2020年7月 5日 (日)

「サガレン」に関して(その3)

ちょっと脱線

「サガレン」で久しぶりに敷香という地名を見た。
敷香(シスカ)、情けないことに今使っているワープロソフトでは変換候補にも入っていないが、気象通報でお馴染みの地名であった。若い時に担当業務の都合上、気象を少し勉強する必要があり、一時期毎晩のように聞いたことがあった。今と違って日に3回放送があったので22時からのを聞いていた。

各地の天気のところは 石垣島では、、、、に始り 富士山では、、、、で終わる。日本本土の最後の稚内につづくのが 敷香であった。最後にまた日本に戻り、父島、富士山の順で終わっていた。

この本で思い出して先日久し振りに聞いてみたら、ポロナイスクでは、、、に変わっていた。アイヌ語のポロ・ナイ(=大きい川)に基づく。その日本語版“幌内”は鉄にはなじみの地名である。その先入観からか“ホ”ロナイスクのようにも聞こえた。気になって翌日もう一度聞いたが、同じだ。まあ聞き取りには自信を持って自信がないと言える。北海道や青森県に多くの幌内川がある。また上述の父島の次、富士山の前に南鳥島が加わった。

他にも違和感満載で、地点変更が
 松輪島(まつわじま 本来はまつわとう)がセベロクリリスクに、テチューヘがルドナヤプリスタニに、漢口(かんこう)が今話題の武漢(ぶかん)
読み方変更では浦塩(うらじお)がウラジオストック(ロシア語原音にできるだけ近く書けばヴラディヴァストークだが)、鬱陵島(うつりょうとう)がウルルン島、釜山(ふざん)がプサン、済州島(さいしゅうとう)がチェジュ島となっている。

漢語(所謂中国語)の地名を教科書や地図に記載する際には、文部科学省がかなり無理無駄な、努力をしてケッタイな假名書きを強要しているようだが*、こちらは国土交通省の外局であるためか日本流の読み方そのままである。官庁の縄張り意識もたまには良いことをする。しかしその他の国の地名は現地語の音に基づいたものに変更された。
*これについては 「本のご紹介を兼ねて地名表記について(その1) http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/1-9e93.html および(その2)http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/2-773f.thml で書いた。

人名についても同様で漢語と日本語は相互に自国流に読む。スペインの高速列車と同じ発音# の日本の某三代目政治家の姓は、漢語が最大多数の言語である独裁国家及び臺灣ではアンペイと呼ばれる。漢字で表記される以上、彼らにとってはそれ以外に読みようがない。反対に其の覇権国家の現在の最高指導者は日本では臭近屁のように呼ぶのであり、日本語の文中でシージンピンと書いたり読んだりする必要は全くない。
 #:非鉄の方のために
  Alta Velocidad Española (アルタ・ベロシダッド・エスパニョーラ)略してAVEと呼ぶ。現代スペイン語の v 表記は b の発音である。なお、ave は普通名詞でもあり鳥の意で、文字デザインなどからそれも掛けてあると伺える。

気圧の単位もミリバールからヘクトパスカルに変わった。もっともヘクトパスカルという長く言いにくい単位はミリバールと数値(桁)を変えないためであるが。

あまらぼ鍋屋町

2020年7月 4日 (土)

「サガレン」に関して(その2)

「サガレン」梯久美子 について続き 装丁とキリル文字の使用について

本の外観も興味深い。

樺太/サハリン
境界を旅する
   の副題がついている。この2行の間は北緯50度線*を象徴するのだろう、長い縦線で区切られている。(本の背およびダストカヴァー)
50度線は日本とロシア/ソ連の旧国境である。もっとも日本敗戦後の条約は結ばれていないから、厳密にいえば南半分は今も帰属未定である。北方四島のソ連による終戦時の卑怯な強奪とは事情は異なるから、日本が南半分の領有権を主張することは今後あり得ないが。

ダストカヴァーが印象的である。
著者本人が撮影した線路の写真を使っている。車輛は写っていないが枕木がレイルの両側に長く出ていてナロー(日本と同じ3ft6inゲージ)であることをよく表している。濃い青だが雲の多い空が如何にも北国である*。同じ写真が本文中にも採用されていて「(宮沢)賢治が乗った、栄浜―豊浜間の線路」と説明がある。
*空があんまり光ればかへつてがらんと暗くみえ (宮沢賢治 「オホーツク挽歌」)
 本書で引用がある。

タイトルは黄色で横書き、その下に筆記体でSaghalien とも書いてある。
著者の名前は漢字の他に小さくКумико Какэхасиとキリル文字でも表記されている。なお本の背および扉にもおなじく漢字とキリル文字での著者名がある。

