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2017年7月

2017年7月28日 (金)

ヴェイル・オヴ・レイドル鉄道(その2)

写真が扱えないため他の記事を書いていましたが、春に訪問したウェイルズのナロー鉄道に戻ります。

前回(その1)最後に載せた機関車であるが、この鉄道がGWR Great Western Railway)に属していた時代に作られたものである。GWRのスウィンドン工場Swindon Works製である。3輌あり番号は781923年),91924年)である。この写真では1213のプレートを附けているが9号機で、これは配備から1948年までの番号に昨年(2016年)から戻しているのである。

別アングルのをご覧いただく。終点Devil’s Bridgeである。
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車輪配置は2-6-2T 外側台枠のサイドタンク機であるが、サイドタンクは実に長く、ボイラ煙室よりさらに前に突き出している。

これら3輌の機関車は開業時からの機関車のスタイルをそのまま模して製造された。変更点は瓣装置を外側化したこと、ボイラ圧上昇(150psiから165psi)、シリンダー径拡大(11インチから11.5インチ)くらいである。もとになった開業時の機関車はDavies & Metcalfe1902年に作ったもので、なんとこの会社の唯一(2輌だが)の機関車とのこと。会社はStockportの近くのRomiley(いずれも現在はグレーター・マンチェスターに属す)にあり会社のオーナーはアベラストゥウィスの人でこの鉄道の発起人でもあった。

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キャブ下半分の両側への変な張出しであるが、これももとの機関車を模したものである。当然ながら、もとの機関車の製造当初にはこの不細工な張出しは無い。この部分は炭庫で増量のための改造で第一次大戦中に行われたらしい。炭質の低下を補う意図もあったようだ。789号機は炭庫張出しのみっともないスタイルをも踏襲したのである。

なお、8号機とこの9号機のキャブの高さは製造時よりほんの少し嵩上げされているが、7号機はそのままとのことである。今回はこの9号機(1213)の写真しか撮れなかったのでその微妙な差はご覧いただけない。高さ制限は港への線に有った跨線橋の為であるが、この線が廃止されたのでオーヴァホール(日本の全検相当だろうか)の機会に嵩上げされたものである。

開業時にもう一台の機関車があったがずっと小さい1897年バグナル製の2-4-0T であった。

これらの開業時の機関車は789号機が入った後、廃車解体されている。

前面から見ると
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向かって左の空気圧縮機はもちろん後年の追加である。アメリカの巨人機が煙室前に大きな複式の空気圧縮機を高く載せているのは粗野な魅力があるが、英国のすっきりした機関車(たとえそれがサイドタンクのお化けみたいなのであっても)に空気圧縮機の後附けは大きくスタイルを損ねる。

製造から間もなくの写真を見ると、向かって右側に真空ブレーキ管、左側に客車暖房用蒸気管がある。しかし70年代の写真を見ると暖房用蒸気管が取り去られている。鉄道は旅客列車の通年運転を止め、春から秋だけに運転する観光鉄道に特化したのである。

なおヴェイル・オヴ・レイドル鉄道は20輌以上の蒸機を保有しているが一般公開をしていない。博物館を作って公開する意図があると言っている。やるなら早くしてほしいものである。宮脇俊三が国鉄末期に三江線全通開業などを心待ちにしたのがわかる齢になってしまった。

ただし1158号機 Diana 0-4-0T 1917年カー・ストュアート製はBala Lake Railwayで、

921 Sybil Mary 0-4-0ST 1906年ハンスレット製はStatfold Barn Railwayで使われている。前者はその名の通り北ウェイルズのバラ湖のほとりにある2ftゲージ保存鉄道で、後者はバーミンガムの北東20kmほどのところにある個人所有の保存鉄道で標準軌、2ft6in2ftの路線を持つ。いずれも未訪問である。

客車は全て1923年または38年にGWRのスウィンドン工場で製造されたものであるが近年大改造を受けている。50年代前半の写真を見ると客車側面にずらっと扉の附いたものである。50年代末の写真では上が明るく下が暗い塗り分けに変わっている。

あまらぼ鍋屋町

2017年7月24日 (月)

