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2017年3月

2017年3月27日 (月)

PCトラブルのため更新見合わせ

ブログ用に普段使っているPCのトラブルのため、更新を当面見合わせます

このモーバイルからならできるのですがやりにくいので

メイルのやりとりやブログを見ることには問題ありません

あまらぼ鍋屋町

2017年3月21日 (火)

ケーブルカー博物館

若い時には、というかかなり最近まで、海外で博物館(もちろん鉄道博物館)にはあまり食指が動かなかった。日本ならともかく貴重な時間と安からぬ金を掛けて海外で撮影する場合は、そんな時間があれば、少しでも走行写真を撮りたいと思っていたのである。しかし最近は考えが変った。残り時間を考えると、効率的にいろいろと‐特に基本的なことを逃さずに‐知識が得られ、良い本や資料が見つかることも多い博物館はできるだけ行ったほうがよい思うようになったのである。車輛の各部を細かく観察できるのもよい。

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前回
81年には当然ながらこの博物館は訪問しなかった。この博物館はケーブルカーのパワーハウスで、‐何と訳せばよいのだろうか、動力建屋*か-内部を安全な中二階の歩廊から直接見られるようになっている。
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ビームにそれぞれのケーブルの道路名が書いてある。

中二階のところに古いケーブルカーや多くの部品、写真などを展示している。ちらっと見えている車輛に近附くと

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サターストリート鉄道Sutter Street Railway 46号 grip car。さすがに観光都市でここも参観者が多く、お嬢さん(多分)が左に写っているが蒸機ではないので妥協した。

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同鉄道のトレーラー 54

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サンフランシスコ最初のケーブルカー会社クレイ・ストリート・ヒル鉄道Clay Street Hill Railroadgrip car 8号 これが唯一の生き残りとのこと

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地価の設備をガラス窓越しに見せている。ここから道路下へケーブルを送り出し、引き込む。

金網がどうしても写りこんでしまった。f値の小さいレンズを使えばもう少し目立たなくなるだろうが、こういうシーンは滅多にないので、その為に高価で重いレンズを購入するわけにもいかない。ご容赦を。


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パワーハウスの北側は一体建物の続きで車庫である。残念ながら立入禁止。見たところ業務用車輌や(おそらくは)従業員の車の駐車が多くて撮影は難しいだろうが。やはり華人が多いのだろう、漢語(漢族の言語、所謂中国語)の表記が繁体字で面白い。**


博物館の開業は
74年である。82年からの大改修の時にはこの建物に限らず、外部外壁は保たれて内部を改修している。街並みに溶け込んだ雰囲気が良い。某国ではこういう時につまらないコンクリート建物にしてしまうことが多いが。

博物館には売店もある。実はここでSan Francisco Grippersという写真集を見附けられないかなあと淡い期待を抱いて行った。前回訪問時にどこかの書店で見て、良いなあと思ったのだが、価格もさることながら、大部の本でその後持ち歩くのも大変なので諦めたのである。

サンフランシスコではケーブルカーの運転手はdriverなどではなく grip manという。たしかにdriveするのはパワーハウスにある動力源であり、それを伝えるケーブルである。車輛側では掴むだけだから理屈に合っている。その本ではgrip manではなく、上述のようにgripperとしていた。

*:東日本大震災以来一般の単語に昇格?した一つが建屋というギョーカイ用語であろう。

鍋屋町はいつも使っていたのでギョーカイ用語という認識はなかったが。

**:写真を拡大しても見えないかもしれないので注記します。

建物に張り附けてある黄色の注意札に「 當心纜車」とある。當は当の正字、䌫(ラン)は綱、縄つまりケーブルのこと、

餘談だが、電纜は電気ケーブルである。「XX電線電纜」などと言う渋い名前の会社もあったが今はもうカタカナのチャライ名前に変えてしまっただろうか?

