2018年6月18日 (月)

何とかと煙は (その1)

パソコンが絶不調でブログ更新が滞っています。

列車の写真は、列車全体がスッキリ見えて、機関車の形式や番号が確認できスタイルや特徴がはっきり分るのが望ましい。特殊構造・形状の機関車の場合は尚更である、、、、などと言っているが、実は俯瞰撮影しかも大俯瞰も大好きである。大学時代以来の悪友は高いところに登るのを私の名を採って「Tゴッコ」と嗤う。

以前ご紹介したウェイルズのヴェイル・オヴ・レイドル鉄道であるが、この3月と4月に再訪した。まずは3月であるが、これはまさに「Tゴッコ」の為であった。

この鉄道はウェイルズのアベラストゥウス*Aberystwythから谷に沿ってのぼるナローである。概要はヴェイル・オヴ・レイドル鉄道(その1)(http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/index.html)以降に書いた。

数年前に初めて訪問した際には友人のレンタカーであったが、雨のため途中までしか探訪しなかった。再訪で列車に乗った際に、大俯瞰ができるのではないかと谷の向こう側の斜面に注目した。それで英国の友人に地形図の入手を依頼したが、彼は5万分の1図ばかりではなく、この辺りのハイキングガイドブックも入手してくれた。

英国は鉄道用地はもとより、個人所有の農地も牧草地も全て厳重に囲われていて入れないが、ところどころにパブリック・フットパスpublic footpathがあり、そこでの散歩などを楽しむことができる。このハイキングガイドは地形図よりもずっと詳細に、当地のそれを解説してあった。

今年の3月に毎日4往復の列車が設定される週を狙って訪問した。オフシーズンは通常2往復である。

残念ながらお天気は写真のとおりであった。陰鬱な天気に慣れているはずのロンドンっ子が「ウェイルズは、、、、」と莫迦にする?くらいだから当然と言えば当然である。

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リクエストストップのレイドル・フォールズ
Rheidol Falls駅で降りて、まずは谷へ下ったのだが、この日はかなり降った翌日で、三脚を杖替わりにして(本来こんなことをしてはいけないのだが、怪我でもしたら大変だ)ソロソロと歩いたにも拘らず何度も滑ったり、尻餅を搗いたりした。

駅名のレイドル・フォールズは上の右の写真である。

川を渡って谷底の道路へ出てから今度は上り、滑りやすくてガイドブックの所要時間ではとても登れなかった。

見下ろしている区間は列車進行方向で表示するとアベルフルードAberffrwd~レイドル・フォールズRheidol Fallsである。
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下の蛇行する池は水力発電所**の下池、クーム・レイドル貯水池Cwm Rheidol Reservoirである。

別のイメージを求めて、崖を主体にしてみた。
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別の日にクーム・レイドル貯水池の畔から見上げて撮影した。
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少し花が咲いているところと樹に附いた水が光っている部分が混在している。

つづく

あまらぼ鍋屋町

以下蛇足

*:アベリストゥウイスと假名を振ってある地図も見かけるが、ウェイルズ語ではこの綴りの最初のyは軽くアと発音する。(ただしこの綴りの後に出てくるyはイの音でヤヤコシイ)

列車内のアナウンス等でもそう言っている。但しアベリストゥウイスと発音する英語人は多いし、それでもウェイルズ人には通じる。

**その名もRheidol Power Station 出力56MWで(日本のと較べると)それほど大きくないのだが、揚水式以外ではウェイルズ及びイングランドでは最大の水力発電所である。

水力発電所から丘を見上げる。登ったのは背後の丘の稜線、ずっとずっと右のほうである。
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2018年6月 5日 (火)

物語を忘れた外国語 (その4)

やはりイチャモン

第十章 太陽系共通語のルーツ

―、、、、そこには映画『惑星ソラリス』の原作で有名なポーランドのスラニス<ラ>フ・レムや、、、、―(<>は引用者による)