装丁をみると
扉の次の茶色の紙には、今度は著者の名がキリル文字のみで紙よりほんの少し濃いだけの茶色で、さらにその下には同様に紙の地色と紛れるような茶色で Saghalienと書かれている。

サガレンはサハリンСахалин(ラテン文字轉写 Sakhalin)の古名である。しかしСахалинの表記が現れるところはこの本にはない。それどころかキリル文字は写真に写ったもの以外はこの本に一切ない**。なぜ著者は自分の名前だけを、あるいは装丁者は著者の名だけをキリル文字でも書いたのだろうか?どういう意味があるのだろう?
**:ラテン文字が出てくるのは2箇所である。
一つは樹木の名の引用に使われている。Salix polaris サリックスは柳、ポラリスは北極星、もっとも我々の世代は冷戦期のアメリカのミサイルをまず思ってしまう。
もう一つは、オランダのノーベル賞受賞化学者ファント・ホッフVan’t Hoffが宮澤賢治の詩にラテン文字のままでているので、それを引用及び解説している。

日本にとってロシアとの関係は(残念ながらほとんどが負の方向で)重要であるにもかかわらず、日本人でキリル文字を読める人は多くない。某放送局の語学番組でももっとも人気がなくテキストの売り上げが少ないのはロシア語と言われる。その傲慢強欲な放送局は公表しないが書店でのテキストの扱いを見ると推定できる。従ってキリル文字を載せても読者の興味を掻き立てることはあまりないし、学術書ではない*3ので、そのキリル文字を手掛かりにロシアの文献にあたってという読み方をする読者も想定していないだろう。
 *3:もちろん参考文献はきちんと挙げてあるが、全て和書あるいは邦訳である。
つまり多くのキリル文字を入れれば(潜在的)読者を遠ざけてしまう恐れすらある。下世話な言い方をすると売れ行きが落ちる、しかし

 サハリンの鉄道に乗りたい、できれば廃線跡も、、、そんなシンプルな動機で始まった旅だった。、、、、だが樺太/サハリンは、歴史のほうから絶えずこちらに語りかけてくる地である。
、、、、この地で生きて死んだ人たちの声を聴くことは、おそらくこれからの私のテーマになるだろう。、、、、、(あとがき から)

著者としては「自ら」の「ロシア(一時期ソ連)領サハリン」への関心を、そして今後もできれば書きたいという意思をこの形でも表しておきかったのではないかと小生は思う。

なおキリル文字はロシア語以外の幾つかのー全てではないースラヴ語や、スラヴ語族以外の言語でもソ連が大きく影響を及ぼした―有体に言えば迫害した―少数民族の言語でも使われる。決してロシア語専用の文字ではない、従ってロシア文字と呼ぶのはよろしくない。

お馴染みのイチャモンがないではないかというご期待?にお応えして

、、、、、ハードカヴァーにして欲しかったなア
同時期に「本の旅人」/「小説野生時代」に連載され、ほんの少し先に単行本化されたほぼ同ページ数の「地形の思想史」(原 武史)がハードカヴァーであるだけに。ケチ臭いことを言えばわずか100円の差である。

タイトルは連載時の「サガレン紀行」のほうが良かった。樺太でもサハリンでもなく「サガレン」としたことに深い意味があるが、「紀行」を添えたままの方が鉄にも、そして善良なる非鉄にも分かりやすかったのではと思う。

しつこくもう一回だけ次回に

あまらぼ鍋屋町

2020年7月 3日 (金)

空間と時間の重層的な旅の醍醐味

サガレン 梯久美子 角川書店 20204月初版

<行ってみなかったことを反省する地>
サハリン/樺太 には残念ながら行ったことがない。たしかKさんだったと思うが(記憶違いだったらゴメンナサイ)かの地のD51の撮影ツアーを企画実行されたことがあったが、業務の忙しいころであり、所詮日本製のイモ蒸機という考えも抜けず、参加しなかった。数ある「後悔先に立たず」でもトッププラスのものである。蒸機がなくなった地の鉄道に乗り、施設・遺跡を見るだけに行くかとなると、かなり優先順位は低い。

そういう今更、、、の地の紀行であるが、なにせ鉄・梯久美子のものである。現在は廃刊になった「本の旅人」(角川書店の月刊PR誌)に載ったときに読みだした。*
  *各出版社のPR誌は年間1000円程度(つまりは事実上郵送料のみ)で読めたので、いろいろと読んでいた。しかし経費節減で各社は次々に取り止めてしまった。「本の旅人」もこの「サガレン(掲載時タイトルは「サガレン紀行」)」が連載中に廃刊になり、続きは「小説野生時代」(角川書店)に載った。後者は通常の雑誌だから高いし、これともう一つ読んでいた連載―「地形の思想史」(原 武史)―を読むだけの為に購入はしなかった。両者とも単行本を待つことにしたのである。(後者も面白くてお勧めなのだが国内モノなので気が向いたらご紹介ということにしよう。)