漢文力

「漢文力」 加藤徹 著  中央公論新社刊20048月、 中公文庫20078

以前、「白文攻略 漢文法ひとり学び」(白水社)について触れたことがあるが、

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/2-634e.html
その著者が広島大学時代の講義を元に作られた本とのことである。加藤氏は現在、明治大学教授、専門は京劇とのことであるが、漢文・漢語(いわゆる中国語)も教え、また小説家でもある。

漢文の読み書きの本ではない

「思考を鍛える道具としての漢文」を読み二十一世紀の諸問題を考えるための論説力を鍛えることを目的とする、とある。まあ-特に論説力云々は-ちょっと大袈裟すぎるように思うが、謂わんとすることは分かる。

五部からなり各部3~5章の構成なので、各章が講義1、2回の素材だったのだろうか。内容は独立しているので、それぞれの拾い読みができる。

構成は白文(本来は漢字だけがずらずら並んでいるモノ、この本では句読点は附いている)、訓み下し文、現代語訳と並んでいるが、漢文の語法解説、使用されている漢字の解説は一切なしである。そのあと講義調の説明論説と続く。

ベースが大学の(教養部かな?)講義なので、著者ご自身が反省と書いていらっしゃるように説教調が気になるところもあるが、結構、知らなかったなあ!という事項が多くて面白い。まあ誰かさんがいいトシして教養不足ということであろう。

いろんなエピソードが紹介されていて、その大部分が興味深いが、私が一番印象に残ったのは次である。

花園口決堤事件(日本では当時は黄河決潰事件と呼んだ。現在は「決壊」と書くことが多いが「決潰」が本来の書き方である。)

敵軍の進行を食い止めるために、自国や占領域の道路や鉄道、特に橋梁の破壊は珍しくないが、堤防の破壊は禁じ手である。生物兵器や化学兵器の使用に匹敵する。

「漢文力」から引くと

  、、、紀元前六五一年、斉の桓公、、、、一種の国際条約である「葵丘の盟*」を、、、結んだ。、、、第五条で「防を曲ぐる無かれ」(堤防を切ってはならぬ)、、、、初めて破られたのは、二十世紀の戦争でした。一九三八年六月九日、日本軍の進撃に恐れをなした中国軍**は、鄭州の花園口で黄河の堤防を切って人口の大洪水を起こし、、、、、、この洪水で河南・安徽・蘇州の広大な地域が水没し、住民の死者は数十万人にのぼったと、、、、

*:読みは、キキュウノメイ

**:(引用者注)この中国軍とは国民党軍のことである。

敵の日本軍へのダメージより自国民へのダメージ、その後の国土荒廃が凄まじい。

沖縄戦で日本軍が沖縄住民を殺害したり、自決を強要したりという話が(どこまで真実でどこからが誇張・虚構かはともかく)傳えられているが、それこそ桁違いである。

中国共産党の非道な行いは現在もなお続いていて、いろいろと報道されているが、当時の国民党も負けず劣らずだった。

もちろん、他国を侵略した日本が元凶であることは言うまでもないが、これは残念ながら後講釈である。当時はそういう世界情勢で、日本やドイツは身の程を辨えずに、英米仏蘇などを先達と見做し真似をしたということである。

他国占領、植民地などは「経済的に儲からないから」しない方が良いと<積極的に>考えた(=先を見通せた)経済学者・政治家は石橋湛山などごく少数であった。他国への進出侵略をしない方が良いと考えた謂わば良識派の人も大部分は、「無理だろう(=英米に負けるから)」くらいな<消極的な>考えであったとされる。

この点についてもこの本の戦略・戦術・戦闘術のところで「南轅北轍(なんえんほくてつ)」という成語を挙げて紹介している。轅は「ながえ」車の前方に突き出した棒、轍は「わだち」、進行方向を間違えていることを言う。つまり戦略の過ちは戦術では補えないこと。

この本は韓国語と漢語(所謂中国語)にも翻訳されているとのことで、韓国にはともかく本場にも日本人の書いた「漢文の知恵」が逆輸出されているわけである。

ついでながら朝鮮語や越南(ヴィエトナム)語の文化圏では日本と同様につい近年まで漢文が謂わば公用語であった。朝鮮語については漢語由来の語彙がどの程度あるのか知らないが、ヴィエトナム語はその単語の7割くらいが漢語から取り入れられているとも聞く。ヴィエトナム駐在時に街のローマ字#の看板や表示を見ながら、これが漢字やチュノム##で書いてあったら、ある程度は推測できるのに惜しいなあと思ったことである。

