2018年4月19日 (木)

オスプレイ保護区

オスプレイOspreyは米軍の輸送機V-22型の愛称で、それが餘りにも有名で本来の意味(語義)があることは思い浮かばない。米軍の広報官などが正式名称も使っているのかどうかは知らないが、日本のマスコミでは愛称しか使われない。オスプレイとは和名はミサゴという猛禽類である。戦闘機でもないのに何故猛禽類の名前を使っているのか不思議であるが、、、、、

英語名を和名に替えたところでこの鳥に就いての鍋屋町の知識がゼロであることには何ら変わりはない。魚類を好んで捕食するそうだが、、、

調べてみると、、、、鳥のほうのオスプレイだが、世界中に分布していて英国にもいる。主な生息地はスコットランドである。英国(スコットランド)では一旦消滅したとされている(反論もあるようだ)が、近年再確認が増えている。ウェイルズでは2カ所の巣が2000年代になって発見されその一つが、、、、やっかいなことに、、、ウェルシュ・ハイランド鉄道の直ぐ傍にある。これが監視小屋である。
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ウェルシュ・ハイランド鉄道はシーズン外に区間運転をする期間がある。区間はポルスマドッグPorthmadogとハヴォッド・ア・シンHafod y llyn間で2往復である。
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予想していたのとはカマが逆向きに附けられていたのでちょっと目算が狂った。チムニーファーストの時にガラス張りの豪華客車がカマの次位にあるのはちょっと興ざめだし、天気も良くなかったが、なんとか撮影した。

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使用されたカマは通常はフェスティニオグ鉄道
Ffestiniog Railwayで使われるPrinceであった。1863年 George England製 0-4-0ST+Tつまりサドルタンク機であるがテンダーも附けている。

ミサゴは日本では留鳥であり、通年みられるそうであるが、英国では夏鳥で冬は西アフリカなどで過ごすそうだ。ここグラスリン谷the Glaslyn Valleyには3月末ないし4月に飛来し営巣するとのことで、上の写真を撮影した翌週にはこの撮影ポジションは立入禁止になった。次に入れるのはオスプレイが去った秋である。上で<やっかいなことに>と書いたのはこのことである。

あまらぼ鍋屋町

2018年4月14日 (土)

機関車庫のカマが外に出た (ディドコットその5)

ディドコットその2でご紹介したブルーベル鉄道からの訪問機をこの庫に戻す際に、支障となる蒸機4輌を一旦外に引きだした。たまたま近くにいたので慌てて撮影に駈けつけ、広角で歪みが残っているし完全に真横ではないものの好きなサイドヴューを撮れた。


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GWR 1400 クラス 車輪配置0-4-2T

スィンドン工場1936年製  2021年の動態復帰を目指しているとのこと

当初は4800クラスと呼ばれた。 ディドコットその2でご紹介した制禦客車Autocoachと連結してプッシュプル運転に使用されたものもあった。当機もそうである。(他の形式の機関車も使われた)

またこの機関車はDidcot Railway Centreの母体となっているGreat Western Society (GWS)が最初に購入した機関車とのことである。本クラスのカマは各地に保存機が4輌ある。


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GWR 5700 クラス 車輪配置0-6-0PT (パニアタンク機)

スィンドン工場1937年製 5年前に火室トラブルで静態となった。

1929年から50年まで製造され総計863輌にものぼった。スィンドン工場製だけではなくノースブリティッシュなどのメーカ製もある。19379月から3812月に製造のものは3700番台となっている。

本クラスの保存機は16輌ある。

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GWR 2884 クラス 車輪配置280 

スウィンドン工場 1940年製. 重貨物用機だが各地に計9台保存されている。現在の動態機はLlangollen サンゴセンRailway1輌と思われるが、動態復帰を目指しているものが5輌あるようだ。


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GWR 7800 クラス( Manor Class )車輪配置4-6-0

スウィンドン工場 1938年製

6800クラス(Grange Class460の軽量版として開発され、活躍した路線が多かった。XX Manorという名が附いている。現在保存機が各地に計9輌あり、うち動態が4輌あると思われる。

その他気動車の乗車などもあり、それなりに面白かったがカマの話から逸れてしまうし、一旦ディドコットは終わることにする

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2018年4月12日 (木)

機関車庫の他所者 (ディドコットその4)