<2つのサハリン/樺太旅行>
   寝台急行、北へ
  「賢治の樺太」をゆく
2部構成となっている。

第一部では実際にサハリンの鉄道に乗る。いろいろな話題満載であるが、もっとも重要なのは林芙美子の旅行を辿ることである。

しかし、第二部の取材時にはなんと改軌工事のため全島で運行取り止めの時期に当たったそうだ。日本の常識から言えば、運行停止は関連する区間の最小限にとどめ、できるだけ夜間を利用する。しかし、利用者/国民に不便をかけてはいけないというような論理が通用する国ではないのだ。第二部では宮沢賢治の旅行と文学を辿る。それはそれで面白いのだが、関連してチェーホフの旅、それにさらに関連して農業学者ミツーリ、鉱山技師ラパーチン、オランダのノーベル賞受賞化学者ファント・ホッフと話が広がるところは興味が尽きない。

もう、いろいろなところが面白い。本質的なところを扱った書評は新聞、雑誌その他に載る(あるいは既に公表されている)だろうから、例によって本筋でないところをご紹介しよう。

鉄として特に面白い、痛快なところは
 「青森挽歌」はどこで書かれたか  の節である。
賢治の「青森挽歌」に
  「わたくしの汽車は北へ走つてゐるはずなのに/ここではみなみへかけてゐる」という部分があるが、それをめぐって文芸評論家による訳の分からない解説
―北へ行く列車が南に走ることはあり得ないから 方角や場所、あるいは時間といったものの所在が正と死という異質のものと等質化を遂げようとすると、、、― 
 頓珍漢な解説
― 疲労して意識が朦朧としているときの方向感覚 -
の二つを退け、東北本線の線路が実際にカーヴして南下している部分があると明確に説明しているところだ。
 しかし文芸評論家はちょっと地図を見てみるということすらしないのだろうか?地図好きの人間にはそれが驚異であり、そんな解説がまかり通るなら(変換ミスで出てきた)脅威でもある。

筆致も時に辛辣で面白い。
-村上作品の比喩にこんなにリアリティを感じたのは初めてのことだ。― と村上春樹の「サハリン大旅行」(「地球のはぐれ方」所収)からサハリン空港の入国審査を引用している。一時期村上作品を少々読んだが、このように梯が指摘することも一つの理由で、離れてしまった小生としてはニヤリとせざるを得ない。そのリアルな比喩がどんなものかは、本書或いは村上の著作でご確認を。

―取材旅行で分かったことだが、柘植青年は編集者にはめずらしく、人を疑わない率直な、、、
  そしてこの青年は音を上げる。単なる同行者というより出版社側の附添いなのにである。寝台列車にシャワーがないからだ。それもたったの2晩である。日本ではもう寝台列車による旅行が消滅したに等しいため、シャワーなんか特に豪華な車輛でなければ附いていないということを知らなかったのである。

あとがきも鉄心に満ちている。
本文では疑問として残した、寝台急行の名称は果たしてサハリン号と呼ぶのが正式なのかを解説している。もちろんあとがきの一部にすぎない。

宮脇俊三が亡くなった時、“作家”の書く<“鉄にも面白い”鉄道紀行>にはもう出会えないかなと思っていたが、不安・予想は見事に裏切られた。ただ、宮脇俊三に関しては一彼の著作ほとんど全て**が鉄道に関するものであったが、梯久美子の場合はそうはいかないのが残念ではある
**唯一のミステリー「殺意の風景」も鉄橋など鉄道関連のシーンがある。関係ないのは2,3ある歴史紀行くらいであろう。
宮脇は自ら写真は撮らなかった。メモ写真くらいは撮ったかもしれないが、その写真を自著に使うことはなかった。梯は撮っている。その行為を書いている、自著に使ってもいる。きっと好きなのだろう。フィルムの時代とデジタル写真の時代の差ということもあろう。

鉄道だけではなくその周辺にも関心のある方には「お勧め」の一言に尽きる。勿論、個人であるいはKさんなどのツアーでD51の撮影に行って樺太を見た方にも、お勧めする。

別の観点から次回補足します。

あまらぼ鍋屋町

2020年6月29日 (月)

怪しいコメントにご注意ください

怪しいコメントが附いていましたので削除いたしました。
禁止拒絶対象に設定いたしましたが、この種のものは繰り返される可能性が大と思います。

皆様方には、このようなコメントのリンクに絶対に触れないようにお願いいたします。
当方としては関知いたしませんし、責任ももてません

あまらぼ鍋屋町

 