#:ヴィエトナム語ではローマ字によるヴィエトナム語表記をクォックグーと呼んでいる。なんのことはない「国語」!である。

##:字喃、漢字をさらに複雑化したようなヴィエトナム語用の文字

あまらぼ鍋屋町

2017年7月21日 (金)

フランス語の綴りの読み方

 -正しい発音の出発点―と副題が附いている。 稲田晴年著 第三書房

フランスは旅行の経由地としてパリ(ついでに地下鉄とトラムの写真を撮った*)他にはミュールーズの鉄道博物館と米軌および標準軌の保存鉄道ソンム湾鉄道Le Chemin de Fer de la Baie de Sommeしか行ったことが無い。私の周りの鉄友はどちらかと言うとドイツ語圏愛好家が多く、私もまあそうである。とっつきにくく冷たい感じでも諸事キチンとしている方がストレスを感じずに済む。

しかし、フランスにもかなりのナロー保存鉄道があるので訪問してみたい。昔はフランス人は英語を知っていても喋らず、フランス語のできない奴を莫迦にすると言われたものだが、最近はそれほどでもない、、、、らしい。

今更フランス語を身につけるなんて野望は抱かないが、訪問先の鉄道で手に入れるであろう本やパンフレットの拾い読みくらいはしたいし、現地ではごく簡単なことでも喋れる方がよいのは言うまでもない。日本へ来る観光客のことを考えれば、假令エラソーに英語だけで押し通されても、コンニチワ、アリガトとカタコトででも言われる方が良いではないか。

しかしフランス語はどうもとっつきにくい。読まない文字が一杯ある、鼻に掛った気取った感じの発音、単語を続けて一つのように発音するリエゾン**やアンシェヌマン***など、どうも印象が悪いのである。

フランス語に関する本を見ると、フランス語は世界でこんなに使われている、などと書いてあるが、鉄の観点からみるとフランス、ベルギー、カナダのケベックくらいが重要で、アフリカのどこそこなどと例を挙げられても「そんなとこには保存蒸機どころか鉄道そのものが無いやんけ」と言いたくなる。

さてここからが本題だが (いつも詰まらん前置きが長い!)

フランス語の綴りと発音の関係は規則的であると言われる。たしかに英語は出鱈目である。規則らしいものはあるにはあるが例外ばかりで、傾向に過ぎない。一つづつ覚えるしかない。

でもそのフランス語の規則的と言われるものが、本や辞書であまり丁寧に解説されていないのである。初学者に阿って簡単に書きすぎている本は別として、一通りは説明してあるのだからしっかり読まない奴が悪いし、辞書は丁寧に引けということではあるが、、、、

例えば ドコーヴィルという会社がある(元は開発者・創業者の人名)ナローファンでこの名を知らない人はモグリと言ってよい。
Decauville、しかしフランス語の入門書を見ていくとillはイーユと発音すると書いてある。語末のeは大抵読まない(読まへんのやったら書かんでエエやんけ!)

え?ドコーヴィルではなくドコーヴィーユ?と迷いが出る。手元の辞書を見ても固有名詞は書いていない。イルとイユでは大違いだ。

この本の中身であるが、まえがき冒頭に

この本で扱うのは単語の「読みかた」であって、「発音」ではありません。初心者が「フランス語の発音は難しい」という場合、「発音」ではなく「読みかた」を指していることが多いようです。、、、、、、、」

語学書としては異例のスタンスである。永年教壇に立ってデキの悪い学生相手に苦労されてこられたのだろうと推察する。発音についてなら本を書けば評価されるだろうが、「読みかた」ではそれこそ学会や教師仲間から「何をアホなモン書くネン」と莫迦にされかねない。しかし初学者にとっては文字通り有り難い本である。

文字、文字の組み合わせの読み方が10の章(章とはしていないが)に分けて書かれ、その後に音節(の切り方)、動詞の発音の注意がある。最後に例外集、リエゾン、アンシェヌマンである。

要はこういう綴りはこう読みますとカタカナで示してある。説明の中にIPAInternational Phonetic Alphabet 国際音声記号****)はあげてあるしCDも附いているがそれらは言わばオマケである。

