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2017年5月

2017年5月31日 (水)

満洲=満州なら、水源=水原

前記事の「異郷のモダニズム 満洲写真全史」に関してである。

「洲」が当用漢字(現在 常用漢字)に採用されなかったため、「州」で代用されることが非常に多い。この展示では、ポスター始め一貫して満「洲」が使われていたのは、当たり前とはいえ、結構なことである。売店には満「州」の表記があった。売店の表示如きにイチャモンをつけても仕方がないが、やはりヒトコト書いておきたい。

誤解されている向きもあるかもしれないが「洲」と「州」は別の漢字である。異体字や旧字体と略字・新字体の関係ではない。別の字で書きかえることを慫慂するのは誤った国語政策、教育政策である。*

常用漢字にないからと言って、歴史的用語、過去の用例に遡って別の漢字で誤魔化すことは是非やめてもらいたいものである。

*州は「川の中の島、なかす」が原義であるが、地理区画、行政区画にも転用されたため、あらためて作った文字が洲である。その意味では混用されている。

しかしながら、「満洲」とは本来民族名「満洲族(マンジュ、古くは女真族と呼んだ)」であり、それが地域名に転用されたということを踏まえねばなければならない。満という州(地域)ではない。民族名ではサンズイ篇の文字を使うのが正しく、その転用である地域名もサンズイ篇の文字が正しい。

ピンとこない方もいらっしゃるかもしれないので、更に蛇足を書くと原と源の関係に似ている。

原は「もと、みなもと」の意であるが、「はら」にも使用されるようになり、「みなもと」を表す為に源ができたが、依然として原は「みなもと」の為にも使われている。それで原因、復原などは原、水源、電源などは源というような書き分けがされている。洲を使わず州だけにするのは、源という字を使わずに全て原で書け、すなわち「水源」のかわりに「水原」と書けというような愚策なのである。

なお、略字についてはそれを(国が)正式文字に、しかも部分的に採用したのはオカシイと私は考えます。例えば「仮」、正しくは假、仮を認めるなら暇を[日+反]としなければならない。傳を伝と書かせ、藝を芸(これはウンと読む別の文字)と書かせる無節操さが、教養溢れる(国語政策に忠実な?)政治家をして「云々をデンデン」と読ましむ結果になったわけです。

あまらぼ鍋屋町

異郷のモダニズム 満洲写真全史

名古屋市美術館で題記の展示を行っている。

会期は625日までであるが、忘れるといけないので見に行った(月曜休み)。実は先週土曜日に海外鉄道研究会の名古屋例会が近くの会場であったので、その前にチョコッと見ようかと思っていたのだが、愚図愚図しているうちに例会開始が迫り、行き損ねた。

しかし行き損ねて却って良かった。結構見応えがあり、チョコッとでは済まなかったのだ。

展示は5部に分けられていて、5部だけが常設展スペースの一部にあった。
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入り口のここまでは撮影OK、その先でスマホでパシャパシャやって注意されてるお嬢様がた少々。当方はシャーペンでメモ書きしていたら、シャーペンも不可とのことで鉛筆を手渡された。「始末の極意(落語)」流にいえば芯が減らいで助かった。

満洲の写真ばかりではなく、他の地域の写真もあるのがいきなり目を引いた。

滇越(テンエツ)鉄道風景 のが興味深かった。

「難工の架橋」(=絶壁を貫く隧道からすぐにわたる鉄橋の写真)などである。

残念ながらカマは写っていない。

滇(テン、雲南省東部のこと、環境依存文字ですが、サンズイ偏に眞です)と越(越南、ヴィエトナムのこと)を結ぶ鉄道

札免公司のスレツバー置場 (カタカナなのだが読みにくく違っているかも)

貯木場か?ごく小さくカマが見える。

路面電車では「大連常盤橋」に電車が3輌。他に線路だけで車輛が見えないのは他都市も含め数枚。

ポスター、チケットの写真はパシナ974 田中靖望の写真で「満洲グラフ」56号採用。

他に満鉄グラフ(現物展示)では、「あじあ」の展望車はもとより、第1110号に林鉄のカマの正面が大きく(大きすぎて全体が見えない!)扱われている。残念ながら私の知識では特定できない。