2020年6月28日 (日)

鬼のわらう話

わらう 漢字では一般に「笑う」と書くが、小生はこの場合は「嗤う(=あざわらう)」と書くことが多い。

「来年のことを言うと鬼がわらう」という。わらう理由には諸説あるが、小生が一番もっともだと考えるのは、鬼には人間の寿命が分かっていて*「あいつは今年のうちに死ぬのに、来年のことを楽しみにしたり、思い煩うたり、可哀そうなやっちゃ」と思うからという説である。
また、そこから「そんな、鬼の嗤うような話をしてもしゃーない」などとも使う。つまり、どうなるか分からん、ひいては現実味がないということにもなる。

*=でないと、三途の川の渡船の手配とか、閻魔さんのお裁きの日程とか、を決めることができない。
小生の好きな小話にこんなのがある。地獄見学をすると、フルシチョフだったかがマリリンモンローとイチャイチャしている。見学者が「これでは地獄ではなく、天国ではないか」と言うと案内者が「あれはマリリンモンローへの罰です」と答えた。こういう懲罰日程を組むにも亡者の来る日を把握していなくてはならない。マリリンは1962年没、ニキータ・フルシチョフは71年の没である。

欧米ではWHO(Wuhan Hidden Outbreak)ヴィルス感染がまだ終息に向かってもいないのに、よく言えば希望的観測、悪く言えば緩み気分が満ちてきているようだ。以前に参加したことのある撮影ツアーなどからの案内がぼつぼつと入ってくるようになった。日程は今年の秋から来年の秋のまで様々であるが、参加したいなあと思うものがほとんどである。

しかし、鬼の嗤う話でないと現実的ではない、、、という奇妙な現実の中に我々は居る。

あまらぼ鍋屋町

2020年6月23日 (火)

風の神送り

風の神といってもインド起源のありがたーい、エライ神さん(風神)ではなく、風邪を引き起こす困った神さんである。

タイトルの「風の神送り」はこれにまつわる昔の風習を題材にした上方落語で、三代目桂米朝が師匠の四代目桂米團治や他の古老の記憶を参考に1967年ころに復活したものである。

かぜ、カゼ、、、、
空気の動き、英語のwindは「風」と書き、病気(症状)のカゼ、英語のcoldならば漢字では多くの場合「風邪」と書くが、落語の演題*としては「風」と書いている。まあ、和語としては元は同じであろう。
  *元来は楽屋で仲間内で、「ああ、あの落語やね」と分かるようにするだけのものであった。従ってサゲがばれてしまうような命名も多い。

―「風の神送り」は江戸時代からあったが明治には廃れてしまった風習とのことである。
“風邪がはやる時、風の神を送り出す行事。大勢が風の神に擬した人形をかつぎ、鉦・太鼓ではやし立て練り歩き、町送りにし、また野外に捨て、あるいは川に流す”
井原西鶴の「諸艶大観」(有名な「好色一代男」の息子の聞き書きの形をとった短編集)に用例があるとのこと― (特選 米朝落語全集 第二十一集 東芝EMI の権藤芳一氏の解説から引用、( )内の注記は引用者による)

この世から消滅させるには焼拂った方が良いと思うのだが、消滅させるという発想はなさそうだ。あるいは焼き拂うと天に昇るイメージとなるのでよくないのだろうか。さて、流したらどうなるのか、落語では、、、

-、、、昔は風邪でも、まあ、このごろの言葉でいうたらインフルエンザなんというような、、、、が流行りますとたいへんで、、、、、、そういう時にこの風の神送りてなことをやったんやそうで、。、、、、、、、
、、、、とにかく流しまんのやてな、罪も汚れもみんあパーッと流すんです。川へ、、、、ズーッと川からこう海へ出ていくと、この海の向こうにこの、口開いて待ってる神さんがおりましてな、ガーッとそれをこう飲み込むんやそうで。根の国、底の国ちゅうとこへまたパーッとそれをこう、噴き出すんです。ほな根の国、底の国に待ってる神さんがおって、それをこう集めましてね、でこの人が、忘れもんの名人みたいな神さんでんねん。うちの倅の小米朝(注:現・五代目桂米團治)ちゅう奴は必ず忘れもんをするんですが、ちょうどあんなような人がおって、これがこのズーッとそのへんをもってうろうろー、うろうろしてると、どこや落として帰ってくるちゅうン。ほなもう罪も汚れもないようになると、まことに便利にできとりまんねん。、、、、、 (同じく 特選 米朝落語全集 第二十一集 東芝EMI による)

