2018年2月17日 (土)

原爆のための蒸機

ちょっと(どころかメチャメチャ)大袈裟なタイトルであるが嘘ではない。

独逸のナロー鉄道で最も有名なものの一つ、モリMolliという愛称を持つMecklenburgische Bäderbahn(敢えて訳せばメクレンブルク海水浴場鉄道!?)の写真を数回に分けてご覧いただくが、最初にこの話題をご紹介する。

この鉄道はバルト海に面するかつてのハンザ同盟の都市、軍港でもあるロシュトックの西すぐの所にあるバート・ドーベランBad Doreranからオストゼーバート・キュールングスボルンOstseebad Kühlungsborn(終着駅はキュールングスボルン・ヴェストKühlungsborn West)まで15.4km900mmゲージの鉄道である。

この鉄道自体の歴史については後にご紹介することにして、これが現在のキュールングスボルン・ヴェストの発車シーンである。
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ここでちょっと右を向くと一台の静態保存蒸機が見える。
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99 332(のち99. 2332-7)カールマルクス機関車工場(LKMLokomotivbau Karl MarxもとはOrenstein & Koppel1951年製、製番30013である。99 331はまだ生きているらしいが見なかった、99 333は廃車解体された。

現場の説明板には何も書いていないが、この機関車はこの鉄道の生え抜きではなく、なんとウラン鉱山の鉄道から僚機2輌とともに1961年に来た。
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話は大きくかわるが、アメリカは1939年からのマンハッタン計画で原爆を開発し、広島でウラン原爆を、長崎でプルトニウム原爆を実戦使用した。同じ連合国のなかであったが社会主義国ソ連は自由主義圏の英米仏などとは相容れない存在であり、アメリカに対抗して原爆開発に邁進した。ただしソ連領内では当時はウランが採れず、チェコスロヴァキア(現在チェコ)や東独逸南部での採掘が進められた。のちにソ連領内でも発見されるが充分な量ではなく、ウランの存在が東欧支配の大きな理由であるという説もある。

この機関車の最初の職場がその東独逸のウラン鉱山ヴィスムート(SAG/SDAG Wismut )であった。ソ連の支配下にあった国や地域では最大の産出量を誇った。この機関車について、特にその歴史や上述の鉱山などについて現地で本が無いかと駅などで探したが、見附けられなかった。もちろん都市の大きな書店ならヴィスムートやその他の鉱山の本はあるだろうが、鉄道特に蒸機との関連を述べたものは難しいだろう。保存鉄道なら、その保存団体などが多少でも収支向上に貢献しようと良い(少なくとも鉄に興味深い)冊子や書籍を販売しているのであるが、ここはほぼ完全に観光鉄道となっているためか、その手のものはなかったのである。

ソ連の原爆の完成はアメリカなどの予想よりはるかに早く、1949年であった。従ってこの機関車が運搬したウランが最初の原爆に使われたわけではないが、その後の原爆製造には大いに寄与したことであろう。

子供の頃を思い出すと、どの国も核実験は空中で平然と行っていた。今はならず者国家の北朝鮮ですら地下実験であるから、まさに隔世の感がある。もっとも北朝鮮には空中実験に適した砂漠や海が無いのも事実であるが。

ソ連は次々に超大型の水爆実験を行うので、子供心にも恐怖感があった。キロの上の接頭辞メガ(百万)が一般人に広く知られるようになったのは、原水爆の核出力メガトン(TNT火薬換算)というコトバからであろう。

また今ではちょっと信じられないが、左翼の中には「米英の原爆は戦争のため、ソ連中国のは平和のため」などと言う莫迦が本当に実在した。もっとも、その延長線上にあるのか近隣国に肩入れし、やたらに自国を蔑にするどころか寧ろ敵対すらするマスコミ、学者、文化人?なるものが今も結構な数存在するようだが。

あまらぼ鍋屋町

2018年2月 5日 (月)

