2021年10月20日 (水)

北への憧れ、南への憧れ

遅い追記なので、独立させました。

 その名もThe JR HokkaidoというJR北海道の広報誌があることをこの旅行、より正確には特急券なしで乗った新得-新夕張間の特急で知った。シートの背に入れてあり、ご自由にお持ち帰りくださいとなっている。
最近北海道へ行くことも稀になり、その数少ない機会も駅舎撮影や保存機撮影が主であるので、普通列車には乗るが特急とはあまり縁が無かったから知らなかったのも当然だろう。

そのThe JR Hokkaidoに「北の鉄道風景」という眞船直樹氏の写真と文の連載がある。第90回「北緯45度の風」とあった。毎月連載としてもう8年近く書いておられるわけだ。特急券なしで乗った奴は持ち帰る権利はない!とは書いていないので一冊戴いて、下車後に読んだ。ウン十年ぶりに乗る区間では乗車中はいろいろと観察すべきことがあって、ゆっくり読んでいるわけにはいかない。

>、、、北緯45度は北海道でも北の幌延*あたりを通過する。寒冷な気候だ。
>、、、、
>、、、北緯45度は国境よりも明確に地球を色分けする。、、、、、

北緯45度と35度**について、ちょっと前にこのブログに書いたので、
http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-2a9b72.html
車内でパラパラッと捲った時に此処が気になったのだ。

例に挙げられているのはカナディアンパシフィックと米モンタナ州だ。カナダには行ったことがないし、モンタナもアムトラックで通過しただけだが、謂わんとされることは分かる。
中学か高校の時に、「ソ連!の気候分類では日本は温帯ではなく亜熱帯に入っている」とー嘘か本当か知らないがー聞かされた時は、ところ変わればくらいにしか思わなかったが、今や亜熱帯どころか夏は熱帯だ。当然、北へは憧れる。

ヨーロッパについては触れられていないがどうだろうか?
小生が無理矢理気づかされた45度線は仏蘭西のヴィヴァレー鉄道の駅(停車場) 45eme Parallel(=45度の緯線)であり、そこで周囲を見回しても当然ながらどうということは感じない。しかしぐっと広く見ると、スペインとポルトガル全土やイタリアのトリノ以南の大部分は45度の南である。
逆に北から南への憧れが大きいだろう。

大きく扱われている写真は丘陵越しに利尻岳も入っている雄大な写真だ。画面中央に鉛筆轉がしどころか爪楊枝よりも短く61D特急サロベツ1号が捉えられている。抜海から南稚内の間である。宗谷本線はほぼ全線を歩いているので、「あのカーヴか、もしくはあのカーヴだ」と見当はつく。詳細な撮影データも記されていて、タイムスタンプから判断すると定時走行だ。JRのPR誌だから当然だ。
もう一枚小さく扱われている写真があり、これはその昔、C55が牽引していた時代の324列車だ。南稚内を出てほど近いところを朝日を浴びて走るのをサイドから、C55と1輌目の荷物車を捉えている。

(補足、蛇足)
*:より詳しく言えば南幌延駅の少し北を通る。JR北海道のPR誌ではもう廃止したい南幌延と書くのは憚られたのかな?と根性曲がりは邪推した。とりあえず幌延町管理に移行しているようだがどうなることか。
**:そこで取り上げたJR大津駅の北緯35度に就いてであるが、日本測地系から世界測地系への移行に伴い、北緯35度は現在は驛そのもの(上りホーム上にモニュメントがある)ではなく、少し南を通っている。

あまらぼ鍋屋町

2021年10月15日 (金)

乗れるもんなら乗ってみい  ―乗ったろやんけー

石勝線の新夕張-新得は在来線であるにもかかわらず、特急しか走っていない区間である。それで、この区間内の駅相互に限り、自由席ならば乗車券のみで(特急券なしで)乗車できるという特例が設けられている。
  そういう区間として初めて設定されたと記憶する。現在他に同様の区間があるのかどうか、いろいろと変遷や差もあるようで小生には分からない。またこの区間に就いても、夕張線の尻尾が残っていた時期はさらに細かい設定があっただろう。調べればよいのだろうが、まあ拙ブログをご覧になる鉄でそういう事が気になるような方々は小生よりよくご存知だろう。