「躍進満洲画帳」19428(現物展示)には最終ページにパシナの写真(ぶれていて機番不明)

満洲写真帳1931年には、No.1555の正面写真が扱われている。年不詳だがNo.1611を扱ったのもある。

映画のDVDも4つ流していた。急カーブ(直角に曲がる)した高架を走るバンカーファーストのタンク機のシーンもあった。2度見たが、一瞬でよく分からない。

道路(車輛)が左側通行であったことが分った。

そこに出てくる文化住宅街という用語も面白い。街を取って「文化住宅」なら、子供の頃「ブンカ」と言って、莫迦にしていた小奇麗だが安普請の小住宅のことをいうのだが、、、(50年代から60年代の大阪)

中国では現在もやたら「文明××」というが。

連が火事場泥棒略奪した工場や発電所の写真もある。

撫順発電所 破壊され主要機器を盗まれた34100.000kWとある。随分大きな出力だ。合計だろうか?同時代の日本、1939年に運転開始した中部共同火力発電株式会社の名港火力発電所1号機が53,000W、翌年完成の発電所総出力が138,000kWで“東洋一”と言われた。(戦後中部電力が更に増設し、最終的には285,000kW、現在廃止)

牡丹江機関区には機関車のボイラが3つ、機関車(本体のみ)1つ見えるが、長春機関区は壁だけしか残っていない。

ついでに売店で藤原書店の季刊誌、別冊「環」⑫ 「満鉄とは何だったのか」 (2006)を購入。他にも気になるものがあるがキリがない。

イチャモンは別途

あまらぼ鍋屋町

2017年5月28日 (日)

「ミルクを飲みに」行けばよかった

また寄り道です。

北海道へ写真(当然蒸機の写真である)を撮りに行き始めた頃、かのけむりプロが鉄道ファン誌に「ミルクを飲みに来ませんか」という道東の簡易軌道の紹介写真を載せた。(19709月号、通巻112

この記事には魅了されたものの、国鉄蒸機優先から抜け出せなかった当時の私は北海道撮影行の日程を割いて訪問することはしなかった。訪問できたのは廃止直前の幌延町営軌道だけで、C55撮影の合間に問寒別駅前でわずかなショットを撮っただけである。もう亡くなった同い年の鉄友Kと同行、というか現地で会って一緒に行ったのではと記憶している。

今から思えば71年夏の旅行では是非とも唯一残っていた浜中町営軌道に行くべきであったのだが、当時は当時で優先(と思っていた)事項があったのだから致し方ない。

その後徐々にナローや私鉄、小鉄道に傾倒していき、10年後の米国滞在時には試験後の休暇時に撮影可能であったチャレンジャーの復活に心動かされはしたものの、コロラドのスリーフータを撮りに行くまでに成長(転落?)した。

1011月に釧路市立博物館主催の簡易軌道の見学会や講演会が行われた際には是非行きたかったが、根室本線の不通(鉄道で行けるところは飛行機やバスで行きたくないと逡巡)その他の事情で逃してしまった。

話は飛んで、今年一月に行ったアメリカのトゥーフータWiscasset, Waterville, and Farmington Railwayである。これについては弊ブログで二月にご紹介したが、その時に載せなかった写真を一枚
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ここでもミルク運搬をしていたのでその情景を再現したのである。

ヨーク見ると、空の缶なので軽々と持って積み込む様子が少しおかしいが、、、、

さて、釧路市立博物館の企画展巡回開催の最後の会場 標茶町図書館のが611日までである。どうするべきか?

また記録集である次が販売されている。

「釧路・根室の簡易軌道」釧路市立博物館発行 2017331日初版発行

石川孝織・奥山道紀・清水一史・星匠 編著
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ここにある要領で入手可能である。

http://www.city.kushiro.lg.jp/museum/oshirase/kankoubutu/kidou-book.html

送料受取人払いとなるのが少々面倒で、不在の場合は近頃議論の多い再配達、あるいは集配局まで受け取りに行くという手間が必要であるが、ナローファンならこの機会に入手されて決して損のない書籍だと思う。なんと1750円、他に定額小為替発行のための手数料、着払い送料が必要だが総額で1200円にも届かない。