懐かしい紙幣と硬貨

三菱東京UFJ銀行貨幣資料館には、現代の紙幣や硬貨も展示してある

小学生のときに五千円札、一万円札が相次いで発行された。先にも述べたが当時は高額札と言えば聖徳太子だった。まあこれらの写真はやめておこう。

板垣退助の百円札は懐かしい。高校生の頃に大阪では次第に少なくなってきたが、大学生になって北海道に鉄に行くと、盛んに流通していた。学生時代最後の鉄旅行ではピン札の百円を何枚も集めた。しかしのちに金が無くなって使ってしまった。

一円はアルミの一円しか記憶が無い。ごく幼いころは旧の黄銅貨や紙幣だったはずだが記憶が無い。五十円の紙幣も覚えていない。展示によると流通枚数は少なかったとのことだが、物心ついてもカネにさわる環境ではなかったのか。もっとも五十円ともなると子供には縁のない大金だ。

五円は穴無しのがまだ多く流通していた。自分の生年より古いから、それだけでアリガターイと思った。鉄になって古い車輛や建造物を見るときの心理もこの延長線上にある。
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十円はギザ、そのうちにギザなしになり、それだけの差で値打ちが下がったような気がした。

五十円はニッケル、最初は穴無し、ついで穴あきになった。これも穴あきの方が値打ちが無いと思った。
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貨幣資料館で見ると記憶ほどは大きくない。現行の五十円硬貨が出た時に、十円より小さいあまりのみすぼらしさに吃驚したものだが、その反動で以前のは大きかったと思い込んだのかもしれない。

お菓子を買いに行くときは十円玉を数枚持っていった。今と違ってパックではない。みな量り売りである。「おばちゃん、○○、50匁(もんめ)チョーダイ」メートル法ではなかった。

大阪でも駅の自動販売機が登場した頃である。全て単能機で、国鉄では運賃別に何台か並んでいた。餘談になるが、大阪市営地下鉄は全線均一15円で大人小人の区別がなかった。だから大人20円、小人10円の設定になった時は、私には値下がりだった。運賃の値下げは生涯ただ一度の経験だ。

自動販売機は当初はレヴァーが附いていて、金を入れたあと、そのレヴァーをガチャンと引き下げると切符がコトンと出てきた。このレヴァー式はすぐに姿を消した。小松左京の「紙か髪か」にこのレヴァー式のシーンが出ている。貴重な文献!だ。もっともこのショートショートではレヴァーをガチャガチャやっても切符が出てこなくなったのである。何故かは原作をお読みください。

あまらぼ鍋屋町

2018年2月 3日 (土)

五十銭銀貨、一銭銅貨

五十銭銀貨は次の落語にも出てくる。

「足上り」

足が上がるとはイマドキ聞かない言葉であるが“馘首”になること。四谷怪談を背景にした芝居話である。しかし上方落語の通例で怪談と言っても少しも怖くなく馬鹿馬鹿しいのである。大店の番頭が店の金を使い込んでの芝居見物、お附きの丁稚を先に帰す。主人にことがバレテしまう丁稚と主人のやりとり、番頭が帰ってきてから丁稚とのやり取りと、大作ではないが面白いシーンの連続である。以下は丁稚が先に帰る場の独白である。同じく「特選!!米朝落語全集」東芝EMIから引く(第五集

帰りに小遣いまでもろうた。、、、、紙に包んで二枚。、、、、五十銭銀貨やったら一円。そんなべらぼうなこと、、、、。そやけど穴はあいてないさかいに、五十銭銀貨やなかったら、、、、二銭。

、、、、、縁にギザギザがあったら五十銭銀貨やし、ギザギザが無かったら一銭玉やし、ギザギザが、、、、あるある。

その五十銭銀貨と一銭玉(銅貨)である。(三菱東京UFJ銀行貨幣資料館)
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時代が下がって両者が小さくなっても同じような大きさである。
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展示には全ての硬貨が網羅されている訳ではないし、各2種類のみ挙げた)

展示に寸法は書いていないが見較べるとほんの少し五十銭が大きいようだ。しかし単独でしかも手探りでは、ギザしか違いが判らないだろう。今の貨幣だと触ればすぐ区別ができるから、こんなセリフは成立しないし、第一お小遣いに貨幣はあり得ない。

日本はチップの習慣が無い幸いな国であるが、海外では悩まされる。食事の後に小銭を残す場合は別だが、何かを頼むときのチップに硬貨は失礼だというのが通念である。アメリカで最近は一ドル硬貨も流通しているが、一ドル札がいつまでも存続しているのはチップに便利だからとの俗説がある。イマドキもう1ドルではチップにならないから、硬貨を流通させるようになったのか?