さてDeauvilleであるが、当然ながらこの本にもこんなものは載っていない。ただillは「ィーユ」だが例外があることがはっきり書かれている。その例外の中にvilleヴィルが挙げられている。ドコーヴィルでよい、納得。

*:現在某ラジオ番組のテキスト冒頭には地下鉄などで撮った写真を載せているが、地下鉄駅で写真を撮っていると、注意を受けることをこの担当者は御存知ないのだろうか?あるいは「俺たちは許可を得て撮影した、良い子は真似をしないように!」ということなのか?
**:単独では発音しない語末の子音を、次の語の頭の母音と繋ぐ、従って綴りを知らないとできない。
***:語末の子音を次の語の頭の母音と繋いで読む、リエゾンと違いもともと発音される子音である。
****:これの英語用簡略版が中学校で習う発音記号である、、、、と書いたものの、最近はあまり力を入れて教えていないらしい。

あまらぼ鍋屋町

 

誤記訂正しました。ご指摘ありがとうございます。(7月24日)

2017年7月14日 (金)

ウォールデン 森の生活 (その3)

 

名作の片隅の鉄道情景(5-3


その1で書いたように買ったのは今泉吉晴訳(小学館)であるが、最終選考!?に残ったのは飯田実訳『森の生活
 (ウォールデン)』(上下)、岩波文庫である。


タイトルがひっくり返っているが、この方が判りやすいという配慮だろう。

こちらには鉄道の写真が幾つかあったし、最初は価格の点からもこれにしようかと思った。訳文も今泉訳と同様にあるいはそれ以上に読みやすい(正直に書けば、読みにくいところが同程度に少ないというべきだろう)。しかしその写真はよく見るとオカシイ。写っているカマが結構大きく、古典機らしくない。写真注記*を見ると1920年撮影とあった。著者ソロウは19世紀の人、ウォールデン池の畔で森の生活を送ったのは1845年から47年だ。


これでは川端康成の雪国(初版
1937年、上越線開通から6年後)の有名な「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」の参考写真として、デッキ附きの電機ではなくEF64 (上越線へ本格的には79年から)やEH200(上越線へは2009年から)の写真を使うような時代差がある。もっともデッキ附きでも戦後製が多いので要注意だが。

また岩波版に添えられている写真の線路は立派な複線である。本の購入後読んで再確認したが線路は単線である。その単線の描写を今泉訳から引きます。

 

、、、反対方向からやってきた二本の列車は、互いに相手が近づいてくるのに気がつくと、警笛を鳴らし、進路から外れて待機するように警告するのですが、それらの警笛が、時に二つの村を越えて、私の耳に達しました。さあ田舎よ、、、、、

 

(なお、飯田訳では「互いの相手」のことを列車とは解していない、あるいはそう解した上で列車利用者乃至積荷のように訳している-これは私にはおかしな解釈だと思えるが-のでかなり感じが違う。)


アメリカの鉄道創業期ならではのシーンと言える。単線の路線での安全確保はどうやっていたのだろう。

 

電話?それはまだ存在しない。最初にイタリア人アントニオ・メウッチが電話機を試作したのが1854年頃とされる。子供の頃に電話の発明者と間違って**教えられた有名なアレクサンダー・グラハム・ベル(米)の特許が1879年である。

 

電信は?モース(Samuel Finley Breese Morse、米、日本ではふつうモールスと称している)の電信開発は1836年頃、アメリカの連邦政府が電信に取り組むのは1840年代前半からである。コンコードの電信敷設は1851年である。

 

大陸横断鉄道の発展と電信の利用は大雑把に電気通信関係や鉄道関係の書籍に記述されることはある。しかし電信の実用化の最初期の個々の中小の鉄道の電信利用はどうだったのだろうか?電信実用化とともに最優先で整備されたとはちょっと考えられないのであるが、、、

 

どんどん餘談に入ってしまうが、これで思い出したことがある。アメリカではなく、中華人民共和国広西壮族自治区である。

 

96年か97年だったと思うが、東京のAさんと建設型の牽く貨物列車の写真を撮りに行った。踏切番の小屋で通過時刻を探ろうとした。何時来るの?などと訊ねても「不知道=知らん」で片附けられるので、通過時刻の予定表や記録などを見せてもらうのである。タイミングが良い場合には、列車が近隣の駅を発車していれば電話連絡が入っているはずだ。