区間内の駅相互に限り、というのが重要な点である。
例えば、新得(区間内)から乗って追分(区間外)で降りると、この乗車全区間の特急券が必要である。それだけなら大した問題(特急券金額の差)ではないが、問題は青春18きっぷなどの場合である。この場合は、特急券が必要な区間は“切符=乗車券”が無効となり、その列車に乗る全区間の乗車券をも別途購入しなければならない。また当該区間の前後でも特急料金は拂いたくない、つまり当該区間の前後では普通列車に乗る旅行をしたい場合もある。

普通列車で区間の端まで乗って、そこから特急列車に乗り換え、区間の反対側の端でまた普通列車に乗り換えてという旅をするとどうなるのか?それぞれの駅で、相当待たされるのである。
タイトルに書いたように「乗れるもんなら乗ってみい」という感がする。
ほんなら、、、一遍、乗ったろやんけ、、、と長年思っていたのである。

2

小生の選んだ行程では、新得での待ち時間はわずか40分、新夕張でも2時間9分で
―まあ大したことない。物足りんなあーであった。

持っているのは「十弗発新千歳空港行き」という鉄丸出しの乗車券である。
「エエ歳こいてアホな遊びをやっとる」と思うだろうが、JRとしては分かり切っていても職務上訊ねさるを得ない、新得駅の改札口では「どちらまでおいでになりますか」。特急車内の検札ではその前に「この列車で」の文言が加わった、この方が正確だ。

ところで最近は検札という語を使わなくなり、車内改札と言っている。”検”では響きが良くない、高圧的と思うのだろうか? 「改」はアラタメルと読み下すが、調べるという意味に使うのは日本用法で、ご本家ではこの漢字にはそんな用法はない。現代漢語(所謂中国語)では改札は検票といっている。
そして、改でもそんなに穏やかな漢字ではない。日本が植民地化されるのを防いだ功績はあるだろうが、現代から見るとエゲツナイ行為「宗門改め」は「改」と書くではないか。

新夕張では石勝線開業40周年の飾り附けがあった。“アラタメテ”時の経つのははやいものだと思う。
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そして駅前には駅名変更前の紅葉山の駅名標が展示されていた。
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駅名は“改められる”と大抵つまらないものになってしまう。ここもその例に漏れない。

秋の北海道終わり

あまらぼ鍋屋町

2021年10月13日 (水)

10ドル駅

木造駅舎は、建て替えられたり、ミットモナイ附け加えをされたりして、今や本来の形を留めるものは全国的にごく少ない。そして地元などが値打ちを認めたものは観光目的に奇麗に、大抵は過剰にきれいに補修されてしまい、これはこれで面白くない。(勝手なこと抜かすな!と言われそうだ)
統計と言うか実数を確認したのではなく、乏しい実見からの感想・推測であるが、北海道では小生が訪問できるようになった頃にはもうすでにチャンとした木造駅よりも、モルタル塗りとか、合板とか、ブロック積みの比率が髙かったと思う。それに加えてのちにJRへの分割民営化の際に、税金対策であったと傳えられるが、多くの駅舎を取り壊して車掌車を代用駅舎にした。

今回の旅行では、静態保存機の他に駅舎の撮影もしたが、ここに載せておきたいほどのものがほとんどない。唯一この「十弗」が割とマトモな木造駅舎である。*

今ではあまり見ないものの、明治以来「弗」がドル(USドル)の記号として使われてきた。この駅が10ドルと読めることは何時頃からか鉄や旅行好きの間で話題になった。しかし、そうなってからは小生はこの駅を通過する列車に乗る機会すらなかった。今回も10ドルは殆ど意識しておらず、単に(北海道にしては)状態の良さそうな木造駅の写真を撮っておくためだけに、帯広からあしを伸ばしたのである。

駅のホームにこんな大きな看板が立てられているとは思わなかった。
10-dollars-1jpg

この看板を立てたことにより、JR利用でここに降り立った人がどれだけ増えたのだろうか、あるいは降りてみないまでも、車窓から眺めてみたいと列車に乗った人がどれだけ増えたのだろうか?