とある。

これはスラヴ諸語を専門とされる黒田氏らしくない珍しいミスだ。

この作家のポーランド語原綴りはStanisław Lemである。ポーランド語の<ł>は勿論Lに関連するのでこのような文字なのだが、現代ポーランド語では(英語で言えば)wの発音をする。*即ち、この作家は假名書きすればスラニス<ワ>フ・レムである。

黒田氏のために辯護すると、氏はロシア語訳で読まれたのかもしれない。ロシア語(で使うキリル文字)にはこの文字は無いのでLに相当するキリル文字Лで代用する。それでうっかりされたのだろうか。タイトルはСолярис(サリャーリス)である。何故ラがラлaではなくリャとなる(と表記する)かは話がずれるので別の機会に。

実は日本へは「ソラリスの陽のもとに」のタイトルで最初はロシア語訳からの重訳で紹介された。だから私が最初に読んだ訳でも「スタニスラフ」となっていた。その後沼野充義氏**によるポーランド語からの直接訳が出て「スタニスワフ」と直された。恥ずかしながら私は最初誤植かと思い、これが正しいと分かってからも、発音しにくいなあ!と思っていた。


また、このアンドレイ・タルコフスキー(ソ聯)監督の映画「惑星ソラリス」は見たが、異世界を象徴する画像としてなんと東京の首都高速道路が出ていたので吃驚するとともに、そのお手軽さに馬鹿馬鹿しくなった。まあ当時のソ聯と日本の表面的インフラ整備状況の差を考えると仕方ない面もあるのだろうが。

そして原作は「知能を持つ海」との対話の試みを主題とする哲学的なものであるのに対し、タルコフスキーの映画はその海が主人公の記憶から作った亡き妻とのやり取りの方が主要になり、表面的ストーリーとしては面白いかもしれないが、原作の深さをかなり損ねていると私は思う。個人的な好みではあるが、原作者のレムもタルコフスキーに激怒したとのことであるから、的は得ているのではないかと自負している。

21世紀になってできたアメリカのリメイク版「ソラリス」は見ていない。アメリカであんな哲学SFをちゃんと映画に作れるのかなあ?と思うからである。「それはお前の偏見に基づく豫断だ、見る価値あるよ!」ならばお教えいただきたい。

そろそろ鉄に戻りましょうか。

以下蛇足
* 以前書いたのと同様の繰り返しで恐縮だが、この<ł>の文字は日本人にも馴染みのある単語にも出てくる。まずは通貨単位のzłoty、殆どの方がズロティと仰り銀行の両替所でも所によってはそう書いてあるが、正しくは「ズウォティ」である。ちょっと古い#が連帯のLech Wałęsa議長、日本ではワレサと紹介されているが「ヴァウェンサ」である。これにはもう一つの間違いがあり、wはウではなくVの音で読む。また語尾にある場合はFの音になる。だからStanisławの最後のwも假名書きするとフである。

#ご本人は「俺は元気で活躍しておる!」とお怒りになるだろう。鍋屋町と10歳と違わない。
これらは虞らく英語経由で紹介されるためであろう。ロシア語同様英語でもLで代用するしかない。ポーランド語を知らない大多数の英語人は(そして他のヨーロッパ人もアジア人も、、、、、)Lの音で発音する。

**弊ブログの参考記事 http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-0f0e.html  

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 4日 (月)

物語を忘れた外国語(その3)

第八章 エストニア語行き星の切符

-、、、、架空の国があれほどリアルに描かれる一方で、物語では常に非現実的に描写される空間がある。 大学だ。 -

これは黒田氏が大学教師である(であった)からそう思われる部分が多いのだろう。分り易い例として挙がっているのは、教授を呼ぶときに本や映画で「教授!」だが、現実には「先生!」である。

「鉄」が文学作品を読むと、鉄道関係はマチガイのオンパレードで、少なくとも私には気になって仕方ないし、読むのも嫌になることがある。これについてのイチャモンは、たとえば