あまらぼ鍋屋町

2017年5月27日 (土)

タラシン鉄道再訪(10)

アベルガノルウィンAbergynolwynは長く旅客輸送の終点であった。起点から6マイル47チェイン(約10.6km)標高243フィート(約74m)である。

現在の駅舎はかなり後の1968年に建てられたもので私見では当鉄道では一番見応えがある。駅の西にパッシングループがあり列車交換が可能である。起点のタウィンワーフの駅舎はもっと大きく博物館も併設されているが、つい近年2005年にできたものである。この世界では古いのがエライ
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今回此処には降りなかったので、駅舎の写真はこの程度のものしかない。

駅から坂道を下って行くと街道に出て、それを東に少し行くとアベルガノルウィンの集落がある。もちろんスレート採掘で栄えた集落である。この間は鉄道が現役当時には集落と鉄道(アベルガノルウィンとナント・グウェルノルのほぼ中間点)がインクラインで結ばれていた。

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集落にはTafarn Rheiffordds(タヴァン・レイフォルズ、鉄道居酒屋)英語ではRailway Innというパブがある。撮影初日の夜はここで夕食パーティーであった。名前の通り、鉄道関係の展示と本が一杯のパブである。

アベルガノルウィンからナント・グウェルノルの間は保存鉄道になってから延長、厳密に言えば鉱石車だけが入っていたものを旅客列車が入れるように拡張されたものである。構想計画は早くからあったが、工事開始は68年完成が76年である。

路線は途中で大きく90度くらい右に(南に)曲がり、ほとんどの区間で両側が林になっている。
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つづく

あまらぼ鍋屋町

2017年5月26日 (金)

タラシン鉄道再訪(9)

(4)でリダローネンとブリングラスの間が線路の両側が開けているところの最後だと書いたが、Quarry Siding Haltからさらに先、アベルガノルウィンAbergynolwynに向けて進んだところにも短区間だが一旦両側が開けるところがある。 進行方向右側の斜面はきついが、登り易く簡単に俯瞰ができる。ただし谷が狭くなってきてカーヴしているので、タウィンの街や海と絡めて撮るのはいくら登っても不可能ではないかと思われる。

ともあれ、3日目の昼前。ここで撮影した。(最初に書いたように、時系列ではなく西から東へ順にご紹介しています)

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一体何回列車を走らせただろう?10回近くやったのではと思う。

最初は列車を見えない位置まで後退させて走らせたが、風で煙が乱れてよくない。ヴィデオ屋さんには諦めてもらって、ほんのちょっと後退させたところから走らせる。
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最初に皆が構えた位置は構図上カマを持ってきたい部分からどうしても雲が動いてくれない。2回ほど挑戦した後、皆で上の写真の位置に移動した。皆と書いたが、25人*もいると必ず臍曲がり、失礼!独自性を発揮したい人が居る。ただしこういうツアーに参加する鉄は人の邪魔になるような行為はしない。

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これで、このあとは午後はバッチリ晴れると期待したが、ウェイルズは甘くなかった。バッチリ晴れた写真はこれだけであった。イギリスの友人が誘ってくれた時に、クドイほど「天気は良くない。期待しないように」と言ったが、まことにその通りであった。

どうもダラダラと書き過ぎました。あと2、3回で終えましょう。

*:欧米の撮影ツアーとしては人数が少ない。皆が気楽に撮影できるようにという主催者の配慮である。

あまらぼ鍋屋町

2017年5月25日 (木)

タラシン鉄道再訪(8)

ドルゴッフをでると両側は林であり見通しがきかない。暫く行くと左側(北側)が開け踏切を渡って、Quarry Siding Halt(直訳すれば)採掘場側線停留所に至る。

線路は道路からかなり高くなっているが、踏切まで車で行ける。
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この踏切から西側をみた風景。夕陽が少しさしてきた。
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しかし反対側から再挑戦した時には元の木阿弥の曇天になった。
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踏切の東側にはパッシンブループがあるが、プラットホームは無く客扱いは全くしないのだろうと思われる。フォトチャータなので、餘程のところ以外は自己責任で降りる。
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ちょっとした車庫(倉庫?)があるが保存鉄道になってからの実用的な素気ないものなので、この写真からはトリミングした。(この写真の右側、南側にある)