残念ながら、駅舎と共に画面に入れられる側はかなり塗装がくたびれている。
しかし、もっと残念だったのは、正面入り口に掲げてあると(勝手に)期待した「十弗」額が平假名「とおふつ」だったことだ。この部分は木の色が新しいので近年の書き直し、作り直しと思われる。

ともかく駅本屋の外側には駅名を漢字で「十弗」と書いたものが全く無いのである。しかたなくホームの駅名標と10ドル看板と駅本屋を無理やりワンカットに入れた。

10-dollars

なお、「弗」の意味は「、、、しない、xxず」であり、否定の副詞である。現代漢語(所謂中国語)普通話の発音では<fu>の第2声(上がり調子)で、<><l>の音は含まれない。
ドルにつかうのは明治以降の、天才的な!?日本用法であり、これを漢族に見せても彼らの憧れの敵国の通貨のことだとは認識しない(と思う)。それに漢族の観光客はまあ、この駅にわざわざ降りないだろう。

トーフツはアイヌ語の「ト・プッ(沼の口)」に由来するとのことだが、十払(十拂)となる可能性もあったのだろうか。同様にフツ(xxの口)が含まれる猿払(村)も勇払(郡)も、「弗」ではなく「払」である。

*:元の室蘭駅は現存の木造駅舎として道内で最も古く、良い建物だが最早現役ではなく、今は室蘭観光協会が使っている。今回鉄原コークスのついでに訪問したが、WHOウィールス感染症騒ぎの為閉鎖されており、内部は見られなかった。

北海道あと一回で終わるつもりです

あまらぼ鍋屋町

2021年10月11日 (月)

イモの皮の剥き過ぎ

国鉄制式機は優先度が低いと言いながらも、もう一輌8620が近くにあるのでついでに見に行った。

音更町交通公園。この場所は士幌線の音更駅跡とのこと、士幌線は当然乗ったし、糠平ダム建設で附け替わった区間で9600の貨物列車も撮影したが、この駅については覚えていない。むしろ電力所前假乗降場を記憶している。勾配の途中に設けられたので、下り勾配(上り列車)だけが停車できた。
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ジョルダン除雪車と車掌車が48624の前後に並んでいる。

ジョルダンは最初は輸入であったがこのキ704は日本製である。
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48624    
川崎造船兵庫工場の1921年製 製番671
86

悪友は國鉄機をナローのイモ蒸機と蔑称するが、イモの皮むきというか皮を剥き過ぎて身まで切った状態である。まあ多数あった8620の一つなので、こういう展示もアリだが、交通博物館の9856については日本で現存する唯一のマレーなので非常に残念、モッタイナイと思う。といって修復しても意味がない。

4730
日本に動態の蒸気機関車は幾つかあっても、それに相応しい客車が非常に少なく大井川鉄道以外ではJR東の所有する数輌だけである。蒸機に相応しい貨車になるともうどうしようもない。貨物鉄道博物館(三岐鉄道三岐線丹生川駅)が日本では珍しくヴォランティアだけの活動で頑張っている。しかし、動態ではないし、もし動態にできてもこれらを活用して蒸機に牽かせて、、、、考えるだけで絶望的である。

4730

貨車の形式名は複雑で恥ずかしながらよく分からない。数が大きく飛ぶのだ。
このヨ4730はヨ3500型とのこと。静態保存の他、JR北海道などの駅舎代用が多い。

車掌車はヨ太郎と呼ぶ鉄もいた。まあ悪くない悪口!だが、与太郎は江戸落語の登場人物で関西ではあまりなじみがなかった。上方落語ではこの役回りは喜六(喜イ公と呼ばれることが多い)が担当する*。ただし少し違いがあり、与太郎はたいていマトモに仕事も出来ないほどのXXであるが、喜六はチャンと手に職を持っている。それ以外の言動が平均、常識人から大いにズレているのだ。
*と、エラソーに書いたが江戸落語は理解はできても笑えないのでまず聞くことは無く、書物からの知識であるが。