あまらぼ鍋屋町

2017年3月19日 (日)

サンフランシスコのケーブルカー

サンフランシスコのケーブルカーに就いて、今更ご紹介の必要はないとは思うが、いきなり写真を羅列するだけではあまりにも能がないので、簡単に書いておきます。

ここのケーブルカーは地下に敷設され循環しているケーブルを車輛側から掴み移動していく方式であり、日本語では循環式と称している。それに対してケーブルの両端に車輛を固定して上下させるもの(よく見るやつです)は交走式という。なお英語のcable carは日本でいうロープウェイaerial tramを指すこともあるので要注意である。

最初の線の開業は1873年、その後どんどん増えて最盛期には8社もあった。軌間も現在残る3フィート6インチ以外に5フィートや標準軌があり、ケーブルのグリップ方式も今とは異なる方式もあった。後者のグリップ方式では分岐が渡れなかったので今の方式が普及したとのことである。

1906年のサンフランシスコ大地震でケーブルカーシステムも大きな被害を受け、多くがトロリーバスに変った。第二次大戦後全廃という動きもあったが、反対運動により全廃を免れている。

現在の路線はカリフォルニア・ストリート線California St. line、パウエル-メイソン線Powell-Mason line、パウエル-ハイド線 Powell-Hyde lineの3つである。後二者はパウエル通りの路線を共用している。

前回の小生の訪問は81年であったが、その後82年から84年にかけてシステムを休止して大改修が行われた。

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パウエル-ハイド線の北端ビーチBeachにて

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年前も撮影したが、やはりサンフランシスコ湾、アルカトラズ島(軍事要塞、刑務所として有名、現在は観光地)をバックに撮影するのが一番見栄えがする。何か建物の修理だろうか、白いカヴァーが目だって残念である。

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これはカリフォルニア・ストリート線である。バックにベイブリッジが見える。もう少し良い場所を探したかったが、ケーブルカー博物館で時間を取りすぎて夕方遅くなってしまった。博物館は次で書きます。

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パウエル-メイソン線、パウエル-ハイド線の車輛は片方向にしか走れないので、路線の両端に転車台があり方向転換する。マーケット・ストリートにて。この辺りなら大丈夫とは思うが、観光地の都市で日没後にウロウロしたくはないので退散した。

あまらぼ鍋屋町

2017年3月14日 (火)

サンフランシスコの路面電車 その3

PCCだけではなく、このピーター・ウィットPeter Witt Carもある。

クリーヴランド(オハイオ州)のCleveland Railway CompanyPeter Wittが開発・導入したものである。

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中央の大きな扉が特徴なのであるが、こちら側にはない。

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これならその中央ドアが分かる。後ろが駐車場ビルと場所の選定を誤ったが、やり直しをする時間的余裕は無かった。

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これは教習中、運転訓練だろうか。この写真はエンバルカデロにて。

いずれもミラノ(イタリア)の車である。

歩き続けてフィッシャーマンズワーフのケーブルカー近くまで来てしまい、路面電車には乗るチャンスを逃したのである。

次はついでだからケーブルカーをご覧いただき、その後に(主たる目的として行った)グランドキャニオン鉄道の蒸機運転にしましょうか。

あまらぼ鍋屋町

2017年3月13日 (月)

名古屋ウィ<ミ>ンズマラソン

どうでもええことで割り込み

昨日は「名古屋ウィメンズマラソン」とか。スポーツには興味も関心も全くないのだが、すぐ近くの道路も塞がれるので名前くらいは知っている。もちろん現場に見に行ったことはない。

以前は「名古屋女子マラソン」と言っていたと記憶している。なぜカタカナにしたのだろう?女子ではオバサンが参加しにくいから?それとも単にカッコエエから?

しかし、この呼び方書き方は少々カッコ悪い。誰が決めたのか知らないが、(少なくとも名古屋の)英語の先生は苦情を言うべきであろう。

 women は カナ書きするならウィメンよりも、ウィミンのほうがよい。oのところとeのところは同じ音である。

以前書いたかもしれないし、結構有名な話だと思うが、ジョージ・バーナード・ショーは 英語の綴りと発音の関係の無茶苦茶さに呆れ、皮肉を込めて、「ghoti で フィッシュ と読め」と書いた。

gh」がフfの音になるのはよくある。<tough>、<laugh>

ti」がシュshの音になるのは <station> など。これも多い。 

しかし「o」がイになるのは、フツーの英単語としてはこれが唯一である。

(唯一と書いたが、唯半分が正確かもしれない。単数形 woman はウーマン なのでoの部分はウーと発音する。これもどちらかと言えば少数派)

あまらぼ鍋屋町

2017年3月12日 (日)

サンフランシスコの路面電車 その2

ピア39の附近まで来ると横断歩道橋があった。

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ベイブリッジは見えるが、ピア35が壁のように邪魔をしている。元SEPTA