機関車庫にはぎっしりと標準軌の大小の機関車が並んでいる。こういうのを撮るときに邪魔になるのが他のファンである。それが家族連れだと更に面倒で、なるべくこれが居ないときに行くのが良い。と言うことで、此処には10時半の開場後すぐに駆けつけた。それでも半分くらい撮影したところで他のファンが来て、それからは効率がガクンと落ちた。そんなに苦労して撮影しても、超広角ズームでの撮影なので結果は良くない。

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さてこの機関車はJane Shannonと呼ばれている。ディドコットにあるGWR以外のカマはわずか2輌であるがその一つである。(ディドコットその2で書いたような他の博物館などからの訪問機は別にして)

George England1857年製、車輪配置 0-4-0WT 静態保存である。The Sandy & Potton Railwayが最初の配属でShannonと名附けられた。この鉄道はオックスフォードとケンブリッジを結ぶ*路線であったVarsity Line(1993年廃止)Pottonからでていた3マイル餘りの路線であった。のちLNWRLondon and North Western Railway)に移った。78年にWantage Tramway に移りおそらく1945年の貨物廃業まで使われた。この時代にはJaneと呼ばれていた。Wantageはオックスフォードシャーの町で、この鉄道はそことGWRの本線とを結ぶ2マイルの短い路線であった。

*大学で有名な二つの町であるが、この鉄道の廃止で直接連絡する路線が無くなった。ただ直接連絡でも時間がかかり、何よりも本数はごく少なかった。小生がその末席を汚している海外鉄道研究会の1994年会長講演で当時の会長小池滋先生(英文学)がこれに関する話をされている。なおこの地域の利便性向上をめざし、現在新しい路線をつくろうという計画があるようだ。

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2018年4月10日 (火)

これは翻訳機?(ディドコット餘談)

日本人が海外旅行に行くようになって、「日本人は何でもすぐに写真を撮る」とか「眼鏡を掛けてカメラをぶら下げていたら日本人」などと揶揄されたものである。今は国によらず誰もがデジカメやスマホを持っていて、何でも矢鱈に写真を撮るようになった。

しかし今でも、特に西欧の白人の高齢者には日本人(あるいは今ならZ国人主体のアジア人と言い換えるべきか)がパシャパシャと写真を撮るのを快く思っていない人が居るようだ。滅多に文句を言われることは無いが、露骨に嫌な顔をされることはままある。

特に私が感じるのは、展示物の説明板などをメモ撮りするときである。かれらはそれらを撮らずにその場で読む。当然である。地元の常設展示の解説日本語をメモ撮りする日本人がまず居ないのと同じことである。


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ここでブロードゲージのカマと客車の解説が冊子になっていたのを撮影したのだが、なんと先に読み終わった小母さん(失礼、私より若いかも)がページ繰りを手伝ってくれた。

そして質問された「それは翻訳機なの?」

「英語は読めるのだが、あなた方母語話者のような速さで読めないし、分からない単語もあるので撮っておいてホテルや帰国してから読むのである」とご説明した。私の見るところ一般的な英語人は、「外国語でなんとか用が足せる程度にはできる」という状態がどんなものかをうまく想像できないようだ

自動翻訳は近年ある程度は精度が向上している、ハンドマイク様の器械で数言語に自動通訳できるものが、特に災害時対応などに実用化された、あるいはされつつある、とのニュースもどこかで読んだことがある。

理窟の上ではカメラ様のモノで撮ってすぐに翻訳して画像にすることは可能であろう。しかし、そのようなものが実用化されても、私としては元の文章(の画像)は残しておきたい。

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2018年4月 8日 (日)

広軌の蒸機 (ディドコットその3)

現在、新幹線や阪神、阪急などを広軌と称することは無いが、戦前には-特に国鉄の改軌論争では-標準軌のことを広軌と称したことが多い。世界的には軌間4フィート8インチ半が標準軌であり、それよりも少しでも狭いもの*はナローゲージ(狭軌)で少しでも広ければブロードゲージ(広軌)である。

Great Western RailwayGWR)はその技師ブルネル(=Isambard Kingdom Brunelイザムバード・キングダム・ブルネル)の考えにより、7フィート1/4インチ(2,140mm)のブロードゲージに拘ったのであるが、標準軌との競争に結局は破れてしまった。乗り換えの不便、貨物乗せ換えの不便に耐えられなかったのである。技術的に(あるいは理窟の上で)優位にあっても、多勢に無勢であった。