 

つづく

 

あまらぼ鍋屋町

2017年5月24日 (水)

タラシン鉄道再訪(7)

ドルゴッフDolgoch駅である。起点から4マイル72チェイン(約7.9km)標高243フィート(約74m

これも美しい駅である。一般客にとってここの見どころは滝である。見学に少なくとも30分は、じっくり見るなら2時間かかるそうだ。しかし鉄にとって一番の見どころは給水風景。
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槽という字も樋という字も木偏であることを再認識させてくれる。
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続く

あまらぼ鍋屋町

2017年5月23日 (火)

タラシン鉄道再訪(6)

ブリングラスの次はドルゴッフDolgochであるが、この駅間は途中から南側の斜面が急になってくる。

ブリングラスに近い辺りは夕方の半逆光が美しい区間であるが、、、、、
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更に進むと両側が森になるが、ドルゴッフの駅に入る直前にこの鉄道としては最大の美しいレンガ橋がある。下の川はドルゴッフ川Nant Dolgochである。Nantは小川の意。

ここもチャータ列車に乗るのではなく友人の車で乗りつけた。前回は9月の訪問で木の葉が茂っていて撮り難かったサイドヴューにまず挑戦。
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他の列車は一切ないのでチャータ列車は参加者が、というより多分に主催者が、納得するまで撮影区間を行き来する。普通の鉄道なら乗務員が嫌になってきて、「もうエエやろ?」となるが、乗務員も鉄道大好きでやっている人たちだから全く問題ない。

右から
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左から
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続く

あまらぼ鍋屋町

2017年5月22日 (月)

タラシン鉄道再訪(5)

ブリングラスBrynglas駅である。起点から3マイル15チェイン(約5.1km)、標高は124フィート(約38m

踏切を挟んで東側に片面のプラットホーム、西側にパッシンブループ(列車交換用)がある。

駅は1870年頃にできているが、交換設備は輸送量が増えた時代の1953年に作られた。

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左にあるのは転轍小屋。その奥、1号機タラシンが居るところにカーヴしたプラットホームがある。

転轍小屋の中はこの通り
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タラシン鉄道記念公園Talyllyn Railway Memorial Parkと名附けられた小さな庭と2号機、その向こうにブリングラス駅のプラットホーム上の待合室である。鉄道や公園の柵にもスレートが使われている。
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続く

あまらぼ鍋屋町

2017年5月21日 (日)

タラシン鉄道再訪(4)

リダローネンの次はブリングラスBrynglas駅である。間に停留所Haltが一つある。

ここは線路の両側が開けているところを走る最後の区間である。南側は牧草地で徐々に斜面になってくる。
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イギリス鉄は良い俯瞰ポイントがあっても決して登らず、線路際斜め前からしか撮らないという定評がある。たしかに日本人鉄やドイツ鉄に比べると圧倒的にそういう人が多く嫌になることが度々あるが、今回くらい猛者が多いと必ずしもそうではない。半数くらいはここまで登ってきた。(逆に言えば線路際から離れないのが半数居るのだが)
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假定法過去完了。もしこのチャータが天気の良かった前週に行われていたら、この写真では霞んでいるタウィンの街やほとんど見えない海がスッキリ見えた筈である。

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また最近の英国の流行なのかこのように手前に木などを入れる人が多い。マネシしてみたが、、、、、

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かえり見すれば、、、これから登って行く谷が望める。右端のカーヴを曲がったすぐ先のところにブリングラスの駅がある。

実は此処を見下ろすもっと高い撮影地点があるがフォトチャータでは無理だ。機会があれば再挑戦してみたい。

つづく

あまらぼ鍋屋町

2017年5月20日 (土)

タラシン鉄道再訪(3)

ペンドレの次はリダローネンRhydyronenである。起点から2マイル13チェイン(約3.8km)標高は100フィート(約30m)、この区間の間に3つの停留所Haltがある。前回は車での撮影、今回は特別列車なので、通常の列車がどういう客扱いをしているのかは分からない。リクエストストップ扱いであろうと思うが。