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左に(西に)角度を変えるとサンフランシスコ湾の入り口部が見える。中ほど右、小さく沖合に見える島がアルカトラズ。建物の修理をしているのだろうか、白いカヴァーが目だって邪魔である。

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さらに西を見ると、ゴールデンゲートブリッジが見える。路面電車と一緒に見えるというだけの証拠写真である。
カリフォルニア州鉄道博物館の記事http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/2-5940.html

 でご紹介した19インチ鉄道オーヴァフェア鉄道Overfair Railroadはこの画面の先の方(見えていないが)フォートメイソンFort MasonからプレシディオThe Presidio(ゴールデンゲートブリッジの附け根辺り)を走っていた。

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さらに左を向いて南を見ると、坂が望めるが少し遠かった。

ピア43のフェリー・アーチ
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橋ができる前はここから鉄道フェリー航送があった。アーチは綺麗に修理されているが、線路や特に枕木はかなり状態が悪い。

続く

あまらぼ鍋屋町

2017年3月11日 (土)

サンフランシスコの路面電車 その1

サンフランシスコのストリートカーやケーブルカーを撮影するのは35年ぶりである。前回81年には乗って撮った。今回は残念ながら撮るだけに終わってしまった。

まずは路面電車Streetcar

日本の中学や高校で教わる英語は現在ほとんどが米語であろう。私の場合もそうであった。

だから地下鉄はsubway、路面電車はstreetcarである。

しかしアメリカでこれらに乗ったり撮ったりしたのは35-36年前の滞在時だけで、それ以降はこれらに乗ったり撮ったりするのは殆どの場合歐州であったので、路面電車=tramが上書きされてしまった。歐州では地下鉄はmetroが主であるが、日本でsubwayと表示されているので、我が頭脳へのインプットはいい加減である。

前回81年にはPCCカー*がオーヴァーに言えばそこらじゅうで走っていた。トウィンピークストンネルの西側などで撮影した。

友人(日本)が今はEラインとFラインでPCCカーが走っていると教えてくれた。ということはベイブリッジ(地元ではこう呼んでいるが、San Francisco – Oakland Bay Bridgeのこと)を背景に撮れるかと期待し少し時間を割くことにした。

PCCカーもいろいろな都市から来ている。一応注記しておくが間違いがあるもしれない。さらに出身元があるかとも思うし、現在の塗色やロゴが果たしてその出自を正しく表示しているのかどうかは私にはわからない。(<無責任で申し訳ないですが)

一番手軽に効率よく知るためには所属する海外鉄道研究会の名古屋例会で見せることであろう。上記の友人はじめ世界中の路面電車・都市交通に詳しい人が多いので、彼らのレクチャーやコメントをメモしておけばいい。機会があれば、そのようにしてこの記事に修正・追記をすることにして、とりあえず写真を幾つかご覧いただきましょう。

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エンバルカデロからマーケット・ストリートに入る。後ろはフェリーターミナル。

SEPTASoutheastern Pennsylvania Transportation Authority)フィラデルフィア

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同じところで向きを変えて撮るとベイブリッジが見えるが、中途半端であった。元New Jersey Transit

ここから少し南東へ行けば橋はもっと大きく入るが、Eラインだけになって本数が減るので、逆方向つまりフィッシュ―マンズワーフの方に向かうことにした。

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椰子の並木が入って雰囲気は良くなるが、ベイブリッジはかすかに見えるだけ。元
SEPTA

*:PCCは(Electric Railway PresidentsConference Committee

自動車、バスの台頭に対抗するために30年代から製造された高加速・流線型の路面電車

路面電車のスピードでは流線型は無意味であるが、鉄道に限らず当時の流行である。日本でもモノだけではなく「流線型」というコトバ自体も流行った。

続く

あまらぼ鍋屋町

うっかりstreet carと書いていたのを訂正しました

2017年3月 6日 (月)

続 アメリカ流儀

何をいまさらと思われる方も多いでしょうが体験談として。

アメリカへ近年おいでになった方や旅行を計画しておられる方はご存知の通り、アメリカ発着の航空便の預け入れ荷物は、不審と判定された時は担当者が勝手に(=持ち主の立会なしで)開けて中身をチェックされる。従って「鍵は掛けるな」が原則である。掛かっていた場合は、壊して中身を検査することが認められている。それでは不安という場合は、TSAロックというのを附けよとしている。