現在はもう世界中で、強制的な営業などの停止だ、外出禁止だ、自粛要請だ、ソーシャルディスタンシング(なんかエエ日本語ないんか!)だ、、、とそれぞれの流儀で「風の神送り」ならぬ「WHOWuhan Hidden Outbreak)ヴィルス送り」の大騒ぎをしている状態に思える。落語では「昔は医学が頼りなかったので、、、、」と前置きに言うが、今は医療関係者や設備は頼りになる存在になったが、新しい病気に対してわかっていないことにおいては同等であろう。

感染症で退治したと言えるのは天然痘だけとのことである。
SARSにしてもMERSにしても神さんが何処かへ落としてしまっただけだ。つまりはヴィルスはどこかに潜んでいるだけ。弱くなってもう復帰しないのか?一段と強いものになって復讐戦を企んでいるのか?

しかしWHOヴィルスに関しては、とりあえずの「送る・流す」こともまだできていないのに、経済が持たないので国内移動や人の集まりなどの自粛も急速に解除になってきて、少しく恐怖を覚えるほどである。欧米ではもっと緩くしたところや、そもそもそんなに規制しなかったところもあるようで、感染者や死亡者の対人口比率は全般にアジアより格段に高い。アメリカやアフリカはまだこれからさらに感染拡大と言われる。前途遼遠である。

さて、落語の最初のところで、町の若いモンの相談役になっている親っさんが―「弱身(よわみ)につけ込む風の神」という言葉があるのに、お前らは日頃のらくらしてるのに、急にガムシャラに働いて無理をしたり、夜通し呑んだり博打したりで身体を弱らせている、、、―と説教をするところがある。この言葉がサゲになっているので、これ以上の説明は控えよう。落語を聞いてください。

正体や性質について不明なところばかりのWHOヴィルスであるが、感染豫防あるいは感染しても軽症で済むためには、やはり「弱身につけ込ませない」が肝要だろう。
ワクチンや決定的な対症療法もなかなか(あるいはずっと)できないかもしれない。しかし自分の健康があってこそ、また各国の蒸機を見に行ける日を迎えられる。<結局このことしか考えていない>

あまらぼ鍋屋町

 

 

2020年6月17日 (水)

セヴァーンヴァレー鉄道再訪(その3)

ハイリーHeighleyにて

ここも駅舎が美しい。駅本屋と信号扱所(駅本屋の対面であり、この画面外)は現役当時の姿からほとんど変わっていないそうだ。
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タブレット交換
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受け渡しを二つ同時にやってしまう流儀であり、今も多くの区間でタブレットが現役で残るタイ(やり方は日本のに近い)などのより見ていてずっと面白い。地上側は安全ヴェストを着用することが基本だと思うが、問題ないと判断すればこのように着用しない場合もある。ちょっと見えている跨線橋は残念ながら10年前の新しいものである。古いものは70年代に取り壊されたとのこと。

ホーム一面の駅であるにもかかわらず信号取扱所があるのは、この周辺に4つの炭鉱*があり、それらからの通常の鉄道、インクライン、ロープウェイで石炭が運び込まれ、それをさらに運んでいく石炭列車が仕立てられていた名残である

*4つの炭鉱とは次である。
    Highley Colliery(川の西岸、即ちセヴァーンヴァレー鉄道の側にあった)
    Alveley Colliery(川の東岸にあり、石炭はロープウェイで運ばれた)
    Kinlet Colliery(川の西岸で最も南にあり、標準軌の専用線でセヴァーンヴァレー鉄道に搬出された)
    Billingsley CollieryKinlet Collieryの西にあり、Kinletへ標準軌路線でつながっていた)

セヴァーンヴァレーカウンティ―公園Severn Valley County Parkというのが駅の西にあるが、Highley Collieryはそこにあった。ナローのトロッコが展示されている。
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エンジンハウスEngine House
以前にも少しご紹介したことがあるが、エンジンハウスと称する鉄道博物館(展示場)がある。「イングランドの保存鉄道8 セヴァーン・ヴァレー鉄道(エンジンハウス)」http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/8-9158.html

位置は上述のHighley Colliery からの線が合流していた所である。
雨宿りして展示車輛を見学し、列車通過時刻になれば2階のバルコニーから走行を撮れる。雨の多い国であり毎度お世話になる。今回は天気の良くない日もあったが、雨宿りするほどでもなかったので、行かないつもりであったが、Jが新しい展示もあるし、機関車の配置が大きく変更されていると教えてくれたのでちょっと覗いてみることにした。当日有効の乗車券を持っていれば無料で入場できる。Jは当然ながら車で来たのだが、保存団体の年間パスを持っている。