北海道 あと1,2回書きます

あまらぼ鍋屋町

2021年10月 9日 (土)

八輪で移動して

もう一か所、足を伸ばして帯広に行くことにした。

今更国内の静態保存機をすべて見てまわるのは無理なので、撮影は国鉄制式機でないものを優先している。それに、国鉄制式機の番号違いを見比べて違いを云々するほどの知識、鑑定眼は持ち合わせない。

帯広市内   十勝鉄道4号機

帯広駅から歩いて10分少々、道路にそった広い緑地帯にある。遊歩道には「とてっぽ通」という門看板も掲げられている。現地の説明板には十勝鉄道を「トッテツ」と称したとある。その十勝鉄道のポッポということか。*
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帯広市のウェブサイトの冒頭には「旧十勝鉄道跡の延長1,870メートルの緑地で、自転車・歩行者の各専用道路があります。」とある

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日本車輌名古屋工場製1920年 製番112ft6in軌間

キャブ扉の上部やキャブ後の窓には盲板が嵌められ、内部を覗き見ることもできないのは残念であるが、やはりホンマモンのナローは好ましい。天気に恵まれなかったし、ホテルから歩いていける距離なので、未練たらしく翌日も行ったのであるが、多少マシという程度であった。まあ晴れたら晴れたで、周辺の樹木や屋根の陰で撮りにくいのではあるが。

カマの後にはコハ23号客車を連結している。

こういうものを訪問して歴史を再確認すると、やろうと思えば撮れたのに、、、と反省?することが多いが、この十勝鉄道は1959年に廃止されているので、安心!?して眺められる。現在の小学生鉄なら大阪から北海道まで撮りに行くかもしれないが。

カマと客車は廃止翌年に帯広市に寄贈されたとのこと、SLブームが本格的になったのはその8、9年くらい後からだ。よく残していただいたと感謝する。

鹿追町

北海道拓殖鉄道8622

8622
汽車製造大阪工場1928年 製番1024

國鉄制式機の8620型と同じものであるが、国鉄のおふるではなく製造後すぐに北海道拓殖鉄道に入線している。それで見てまわる対象に入れた。この鉄道も小生が初めて渡道した前年に廃止されているので、“餘計な反省”はしなくても済む.
保存してあるのは同鉄道の鹿追駅跡で現在は一面芝生の広場で、その広場の西端に南向きに置いてある。田舎町で(失礼!)カマの周囲に柵も網も無いのは好ましい。こういう写真を欧米のファンに見せると、日本は治安が良くて羨ましいという感想が寄せられることが多い。

20211008-8622

ロッドの下がっている非公式側(西側)には何本か木が植えられていて、超広角で真横の写真を撮ったが、どうしても隅に歪がでているので此処には斜め前からの写真をあげておく。雲の多い状態で撮影したが晴れたときの順光側は木の影が気になる写真になるかもしれない。

*:現地で確認しておこうと思ったのに忘れたので、Wikiでみると現在は「じってつ」と称するようだ。組合せ略称では難しい、あるいは馴染みのない音読みは近年避けられる傾向にあるそうだが、「十」は簡単だ。ただ小生自身は、例えば十本は「じっぽん」と読むのが正しいことを知識としては知ってはいても、子供の頃から「じゅっぽん」という(乱れた!)発音に毒されている。

北海道 つづく

あまらぼ鍋屋町

2021年10月 7日 (木)

印度版屋鋪要本

もう7年前であるが、株式会社ネコ・パブリッシングから「屋舗 要の 保存蒸機完全制覇」という本が出版された。

この本を紹介してくれた模型店の店主が、当然のように「ヤシキさんが、、、、」と話し出したので少々焦った記憶がある。というのは、失礼ながらその時まで屋舗 要というプロ野球選手がいた(出版時はもう現役を引退されていた)ということは全く知らなかったのである。極端な運痴でスポーツ全般に全く興味はないので当然ではある。野球選手は長嶋、王くらいしか知らなかった。