面白いのは、当時のGWRやその同調者には標準軌のことをナローゲージと蔑称*したものがいることである。

ともかくここディドコットはGWRの歴史展示を重視しているので、ブロードゲージの機関車もレプリカで静態ではあるが2輌ある。

置いてある場所は入り口からは一番遠いところである。Didcotを訪問するに当たり、数年前に私を初めて英国に案内してくれた悪友に念のため概要を事前に尋ねておいたので、忘れずに見ることができた。先達はありがたいものである。

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GWR
Fireflyクラス
Fire Fly 2005年製造のレプリカ 車輪配置2-2-2 現地で買い求めたThe Didcot Guide Second Editionには走行写真が載っているが現在は静態である

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GWR Iron Dukeクラス Iron Duke 1985年製のレプリカ 車輪配置4-2-2

National Railway Museum

の所有で現在は此処へ貸与中である。

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客車もある。このみすぼらしい、おっと簡素なのが三等車かと思ったが実は二等車であった。よく見ると座席の脚は丸く、何と称するのか優雅な形に整えられている。

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最初は無蓋車と思ったこちらが三等車であった。

*米国ニューハンプシャー州のワシントン山登山鉄道the Mount Washington Cog Railway4フィート8インチゲージで、あえて言えば一番広い狭軌と言える。まあそういう拘りを言う人は極少数だろうが。なお、この鉄道は世界最初の歯車軌道の登山鉄道であり、ヨーロッパなどから技術者が多く視察に訪れたとのことである。

**ナロー大好きの私にはこれは尊称である。

餘談になるが英語で narrow-mindedは通常は「度量が狭い」という悪い意味であるが、鉄道趣味の世界では洒落言葉として「ナロー大好き」であることを言うことがある。

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2018年4月 4日 (水)

制御客車 (ディドコット その2)

前回は蒸気動車であったが、さらに関連するものをご覧いただく。

ここDidicotには運転路線が2つある。南側の短いのと北側のそれよりは少し長いのである。それぞれに一台(一編成)ずつ走っていて昼に相互に運転場所を替えた、もう一つ走っていたのがこれである。牽引(推進)している客車は制御客車auto trailer

である。英国では蒸気動車がかなり早くに登場したこともあり、蒸気動車では輸送力が不足してきた。それでこれらから動力部を外し、オート・トレーラとしたものが現れた。これを蒸気機関車と組み合わせてプッシュプル運転*を行える。機関車の両側に附けることも可能であった。

外観はこれである。つまりここから見る限り前回の93号と同じである。
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しかし側面を見ると、当然ながらどちらの台車も通常のものである。短い方の運転路線で綺麗にサイドヴューが得られなかった(<言い訳)
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これの運転台も覗かせてもらった。ただし運転台部分は形態が残っているが、残念ながら反対側(機関車を附ける側)の装置は外されていた。またこのカマもオート・トレーラとの組み合わせに対応したものではない。

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それもそのはず、当機はイングランド最北部の
the Dorking Greystone Lime Worksでその生涯をすごした3号機である。1877Fletcher Jennings & Co.製、製番158、現在はブルーベル鉄道の所有で此処へは訪問である。


*以下は以前にも書いたので、このブログを初めて訪問された方以外は読んでいただく必要はありません。

プッシュプルとはどちらの方向にもそのままの編成形態で運転する(即ち推進運転も牽引運転も)ことを言う。日本語(和製英語?)のプッシュプル(=編成の前と後ろに機関車を附ける)は英語ではトップ・アンド・テイルtop and tailと言い。文字(語義)通り「頭と末尾」にカマを附ける意である。

 

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2018年4月 2日 (月)

蒸気動車 (ディドコット その1)

少し前にスリランカのナローの蒸気動車の静態保存(というには情けない現状であるが)の写真を載せ、その時に走行は撮影したが乗ったことは無いと威張った?ので、英国の動態保存のものに乗車してきたのをご紹介する。

訪問したのはDidcot(ディドコット) Railway Centre、倫敦からも近い。単に開いているだけの日は多いのだが、蒸機運転日は週末主体でその時には他に優先したいところがあり、、、と今まで機会が無かった。

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ものはこれである。Great Western Railwayのもの。英語ではSteam Railmotorと称する。