ペンドレを出てすぐのところに踏切があるが、全線で唯一ゲートのある踏切である。通常は線路側を締切り、列車が来ると道路側を締め切るよく見かけるタイプである。列車写真は撮りにくいのでここでは撮影していない。

また、この区間にオーヴァクロスが3つあるが、ペンドレに一番近いところのオーヴァクロスだけが撮り易いので前回も撮影したし、今回も車で参加した友人に乗せてもらってオーヴァクロス上から撮影した。車を停める場所には非常に苦労する。
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リダローネン駅である。

近くに今もある小さな集落と以前あったスレート鉱からの輸送を担っていた。最初に書くべきであったが、ウェイルズのこの地域の鉄道の例にもれずスレート輸送がこの鉄道の主たる目的であった。以前は側線があったが撤去されている。


駅の直ぐ東側に道路のオーヴァクロスがあり、そこからの撮影もできる。

またここは車を停めるのが比較的楽である。
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上記のオーヴァクロスを越えたところでの撮影である。ここは鉄道用地内で通常は立入禁止、フォトチャータならではの特権である。

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今後もこういう通常は立ち入れない場所からの写真がいくつもあります。都度断りを書くのは(読まされるのはもっと)煩雑なので多くは記載を省きますので予防線を張っておきます。

つづく

あまらぼ鍋屋町

2017年5月19日 (金)

タラシン(タリスリン)鉄道再訪(2)

今回は3日間のフォトチャーターであったが、時系列ではなく起点タウィンワーフTywyn Wharfから終点ナントグウェルノルNant Gwernolの方向に順にご紹介していこう。

最初の駅はペンドレ*Pendreである。タウィンワーフから34チェイン(=684m)にあり、標高は43フィート(=13m)である。一時期は起点駅であったこともあるが、現在はリクエストストップである。ここに機関区がある。当然、内部の見学と撮影があった。建物は1867年建築のオリジナルであるが、102年後!の増築部が続いている。

前回、友人たちと乱入(じゃなかった、許可を得ました)したときは晴れていたが、今回は雨。それに人数が多いとお互いに障碍になって撮りにくい。参加者によってはこういうことを気にしない人も居る。

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No.6 Douglas 0-4-0WT Andrew Barclay 1918
年 製番1431

当初は水上機および飛行艇基地であったRoyal Air Force Calshot (空軍カルショト基地)向けに製造されたトゥーフータであった。54年にタラシンに来て改軌された。タラシン鉄道は2フィート3インチ(686mm)ゲージ。

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No.4 Edward Thomas 0-4-2ST  Kerr Stuart 1921年 製番4047

コリス鉄道Corris Railawayから来た。60年代にギースルエジェクターを開発者Adolph Giesl-Gieslingenの提供により試用している。公式記録では石炭使用量が減少できたとあるそうだが、内部では議論(否定?)があり外されている。

そのギースルエジェクターは起点タウィンワーフにある博物館で展示されている。
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こういう撮影会は他の人が(仲間やねんけどね)撮影の邪魔だが、撮影の為に「らしきシーン」の設定をしてもらえるのはメリット大。
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こんな天気で、こんな場所でもフォトランバイを行う。
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*英語人の発音はペンドルに聞こえる。

入れ忘れたギースルエジェクタの写真を追記しました(5月20日)

続く

あまらぼ鍋屋町

2017年5月18日 (木)

路面電車のトラム?何のこっちゃ?

新シリーズ(大袈裟な!)を始めるとすぐに脱線するのが悪い癖です。

日経夕刊一昨日の火曜日(516日)の記事 地球ぐるりとEYE -カイロから-

消えゆくトラム客まばら と副見出しが附いている

書き出しのところが面白い

 ドスン、ドスン-。埃をかぶった路面電車のトラムが、渋滞のそばを鈍い音を立てながら、、、、

「トラム」は鉄には説明の必要のない言葉である。しかし善良なる非鉄の皆さんには理解できるのだろうか?全て路面電車と書いておけば問題なさそうであるのに、なぜこんな書き方にしたのだろうか?現在、日本では路面電車と同義である。これでは「古の昔、武士の侍が、ウマから墜ちて落馬して、女の婦人に嗤われた」ではないか。

この記事は、書き出しの所だけ上に引用したように 路面電車のトラム と書き、以後十回は路面電車とは書かずにトラムだけである。

「トラム」の方が「路面電車」より一文字少ないので、十文字分のスペース節約、「路面電車の」という五文字増を差し引いて五文字分のスペース節約になる。これが理由かと思ったが、よく見るとそれぞれの段落の餘白で吸収可能である(日経は縦十四文字組)

この記者が鉄で、なんとしても「トラム」という<カッコいい>単語を使いたかったのだろうか?