500系のぞみは最高時速240キロ?」 

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/500240-00d6.html

また本文ではなく解説の間違いに関しては「内田百閒電車を待つ」

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-cc02.html

で書いた。

第九章 マイ・フェア・言語学者

―『ピグマリオン』、、、、スウィートは音声学者として非常に優れていた、、、、、「彼にとって、熱烈な音声学者以外の学者は皆愚か者だった」というのだから、、、、―

「ピアニストには三種類しかない。ユダヤ人か、ホモか、下手糞だ」というホロヴィッツの言葉を思い出した。この分類に従うとマルタ・アルゲリッチも内田光子も下手糞になる。ホロヴィッツはウクライナ生まれのユダヤ人だ。

十三章 私的ソビエト文学案内

―チンギス・アイトマーノフ『一世紀より長い一日』、,,,の舞台は中央アジアのカザフである、、、たとえばエゲジイが働く退避駅は、、、、、二重の標記はボランルイがカザフ語で、ブランヌイがロシア語であり、、、、―

鉄道シーンがほんの少しでも、こういう本は読んでみたい。それに著者の名前が良いではないか!

それで若い時に見たソ聯のモノクロ映画を思い出した。何処で見たのかも、ストーリーすらも覚えていないが、中央アジアの乾燥地帯の虞らくはナローゲージのディーゼル機関車のシーンが印象的だった。ひょっとして、若くして亡くなったかなり年上の東京の友人の所で見たのかもしれない。かなり左翼的な人だった。ロシア語も誰かさんのように大学で仕方なくではなく、ソ聯への憧れから学んだようだった。彼は「鉄道模型趣味」の200号に「1号からの読者」としてほんの少し書いている。(なお鉄道模型趣味には最初の謄写版の1号~3号とその後の印刷の1号から-現時点の最新は917号-があるが、彼の場合は印刷の1号からであった)

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 3日 (日)

物語を忘れた外国語(その2)

第二章 ボッコちゃんの動詞活用 

「ボッコちゃん」がする鸚鵡返しに就いて

黒田氏は、―、、、、チェコ語訳には、おそらく訳者ですら気づいていない、興味深い点がある。― と書かれている。

星新一の「ボッコちゃん」はバーに居る美人ロボットだがお頭は空っぽで、たとえば「何が好きなんだい?」と訊ねられると、「何が好きかしら」と繰り返すだけ。しかしチェコ語に(というか英語以外の大抵のヨーロッパの言語に)翻訳するには、「好き」の二人称と一人称は形を変える必要がある。どの言語も大部分の動詞は規則活用するが不規則動詞もあり、よく使う動詞に限ってそうである。

チェコ語を話すボッコちゃんはこれらをしっかり覚えているわけだ。

ただ黒田氏は当然気づかれただろうが、煩雑になるので述べられなかったことがある。

御承知の通り日本語にも動詞の変化はある。しかし人称によって変化するのではなく、動詞の後にどんなものが続くかで変わる。日本語での活用は

 読む 読まない 読みます 読めば 読もう、、、、、という具合である。

客が訊ねる「○○かい?」とボッコちゃんが答える「○○かしら?」では○○の部分はたまたま同形である。しかし

 「○○かい?」に対して「嫌よ、○○しないわ!」と答えるロボットを作ると、○○の部分の形を変えないといけない。

 「食べるかい?」に対しては「嫌よ、食べないわ!」で「食べ」は変化しないが「る」が不要になる。そして

 「飲むかい?」に対して「嫌よ、飲まないわ!」となり「飲む」を「飲ま」と変える必要がある。

星新一はこれを上手に避けているのである。

 

なお、日本語の不規則動詞はたったの2つ、「する」と「来る」だけである。

日本語学習者が動詞を覚えるには否定形で覚えるのがよいと聞いたことがある。

「する」 なら する しない します すれば しよう (不規則)だが

「刷る」 だと 刷る 刷らない 刷ります 刷れば 刷ろう (規則)