Swindon Works1908年製(参考文献のガイドブックでは1912年)、GWRの蒸気動車はいくつかに分類されるがこれは最終のものでR型である。

1934年に動力部を取り外し、制御車auto trailerになり56年まで使われた。2011年にレプリカの動力部を取り附けて動態に復帰した。車体は木製で本線走行の認可を得るには苦労したようである。もちろん今回の訪問時は構内をウロウロ走っただけ。

 

肝腎の運転台であるが、まず機関部と反対側。大きなおなかを凹めてくれたのだが、ブレーキハンドルの一部がどうしても隠れてしまった。加減瓣ハンドルから床へロッドが下りているのが見える。
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そしてボイラ側。なかなか入れてもらうチャンスがなく、もう動かすよというところでやっとワンカット撮れた。こちらは加減瓣ハンドルへ床下からロッドが上がってきているのが分かる。

走行写真では動力台車(という呼び方でよいのかな?)がよく分からないのでその部分を一枚
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他にももう一台蒸機の走行と色々な展示があって、雨の中一日居ても飽きなかった。最初の走行写真は昼過ぎにわずか
10分ほど日が差した幸運な時間帯であった。

参考文献 The Didcot Guide Second Edition

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2018年3月23日 (金)

京都鉄道博物館見学(その2)

以下ついでに?見てきたものである。

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半分にぶった切られたが蒸気機関車館の出入口として餘生を送ってきた二条駅本屋は出口(および土産物店)としてそのままだ。

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入り口近くの良い位置に233がある。汽車製造会社1903/製番11  鉄道作業局A10形改番で230型。英国製のA8型をモデルに設計した国産初の量産機。

左側は壁とエスカレータに近い。左側を見るのは困難だが、エスカレータから上部を見られる。気になるところを観察するには何度も乗る必要があろうが。きちんとロッドを下げた位置で展示されているのは嬉しい。


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旧番の40で展示されているが1801、これもよい位置に置いてある。両側を拝むことができ、これも右側のロッドがきちんと下がっているのが嬉しい。キットソン 1881/製番2453 鉄道作業局B2型 改番で1800
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このブログでは蒸機以外はあまり相手にしないのだが、ちょっと例外措置

EF52は戦後阪和線(と中央東線)で使用されたので、小学生の頃からよく目にした。もちろん関西線の蒸機を見たり、それの牽く列車で田舎へ帰ったりが一番の楽しみであったが、阪和線のEF52は大きくて子供の目にはカッコよかった。まあ技術面、実用面ではその大きさや重さが問題だったそうだが、、、、のちにED60ED61が入ったが、小さくみすぼらしく、EF52EF58に替って、いくら旧型電機(というより当時はデンカン=電関と言った)でもデッキの無いのは価値無し!と思ったものだ。のちのEF58騒ぎには驚くばかりである。

EF52は鉄道省の指揮で各社に製作させたがEF521は日立製作所1928年

扇形庫は本館の人気のおかげでカマの周りに集っているのが少ないのが有難かった。ただ一般人の蒸機への関心が低下しているとしたら(假定ではなく現実か?去る者は日々に疎し)、近い将来各地で蒸機の動態保存運転取りやめという事態に結びつくだろう。

しかし、、、、見学者に実にZ国人が多い。大声(失礼、、、よくとおる声)ですぐにわかる。鉄道ファンでもない外国人が見て面白いのだろうか?と不思議に思う。多くの博物館美術館が休みの月曜日に行ったのが拙かったのか?(当館は水曜休み)

公式ウェブサイトには英語他のページが少しあるが、パンフレットはZ国語はもとより、英語のすらないのだ。

困るのは地鶏と瓦器鶏である。日本人でも結構時間が掛かるが、Z国人は自分でも子供でも、ケッタイな気取ったポーズを附けるのが常で餘計に時間が掛かる。仕方なく、その気取ったポーズを見ながら終わるのを待つのだが、噴き出さないように苦労する。

あまらぼ鍋屋町

2018年3月22日 (木)

京都鉄道博物館見学

梅小路蒸気機関車館のころは何度も訪問した。

弁天町*の交通科学博物館(元は交通科学館)を閉鎖して、そこの展示車輛ももってきた。扇形庫の横に近代的建造物ができるということで、建設計画を耳にした時は「なんと無粋な、、、」と呆れた。開館後は大入り満員という報道に気後れして、京都にはよく行くのに、これまで全く行ったことがなかった。英国の友人すら行ったのに、、、、