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先々回の旅行の帰途、ボストンローガンで搭乗、シカゴオヘアで乗継で、どちらで開けられたのか分からないが、こんなのが入っていた。両面印刷で片側は英語、反対側はスペイン語である。そのうちに漢語(所謂中国語)でも書かれるかもしれないが。要はおまえの荷物を開けて検査したという通知である。

落語にある、腕の良いスリが摺った財布の中身を数えて領収書を入れて返したという話を思い出した。幸いに中身は無くなっていなかった(多分、、、、、着替えの枚数までは覚えていないが、そんなものを盗む奴は居ない)

TSAロックは簡単に言えばマスターキーがあって、それを使えば開けられる仕組みである。もちろんそのマスターキーは保安検査係?だけが持っている(ことになっている)。個々のTSAロックの購入者は個別に適合するキーあるいは数字組み合わせを使う。

私の経験は、附けていたTSAロックが元の取り附け箇所である大きなファスナーのところでなく、別の小物入れのファスナーに附けられていたというものである。後者には日本帰国後にすぐ必要になる花粉症マスクとティッシュペーパーを入れていただけなので、ファスナーに鍵はしていなかったのである。

日本とアメリカの往復なら荷物の中身を抜き取られる可能性はかなり低いだろう。しかし、これがアメリカから某国(複数)などとなると、、、、、それで、今まで鍵を附けていなかった小物入れなどのファスナーにもTSAロックを追加した。ファスナーに2つ目のTSAロックを附けることは難しいので私の経験したようなことは無くなるだろうとの目論見である。ただし、開けたよと示す為に、鍵は掛け直さない可能性もあろう。面倒だからと、鍵を中に入れてファスナーを閉めるだけにするかもしれない。

ネットを見ると

TSAロックでも壊された

・ファスナーを切られた

・マスターキーの操作ミス?で逆に個々のキーの所有者が開けられなくなり困った

果ては
・マスターキーの情報が流れ出て3
Dプリンターで作った

などの事例が報告されている。(私には当否や頻度はわからない)

まあ、テロに遭って死ぬよりははるかにマシと諦めるしかなさそうだ。

TSA=アメリカ合衆国運輸保安庁Transportation Security Administration

あまらぼ鍋屋町

2017年3月 4日 (土)

アメリカ流儀

<エピソード1>

サクラメントのカリフォルニア州鉄道博物館は館内撮影に三脚使用は不可であった。ストロボは構わないということで、某国の鉄道博物館やリニア何とか館よりは多少マシであるが、写真は撮ったもののイロイロと不満が残り、何のために訪問したのやらという結果であった。

こちらから禁止理由の説明を求めたわけではないのに、先方から言い訳があった。*

「他の客が三脚にけつまずいた場合に、貴方ではなく当博物館が訴えられるので困る。」

まことに直截的、アメリカ的である。成程ねえ。ここまでハッキリ言われると反論のしようもない。日本なら「他のお客様のご迷惑になりますので、ご遠慮いただいております」程度であろう。一見ソフトだが、何が何だかワカラン理屈で誤魔化すのが日本流だ。

*:追加説明で「年に2回程度、10時の開場前に三脚使用を許可する日があるので、ウェブサイトに注意して、そういう日にまた来ていただけるとありがたい」との説明。12ドルの入場料を払うために12万円かけて飛行機にまた乗るんかいなとも思うが、、、、

日本はただ闇雲に禁止するだけであるが、こういう日を是非設けてほしいものである。

<エピソード2>

アムトラックの乗車券*を購入するには身分証明証(外人の場合はパスポート)を提示しないといけない。鍋屋町の場合はシニア割引を適用してもらうために言われるまでもなく提示する。

サクラメントからオークランドへの帰途、ある駅の手前で案内放送があった。「次の駅で数分止まります」理由の説明は無かった。列車は延々と止まったままで、そのうちにパトカーがやってきた。15分ほど遅れて発車した後に事情説明の放送があった。

「前の駅(これは無人駅であったのかもしれない)から乗り込んだ人が身分証明証を提示しなかったので、警察を呼んで引き渡した。遅れはこの後、少しでも取り戻すようにはする。」オークランド着は8分延であった。

