2017年11月 9日 (木)

シュプレーヴァルト博物館

イギリスばかり続いているので目先を変えてドイツ訪問について少し書きます。

ベルリンとハンブルクの間にある保存鉄道で2日間のチャーター運転がありそれに参加した。これについては後日書きます。しかしチャーター運転は朝早くからなので現地に宿泊する必要があり、ベルリンには前日入った。それでついでに小さな博物館 Spreewald Mueum Lübbenauに行った。ベルリンから南東へ車で一時間足らずのリュッベナウLübbenauの街にある。友人が車で連れて行ってくれたので公共交通機関での行き方はわからない。この地方にもメータゲージのナロー鉄道網があったが、当然ながら無くなってしまった。

この博物館はこの地方の歴史風俗を展示するもので、そのメータゲージ鉄道関係はついでの展示である。博物館外観はこの通りである。

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さて博物館の中をウロウロしたが目当ての機関車が見当たらない。上の写真の右に見えるが近代的な別館が横にあり、機関車と客車はそこにあった。

機関車は99 5703 1897年ホーエンツォレルン Hohenzollern製、 製番940である。

当初は3号機、Cottbusコットブスと名づけられていた。

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カマの左側には大きな空気貯めが後附けされている。左側は引きが取れないから写真は前がちになる。

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右側には餘計なものが展示してある他キャブ内への階段まで附いている。キャブ内の機器側は全面的に透明のプラスティック板で囲われていて、これもまた写真が撮りにくい。

客車は903-201 1897年ヴェルダウWerdau
元のシュプレーヴァルト鉄道では105番、Heberleinbremseヘーバーラインブレムゼ(紐ブレーキ)を採用していた。
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荷物合造車である。荷物室側のエンドはこの通り。
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とにかく側面を写そうにも引きが取れない。そこへ餘計な人形まである。

ウェブサイトにこの二つはそれぞれの写真が出ているが、ごく普通に斜めから撮ってあるだけで、まさか上下二段積の展示になっているとは夢にも思わなかった
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下から客車下部を見上げる
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2階からカマを見下ろす。
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最盛期の路線網としてはLübbenリュッベンから南東にCottbusコットブスまでの51.8km、途中のStraupitzシュトラウピッツから北東へGoyatzゴヤッツまでの13.8km、シュトラウピッツの一つ東のByhlenビーレンから北東へYamitzヤーミッツまでの19.1kmが現地で求めた本*に出ている。

ごく大雑把に歴史をたどると次の通りである。
1896年前身の会社設立
1897年公式建設開始
1898年最初の区間開業
東独時代は当然DRに組み入れられた。
1970年旅客営業終了
1983年貨物営業終了

*参考文献:Die Spreewaldbahn –Die Geschichte der legendären Schmalspurbahn- by Erich Preuß transpress

オマケ
その夜の安宿でハローウィーンのtrick or treatを始めて見た。ハローウィンは最近日本でも楽しむ人がいるようだが、これは日本語には何と訳しているのだろうか?直訳すれば「悪戯か、もてなしか」なのだが、子供たちが家々を廻ってお菓子をねだる行事である。
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あまらぼ鍋屋町

 


 

 

2017年10月26日 (木)

しばらく停車

しばらく停車します。

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あまらぼ鍋屋町

2017年10月21日 (土)

現代の六無斎

支持する政党無し、応援する政治家無し、期待する政策無し、比較的マシと思える立候補者すら無し、己の一票で変化は無かろうが、棄権したくも無し

海外勤務者は、選挙権無し、その後全国区だけ(もう比例区になっていたかな)で地方区選挙権無しだった。奪われると重要性がわかる。これらは後日憲法違反として改善された。

日曜は天気が悪そうなので天気が比較的マシだった一昨日、期日前投票に行ったがなんと行列。こんなこと初めてでオドロキました。

毎回毎回ニュースに出るが用紙の間違い。選挙区と比例区と最高裁裁判官審査、なんで紙の色が似てるの?

あれでは何かあれば間違うのは当然。民間なら色、形、大きさに差をつけて間違えんようにするが、お役所やねえ。そもそも何で三つとも同じような四角い紙なの?三角形や台形も使えば?地方とか比例とかの文字をウスーク印刷することはできないのか?