ともかく、役に立つ本であって英国の友人も日本語は読めないにもかかわらず購入した。
日本の動態、静態の蒸気機関車を網羅し「601輌完全リスト」と表紙に書いてあるが、個人所有で非公開であったカマは当然載っていないし、非公開ではないものでもごく少数ではあるが、漏れているものもある。

さて、これの印度版と言ってよいような本を入手した。
件の英国の友人が出版準備中だという情報を掴み、私を含め数人に教えてくれ、纏めて注文してくれたのである。本来ならば昨年の早い段階で発行された筈であったが、印度ではそもそもスケジュールというのが有って無きが如しであるところへ、印度の天敵の国から世界に拡がったWHO*ウィールス感染症騒ぎで遅れに遅れてやっと発行された。
(*Wuhan‘ Hidden Outbreak 武漢の隠蔽された感染爆発)

Black Beauties (副題 The Surviving Steam Locomotives in India
Vikas Singhthe Railway Enthusiasts’ Society発行
A5判ハードカヴァー 約190頁 
上述の通り印刷製本は印度である。
Pa041080

巻末のリストに印度全土の303輌の保存機(動態、静態とも)が載っている。
記載は現所在地(都市名)のアルファベット順で、さらに詳細場所(例えば駅とか庫とか)に分けている。機番(旧機番があればそれも)、形式名、製造年、メイカー名はあるが、メイカーでの製造番号は残念ながら一切ない。

写真は全て著者撮影でモノクロのみである。できるだけ多くの写真を載せる為か残念ながら写真は大きいものでも1ページに2枚のサイズである。同じく1ページに2枚でも何故か小さい写真を採用しているところもある。
全機の写真が載っているかどうかは小生はまだ確認途上である。
なお、その英国の友人によると製糖工場の機関車でごく一部であるが漏れがあるのではないかとのことである。

大部分が写真だけのページであるが、印度の蒸機終末期、保存活動の始まり、復活運転などについて短い記事が載せられている。

印度への発注となるとハードルが高いと思われたが、かなりの部数が英国の The Darjeeling Himalayan Railway Societyに送られており、友人はそこから入手した。日本への直送であった。
初版限定 400部で、小生のところに来たのは317と附番されていた。

あまらぼ鍋屋町

2021年10月 4日 (月)

五輪はええのに何でやねん

少し前だが、ある自動車メイカーの社長が良いことを言った。主旨は
   ー五輪大会はやるのに、何故四輪や二輪の会はゆるされないのだ?―
ということであった。

小生はこう言い換えることにした。
   ―輪っぱの数が少ないとアカンのかな?ほなら、六輪、八輪ならええやろ。―
中空―新千歳のANA便にはボーイング737-800が多く使われていると思うが、比較的小型のこの737でもランディングギアに計6輪附いている。鉄道車輛は2つのボギー台車に載っている、2軸台車つまり4輪なので都合8輪である。

ANAのマイルの消滅がまた始まるが、今年秋のウェイルズのフォトチャータ参加はとうに断念したので、他に使わねばならない。夏に続き北海道に行くことにしたのである。

<苫小牧>
王子製紙が運営していた王子軽便鉄道(2ft6in軌間)で使われたカマである。
これ以前のカマはポーター製のテンダー機5輌や同じくポーター製サドルタンク・テンダー機(1-3号機)であったが、この4号機は橋本鉄工所が1935年に製造したサドルタンク・テンダー機である。その後の5-6号機は同じく橋本鉄工所製のサドルタンク・テンダー機、7-8号機は市川重工業製 サイドタンク・テンダー機で、これらは1-4号機より少し大きかったようだ。
この4号機は以前は王子駅近くの「紙の博物館」に展示されていたので、何かのついでに途中下車して撮影したことがある。その当時は何故かテンダーが展示されていなかった。