新しい展示はこれである。
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London Transport L.95 である。ロンドントランスポートは謂わば愛称、ブランド名で、正式名称というか事業体の形態と名称は変遷した.
GWRのスウィンドン工場 Swindon Works 1929年製の0-6-0PT パニアタンクである。GWRおよびBRでは 5764であった。1960BRで用途廃止後London Transportに売却され工事列車などに使用された。セヴァーンヴァレー鉄道には71年に入り3度にわたり使用されたが2011年静態となった。新しい展示と書いたが、2011年には一度エンジンハウスで展示されている。その後他の鉄道に移った(静態で貸し出し?)こともあるが、戻ってLondon Transport時代の塗色になって昨年(19年)にこの位置に展示された。

場所が変わって、カマの左側が見えるようになったGordon、「きかんしゃトーマス」のゴードンではない。(上記記事参照)
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但し、いろいろな物が置いてあって写真には今も今市だ。

以前からあるが、ここでご紹介したことのない(<多分)郵便車80300
ご紹介しなかったのは車輛全体をすっきりと写せないからである。内部の見学が可能なように舞台がついているので下廻りは全く見えないし、反対側も見えない。反対側は窓なしのノッペラボウなのだが、それはそれで一度見てみたいものだ。
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母体というか設計はBR Mark 1客車である。80300はこのシリーズの郵便車Post Office Sorting carriage(あるいはvan)の初号でBR のウォルヴぁ―トンWolverton工場 1959年製である。ソーティングとある通りで走行中にも郵便物の区分け作業を行う。日本の郵政省の車輛でもやっていたが、英国よりかなり早く郵便車の使用は終わってしまった。

中では1936年のドキュメンタリー映画の名作 “Night Mail”を見せている。但し訪問時には全編上映ではなかった。全編上映することがあるのかどうかはわからない。
実はこの映画はここで見たずっと以前に、海外鉄道研究会のSさんに見せていただいたことがある。20分餘の(当然ながら)白黒でLMSthe London, Midland and Scottish Railway)の夜行郵便専用列車のロンドンからグラスゴウを描いたものである(列車はアバディーンまで運轉)。途中無停車で走行中に郵袋を受け渡しするが、タブレットとは比較にならない重量と大きさなので、その迫力に圧倒される。郵便扱いの作業を主に描いているが、走行する蒸機を並走列車から撮影したシーンや、地上から撮影した走行シーンも含まれている。
DVDで現在も入手できると思うが、全く同名のスリラー映画(英)もあるのでご注意のほどを。

あまらぼ鍋屋町

 

 

2020年6月15日 (月)

謂わば 押し貸し かな

押し売りにたいして―あまり一般的ではないが―「押し買い」という語をたまに見る。民家などへ上り込んで、貴金属や骨董品などを無理やり買う行為とのことである。
その傳でいけば、バブル経済の頃、土地を持っている奴にやたら銀行が金を貸した行為を「押し貸し」と言えそうだが、小生は銀行にも土地にも縁がないので、実際にそう称したかどうかは記憶にない。しかし、今回の特別定額給付金なるものは一種の「押し貸し」ではないかなと思える。

報道では田舎は早いとのことだったが、”偉大なる“が附くと田舎でも遅いらしく、つい先日、件の申込書が到着した。差出人および返送先は 市のスポーツ市民局 となっている。スポーツなんぞには興味も関心もない小生としては、「ふ~ん、詰まらん仕事する部署が、それも局なんぞという大きい組織としてあるんやなあ」と封筒を見ただけでイチャモンがでた。国から押し付けられた迷惑な仕事は、「今はスポーツは出来へんやろ!」と市のなかで一番ヒマそうな部署に、再委託ならぬ 再押し付け をした、と見える。

海上保安庁の尖閣予算とほぼ同額のマスクは国民を莫迦にした無駄使いだが、こういうばら撒きも実に不愉快である。

ご案内と題する紙には「この、、、事業は、、、、家計への支援を目的としています」とある。ならば、どう考えても今現在支援が必要な人に集中すべきだ。
給付とエラソーに*言うが、国に金があってそれをくれるわけではない、結局はすべて国民や事業者の税金で始末をつけるしかない。国民にとっては前借みたいなものだ。
恐ろしいのは、利率も返済期限も書いていない、、、、決まってもいない。 サラ金でも、どこかに虫眼鏡で見るような字で書いてあるだろう。幸い借りたことはないが。

サラ金よりサラに悪質なのは、借りなくても返済義務があることだ。となると個人的な損害を最小化するには、不本意であるが<借りるしかない>
ヤクザがこういう行為をしたら、警察に訴えられるのだが。