間違いが発生しても自分の懐は傷まへんからねえ。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月20日 (金)

闘う文豪とナチス・ドイツ

副題は-トーマス・マンの亡命日記- 池内 紀 中公新書 20178

その国あるいはその勢力範囲の蒸機や鉄道に興味を抱くと、附随してそこの文化と言語にも興味がわいてくる。存じ上げている鉄道ファンの中にはこの本来附随の筈の方が圧倒的に優勢になり、ジャワ島の製糖線蒸機よりもインドネシアに熱中した方や、ミャンマーの蒸機が事実上なくなる前にミャンマー自体に憑かれてしまった方がいらっしゃるが、私はそこまでにはならない。まあ興味は持ち続けるが。

それで私自身のドイツに関してであるが、友人に連れられて行った蒸機現役最末期の東独旅行が最初であった。関連してドイツ語とドイツ文化圏への興味も途切れ途切れながらも持ち続けている。私淑する先生は小塩節さんとこの本の著者である池内紀さんである。お二人とも読みやすい、しかし内容が濃い本を幾つも出されている。

トーマス・マン ノーヴェル文学賞受賞者であるが、そんなものは貰っても貰わなくても今となっては関係ない20世紀の大文豪である。もちろん存命時にはそれが有形無形の、そして良い影響も悪い影響も本人にも周りにも与えていた。

マンは厖大な日記を書いた。初期のものは自ら焼き捨てたが、最後のものは封印し後世に残した。二度目の封印は有能な娘のエーリカが父を葬ったのち558月に行った。開封は758月。エーリカは69年に亡くなっていた。カタリーナ(カトヤ、カーチヤ)夫人の方がずっと長生きした。

小塩節さんは某ラジオ局のドイツ語講座の講師を長く勤められた。私は背伸びして入門篇ではなく、小塩さんの応用篇を聴いたことがある。交流のあったカーチヤ夫人の思い出が語られていた。またエーリカのことを語学の天才とおっしゃった。例えば英語での講演をするときには英訳は彼女の役目だった。しかしそれにとどまらず、有能な秘書、情報収集掛り、助言者であった。

原書は)全32冊、総計5118頁、、、、、激動の時代を証言する、ヨーロッパ精神史の貴重なドキュメント、、、、原書刊行時には「この日記以外に何ひとつ書かなかったと仮定しても、トーマス・マンがその時代のもっとも重要な作家のひとりであるだろうことは疑いを容れない」とも評される (紀伊国屋書店ウェブサイトから、一部省略)

読んでみたいとも思うが、訳書で全10巻。こういう比較はミットモナイが、安くない本で全て買うとヨーロッパへの航空券が買える。まあドイツ文学の学徒でもないから、抄録やエッセンスが分るような解説が無いものかと思っていた。日本人の例で言えば、永井荷風の「断腸亭日常」は岩波版で3000ページに及ぶが、摘録や抄録朗読CDなどがある。そういうものが無いかなあという願望である。

抄録の代わりに読むことにした。碩学かつ名文家の解説であるので関連事象や周辺事情も非常に分り易い。

長くアメリカで後にスイスで亡命生活を送り、ついにドイツに戻ることが無かったことは知ってはいたが、その発端や詳細についてはまるで無知であった。

どうしてヒットラーのような怪物が生まれ、人はどうしてそれの成長をゆるし、あるいはどのようにそれと戦ったのか。

そして現在から振り返るともっと重要な点かと思うが、その怪物が滅びてからもどうしてマンはドイツへ戻らなかったのか?戻れなかったのか?

今の日本のことを考えよう。

ある種の人はドイツは周辺国とそこの人々に詫びたのに、同じ敗戦国なのに日本は、、、、、などと言い続ける。そもそもどこまで真実で、どこからが誇張で言い掛かりであるのか。個々人がどう考えるのか?ドイツではナチにだけ責任を押し附け、一般人は知らん顔を決め込んだのではないのか?

真の民主主義国どうしでは戦争に至った実績は無いと言われる。英国とアルゼンチンがフォークランド戦争(西語ではマルビナス戦争)を戦った時、後者は軍事政権であった。日本の周辺の覇権的な国々や跳ね上がりの国々はどうなのか?近い将来どうなると予想すべきか?アジアでも自由主義、民主主義が発展できるのか?