あまらぼ鍋屋町

2018年2月 1日 (木)

武内宿禰壹圓札

落語を聞くと、時に昔のお金の話が出てくる。

「二人ぐせ」

変な口癖のある二人、一人は何かあると「飲める」(それで一杯飲める)という。もう一人は何かあると「つまらん」という。前者は「人間が卑しい見られる」、後者は「陰気な、いやーな気になる」と、互いにこれを直しあいしようとする。(以下の対話部分は「特選!!米朝落語全集」(第三十九集)東芝EMIから引く)

「ただでは直らんわい。どや、一回言うたら円スケちゅうのは」

-ええ

「一円の罰金ちゅうねん」

、、、、

「、、、、、武内宿禰一枚、なあ」

-、、、あっさり言うけどなあ、お前。五十銭銀貨二枚枚いうたらかなりのもんやで、お前。、、、、、

あとどうなったかは、落語をお聞きいただきたいが、私が気になっていたのは、武内宿禰の壹圓札と五十銭銀貨である。いつ頃の話だろう?

まあ、この話は時代設定をいつにしても違和感を感じさせないものであるが、60年代から80年代半ばまでは同時代の設定にするとやり難かったはずだ。この頃は千円も、五千円も、一万円も、高額紙幣が全て聖徳太子であった。

しかし、現在のことにして、「福澤諭吉一枚」「樋口一葉二枚」でもあまり面白くないと思う。やはり紙幣と硬貨でないといけない。

この紙幣や硬貨を見に三菱東京UFJ銀行貨幣資料館に行った。この博物館はずっと昔は栄の東海銀行本店にあった。貨幣の展示だけでなく、歌川廣重の「東海道五十三次」の浮世絵をおよそ2カ月毎の展示替えで見せている。展示替えがあるたびに案内が来るので、散歩買い物がてらこの版画展示を見に行くのだが、今回はしっかりとお金の展示も見てきた。

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武内宿禰壹圓札の時代は実に長いことが分った。傳説上のご本人も何代もの天皇に仕えた長寿者であるから、それに倣ったのか?1889年に発行開始、当初は番号が漢数字であったが、1916年からアラビア数字になった。

兌換券なので金に(日本は実質的には銀本位制だった、金本位制は1897年から)交換してもらえるが、なんとその旨を裏面には英語で書いてあることはこれを見るまで知らなかった。

1943年から同じく武内宿禰の図柄で(但し肖像が中央)壹圓札が出ている。しかしもう五十銭が銀貨の時代ではない。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月29日 (月)

タイ 見かけた気になるもの

今回の訪問で見かけ気になっているものをご紹介する。

謎(大袈裟な!)を解明しておらず、写真をご覧いただくだけしかできず恐縮です。ご存知の方あるいは関連する情報をご存知の方のご教示を戴ければ幸いです。

まずはバンスーBang Sue機関区                      

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ちょっと前に書いたように新駅の建設工事が進んでいて、バンスー機関区の周りのものが無くなってきた。それで見えるようになったのだと思われる。

手前の塗分けの丸っこいディーゼル機関車はダヴェンポート製のもので、両運転台タイプとDD50のような片運転台タイプががある。画面に見えているのは両運。数年前には北線のウッタラディットUttaradit駅、シラアットSila At駅の入換・小運転に片運のが使われていたのを見ている。

問題は背後の茶色の機関車

通風機の特徴的な形態からズルツァーSulzer(瑞西)製の501号機から506号機のいずれかではないかと思われる。(通風機についてご教示いただき、形式図を見せていただいた、海外鉄道研究会のAさんに御礼申し上げます)

残念ながらバンスー機関区は警備が厳しい。以前、門の傍に飾ってあるコッペル(元メークローン鉄道)を撮影するのにも守衛から正式な撮影許可を要求され、随分苦労した。

そしてこれ

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タイを近代化させた名君チュラロンコーン王(ラーマ
5世)