「来る」 なら 来る 来ない 来ます 来れば 来よう (不規則)だが

「繰る」 だと 繰る 繰らない 繰ります 繰れば 繰ろう (規則)

つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 2日 (土)

物語を忘れた外国語

黒田龍之助 新潮社 20184

音を作ることが大切 http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-7106.html

に続いて黒田龍之助氏の本についてである。この本は17章および「はじめに」つまり事実上計18章でいろいろな本を紹介している。もとは小説新潮への連載とのことで、面白いとおもったところが多いが、私にはちょっとピンとこなかった箇所もある。もちろん意見を異にするところもある。少しご紹介しよう。

はじめに ライ麦畑の語学教師

スラヴ諸語の研究者だが、一番の専門はロシア語である著者がチェコ語で講演をすることになって、4カ月弱の期間にどういう準備をしたかが書かれている。やったことは基礎単語一万のPCへの打ち込みとチェコ語の読書だ。うーん、後者は思いつくが前者は思いつかなかった。後者はふつうチェコの文学作品をと思うがなんと星新一の作品集のチェコ語訳を選んだ。その理由はここで簡単に私が紹介するのは困難で本書を読んでいただくべきである。この本全体に通じるテーマでもある。前者の一万語はスラヴ語研究者ならでのレヴェルであろう。役に立って講演は成功したそうだ。もう少し具体的展開を知りたいが、話は本、読書、物語と言語の関係が主題となっていってこの興味深い準備の様子には戻らない。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第壱番の超印象的!オープニングテーマみたいだ。

それにしても、レイルマガジン編集者の言を借りれば「ドイツ語万年出戻り初級者」がドイツへ鉄に行く前にはどういうドイツ語復習が良いのだろうか?

全般

本の中の注について

海外のものを和訳したものには注が多く、逆は極めて少ないことが書かれている。これは数年前のNHK第二の「英語で読む村上春樹」を聞いた時にもそういう解説があったとおもう。解説は黒田氏ではなかったので念のため。黒田氏は小説の場合は鬱陶しいと感じていらっしゃるようだし、特に筋に関係なく推測できるなら要らないと考えられているようだが、私はそうは思わない。もちろん本文中に割って入るのは良くないが、欄外にあるのは良い。巻末だと参照するのが面倒だ。特にキリスト教関係や地誌・歴史に関する事項などの背景を知らずに、読み飛ばすとまずいとおもう。これは私が読むのは、小説・物語以外のものがほとんどなので、小説などにもそういう餘計な要求をするのかもしれないが。

いろいろと面白い本なので、、、つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年5月31日 (木)

電動車

電動車という語を見てどういうものを思い浮かべるだろうか?

善良なる非鉄の皆さんなら、電気自動車かな?と思われるかもしれない。あるいは身体障碍者や老人が使う電動カートか。しかし「鉄」なら、電車、正確に言えば電気動力の動力分散式の車輛編成*、のうち動力つまりモータがついている車輛のことだと言うだろう。

*英語にはEMU=electric multiple unitという言い方があるが、鉄以外の英語人にはまず通じない。日本語では電車としか言いようがない。

さて、あるところで鉄道用と比べるとかなり小規模の海底隧道工事の写真と解説を見た。そのうちの隧道内に管を敷設する工事で、運搬の手法について

―,,,立坑から降ろして搬入、シールドトンネル内では電動車により運搬し、溶接で繋いで敷設し、、、、― と説明している。

電動車に新しい語義を加えたようだ。

蓄電池機関車と書いても読者に理解してもらえないから、、、というより記事を書いた方が機関車という語をもう知らない可能性が高いと思う。今は鉄道車輛は何を見てもデンシャだけど、流石に人が乗らないのはデンシャとは言えないという意識が働くのか。

しかしちょっと待て、この説明文を書いたのは広報担当者だろう。そうすると単に現場で聞いた用語をそのまま使った可能性もある。

工事現場や建設工事業界では、(トロッコでは手押しイメージが強いから?)現在はこういうギョーカイ用語を使っているのだろうか?鉄でもそれこそトロッコを追いかけている人には当たり前のことで、「、、、EMUの中で附随車に対して電動車?うん、そういう用法もあるねえ」と仰るのだろうか?