評論家のお手軽な時勢解説本もそれなりにオモシロイかもしれないが、時には真の闘争者の足跡に思いを致すのも良かろう。手に軽い新書なのに読後感は重い。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月14日 (土)

金色夜叉

名作の片隅の鉄道情景(6)

今日の一般の文藝愛好家にとって読む価値ある作品かどうかは疑問の餘地はあるが、発表当時熱狂的に読まれ、演劇化、映画化もされており「名作」であることは間違いない。多くの人がタイトルと熱海の海岸のシーンはなんとなく知っている。しかし最後まで読んだという方は決して多くないと思う。

尾崎紅葉著 新潮文庫 196911月 読んだのは2004544刷改版 である。

使用漢字に疑問あるところ(後述)もそのまま此の版から引きます。ただし原文にはたっぷりルビが附されているが、興味深いものを除き省略します。

P.74 前編 第七章 最後

 「いえ、滊車の中で鮨を食べました」

駅瓣なのか?それとも街中で買うたかは書いていない。日本の駅瓣の起源には諸説あるが、この小説(最初の部分)が発表された1897年にはもう各所にあった。ただ鮨が駅瓣にあったのかは分からない。また鮨と言っても各種あるがどんなのだったろう?

P.92 中編 第一章 冒頭

  新橋停車場の大時計は四時を過ること二分、東海道行の列車は既に客車の扉を鎖して、機関車に烟を噴かせつつ、三十余輌を聯ねて蜿蜒として横はりたるが、、、、

、、、、駅夫は右往左往に奔走して、早く早くと、、、、、

当時はまだ小型の客車なのだが、30輌餘りは壮観だろう。

P.103 同上 最後

  「、、、、それから切符を切って、歩場(プラットフォームのルビあり)へ入るまで、、、、」

  横!横!と或いは急に、或いは緩く叫ぶ声の窓の外面を飛過るとともに、、、、

、、、、場内の彼方より轟く鐸(ベルのルビあり)の音はこの響きと混雑の中を貫きて奔注せり

 プラットフォームという英語は知られていても日本語の定訳が無いことが推測できる。歩場という語がどれだけ使われたのが分らないが、日本語らしい日本語訳ができないまま、プラットーム、短縮して”ホ”ームが定着してしまった。漢語(いわゆる中国語)では站台や月臺(月台)ができたのに。

月臺については「中華特急のスローライフ」に興味深い考察がある

https://nkurashige.wordpress.com/2017/03/17/%e6%9c%88%e5%8f%b0/

P.104 同 第二章 冒頭

 、、、、午後四時発の列車にて赴任する事をも知るを得しかば、、、、

 、、、、、遽に急ぎて、蓬萊橋口より出でんとあたかも、、、、、

蓬萊橋は汐留川にかかっていた橋。今は汐留川自体が最下流を除いて埋め立てられた。この辺りの由緒ある多くの地名も銀座一色に塗り潰された。情けない限りである。我が居住する市には「名駅」という、まるでホームレスの住所のようなのが、しかも広大な地域に広がっている。対のように「汚な小屋」という市名も近くにある。

P.388 続 第五章 冒頭

  遽に千葉に行く事有りて、貫一は午後五時の本所発を期して車を飛せしに、咄嗟、一歩の時を遅れて、二時間後の次回を待つべき倒懸の難に遭へるなり。、、、停車場前の休憩処に入りて、、、、

本所駅は現・錦糸町駅である。1915年改称。

 今は中央・総武線電車が3,4分おきに出ているかな?快速も各停もある

しかし夕方なのに(あるいは夕方だからか?)二時間間隔とは、まさに隔世の感である

P.464 続続 第一章 (一)の二 冒頭

  車は駛せ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、貫一は、、、、遣る方無き五時間の独に、、、、始て西那須野の駅に下車せり。

