あまらぼ鍋屋町