 

なんとこの踏切小屋には電話が無かった。もちろん電信などほかの通信設備もない。ではどうやって列車の接近を知り遮断機を下すのか?ただひたすら耳が頼りなのであった。更に驚いたのは置いてある列車通過時刻表がダイヤ改正前のものであったことだ。鉄道の最優先事項である安全に関してこの程度のいい加減さ・乱暴さなのである。この国では何が起こっても吃驚してはいけないことを再認識させられた。

 

*:これらの写真は訳者あるいは岩波書店が新たに組み合わせたものではなく、プリンストン大学版「写真附きウォールデン森の生活」にあるH. W. Gleasonグリーソン撮影のものを全て収録したとのことである。鉄道だから鍋屋町の節穴の目でも気が附いてイチャモンをつけたわけだが、他の分野でもウルサ方の目で見るわかる時代差がきっとあるのだろう。

 

**:当時は少なくとも日本ではマチガイとは認識されていなかったのだろう。蒸気機関車の発明者はスティーヴンソンと教えられたのと似ている。ただ電話の場合は国籍が違うので国の面子やイメージ戦略が絡む。

 

ウォールデン 終わり

 

あまらぼ鍋屋町

 

2017年7月13日 (木)

ウォールデン 森の生活 (その2)

 

名作の片隅の鉄道情景(5-2

ソロウの態度考えとしてはまずは近代文明の申し子たる鉄道への反発である。これが基本であろう。(次の引用は第1章「経済」、また本記事中の引用は全て今泉吉晴訳からである。)

 

、、、、、汽車に乗れば、今すぐフィッチバーグへ訊ねて来れる(ママ)のにね。」けれども私には、そう考えない分別があります。、、、、、

 

鉄道についてもっとも多く集中的に触れているのは第4章「音」で10ページにわたる。

 

大部分のソロウの鉄道に対する態度・記述はアンビヴァレントである。

 

フィッチバーグ鉄道は、私の森の家から100ロッドほどのところで、ウォールデン池に近づきます。そこで私は、村に出掛けるときはいつも線路に沿って歩き、線路を通じて社会につながります。線路の脇をあるいていると、、、、、、、

 

、、、線路の脇であまりひんぱんに私を見かけるので、、、、、

 

簡単に言えば犬走りを歩いているのである。今のコンコードでやったら一発で捕まるか下手すればホールドアップだろう。

 

そして、このようにも鉄道の比喩を使う。

 

、、、、私もできたら、地球の軌道のどこかで、軌道の補修員として働きたいと、、、、

 

突飛な表現であるが、ソロウの環境保護に対する気持ちの表れであろう。

 

ソロウの思想と離れるが、ここで訳語などの選定についてである。面白いのは今泉訳では“whistle”がすべて「警笛」と訳されていることである。

 

蒸気機関車の警笛は、夏も冬も一年中、私の住む森に入ってきました。、、、、、

 

「汽笛」という言葉はご存知ないのか?もう使わない過去の単語だとお考えなのか?お歳は私よりかなり上である。高齢者でも最新の言葉遣い?をされる方は結構いらっしゃる。冒頭のラ抜きもその証拠かもしれない。もう数年前になるが私が心底驚いたことがある。蒸機を撮影した私のポジを見て(蒸機だということはハッキリわかる撮り方である)「このデンシャは、、、」と私より年上の人が言い出したことである。

 

また、土木関係については訳語選択や文意の訳で疑問点が幾つかある。それは承知の上-つまり生物などに関することは間違いがあっても私には気づくことすらできないが、この辺りは私の知識で誤りや疑問点がかなり分るだろうと考えて-で購入したのであるが。例えば、これは第一章「経済」のなかだが

 

、、、線路に出ると、「路床」の「黄色」の礫の連なりが、霞がかった、、、、(カギ括弧は引用者)

 

これはroad bedで、実際に示す部分により日本語は異なる。「路盤」あるいは「道床」が定訳である。またこの黄色は茶色と訳した方が日本人のイメージに合っている。英語のyellowは日本語でなら茶色と言う範囲を少し含むのである。

 

また次の<>部分の訳文は私には理解不可能である。なお<>は引用者が附した。

 