、、、、、、

 俥を駆りて白羽坂を、、、

西那須野駅は当時はまだ日本鉄道である。1886年那須駅として設置され、91年改称、06年国有化。

五時間とはこれはもうはるかな遠隔地という感じである。いまは普通列車に乗ると宇都宮で乗り換えを餘儀なくされるが、それでも各停で二時間半ほどである。

この時代、自動車はまだない。時代の先端を行くのは俥、ニンベンが示すように人力車である。

金色夜叉は讀賣新聞に1897年(明治30年)11日から1902年(同35年)511日までと長く連載された。尾崎紅葉が亡くなり未完に終わっている。

単行本は 春陽堂 

1898年(同31年)7月、1899年(同32年)1月、1900年(同33年)1月、1902年(同35年)4月、1903年(同36年)6月 と次々出版された。

やはりイチャモン

新潮文庫版は最後のところに 表記について として、次の通り記載されている。

新潮文庫の文字表記については、「原文を尊重する」という見地に立ち、次のように方針を定めました。

一、 旧仮名づかいで書かれた口語文の作品は、新仮名づかいに改める。

二、 文語文の作品は旧仮名づかいのままとする。

三、 旧字体で書かれているものは、原則として新字体に改める。

以下略 

どこか原文尊重なのか?これではシンチョーではなくケーソツ社である。

旧假名づかい(正假名遣い)の文を間違いなく書くのは今の教育を受けた人には難しい。しかし読むのは決して難しくない。わざわざ新假名遣いに改める必要は全くない。私は書けるようにもなりたいと勉強を始めたがまだ無理である。

この小説は文語文なので正假名遣いそのままである。これは良い。しかし何故手間をかけて新字体に改めなければならないのか?正假名づかいにマガイモノ新字体が混じって実に見苦しいし、何よりいくつかの文字、本来別の文字を統合して新字体にしたものは、元はどれだったか頭の体操を強要される。

例としては 餘(あまる)と余(わたし)を統合した余“(上記の引用にもある)や、

辨(わける)、瓣(はなびら)、辯(<ことばで>あきらかにする)、弁(かんむり)の4つを統合した“弁”などである。もっとも現代語の弁にはかんむりの意味はないが。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 8日 (日)

明治村村民登録更新

10月末で村民登録(年間パス)が切れるので、忘れないうちにと更新に行ってきた。私の住んでいるところから直線距離では遠くないのだが、公共交通機関では一旦名鉄で犬山駅まで行くしかないので時間も料金も驚くほどかかるのが難点である。

もちろんついでに写真を撮る。今回は数か月前に入手した超広角専用中判カメラ(6x12センチ、レンズは55)と、デジカメも超広角ズームだけの軽装である。これには事情があるが別途書きましょう。

ということで、超広角の写真ばかりである。
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御料車6()5号(右)である。実はお召列車には全く興味が無く、一度も撮影したことが無い。車輛を保存するのでも、こういう特殊なものを保存するくらいなら、一般的客車こそ保存すべきと考えている。まあ、美術品としては値打ちは認めるが。

5号は昭憲皇太后用とある。昭憲皇太后と呼ぶのに、どうして貞明皇太后とか香諄皇太后と呼ばないのだろうと不思議に思っていた。生前はもちろん皇太后と呼んでいた。

どうも亡くなられた後に皇太后とは呼ばないようで、昭憲「皇太后」がマチガイらしい。マチガイなら正せば好いと思うのだが、それもできないらしい。面子に拘って恥を永遠に残す。教育勅語の「一旦緩󠄁󠄁アレハ>、、、」を思い出した。

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京都市電は2号車を使っていた。


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蒸機は12号機シャープ・ストュアート。めずらしく煙を出してきた。わずかな蒸機の撮影ポジションは東に開けたところばかりで、朝の列車以外は陰の中なのが残念だ。

雑草が(おっと、こういう言い方は昭和天皇のお叱りを受ける)中途半端だ。生えるままにするならもっと盛大に、刈るならすっきりとお願いしたい。

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尾西鉄道1号ブルックス。ブルックスの保存機は少ない。右の白い建物はアメリカ・ハワイ州ヒロ市にあった日本人のための教会・のち集会所で鉄道とは関係ない。もっとも建てられた時はハワイ王国であった。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 4日 (水)

英文精読術・英文翻訳術・英文読解術

いずれも行方昭夫著 DHC それぞれ201511月、20167月、20171月、

このように立て続けに刊行された。レヴェル(おおむね難度)は刊行順ではなく、「読解術」、「精読術」、「翻訳術」の順に上がると考えてよい。

英文を正確に読むための訓練の本である。翻訳は別とは言えない、真に理解するためには翻訳できる(=自然な日本語になる)くらいにならなければいけないというのが氏のスタンスである。

近年の日本の英語教育の風潮は会話重視に傾こうとしていて、文法よりもとにかく会話が強調され、英語学者や英語実務者にはこれに疑問を呈する方が多い。もちろん読み書き聞き話すという4つがバランスよくできるようにならければいけないが、母語ではなく第二言語、第三言語、、の獲得には文法を理解習得することが缺かせない。会話で発音は重要であるが、母語同然に聞き取り話せるようになることは特別な例外を除いて不可能である。例えば西歐人の高名な日本文学者でも、喋るのを聞くと所謂「外人らしい」日本語から抜けていない方も多々いらっしゃる。しかし決して聞き辛くはない。文法的に正確な日本語であり、語の選択が適切でロジカルな話し方だからである。