18切符のシーズンになると混雑が激しくなるかもしれないと思い、二月終わりの平日に初めて行った。

実はこの模型がどうなったか確認したくて行ったのである。

故三ツ矢明氏が製作されたライヴスティームである。改装増設前は旧二条駅舎本屋を利用した出入り口建物内に7台すべて展示されていた。

模型ではあるが、複式や動力伝達の特殊構造に挑戦した素晴らしいものである。ただし当時は一切の解説が無かったし、興味を持って見ている見学者は殆どいなかったかもしれない。解説が無いことに関して、私は蒸気機関車館側に特殊構造に関する知識を有する方がいらっしゃらないのではと危惧していたが、三ツ矢氏が亡くなられているため、これらの作品の製作記を掲載された鉄道模型趣味誌との著作権関係がネックになっているのではないかと指摘された方もあった。

現在展示されているのは習作―しかし素晴らしい完成度である-との1号機とトラムロコ-我々は屋台店と俗称するが-である。氏の作品のメインである特殊構造機が展示されていないのが惜しい。案内板には特殊構造について触れてある。

訊ねてみると、修理中との返事であったが、、、、、是非復活展示してほしいものだ。
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さて、ここで嬉しいのはライヴスティームと言う正しい用語を使っていることである。英語其の儘で分りにくいためか、かなり以前からミニSLなるケッタイな用語が跋扈している。

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用語と言えば、模型レイアウトはここもジオラマなる語に置き換えられている。以前書いたことがあるかと思うが、模型界では長年レイアウトと言ってきた。レイアウト
layoutは正しい英語である。ただし餘りにも多義の言葉であるし、適切な日本語訳語ができなかった。しかしジオラマはオカシイ。ジオラマdioramaはフランス語起源で英語ではダイアラマと発音する。透視画、立体模型、撮影セットなどの意味であり、従来は模型界では車輛がもし含まれていても添え物、それが動かないもののことを称していた。

今までになかった新しいアングルとして轉車台と扇形庫を見下ろすことができる。
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*:ベン天は元来「辯才天」=名(の文字)は体を表すで学問藝術のヒンドゥー教の女神=の略であるが、転化して「辨財天」(こちらは財を管理する)ともされた。個人的には後者だけに馴染みがあり、前者は今回念のために調べるまで知らなかったことを白状しておく。ともあれこの駅の設置は、四つの弁、瓣、辯、辨を一つにした暴挙(「弁」の文字は元来他の字の略ではなくカンムリを意味する固有の文字なので、特に悪質な暴挙である)の後であり、当初から「弁」天町である。

ついでに見てきた?ものもあるので、、、続く

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2018年3月14日 (水)

リューゲン島のナロー鉄道(その5)

実は訪問時の初日と次の日には以前の客車を使用したトラディツィオーンツークTraditionzugが走っていた。訳語に困る。嫌いなカタカナ言葉を我慢して使えばレトロ列車か?

この方が現在通常使用の客車群より好ましいのは当然なのだが、当方の撮影計画とどうにも合わなかった。車での撮影なら列車に使われている客車を見て計画の組替えも可能なのだが、、、、それに今回は塔の上で撮ることを第一目標にしたので更に制約が加わり、マトモな走行写真がない。

ビンツBinz駅での写真を少々。一日の撮影を終えてホテルへ戻る際の撮影である。これらの客車の詳細に就いて手持ちの資料や今回買い求めた書籍などで調べてみたが、わからないことが多いので今後の課題とします。どんなことでもご教示いただければ幸いです。

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別の日かなり激しい雨の中、終点ゲーレン
Göhren (Rügen)にて
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車内 二等車と三等車
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最後はプットブス駅での撮影である。
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プットブス駅舎の近くにこの説明板があった。この地域での英語併記のものは少ないのでありがたい。

ただし一箇所気になった。独逸語rasenは英語にした場合「race疾走する」と「rage荒れ狂う、怒る」の二様に訳せる。この解説文中のRasender Rolandの英訳はRacingではなくRaging Rolandとしている。たしかに独逸などの諸都市のRoland立像は剣を抜いているのだが、この鉄道のシンボルとしてのRasender Rolandの訳としては、このシリーズ冒頭に書いたようにRacingが相応しいと思う、Ragingでは脱線しかねない

リューゲン島のナロー鉄道は終り

あまらぼ鍋屋町

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