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今の展示場所は苫小牧駅から南へ歩いてすぐの所にある。苫小牧に到着したのがすでに昼過ぎであったので、カマ正面には陽が当たらなくなっていたのが、少々残念であった。中空-新千歳の一番便なら良かったのだが、アウォードでとれる席がもう無かったので二番便に乗らざるを得なかったのである。

Ouji-4-r-2
公式側のロッドが降りた状態で置かれているが、殆どの時間帯で日陰側になる上に樹木も近くに多いので、公式側を順光で綺麗に撮れる可能性は假令夏至の頃でも無いのかもしれない。

<室蘭>
鉄原コークスの室蘭支店に展示されているS-205、日立笠戸工場1938年製、製番966である。
Tetsugen-2

展示してあるのは工場内なので、入れないし、近寄れないが、道路から撮影可能とのことで訪問した。先達の情報はありがたい。ただ金網越しとなり、ズームレンズでは前玉が大きすぎて金網が写ってしまうことが分かっていたので、これだけのために単玉を持参した。グーグルマップでカマと金網の距離の見当を附けて標準レンズで何とかなるだろうと判断できた。
正面を順光で撮影するには午後が良いが、雲が次第に厚くなってきて晴れ間はどうもこの写真の時が最後のようだったので断念した。構外から見える公式側のロッドが下った状態でないのがちょっと惜しい。これは苫小牧のとは逆に非公式側のロッドが下がっているのだ。秋なので周辺の草が伸びたままであることは豫想していたが、近く(と言っても苫小牧から鉄道で60km超ある)まで来てこれを外すのは忍びなかった。
光線状態も草も不満が残る結果ではあるが、これだけを撮影にまた春に来るというわけにもいくまい。

他に苫小牧では近くにC11133、室蘭では旧室蘭駅にD51560があったので、ついでに撮影したが、写真は省略する。

北海道つづく

あまらぼ鍋屋町

2021年9月24日 (金)

リモウトの趣味会合

小生が末席を汚す鉄道趣味の会でもリモウトの会合の試みが行われているが、会員や特に世話役の方々の考えはいろいろであるようだ。小生は、兎に角どんどんやればよい、と思っているのだが、実際に顔を合わせないと、、、とか、二次会で飲むのが楽しみなので、、、、という、どちらかと言えば否定的な意見もあるようだ。飲めない小生は以前から二次会はご無礼することが多い。

リモウトでやる場合は、大別して
(甲)会場で(感染対策以外については)以前と同様に行い、それをZOOMなどで流す、また会場外の人はZOOMなどで発表発言するというやり方
(乙)特に会場に集まることはせず、世話役が日時を決め、発表者を募り(某政治家によると、募集はしてない??)、実施するやり方
がある

小生が末席を汚す会では、(乙)を今までに3回試行した。3回目には小生も発表した。
また(甲)の変形と言えるかと思うが、会場での発表の全体ではなく一部だけをZOOMで流すことも試行した。何故か一度失敗したが。
逆に会場外の発表者から会場へ発表することはしていない。

小生がどんどんやればよいと思う理由は主に次である。
―とにかく交通費が掛からずに済む。セコイ話であるが、名古屋から東京まで往復すると2万円以上だ。ジパング割引でも1万6千円ほど。大阪へは近鉄が便利だし、ぐっと安いが。
―見やすいこと
 会場ではどなたかのPCの画面を拡大投影することになるが、リモウトなら手元の自分のPCなので小生のような乱視で近視で老眼!には見やすい。逆に迫力に缺けるという御意見もある。缺点としては音声が悪いが、鉄道モノは音よりも絵だと思う。

欧米の鉄道趣味団体でも同様に、むしろそれ以上にリモウト会合が試みられている。
米国のは見たことがないが、英国の案内を幾つか貰った。
英国に関して問題は時差である。英国が休日の昼下がりなら、日本はその日の夜。英国で例えば13時から17時なら、日本では21時から1時、ちょっと夜遅くなるが許容範囲だ、、、、否、実はそうではない。