、、、、丘のすべてに、同じ種類の丸石が豊富に含まれているのを観察しています。そのため、池の近くに切り通しを掘って鉄道の線路を敷設する時には、切り通しの両側の斜面に丸石を積み上げて<片づける>必要がありました。

 

ソロウの思想に戻る。大いなる皮肉が書いてある。

 

たくさんの車輛を一列にして牽く蒸気機関車が、夜空を進む惑星のように、、、、地球にふさわしい、人間よりもっとすごい生き物が誕生した、と思ったり(ママ)します。、、、

 

、、、、けれども、この鉄の馬は、、、、人を超える生き物の誕生、と言わざるを得ません(私には、人々が鉄の馬に新たな着想を得て、どんな翼を持つ馬や火を吐くドラゴンを神話に加えるのか、見当もつきません)。(引用者注記:この( )は原文通り)

 

20世紀初頭からの航空機、20世紀後半の宇宙への進出を見たらソロウはなんと思っただろうか。続けてこうある。やはり基本的には文明の利器には懐疑的である。

 

でも、それは鉄道のすべてが、言われる通りに良きものである、としたらの話です。はたして人は、高貴な目的のために、自然のさまざまな構成物を上手に働かせているでしょうか?

 

話は飛ぶが、数十年前アメリカに居たときストラスバーグ鉄道Strasburg Rail Road (ペンシルヴァニア州)とその起点にあるRailroad Museum of Pennsylvaniaの撮影に行ったことがある。この近くにアーミッシュの村落・共同体がある。アーミッシュはドイツ系移民の末裔のキリスト教の一派で、近代文明を拒否し移民当時の生活様式で自給自足の暮しをしている。自動車や電気は使わない。移動は馬車である。しかし公道を走る以上はウィンカー(米語ではblinkerなど、英国ではindicatorなどと呼ぶ、いずれもwinkerとは言わない)が無いと法律違反である。この点だけは彼らも電気を使わざるを得んのか、と後ろを走りながら妙に感心したことを覚えている。バッテリーだろうがその充電はどうするのだろうか?現在何を使っているのか知らないが、もし環境に良いと考えて太陽光発電を使っているならそれは拒否すべき近代文明中の最新テクノロジーである。

 

ソロウは文明の利器に懐疑的であっても、科学理論の進展に否定的ではない。博物学者なのでダーウィンの「ビーグル号航海記」をいち早く読み感銘を受けている。進化論の「種の起源」はこの「ウォールデン」より後1859年の刊行であるが、彼はダーウィンの支持者となっている。なお、アメリカは現在でも進化論に否定的な態度をとる人が他の文明国と比べて突出して多く、「進化論を学校で教えるな!」とか「進化論を教えるなら、神による創造も同じ時間を掛けて教えろ!」とか言う人が支持を集める迷信の国でもある。

 

鉄道と雪についても触れている。人の営み・努力についてはもちろん肯定的である。

 

、、、、私はメキシコ戦争の前線、ブエナビスタで三○分持ちこたえた兵士の豪胆さより、除雪列車に冬の間じゅう泊まり込み、警戒を怠らない鉄道員の明るい勇気に感動します。、、、、

 

、、、人々の記憶の中で、、、、恐怖の酷寒となっているあの記録的な“大豪雪の日”のような、、、

 

この大豪雪の日は1717年の大豪雪The Great Snow of 1717のことだそうで、積雪100170cm、吹きだまりで760cmとのことである。単純に数値では日本の豪雪記録(伊吹山の積雪1182cm、世界記録)と比べるとずっと小さいが、開拓入植時代であり被害は甚大だったのであろう。

 

もう1回続きます。

 

あまらぼ鍋屋町

 

2017年7月12日 (水)

ウォールデン 森の生活 (その1)

 

名作の片隅の鉄道情景(5-1

 

原書は”Walden, or Life in the Woods” by Henry D. Thoreau

 

19世紀アメリカの思想家・随筆家・博物学者であるヘンリー・デイヴィッド・ソロウの著作である。

 

環境保護の先駆けとも見做されているので、会社勤めでそれに関連する業務にも携わったころ、この本は読んでみたいとは思っていたが切っ掛けが無いままで、忘れはしないものの時間が過ぎてしまった。あまりにも有名なレイチェル・カーソン「沈黙の春」はそれ以前に読んだ。念のために申し添えるが両者の時代背景も、著者のスタンスや目指すところも全く異なる。