もっとも行方氏は従来の英語教育により日本人は「会話はできないが英語を読んで理解することはできる」という世間一般の見解には与されていない。だからこそ真に英語を読めるようになるための諸著作を世に出してこられたのである。私もそれらの著作はいくつか読んで、それこそ「頭をガツン」とやられる点が著作ごとに何箇所かあった。

今回の3著作はこれまでの氏の著作、あるいは他の語学書と異なり、とにかく懇切丁寧に優しく(易しくではない)を旨としている。其の為スペースをたっぷりとった贅沢なレイアウトになっている。また、モームの短編を丸ごと一冊読んでいくことにより飽きさせない。

「読解術」では

本文を小セクションに分け、語釈、イディオム、設問 となっていて、更に

設問に対する正解、質疑応答、訳が記載されている。また(主として若い)学習者用に英語よろず相談室(Q&A)があり、そこには行方氏の若い頃の学習史もかなり詳しく記されている。

「精読術」では

本文を小セクションに分け、さらに12文毎に分け、語釈、試訳、決定訳、解説が記されている。次の「翻訳術」でもそうであるが試訳と決定訳の差には、訳として自然な日本語になっているかどうかだけでなく、そもそもきちんと読めているかどうかを自ら確認するための指摘も多い。

「翻訳術」では

本文をセクションに分けた後、さらに小セクションに分けて

若干の語釈を加えたあと、本文からのアプローチとして解説があり、試訳と翻訳が示される。そして、試訳からのアプローチとして更に解説がある。

翻譯の心得その1、2「暗記用例文集」として合わせて100の文が挙げてあり、その1では各文に実に詳細な解説が、その2には翻訳テクニック毎に数頁の解説がある。

また、ユニークなのは文法解説の詳細や参考例を「英文法解説(改訂第三版)」江川泰一郎 金子書房19916月 に委ねてある、つまり同書の何頁のどこどこを見よとの指示されているところがあることである。これは特に「精読術」に多い。当然(故)江川氏の諒解のもとに行われている訳だが、非常に有効なやり方である。*

繰り返し強調されていることは、少しでも疑問に思ったら「まず辞書を引け」である。それを怠ってエエ加減な推測をしても誤解・誤訳に終わる。

日本の「外国語-日本語」辞書は実によくできている。とくに英和辞書は殆どのものがすばらしいのである。鍋屋町は時々重箱の隅をつついてみせるが、それこそ枝葉末節である。大抵の場合は該当する訳語、それが無くても類似の概念が見つかるのである。

これは日本語が同系統の言語が存在しない孤立言語であることも寄与しているのであろう。丁寧に説明しないと分からない、誤解を招くという事項が多々ある。

数年前にオーストリアの語学学校で短期受講したことがあるが、その時に他国からの受講生が使っていた「露独」「伊独」といった辞書は、まるで単語帳のようなもので、説明が殆どないのに驚いた。逆に言えば、縁戚にあたる言語の話者である彼らにはそれで充分なのであろう。

とにかく文句のつけようがないシリーズであるが、イチャモン大好き鍋屋町としては、どうしても書いておきたいことがある。

それはサブタイトルが「餘りにもアホらしい」ということである。

つまりサブタイトルを附けて並べると

英文読解術 東大名誉教授と名作・モームの「物知り博士」で学ぶ

英文精読術 東大名誉教授と名作・モームの「赤毛」を読む

英文翻訳術 東大名誉教授と名作・モームの「大佐の奥方」を訳す

オオモノ、真に優れた人に肩書きは要らない。英文学者として傑出し、特にモーム研究の大家である行方氏を凡百の東大名誉教授と一緒にすることは、非常に失礼である。東大教授や東大名誉教授だからアリガターイと思うのは軽佻浮薄である。営業政策とはいえ情けない。

注*:この本は1953年初版、64年改訂版発行なので私も高校時代に改訂版を使うてたのかな?と思ったが、どうも記憶に無い。今回購入して念のために行方氏の指示通りに該当箇所を読んで確認したが、よくできた文法解説書である。

説明や例文のあとに書いてある<<参考>>、「解説」が痒いところに手が届くようで、さらにうっかりミスをしないように、注意を喚起していて、「ああそうや、こういうニュアンスや!、用心用心」というのは何点か(具体的に何かは個人的秘密!)あった。活用していこうと思う