あまらぼ鍋屋町

2018年5月25日 (金)

タイ鉄道と日本軍

―鉄道の戦時動員の実像 19411945年―

柿崎一郎 京都大学学術出版会 20181

日本が米国と戦争をしたことを知らない若者が居るという。広島、長崎への原爆投下は知らない人は居ないだろうから、これはちょっと眉唾ものである。

しかし、大東亜戦争*でタイと日本の関係がどうであったか?となると曖昧な方が多いと思う。それが証拠に、戦後日本がタイに輸出した蒸気機関車を戦後賠償と言う方が結構いらっしゃる。賠償とは戦勝国が敗戦国に課するものである。タイは日本の同盟国であったので、そうではない。

*:この呼び方は日本の野望を表しているのでアカンと言うことで、私の世代は太平洋戦争と教えられたが、これは逆に米国の視点による偏った呼び方である。とにかくまあアジアでの第二次大戦である。

では、逆にタイの若者はよく知っているか?となると、個人的経験ではあるが、泰緬鉄道は完成できなかった、と思っていた人が居たし、タイに空爆を加えたのは日本軍だという人も居て、少し心許ない。もちろん連合国が爆撃―非戦闘員殺傷を目的とする焼夷弾投下ではなく戦略拠点への爆撃である―をしたのであり、泰緬鉄道の建設は当初計画と比べると情けない規模のモノしかできなかったのであるが、、、、

それにタイが日本軍の侵攻・通過を認める前やその後も小競り合い(死者もでた)はあった。

平和ボケで軍や戦争のことについて日本人はよく知らないと言われる。私もその範疇に入る。戦争の話となると、どうしても航空機、戦車、船の話が詳しくなり、ドンパチの戦闘行為とその元になる戦略が注目される。あるいは逆に悲惨な捕虜体験である。

しかし、戦争のためには人をそこまで運ばなければならない。兵器が要る、弾薬の補給もいる。戦闘行為だけではなく、占領を続ける行為も必要である。相手に勝てば捕虜も居る。負けると上手く退却しなければならない。なにより人間は飯を食う。住居も衣服も要る。兵隊だけではなく非戦闘員もいる。考えようによっては代わりのある!人間よりも大切な燃料も運ばなければならない。これらはどうだったか?

「輜重輸卒が兵隊ならば、蜻蛉蝶々も鳥のうち」という戯れ言葉がある。如何に日本軍が兵站**を軽視したかという象徴である。

**:今は情けないことにロジといういい加減な英略語(正しくはロジスティックスlogistics)の方が通用し、輜重(しちょう)も読めない人が結構多いだろう。

この言葉は陸軍士官学校卒業生、つまり職業軍人であった父から聞いた。餘談になるが士官学校の少し上の年次に高木正雄という非常に優秀な生徒が居た。のち韓国大統領になった朴正煕であるが、当時から注目はされていたようである。

さて、その兵站に於いて重要な役割を果たす鉄道はどうだったのか?鉄道聯隊などの軍に属する鉄道は趣味の面でも注目を集めるが、一般の鉄道はどうであったか?占領した国ならば、資材などが許す限り軍が思うように鉄道を使える。しかし、(強制的に)同盟国となったタイにおいてはどうだったのか?