さて上に「同義」と書いた、しかし元の英語では必ずしもそうではない。昔の札幌のような路面ディーゼルや、今もヨーロッパで保存運転が見られるスティームトラムのことを言っているのではない。またロープウェイ(aerial tram)もトラムであるが、それのことでもない。

鉱山鉄道、森林鉄道で ○× Tramwayを名乗る会社がある。

英和辞書を見ると「鉱山の鉱車軌道、トロッコを意味する場合もある」などとあるが、歴史的にはこちらが本家本元である。

もっとも“tram”は中期オランダ語あるいは中期低地ドイツ語の“trame”からとされていて、その意味は「梁」である。従ってトロッコも派生用法である。

さて日経記者の意図は何だったのか?


あまらぼ鍋屋町

2017年5月17日 (水)

タラシン(タリスリン)鉄道再訪 (1)

3月末にタラシン鉄道でフォトチャーターがあることをイギリスの友人に教えられたので、これに参加し、ついでに若干のナローと標準軌の保存鉄道を見てきたので、ご紹介する。

まずはメンドクサイはなしから。この鉄道の名称の読み方である。日本ではタリスリンと紹介されてきたのでそれを継承してもよいが、なるべく原語に近い表記にすべきというのが鍋屋町のスタンスである。しかし、エラソーに言いながら以前にもこの鉄道を少しご紹介した際にマチガイ(不足)があったので、この機会に訂正させていただく。なお以前の記事http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/1-dcce.html は修正し、マチガイがあったことをそこにも追記した。

綴りは Talyllyn である。あるいはTal-y-llynとも綴る。英語ではなくウェイルズ語Welsh languageである。英語と同様に印欧語に属するが、謂わば少し遠い親戚である。そして発音と綴りの関係が英語とはかなり異なり、英語の常識では推し量れない部分が多い。*

その英語の常識で推し量れない点がこの地名(鉄道名)に二つ入っているのである。

1.まずはllの綴りの読み方である。

英語人にはこれを th+l の音と思っている人が多い。しかし実際は別の音である。**なおthの音もウェイルズ語にあり綴りはこれとは別、もちろん英語とも異なる。

ともかく日本語では正しい表記のしようがない。従来での表記としては スリ、スラなどと表記されることが多かったが、二重子音ではないので、単にスと表記しておく方が良い(まだまし、聞いた感じに近い)というのが鍋屋町の意見である。

2.そしてy の読み方である。

ここでは軽く「ア」と読まれる。***

前回の記事を書いた時にはここをマチガエタ(見落とし)のである。

要約すると Talyllynは タラシン と表記するのが聞いた感じに近いのである。

但し英語人にはタラシンと発音する人(かなり少ない)、タリシンと発音する人(これが多い)、タリスリン(これも次いで多い)と発音する人が居る。タラスリンは耳にしない。そして三種どれでもウェイルズ人に一応通用する。

ツマラナイ話だけでは恐縮なので、この鉄道の起点タウィンワーフ駅Tywyn Wharfでの写真を少々
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サドルタンクは1号機 Talyllyn タラシン車輪配置0-4-2 ST

 Fletcher, Jennings & Co., 1864年製 製番42

サイドタンク(に見えるの)は2号機 Dolgoch ドルゴッフ 車輪配置0-4-0WT (但しback/well tank

おなじくFletcher, Jennings & Co. 1866年製 製番63

どちらも当鉄道のオリジナル機関車であり、オリジナルの塗色で揃った。

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とても良い撮影ツアーであったので(但し天気を除いて!)数回に分けてご紹介していきます。