英国の趣味団体の会合は週末ではなく平日(水曜や木曜が多い)の夕方に行われることが多い。それで現地で19時から21時なら、日本では未明の3時から5時。一度寝て起きるにしても、そのまま起きているにしても最悪の時間帯である。半世紀前の夜行列車上川折り返しのようなものだ、夜行折り返しなら乗ったらすぐにまた寝られるから、それよりきついとも言える。

本日は英国の友人が発表するので未明に起きて見た。実は2週間前に現地の会合*で発表し、その様子をリモウトで流すという豫定だったのだが、会場側で何か機材の具合が悪くなった。(*Continental Railway Circleである)

それでその日は、折角皆がリモウトで40名弱も集まっているのだからということで、会場とは別に、参加者の中から急遽発表者を募った(これを募集というのは違和感があるなあ、、、、某前総理の日本語感覚は実に細やかで鋭い!政治家にしておくのは日本の損失である、国語学者になっていただこう)
そんな状況なのに、英国人(多分)がフィリピンのHawaiian Philippines製糖工場の昔、独逸人(昔からの知り合いなので独逸人と知っているのだが)がWP(ブロードゲージの流線形(砲弾型)旅客機)がまだピカピカで急行列車を牽いていた頃のインド、それにパキスタンとビルマ*の写真を見せてくれた。(*軍事政権が国名の英語呼称をミャンマーに変更する前である)

本日は、2週間まえのやり直しということで会場はなしでリモウトだけの会合で、発表はその友人だけであった。
From Damascus to Danedin (ダニーディン、NZ南島の都市)のタイトルで、2004年頃からつい最近までの、シリア、ヨルダン、パキスタン、印度、スリランカ、ビルマ*、ヴィエトナム、カンボディア、泰国、フィリピン、マレイシア、臺灣、日本、オーストラリア、ニュージーランドのナローゲージの蒸機ばかり、、、、彼は標準軌以上には見向きもしない。もちろん日本もナローである。
日本、臺灣、豪、NZ、カンボディアなど小生がひっついて行った撮影行のも含まれていた。(このブログに一部の写真は載せた)
スライド総数約250枚、途中休憩を挟んで1時間半ほど、圧巻であった。参加者は53名だったので、前回のリモウト参加と会場参加の計にほぼ等しい。

(*Myanmarではなく Burmaと記載。英国人の拘りである。なお上にも書いたが、軍事政権が国の名前を変更したわけではなく、英語名を変更したのである。ビルマ語では口語的な呼名ビルマと文語的な呼名ミャンマーが(昔も今も)併存している)

あまらぼ鍋屋町

2021年9月18日 (土)

鉄分ブースタ補給

WHOWuhans Hidden Outbreak)ウイールス感染症のワクチン接種2回目を終えて、そろそろ3か月である。
ブレイクスルー感染(片假名は気に入らないが)もニュースになっている。英国では3回目接種が始まっているし、日本でも論議が始まっている。自分の抗体値がまだそんなに下がらないうちに(?)、決して不要不急ではない鉄分補給をした方が良いかと、勝手な理窟をつけていつもの明治村や北勢線以外に出かけることにした。

となると次にお手軽なのは大井川鐡道である。架線の下であってもチャンとした客車を牽引し、たいていはヘッドボードが附いていないのが何といっても好ましい。
この日はトーマスも運轉の日で、そのために通常の客車列車の客が少ないのか、そもそも現在は客が少ないのかわからないが、客車は3輌で電気機関車の後補機がなかった。戾り列車も後補機をさり気無く隠す場所で撮る豫定だったが、「電機は附いてない!」がハッキリわかる大井川第一橋梁に変更した。ごくごくありふれているが。
ただ青塗装のスハフ43が繋がれていて編成の色が揃わなかったのが残念である。白帯もあるのでモノクロ写真(ここには揚げないが)でも違いが見えている。
Photo_20210918113701

今回は駿遠線の廃線跡も少し歩いてみた。半生前のことを反省しても仕方ないが、大阪から初めて北海道へ遠征した時、駿遠線の藤枝側、新藤枝―大井川間はまだ存続していた。途中下車して、ちょっとくらいは見るべきだったのだろうが、C55C62を優先してしまったのである。