それを詳しく調査した本である。

―本書はタイ国立公文書館に所蔵されていた第2次世界大戦中の軍事輸送に関する豊富な資料を用いて、戦時中の日本による鉄道の戦時動員の全体像の構築と、それに対するタイ側の対応を明らかに、、、―(本書終章から引用、下線は引用者による)

日本は敗戦時にかなりの、殆どと言ってもよい、資料を破棄したので、資料はタイ側のものに頼ることになったのが、当然タイ語でありハードルが高い。著者はタイ語の教科書(その名も「教科書タイ語」(めこん))も書いていらっしゃるほどの方である。そして何より大事なことは著者はタイで学ばれただけではなく、鉄道ファンでありタイ全土を(おそらくは何度も)旅行されているのである。

の本は学術書であり決して読みやすい本ではない。論証のために少しくクドク書かれているところもある。またタイの地名に馴染みのない方は、添えられている地図や略図と見比べて読み進める必要があるだろう。幸い私はタイの鉄道はマレーシア国境の一区間を除いて完乗し、区間によっては何度も乗っているので、鉄道沿いの地名だけには馴染みがあり、この点では苦労しなかった。もちろんその町をよく知っているという訳ではなく、こんな感じの駅だったとか、静態保存の蒸機を撮るために降りた場合は駅附近の町はどんなだったとか、宿泊した場合は汚いホテルだったとか、そういうドーデモエエことばかりであるが。

読み進めるのに全く支障はないが、本文の注は当該ページに附されていてタイ語文献の名がどんどん出てくる。これはラテン文字転写で書かれているが、それがどういう意味かは英語でも日本語でも示されていない。巻末の引用文献リストのタイ語文献名はタイ文字とそのラテン文字転写のみで書かれている。逆に引用文献リストの外国語!文献名はごく一部の英語を除き日本語のオンパレードである。

なおタイの鉄道に関しては同じ著者による

「王国の鉄路」 京都大学学術出版会 学術選書048 

がある。本来はこちらをご紹介する文を先に書くべきであったのだろうが、弊ブログを始める前の2010年の出版であり、時機を逸してしまった。

また、タイに関する予備知識を得るには同じ著者の「物語 タイの歴史」(中公新書)をお勧めできる。

あまらぼ鍋屋町

2018年5月19日 (土)

ねじり橋 ついでに

技手

ねじり橋こと六把野井水拱橋、こんな銘が埋め込まれている。
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並んでいるうちで一番エライ人が専務取締役である。そして主任技術者、監督技手、、、と続く。今は技手などという言葉も目にしなくなった。漱石の「坊つちゃん」の末尾、主人公「坊つちゃん」は東京に戻った後、ある人の周旋で「街鉄の技手」になった、とある。専門学校(物理学校)卒では技師にはなれなかったのである。もっとも物理学校は現在は東京理科大学である。

古い言葉ではあるが、私が某社に入社し、数か月後に正社員になった時の辞令には

「 ○野×助 社員に登用する。 △級とする。 技手とする」

とあった。私は某大学卒であるが、大卒も値打ちが下がって!技師ではなかった。高卒で入った人は「技手補とする」であった。

△級というのは給料に関係するのだが、技手とか技手補の資格(?)はもう有名無実であった。級が上がるにつれ、勤続年数が増えるにつれ、技師補、副技師、技師、上級技師と上がっていく仕組みであったが、数年後にこういう意味のない資格呼称制度は廃止され、私は技師にはなれなかった。

さて、ご多分に漏れず北勢線の列車は普段はガラガラである。ただ朝や昼下がりには通学客で満員の場合もある。車でしか撮影に行ったことのない方はこういう実態をご存じかどうか、、、、

国や自治体が関連道路を拡げ―こんなことに矢鱈税金を使わないでほしいのだが―、少子化がさらに進んで通学生がもっと減少し、現在の沿線自治体からの暫定的な支援が無くなるまで、、、あと何年の猶予があるか分からないが、せいぜいこの鉄道を楽しむことにしよう。

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こんな注意札(スズメバチの巣)もあるので気を附けないといけない。

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今の季節だけ、夕方かろうじて築堤の北側に陽が当たる。

あまらぼ鍋屋町

2018年5月18日 (金)

ねじり橋(三岐鉄道北勢線) 続

ねじり橋を反対側(南側)から見る。
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この橋が跨ぐのは、
1601年桑名城主本多忠勝が着工し1635年に完成した全長12kmの六把野井水である。4世紀に亘り田んぼに給水を続けている用水に較べると、北勢鉄道以来100年の歴史を持つナロー鉄道といえども新参者である。