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 1日 (日)

比較で読みとくスラヴ語のしくみ

三谷恵子著 白水社 20167

白水社に「xx語のしくみ」というシリーズがある。シリーズでも全てを読む人はまずいないだろう。そのXX語の超入門というか、入門以前というか、紹介の本である。この本はそのシリーズの兄貴分、おっと姉貴分である。

読後感-というのは語学書に対して適当ではないかもしれないが-を一言でいえば、疑問に答えてくれるとともに更に好奇心を刺戟する本である。

文字と音のしくみ

語のしくみ

文のしくみ

からなり、全体で250ページ弱とコンパクトで読み通すことが期待されている。

記述はどの項目も2ページに収められている。これは「XX語のしくみ」に倣っているのだろう。あとで読み返すときなどに見やすいが、「紙面の都合上(涙)いきなり答えにいきます、、、」と書かれているところがあるように無理もある。惜しい、そこ(その理由)を知りたいと思うところが出てくる。

扱われている言語は日本人にも馴染のある(いや、ほとんど無いでしょうねえ)ロシア語から、大抵の方がおそらくその名すら耳にしたことが無いであろう上ソルブ語、下ソルブ語*まで多様である。当然ながら「共通スラヴ語」(祖語)やスラヴ語最古の文献である古教会スラヴ語**もでてくる。

本文中に出てくるキリル文字による綴りには多くは読み假名がふってあるが、キリル文字の知識なしに読み通すのは辛いかもしれない。(度々書くが、ロシア文字という呼び方は誤りである。)

古教会スラヴ語の文字(キリル文字にないもののみ)と音は冒頭に簡単に説明されている。IPA(国際音声記号)については最新版のあるサイトを紹介してあるだけで、説明なく使われている。

鍋屋町が、ほんの少し分かるのはロシア語だけである。これも運用能力はない。大学で第二外国語として最低限「可」を貰わないといけないので、授業に出てテストを受けて答案用紙に名前を書いた。実はこうすれば、最低限「可」が貰えるというのがロシア語選択の最大の理由であった。まあ白紙ではみっともないので多少何か書いた。今にして思えば、鉄にもっと役立つドイツ語にしておけば良かったかとも反省するが、落第してはなんにもならない。

また最近は漢語(漢族の言葉という意味、所謂中国語)が人気だそうだが、当時は選択肢になかった。まだ臺灣を切って中華人民共和国と国交を結ぶ前で、かの国の蒸気機関車の状況についてもほとんど知られていなかった。

の大学時代のロシア語の試験の思い出である。

ある学生「試験問題のY番が汚れていて読めません、取り換えて下さい」

ロシア語のU先生「君は新聞の印刷が汚れていたらイチイチ新聞社へ電話して取換えを頼むのかね?そのまま判読しなさい」

 まあ、答えに何が書いてあっても落第させない心算だから言えることである。

U先生は先年亡くなられた。イマドキこんな度胸のある先生はまだいらっしゃるだろうか?

本のご紹介から大幅に脱線してしまったので戻ります。

この本は其々の言語について概観するものではない。あくまでも比較し「しくみ」を見ていくことに重きを置いている。つまりこれを読んでロシア語とかポーランド語とはどんなものだということを知るのは無理である。其々の言語についての概要(もちろん超概要であるが)を知るには同じ著者の「スラヴ語入門」三省堂2011年がよい。というか日本語で読めるものとしては現在容易に入手できる唯一かもしれない。

一箇所だけ誤植というかミスを見つけた。

P.62 コラム 同じ音を表す2つの文字 のなかの表(チェコ語とポーランド語とロシア語で「狭い」と「ナイフ」を比較)であるが、ナイフのところロシア語がキリル文字表記の нож ではなくnožとなっている。これはロシア語のキリル文字のラテン文字翻字ではない。セルビア語だろうか?