*:ついでに更にイチャモン
漢和辞典の「給と供の違い」の解説を見ると
給は 上位者から下位者へのもので、十分なる提供を言う とある。 (「漢字海」第三版 三省堂)

この漢字ができた時代の支那では確かに為政者は民(眠るという字に関連することに注目!)の上位者であった。しかし現在では、その支那のなれの果ての国などの例外(というには多いが)はともかく、日本を含め大抵のマトモな国では政治家は、かなりの報酬も名誉も与えられるが、国民から一時的にその任務を託されているに過ぎない。しかし、どうも勘違いしている向きが多いように思える。

バラ撒きの果てに「 売国家(うりくに)と  唐”用”に書く  ”三代目”」とならぬように。

あまらぼ鍋屋町

 

 

2020年6月12日 (金)

セヴァーンヴァレー鉄道再訪(その2)

築堤

起点キダーミンスターの次、方位では西、の駅はビュードリーBewdleyであるが、昔はここは他路線への接続駅であった。ビュードリーから北西約1.5kmで西方向にテンベリー・アンド・ビュードリー鉄道the Tenbury and Bewdley Railwayが分かれていき、テンベリー(正式にはTenbury Wells)を経てウーファートンWooffertonでシュルーズベリー・アンド・ヘリフォード鉄道(the Shrewsbury and Hereford Railway、現在はBRthe Welsh Marches line)に繋がっていた。
分岐からセヴァーン川まで築堤が残っているが、橋桁は撤去され橋脚だけが残っている。さらに先も航空写真で見る限りなんらかの築堤跡は残っているようだが、行ったことはない。

保存鉄道側は分岐の先にすっきり開けた直線の築堤区間があり、午後の撮影に丁度良い。
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機関車は7714
グレイト・ウェスタン鉄道GWR 5700 Classである。製造は1929年から50年までに計863輌(内41輌はBRとなってから)でGWRでは最多輌数あった。番号は日本の86209600のようにn9600などとするのではなく、5700代の他は3600 代、3700 代、4600代、6700代、7700 代、8700代、9600代、9701 代を使っている。

車輪配置0-6-0PT PTはパニアタンクである。パニアpannierとは牛馬などの背中の両側に附ける荷籠の意、つまりボイラの両側に水槽を張り出して設置しているのである。なお英国ではバイクの同スタイルの荷物入れを指すこともあるようだ。

小貨物、入換用に設計製造されたものではあるが、GWRで最大輌数の機関車であり支線あるいは近郊路線の旅客列車でも広く活躍し、幹線の小区間運転にすら使用された。小型機が大型客車の編成を牽くのは見た目は今市どころか宇都宮ではあるが史実としてはおかしくないのである。
製造はGWRのスウィンドン工場 Swindon Works が圧倒的に多い(613輌、但し上述の通り41輌はBR時代)が他にArmstrong Whitworth W. G. BagnallBeyer, Peacock & Co.Kerr StuartNorth British Locomotive Yorkshire Engine Co. でも作っている。

当機はカー・ストュアートKerr, Stuart and Company Ltd4449/1930である。

反対側のビュードリーの南東では4-500mのところでスタウアポート(のちスタウアポート=オン=セヴァーンStourport-on-Severnに改称)さらにはハートルベリーHartleburyに至る自社路線が南に分かれていた。というよりこちらが元からの路線で、キダーミンスターへの路線の方が開業の16年ほど後にできたのである。ただしその後は後者が主要路線となった。
ハートルベリーはオックスフォード・ウースター・アンド・ウォルヴァーハンプトン鉄道 the Oxford, Worcester and Wolverhampton Railwayの駅である。この鉄道はGWR時代を経て現在もBRの幹線である。
このスタウアポートへの路線も築堤で現在は樹木が生い茂っているが存在はよくわかる。もっともビュードリーから離れたところは確認していないが。スタウアポート=オン=セヴァーン驛は70年に路線とともに閉鎖されたがハートルベリーから同駅への区間はスタウアポート発電所への石炭輸送の為80年代(詳細年月不明、90年代の可能性も有)まで利用された。

さてビュードリーからキダーミンスターへの区間であるが、ほぼ中間のビュードリー・トンネルの手前まで登り勾配の築堤が続いていて、途中まで遊歩道もあり人気の撮影地である。残念ながら今回こちら側を撮影した日はいずれも天候に恵まれなかった。

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上と同じカマ、同じ客車編成である。

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前回ご紹介した75069である。

あまらぼ鍋屋町

 

 

2020年6月10日 (水)

セヴァーンヴァレー鉄道再訪(その1)