以前、袋井側を少し歩いたことがあるが、(拙ブログ「架道橋二つ」
http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-1a6361.html )
今回は藤枝側である。雨も降ってきて途中で嫌になり、一時間に一回可能なワープを何度か利用した。静鉄バスが社名だと思っていたがいつのまにか“しずてつジャストライン”と称している。単なる愛称ではなく、正式な会社名らしい。ジャストはJUSTだろうか?こんな田舎で(失礼!)なんでと思うほど遅れて走っていたが、DB(ドイツ鉄道)ほどではない。

大井川の橋梁跡がなくなった現在では、遺構として一番はっきりしているのはこの小堤山トンネルであろう。もっとも何年か前に奇麗に補修されたそうだ。扁額は元から無かったのだろうか。そしてケシカランことにトンネル内部に少し落書きがある。早く消さないと次々に増えるのではと心配になる。
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遠州神戸と上吉田の駅跡地には全く新しい駅名標モドキが設置されていた。
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また機会を見て残りを少しづつ歩いてみよう。4,5日あれば全線歩けると考えていたが、想定は甘かった。もっともっと日数が必要だ。自轉車道が大部分なのであるが、極端に運痴の小生は自轉車も苦手で、使わないのが安全だ。

あまらぼ鍋屋町

2021年9月 9日 (木)

認識が先か、言葉が先か

「数の発明」 ケレイブ・エヴァレット を読んで (まだしつこく)

いろいろと考えさせられる本で、実におもしろい。“イチャモン=否定”では決してないのである。

幼児の数計算能力を調べる実験では人形を使うそうだ。
  ( 第二部 数のない世界 6 幼い子どもにとっての数量 P.157 以降)

しかし、乳児を使った実験については笑えてくる。
、、、実験の途中で眠り込んでしまったり*という問題が起きたためだ。、、、、

当然といえば当然なのだが、どんな未開地でも、むしろ未開地であるほど、実験に協力してくれる人には報奨、お礼、カッコよく言えばインセンティヴが与えられるだろう。動物なら当然好みの餌である。しかし乳児には与えようがない。

*:小生もよくやるミスだが、日本語の規範には反した文章だ。「たり」は2つ以上使うのが原則である。対になる「たり」、たとえば「泣き出したり」がない

、、3歳児は「1」から「10」という数字を声に出して言うことはできるけれども、、、その意味するところを分かって言っているわけではない、、、、
、、、すでに体得している概念に単に名札をつけるだけというようなことはまずないのだ。
   (同 P.170

甥や姪が幼いころにはいろいろと面白いことを観察できたが、たまに遊びに行くだけなので、残念ながら数を教えられるとか数を数えるところを観察したことは無い。

言語の使用に於いては、違いを認識する、つまり概念があるからそれを名づける。これが基本である。ソシュールもこのことを書いている、むしろ彼の発見と言ってもよい。
違いが認識されない場合は、その語は使われない。使っていても次第に使われなくなる.

(ここからは鉄話である。)
そのよい例が、気動車だ。気動車なんぞという語を使うのは鉄だけで、善良なる非鉄には全く普及しなかった。

違いが認識されなくなれば、名前も使われなくなる。現在日本語から汽車という語が消滅寸前になって全てをデンシャと呼ぶのもこの現象の一つだ。汽車という語が歴史的な用語として定着するかどうかも微妙な状態である。どういうことかと言うと「昔のことを書く時に汽車という語」を使うかどうかということである。

すでに、内田百閒の文学についての解説で、汽車と書くべきところで電車が使われている。
拙ブログの「内田百閒電車を待つ」http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-cc02.html に書いた。

そのうちに「鉄道記念日は18721014日(新暦換算)に明治天皇が新橋横浜間の電車にご乗車あそばしたのを記念して」云々と書かれるようになるのだろうか。印刷物では幸いまだ見たことは無いが、ネットその他ですでにそう書かれている可能性は大いにある。(目にしたくないので調べる心算はないが)

あまらぼ鍋屋町

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