もちろん都市交通の地下鉄や路面電車なら、こんな面倒は無い。金さえ払えばよい。罰則を覚悟すれば只で入場・乗車可能なのも多い。逆に日本なら餘程の幸運に恵まれないと最低区間料金が必要だ。その最低区間の切符であの世まで行ってしまう人がごくたまに、主にこの季節には、居るが。

*:先日のボストンの場合

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2162.html

はアムトラックの設備を使うが運営はMBTAなので事情が違う。

あまらぼ鍋屋町

2017年3月 3日 (金)

カリフォルニア州鉄道博物館 その他の機関車(その2)

後半です。

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セントラル・パシフィック鉄道3号機C.P. Huntington

車輪配置4-2-4RT RTはリア・タンクの意である。1863年クックCooke Locomotive Works(ニュージャージーにあった。のちアルコ)製 

サザン・パシフィック鉄道Southern Pacific Railroad1871年に購入後、同1号機となった。のちにボイラ換装などを受けている。

ハンティングトンCollis Potter Huntingtonは親会社Southern Pacific Companyの第3代社長で先に挙げたスタンフォードなどとともにセントラル・パシフィックのBig Fourと称される一人であった。

折角明るいところに展示されているのに、その明るい側からは撮影できないのが残念であった。

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サザン・パシフィックの2467 へヴィーパシフィックである

1921年ボールドウィン製、キャブフォワード4294と同年1956年に引退している。

パシフィック・ロコモティヴ・アソーシエイションPacific Locomotive Associationにより1999年に動態に復帰した。現在はこの博物館に貸出し中という扱いである。

キャブ内見学のための階段や説明板も撮影には邪魔だが、まあ致し方ない。

しかし折角のホンモノの機関車にニセモノ(人形)を添えたり、まして乗せたりするのはモッタイナイの一言に尽きる。当時の様子を生き生きと見学者に見せたいということなのであろうが、そんなものは当時の写真などで見せるのが本来である。どうしてもやりたければ模型の機関車でやればよい。

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2467のテンダーはヴァンダービルト型

コーネリウス・ヴァンダービルト3Cornelius Neily Vanderbilt III1900年頃に開発したもので資材節約、軽量などの特長がある。幾つかの鉄道で積極的に採用されたがサザン・パシフィックもその一つであった。アメリカ以外ではニュージーランドが多かった。ご興味があれば以前挙げたAB608の写真も参照ください。

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/ab608-af27.html

餘談になるが、彼の祖父はニューヨークセントラル鉄道の創設者コーネリウス・ヴァンダービルトで、
"Commodore Vanderbilt"と呼ばれた。コモドーアは訳せば提督、代将などであるが、彼は軍人ではなく、若い時の商船、フェリーでの活躍・リーダーシップからそのように呼ばれたとのこと。

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オーヴァフェア鉄道Overfair Railway1915号機

オーヴァフェア鉄道は1915年にサンフランシスコで開催された「パナマ太平洋国際博覧会(単にサンフランシスコ万国博覧会との訳もある)」Panama–Pacific International Expositionに際して敷設された延長5マイル、軌間19インチの鉄道である。

この機関車のデザインのベースはブルックスBrooks(のちアルコ)が1913年にサザン・パシフィック向けに製造したパシフィックである。1/3縮尺で製作され、動輪径は26インチ。ボイラ圧は200ポンド(約14キロ)あり、普通の鉄道とかわらない。

当機は1915年にLouis MacDermottが製造したものだが、なんと博覧会には間に合っていないとのこと。

最後に機関車ではなくロータリー・スノウ・プラウ
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1920年 アルコ スケネクタディー製 サザン・パシフィックに21年に配置された。

当初は蒸気機関駆動であったが、のちにディーゼル機関に換装されて使用された。

あまらぼ鍋屋町

2017年3月 2日 (木)

カリフォルニア州鉄道博物館 その他の機関車(その1)

前回はキャブフォワードの紹介だけに終わってしまったので、撮影した他の機関車について写真と簡単な解説を書いておきます。

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セントラル・パシフィック鉄道Central Pacific Railroad1号機 ガヴァナー・スタンフォードGov. Stanford 車輪配置440、フィラデルフィアにあったノリス・ロコモティヴ・ワークスNorris Locomotive Works1862年製であるが、78年にボイラの昇圧、シリンダーの大型化改造を行っている。