以下注記です。鉄道以外のことに関心のない方は飛ばしてください。

*もっとも英語の綴りと音の関係はかなり出鱈目で、学習者や第二言語などとして使わざるを得ない世界中の人を困らせているのではある。極端な例を挙げるとwomanはウーマンと読むが、複数形womenはなんとウィミンと読む。 

**

ウェールズ語の基本(永田喜文、小池剛史 三修社)では

―ウェールズ語特有の子音。英語の<l>の発音のように舌先を上の歯の裏に附け、舌の側面で息を吐いて出す音(舌の位置を英語の<l>と同じにし、日本語の「サシスセソ」を発音するとこの音が出る)―

と説明されている。

鍋屋町の感覚では、このカッコ書きのやり方ができない。舌が離れてしまうのである。サシスセソに拘らず舌の側面から息を出すことに集中した方がやり易い。ウェイルズ語を話す人の前でやってみたら(旅行者への甘い採点であろうが)OKと言ってもらえた。

***

おなじくウェールズ語の基本(三修社)では 

(そのまま引くと長いので、一部簡略化して書きます)

1.語の最終音節にある場合 イー、イ (ウェイルズ語では u で表記する)

2.それ以外の位置にある場合 鉛筆を加える程度に口を開けて「ア」と発音 

3.ただし冠詞や代名詞の所有格形、前置詞のような語は強勢が置かれないことが多いので、、、常に軽く「ア」と発音

TalyllynはTal-y-llynとも綴ることが示すように、この3に該当する

あまらぼ鍋屋町

2017年5月 5日 (金)

饅頭こわい丼

所属する海外鉄道研究会、3月の名古屋例会は都合でいつもとは別の会場で行ったので、二次会は初めての場所であった。

そこで出た料理の一つに「櫃まぶし」があった。但し鰻ではなく牛肉というケッタイなものであった。

恥を言うと、「ひつまぶし」というのを知ったのはつい近年である。多分十年位前だとおもう。また、その際にも「ヒマつぶし」と思っていた。鰻の細かいのを箸でゴソゴソとほじくると時間が掛かるだろうから、暇潰しになるのかなあと思っていたのである。

そのケッタイな牛ひつまぶしは予想に反して結構美味かった。チェーン店としては悪くない牛肉を使っていることもあるが、山葵と肉の相性、それに鍋の残り汁を加えるのも良かったのだろう。

これで思い出した食べ物がある。

有名な落語に「饅頭こわい」というのがある。どんな落語か、あらためてご紹介するまでもないと思う。サゲが分かり易く面白いので子供の落語入門にも適している。

此のはなしは集まった若者たちが、好きなもの嫌いなものを順に訊ねるところから始まる。好きなものとしての答えは、最初は当然、「酒」「おなご」であるが、段々とケッタイなものが出てくる。その一つがタイトルに挙げた(私が勝手に命名した)丼である。

米朝ヴァージョンでは (特選“米朝落語全集”第十八集 東芝EMIから引きます)

―これぐらいのどんぶり鉢の中に焚きたての熱いやけどするような、まだうめてないご飯を放り込むのや。そこへ鯛の切り身のええところをこう、三切れほどな、ポンポンポーンと中へ放り込んで、こう御飯でうずめるようにするんやな。

玉子を三つほどポンポーンと割ってその上へかけるわ、あぁ、上等の浅草海苔、こいつを火に焙ってパラパラパラーッと上からかけて、ちょっとわさびをすりこんで濃口の醤油をサーッとかけて、ガサガサがサーッとかき回して―

この通り作って食べてみた。但し浅草海苔なんぞはもう入手できないので、千葉県産と書いてあるのにした。千葉県と言っても広い、正体は不明である。大きな変更点は玉子で、三個は多すぎるように思ったので一個にした。

落語では八杯喰うということになっているが、そんなに食べられない。

松鶴(六代目)のヴァージョンでは

「もったいないようやけど、白身は捨ててしもうて、、、」と黄身だけを乗せることになっているので、二杯目はそのようにした。

どちらが美味かったか?料理とも言えない簡単な料理、自身でお試しを!

一つ言えるのは、腐っても鯛、ではなかった(量が)少なくても鯛。淡白な味と思っていたが、玉子、山葵、海苔の強い味に負けないということ。


あまらぼ鍋屋町

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