北アイルランド、もう一か所ご紹介したいところがあるが写真データ不備のため後日に延期することとし、その後に訪問したイングランドとウェイルズに移ります。

イングランドで行った鉄道は一か所だけ、何回か訪問し、またご紹介しているセヴァーンヴァレー鉄道the Severn Valley Railwayである。16マイル(=26km)とまずますの路線長があり沿線の風景がよい、起点のキダーミンスターKidderminsterBRと接続していて、バーミンガムからも近く列車で簡単に行ける、そして何よりも車が無くても一部区間を除いてはなんとか撮影可能であることがよく訪問する理由である。所有する機関車も多く、客車もよいものを多数持っていて、乗っても楽しい。日本の鉄雑誌でも先年紹介されたことがある。

唯一の缺点は現在のところ轉車臺が起点側にしかなく、片方向はテンダーファーストの運轉になってしまうことである。もっとも英国の大部分の保存鉄道がそうである。なお、この鉄道では機関車の向きは時々変更される。しかしこの缺点は近く解消されそうである。というのは終点のブリッジノースBridgnorthにも轉車臺設置が決まったのである。 

今回の訪問には、ある英国人鉄 J と実に18年ぶりに再会する目的もあった。
小生がハノイで勤務していた時にザップバットGiap Bat*駅で出会ったのである。ここはハノイ駅の一つ南でヤードがあり、赴任してしばらくはまだ141が入換に活躍していた。もちろん撮影はなかなか困難であったが、このあたりは何時か機会があればご紹介しよう。彼はその後ロンドンの近くに居たのだが、近年なんとこのセヴァーンヴァレー鉄道の沿線に引っ越したのである。

セヴァーンは谷の名であり、また川の名である。セヴァーン川the River Severnはウェイルズの山、プリンリモンPlynlimonに発し、河口the Severn Estuaryはブリストル海峡の奥部に繋がる。全長220マイル(354 km)流域面積は4,409平方マイル (11,419 km2)
ブリテン島で一番長い川であり、この二つの数値だけでいえば信濃川程度と言える。

しかし、この川を入れて鉄道を撮影できるところは非常に限られている。
今回の訪問時はセヴァーン川が洪水を起こしていた。それで普段ならほんのちょっと水面が見えるだけの所で、しっかり川らしく見えるので行ってみようということになった。
場所はハンプトンロウドHampton Roade駅の南である。

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多くの英国の保存鉄道の良いところの一つは駅の美しさであろう。細かく見れば問題はあるし、現地の熱心なファンから見ればもっと缺点が目立つのかもしれないが、全体としては調和がとれていて、そこにちゃんとした客車や貨車を牽いた蒸機が発着する様子が良い。

撮影地点へは駅から遊歩道があり、簡単に行ける。というか撮影地点は遊歩道である。しかし洪水のため駅から数百メートルの地点でご覧の通り通行できなくなっていた。
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Jはこの鉄道で講習を受けて安全ヴェストを貰っていて、それが期限付きの線路通行証になっている。線路を通らないとたどり着けない撮影ポイントが結構あるし撮影効率もよくなるので、かなりの額の受講料ではあるが小生も今年そんな機会があれば受講しようかなと思っていたが、中華人民共和国から全人類へのとんでもないプレゼントで吹っ飛んでしまった。セヴァーンヴァレー鉄道以外の保存鉄道でもこういう方針を採っているところが幾つかあるが、Jによると全国的にはだんだんと今後は行わない方向にあるとのことである。

ともかくJは線路沿いに歩けるが、小生は行けない。それで彼は信号所の係員に事情を説明して、小生も通行できるように計らってくれた。係員が物わかりの良いやつで幸いであった。
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通常は川面がほんの少し見えるだけとのことである。

牽引機は75069
BRの分類で4MT(4は出力の階級、MTMixed Trafficのこと)とされる亞幹線用貨客機、車輪配置4-6-0である。1955BRSwindon工場製で、66年までわずか11年使用されただけで、73年に当保存鉄道に来た。84年から94年まで活躍後修理待ちになり、2018年に復帰した。

帰途ビュードリーBewdley(起点キダーミンスターの西隣)の町を通ったがこんな様子であった。
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よく洪水を起こす川であり、土嚢を積むのではなく止水版が整備されている。

(餘談)
*:西欧人はこの表記を見るとどうしてもジアップとかギアップとか読みたくなるようだが、ヴィエトナム語ではこの<gi>表記は [z] の音である。また語末子音は英語などの西欧語よりはるかに弱いのでザッ・バッくらいにしか聞こえないことが多い。この語末子音が極端に弱いことが彼らが英語などを話す際に、母語話者には分かりにくくなる原因の一つである。日本人がどうしても子音の後に母音を入れてしまうのとはちょうど逆である。

あまらぼ鍋屋町

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