 

注*:「神様がラウジッツを創造され、悪魔がそこに褐炭を埋めた」という諺がある。ドイツ語圏(ドイツ東部)に残された唯一のスラヴ語であるが、ラウジッツ地方の褐炭採掘、ナチによるソルブ語使用禁止、その後もコンビナート建設、外部からの労働者移入などにより消滅の危機に瀕している。上ソルブ語は南部でザクセン州、下ソルブ語は北部でブランデンブルク州である。

**:古代教会スラヴ語とも呼ぶ(木村彰一の名著タイトルにはこちらが使われている)が、日本語の「古代」が喚起するイメージほど古くはなく、9世紀から11世紀ころである。

 
あまらぼ鍋屋町

2017年9月27日 (水)

今更ながらロムニー(7)終点ダンジネスまで

ニューロムニーから先は単線である。

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これは車窓からではなく、併行する道路から海側を見た画像である。線路はこの画面とは反対側にある。一体何があったのだろう?残念ながら立入禁止である。

RH&DRは第二次大戦中は軍に接収され、装甲列車も走った。またフランスへの軍事目的のパイプライン建設にも使われた。なおパイプラインは後に撤去された。まあ、70年以上経過しているので、これらとは無関係なのだが。

終点附近は大きなループになっていて、そのループの突端にダンジネス駅Dungenessがある。
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この辺り一帯は自然保護区
Dungeness National Nature Reserveである。


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この地には燈臺が古くから設置されてきた。初代は
1615年製の木製とのことである。画面中央に見える黒いのは1904年完成のもので、現在はもう現役ではない。駅からすぐの所にあり内部見学可能である。

燈臺の右に原子力発電所が見える。燈臺に近い方がダンジネスA、さらにその右(実際の位置は奥)のはダンジネスBと呼ばれる。ダンジネスA1965年運転開始のものでで、現在は運転を終えている。ダンジネスB1983年運転開始で現役である。

ダンジネス駅で列車は暫く停車する。カフェはあるが、ニューロムニーのような鉄道模型や鉄道関係の展示施設は無かった。現在使われているダンジネス燈臺は画面左奥に見える白黒塗分けのもので、1961年製である。

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15インチ軌間の機関車のキャブはこんなのである。


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ダンジネス駅を発車して大きなループを廻り、もとの地に戻って行く。

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注:* ダンジネスA、Bいずれも日本の原子力発電所とは異なる原子炉を使っている。Aはマグノックス型(英国で開発、天然ウラン使用)、Bは改良型ガス冷却炉(低濃縮ウラン使用)である。何れも原理は黒鉛減速、炭酸ガス冷却である。一方、日本のは軽水炉と呼ばれ、軽水減速、軽水冷却である。軽水とは重水に対する言葉で普通の水のことである。なお減速とは原子燃料で効率よく核分裂を継続させるために、核分裂により生じた高速(速すぎる)の中性子の速度を下げることをいう。

RH&DRは終了。次は何にするかな。

あまらぼ鍋屋町

2017年9月24日 (日)

今更ながらロムニー(6)模型レイアウト

前述のようにニューロムニーではかなり停車時間があった。

ここにはビュフェと模型の展示がある.

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列車の発車までわずか数分しか残り時間が無かったが、模型はどんなのがあるかと中に入ってみた。
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小さなショウケースに分けての展示が多そうだ。断定せず曖昧な書き方なのは、とにかくチラチラと見渡しただけなのである。

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せっかくの小さなケースなら模型の前や後ろも観察できるようにしてくれるとアリガタイのだが、、、

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レイアウト*は当然イギリスで最もポピュラーな
OOスケールであろうと思ったのがが、なんとHOスケールである。**
これはハウウィCaptain J.E.P. Howeyのカナダ好きが反映されたものか?それともドーヴァー海峡、海峡トンネルを経て歐州大陸が近いことに因るのか?

にかく、時間が殆どなくてスナップ写真を数枚撮っただけである。是非再訪したい。

注:*毎度言うことだが、こういうのはジオラマと呼ぶのは本来の用法と異なり不適当である。

まあ、言語変化の歴史は「間違い、無教養が勝利していく」宿命にあるのだが。これはボヤきだすとキリが無いので別に書きま<せう>!

** HOスケールは1フット(1フィート)を3.5mmに作る、即ち1/87で歐州やアメリカで主流。

OOスケールは1フットを4mmに作る、即ち1/76でイギリスで主流。ゲージは16.5mmなので、ここはスケールに合わない。

では日本は?HOではありません、OOでもありません。1/80です。でも模型の箱にはHOと書いてあるではないか?ハッキリ言ってインチキ、ウソです。

私が屋下屋を架す解説をするよりも、詳細正確な解説が

https://www.imon.co.jp/models/hovs16.mbr/html

にあります。他にもありますがこれが一番充実していると思います。

あまらぼ鍋屋町

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