セントラル・パシフィックは西海岸から建設を始めたかつての鉄道会社、東からのユニオン・パシフィックUnion Pacific Rairoadとユタ州プロモントリーで繋がり、「ゴールデン・スパイク」が打ち込まれたのは有名である。現在はユニオン・パシフィックの一部となっている。

スタンフォードLeland Stanfordは、セントラル・パシフィックの社長、カリフォルニア州知事である。また東部のアイヴィーリーグと肩を並べる名門スタンフォード大学Leland Stanford Junior Universityの創立者でもある。

 

そのプロモントリーでの儀式に参加したセントラル・パシフィックの60号機 車輪配置440
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但しご覧の通り模型 実物は1868 年ニューヨークのスケネクタディーSchenectady Locomotive Works(のちのアルコ)製で、プロモントリーの現地には実物大レプリカがある。

対面したのはユニオン・パシフィック119号機でロジャーズRogers Locomotive and Machine Works(ニュージャージー)

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人形が邪魔で斜め前からうまく撮れなかったのが残念である。

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道Virginia & Truckee Railroad はネヴァダ州ヴァージニアに本社を置く鉄道、現在は保存鉄道で14マイルほどであるが、その12号機 ジェノアGenoaである。むろんイタリアのジェノヴァのことでもあるが、ネヴァダ州の同名の都市に因むと思われる。ちょっと調べてみたが、当たり前すぎるのか、手持ちの本やネットではこれについて書いてあるものを探しだせなかった。アメリカには他にも同名の都市が幾つかある。

1873年ボールドウィン製 4-4-0

最後に火が入れられたのは1978年で今も運転可能と傳えられているが、さて、、、

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ノース・パシフィック・コウストNorth Pacific Coast Railroad 12 号機 ソノマSonoma 4-4-0 1875年ボールドウィン製 

カリフォルニア州マリン郡、ソノマ郡にあった3フィート軌間のナロー鉄道である。のちNorth Shore Railroad(同名の鉄道がペンシルヴェニア他にあるが、これらとは別。もちろん有名なインターアーバンChicago North Shore and Milwaukee Railroadとも別物)に改名され一部は標準軌化された。

同形機はグアテマラなどにも輸出されているが、現在保存されているのは米国の3輌のみ。(資料によっては4輌としているが、どちらが正しいか調べきれなかった)

簡単にと言いながら長くなってきたので、残りは次に
あまらぼ鍋屋町

2017年3月 1日 (水)

名古屋市敬老パスの変更

メリケンの話の途中ですが、、、、

名古屋の敬老パス(名市交全線)が磁気カードからICカードに変更された。何回かに分けて実施されたようで、私のは本日から通用のカードである。イチイチ財布から出さなくてもよくなり便利になった。

モノはマナカmanaca、名市交と名鉄のICカードである。首都圏のPASMO、関西で言えばPiTaPaに相当するものであるが、ネーミングは今市である。イコカ(JR西)やモノスゴカ(北九州モノレール)には遠く及ばない。

日本の真ん中というところから採ったのであろうが、私は密かに「乗車マナーの悪い(少なくとも過去には最悪に近かった)名古屋人にマナー向上を促すカード」と思っている。

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通常のマナカと違うことは

・デザイン 全体が金色で何ともダサイ 今市どころか宇都宮である(まあ、変なデザイナーに頼んで餘計な出費はしなかったと好意的に解釈しておきましょうか)

・ストアードフェアカードとしても使えるが名鉄などの定期券は載せられない

・有効期限がある(誕生日の前々日まで、なぜ当日とか前日でないのか分からないが)

・全て記名式(但しカタカナで小さい、不正利用抑止にもっと大きく書いた方がと思うが現規格に合わせたのであろう)

ことであろうか

ストアードフェアにしたのは、名市交が乗り入れている名鉄の犬山線、豊田線、小牧線の利用者のことを考えたのだろう。乗車時は敬老ICカード、降車時は別の通常のICカードという訳にはいかない。ただ更新時に混乱する人が出てきて、名市交と区役所の多少の業務量増大になったのではと思う。

ちなみにお値段(というコトバは適切ではないかな)は年5000円である。収入が極端に低い人はもっと安い。公共交通よりも自動車というこの地では、こんな値段でも「電車やバスには乗らないから」と発行してもらわない人は結構いるらしい。

制度の維持の観点からしてもう少し上げてもらってもよいのではないかと、個人的には思う。

あまらぼ鍋屋町

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