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アングルによってはとても鉄道橋とは見えない。

井水であるが、「せいすい」あるいは「いすい」と読んで井戸水を言うことが多いのではないかと思うが、ここでは灌漑用水のことである。

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田植えの時期であるからか、ちょっと恐怖感を抱くような水量で流れていた。

そしてこの六把野井水であるが、「ろっぱのゆすい」と「ろっぱのいすい」(三岐鉄道ウェブサイトなど)の2通りの読みが見られる。 

三重県のホームページ(サイト)では、六把野井水は見つからなかったものの、南家城川口井水に「みなみいえきかわぐちゆすい」と假名を振っている。いろいろこの地方のことを調べていくと、大井と書いて「おおゆ」と振り假名のあるものもあった。井を「ゆ」と読むのはこの地方独特の読み方なのだろうか?あるいは私の教養不足で各地にあるものだろうか?

なお北勢線にはかつて「六把野駅」があった。これは穴太(あのう)駅と北大社(きたおおやしろ)駅の間であったが、この場所は六把野新田で、その区域は広くない。あるいは他の地名がどんどんできて(古臭い地名!)新田が狭くなったのか?ともかく六把野新田からこの六把野井水拱橋までは7~8km離れている。六把野というのはもっと広い区域を言ったのであろう。

六把野駅は北大社駅と統合され東員駅ができ廃駅になった。歩き鉄には多少なりとも不便になった。もっと不便になったのは楚原駅と終点阿下喜駅の間(約6kmある)にあった上笠田駅と六石駅が廃止され、いまやこの間には麻生田駅だけになったことである。この大築堤なら良いが他の撮影地を選択した時、往きは張り切って歩くのでそれほど感じないが、撮り終えて帰途に就くとき、特に成果が<今市どころか宇都宮>であったときは楚原に戻るにしても、麻生田まで進むにしても、実に遠く感じる。

あまらぼ鍋屋町

2018年5月17日 (木)

ねじり橋(三岐鉄道北勢線)

珍しく国内鉄です。

我家から簡単に行けるところにナローらしいナロー、貴重な762mmゲージ路線がある。そして人気撮影地までは、名古屋駅からワンコインとは行かないが500円玉三枚で往復できる*。電化路線ではあるが、まあアリガタイことである。

それは三岐鉄道北勢線、そしていつ行っても鉄の居る撮影地は楚原駅から麻生田(おうだ)方面へ1kmほどの所にある大築堤である。

(*:近鉄で行くとJRよりも片道90円餘計にかかるのでオーヴァーする。近距離なのに随分差がある。)

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この大築堤に二つ橋がある。一つは俗称めがね橋。20180510dsc_1484_2

 

何にでもイチャモンを附けるが、三連でメガネとはこれ如何に。手塚治虫の漫画に「三つ目がとおる」というのがあったが、彼が使うメガネかな?

正式名称は明智川拱橋である。「拱」は両手を胸元で組合せること、つまり拱橋(きょうきょう)とはアーチ形の橋のことである。また「拱手」というと昔の支那のお辞儀の仕方である。このような漢字語があるのに、カタカナ語の方が分り易いのは(我ながら)情けない。

もう一つの橋はこれ、ねじり橋。普通の鉄道写真(列車写真)は撮りにくい。全編成を入れると橋の特徴が分からない。
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ぐっと近づくと
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正式名称は六把野井水拱橋である。

橋は1916年竣工、コンクリートブロック製。個人的には煉瓦積みのねじり橋ほどの風格を感じないが、コンクリートブロック製は現存する唯一と言われている珍しいものとのこと(三岐鉄道ウェブサイト)画面下に見える用地境界標、近鉄マークが入っている。これが三岐鉄道のものに取り換えられることは今後起きるのだろうか?
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長くなったので、、、つづく

あまらぼ鍋屋町

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