日本で言えば明治天皇と当時の主要政治家たちの活動を兼ねて自身で行ったと考えればよいかもしれない。明治天皇と時期的にもだいたい重なる。タイが英佛などの植民地にならずに済んだのは彼の功績が非常に大きい。ビルマやヴィエトナムのその後の苦難の歴史と、現在も残る経済発展の差を考えると、当たり前とはいえ独立維持は素晴らしいことであった。

今も非常に尊敬されていて肖像画や立像がいたるところにあるし、命日(1023日)はチュラロンコーン大祭として祝日である。そして鉄はこれを忘れてはならないが、鉄道の建設(バンコクからナコーンラチャーシーマーへの最初の国営鉄道、標準軌!)*1にもかかわっている。現在の鉄にとってもっと大事なことは1023日に蒸機特別列車が運転されることか(年4回のうちの1回)

でも、どうして年代的には全く重ならないC56と組み合わせて、、、、、 *2

タイ王室と言えば多くの方が思い出すのがユル・ブリナー主演の映画「王様と私」(これはリメイク)かもしれないが、王様が父王のラーマ4世、王子がのちのチュラロンコーン王である。ただしタイでは不敬として上映禁止である。*3

*1:タイの最初の鉄道はパクナム鉄道(フアランポーン-パクナム、1893年、

1960年廃止)

*3:チュラロンコーン大王 18531910

 C56製造 193539年 軍事供出は1941

*3:タイには不敬罪がある。独立の法ではなく刑法の中に条文がある。まあ、ここの読者はタイに行くとしても、鉄をしに行くのであって、しょうもない政治活動をする方はいらっしゃらないと思うが。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月27日 (土)

タイ 懲りずにメークローン線 東線終点マーハチャイ

まずは駅本屋正面。タイではあらゆるところに国王の肖像画が飾られている。現在は「いまだ前国王のみ」「いまだ前国王と王妃」「新国王のみ」といろいろあるが、ここは新国王の肖像画が前国王・王妃の間に掲げられている。徐々に変化していくだろう。
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西線の終点メークローンMae Klongの線路上に拡げられる露店はFolding Umbrella Marketとしてあまりにも有名になり、観光客が多すぎで最早まともな写真が撮れる状態ではない。

東線の終点であるこのMaha Chai駅は市場の中にある、という表現が正しいのか、市場が駅の中に侵入してきたという言い方が正しいのか、東南アジア的混沌そのものの駅である。ただしほぼ全面的に屋根に覆われているし、ホームが阪急中津並みなので撮影は困難である。
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近年、駅の東側の線路上に露店が並びだした。数年前のバンコク居住時代にはこんなことは無かったのだが。

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列車の発車直前になってもまだこんな状態で

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やっと発車
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念のために附け加えるが、タイの車輛のトイレは60年代以前の我が国と同じである。この日本製気動車ももちろんそうである。

もともと観光客の多いところではあるが、以前は線路上の露店が無かったからそこには当然ながら殆ど観光客もおらず、駅の前の道路のマーケットから、フェリー乗り場の方に多かっただけである。

他の撮影者が画面に入った写真は鉄道写真として価値ゼロである。この男は直前にすっとこの位置に入って構えた。鉄かどうかは分からないが、カメラの構えはしっかりしている。
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やはり私には鉄道の利用者も、鉄道員も、誰も居ない写真が性にあう。人を入れての写真が上手い人は尊敬する。

駅を出てすぐ東に以前の気動車(ご覧のとおり日本製)が長年放置されている。背後は最近できた建物だ。
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あまらぼ鍋屋町

2018年1月25日 (木)

タイ 懲りずにメークローン線 プロム・デーンからコック・クヮイ

バーン・ナム・チュットBang Nam Chuet~プロム・デーンPhrom Daen

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ヨーク見ると緑の向こうに建物が、、、、

いろいろな漁の方法がある。趣味の釣りに来ている人間もゼロではなさそうだが、大抵は食べるために捕る。

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もう少し列車が見えるように草刈りを始めてみたが、ゴミが目立つようになるだけなので止めてしまった。蒸機の場合とは我ながら呆れるほど熱意が違う。後ろの白い建物は処分すべきかどうか。

コック・クヮイKhok Khwaiの少し南西(バンコームBan Khom側)

ここも水路が整備されて、大袈裟に言えば新しいアングルができた。
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あまらぼ鍋屋町

2018年1月23日 (火)

タイ 懲りずにメークローン線 サム・イェーク附近

ちょっととばして南へ、水辺を走るところである。前にもこの辺りの写真をご紹介したが別アングルのを。鳥取の砂場を砂丘と言えるなら、ここは立派な水郷であろう。

サム・イェークSam Yaek ~ プロム・デーン Phrom Daen
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この手摺の無い立派な!道にバイクも走る。子供が溺れるなんていうことは起らないのだろうか?美しい水!を見ていると、幼稚園の頃だったか工場の廃水層に落ちたのを思い出した。かなり粘度があってすぐ沈まずに済み、助かった。

ラン・ポRang Pho ~サム・イェーク
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運河扱いなのだろうか、それとも洪水対策なのか。ごく小さな川だったのが改修拡幅されて北へ延長されようとしている。延長工事の所は重機がいるだけなので写真に撮らなかったが。

今回はラン・ポには降りなかったが、1時間ヘッドで運転している時はほぼ中間点のここが交換駅である。信号機もないし、タブレット交換も無いので写真的には詰まらない。

車上信号?そんな高級なものはない。運転指令と目視確認だけ。だから待っていた列車は対向列車が駅へ進入してまだ止まらないうちにズルズルと動き出す。だからどうしたと言われても困るが、その背景を知ると知らないでは、、、、、、

あまらぼ鍋屋町

2018年1月21日 (日)

タイ 懲りずにメークローン線 タラート・プルーからワット・サイ

タラート・プルーTalat Phlu駅とクロン・トン・サイKhlong Tong Sai駅のほぼ中間でBTSシーロム線がオーヴァクロスしている。BTSのウターカートWutthakat駅は西へ300m餘りのところにあるが、メークローン線には駅もないし相互の連絡なんぞは無い。
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BTS
は頻繁に走っているが、メークローン線は後ろ向きで妥協しても30分に一回。タイミングは合わない。

クロン・トン・サイまでの間には、切取りようによっては街中と思えないような所もあるのだが正面写真しか撮れない。
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クロン・トン・サイは朝夕しか列車が止まらない。その少し南の踏切である。日本では自転車乗りが横着な運転をするが、東南アジアではモータバイクも横着である。タイでは右側通行なのか左側通行なのか分からないような情景である。
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次のチョム・トン
Chom Thongも朝夕しか列車が止まらない。運河を越える橋を挟んで両側にプラットホームがあり、東側のプラットホームは東行き(ウォンウィエンヤイ行き)、西側のは-もしこれをプラットホームと呼べるならというような酷いものであるが-西行き(マーハチャイ行き)が止まる。

此処は何回か撮っているので、別アングルのをと工夫したが、、、、(イマイチどころか)宇都宮か
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チョム・トンとワット・サイ
Wat Saiの間ではほんのちょっとサイドに寄れる所がある。

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汚いドブだが幸い写真に臭いは写らない。臭いを感じるような写真を撮れないといけないのかな?

あまらぼ鍋屋町

2018年1月19日 (金)

タイ 懲りずにメークローン線 タラート・プルー

タラート・プルーTalat Phluの駅本屋はちょっとしゃれた建物である。
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最近はどこでも地鶏が名産である。新聞か雑誌を見ているので、それに紹介でもされたのだろうか?

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珍しくスッキリと建物内から列車を取れると思ったが、、、、直前にオバサン、失礼お客様が、、、

タラート・プルーの直ぐ西で道路がオーヴァクロスしている。道路がメークローン線をオーヴァクロスする所は東線で他に3ケ所、西線で1ケ所あるが、記憶の限り歩道が併設されているのは此処だけである。大きな道路なので歩道は東と西に別々にある。まあ、上から見下ろせるというだけでマトモな写真にはならないが、一応記録として。

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東側歩道上からタラート・プルーを発車する列車を見下ろす。


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西側歩道上から、道路の下をくぐってタラート・プルーに進入しようとする列車を見る。

あまらぼ鍋屋町

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