 

ある朝、目覚まし代わりのラジオで「森の生活」の中に鉄道のことも触れられていることを知った。まさか!である。遅くなったが読んでみようと調べてみると、邦訳がいくつもある。ネットで適当に買うわけにはいかない。数日後某大書店に行った際に見比べて購入した。訳文の出来栄えはかなりの差がある。良いほうでも残念ながら読みやすくない文章が混じる。どれとは言わないが選択しなかったものには、「陰干しにして煙草入れの緒〆(おじめ)にでも」と言われかねない鍋屋町の目で見てもチャンとした日本語になっていない文章が散見される。

 

アメリカでは高校生にも読ませるとも言われるので原文では難解な本ではないだろうが、日本語に訳しにくい英語なのだろう。また注を入れないと理解できない博物学的な事項が多く、歴史的、宗教的(聖書の引用など)背景を知らないと表面的理解に終わる事項もおとらず多い。

 

購入した訳書は 今泉吉晴訳 小学館、2004 である。最近文庫本がでた。早まった、残念。最終的に今泉訳を選んだのは、訳文の読みやすさの他には注を章末や巻末に纏めるのではなくそのページに載せてあり参照しやすいことがある。また私の特に苦手な動植物に関して注が相対的に充実していると思った。ただし、他の分野について餘計(はっきり言えば、そんなん当たり前ヤン!)と思える注も少し混じっている。また地図や挿絵も相対的に優れている。もう一つ良いと思ったが選ばなかった訳書について別途書きます。

 

ウォールデンというのは池の名である。米国マサチューセッツ州コンコード、ボストンの中心から西北西へ直線距離で20km餘りのところにある。

 

著者はずっと森の生活をしていたのかと想像していたのだが、実際にウォールデン池の畔に小屋を建て住んだのは2年餘りだけで、その後はまた街に戻っている(軟弱!?)。文明を拒絶したわけではない。

 

登場するフィッチバーグ鉄道Fitchburg Railroadは現在はMBTAMassachusetts Bay Transportation Authority:大雑把に言えばボストンの都市交通)のフィッチバーグ線となっている。この鉄道は当ブログで触れたhttp://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2162.htmlボストン・アンド・ローウェル鉄道Boston and Lowell Railroadの支線として建設されたCharlestown Branch Railroadに接続する形で会社が設立され建設が始まった。コンコードまで延長された、つまりウォールデン池のほとりを走り始めた、のは1844年でソロウが森の生活を始めた直前である。ちなみにソロウは工事関係者の小屋を購入して解体し、その木材を利用している。

 

背景説明だけで長くなりました。ソロウの鉄道への態度は次の記事にします。続く

 

あまらぼ鍋屋町

 

2017年7月 6日 (木)

尻力み

「尻力み」と言っても排泄行為ではない。力むと痔に悪い。全体では 「ラジオを聴けば 疎ましや ラ抜きトカトカ 尻力み」であったかと思う。あるエッセイで目にしたことばである。

ラジオのNHK第二で「英語で読む村上春樹」という番組がある。あった。(この駄文を書きかけてPC上に放置している間に2016年度限りで終了した。)この番組については以前一度触れたことがある。

原作が日本語であるものをワザワザ英語で読まなくてもよいだろうと思う。しかし聴いてみると、番組のコンセプトは面白い。ただリアルタイムで聴くには冗長で辛気臭いので録音しておいて名古屋―東京の列車(ケチな鍋屋町はできる限り新幹線に乗らない)などで暇潰しに聴く。テキストは最初のうちは買うたが、あまりにも高いので1年で止めた。本当は途中でやめたかった、、、予約購読なんぞは書店に勧められてもするもんではない。

人気作家であり、私も幾つかの作品を(わざわざ自分で買うほどではないので某所で発見すると借りて)読んだが、現役作家の作品をわざわざ放送で取り上げてヨイショするのはいかがなものか?

この番組の初年度はなんとポーランド、ロシア文学の大家沼野充義氏が解説進行の担当だった。え?なんで?と思ったが、他言語の文学作品にも非常に詳しい方で、英語以外への翻訳の話もあり面白かった。

こういうマイナーな言語(ポーランド語ましてやロシア語は話者が非常に多い大原語ではあるが、日本での状況はそうであろう)の専門家は英語も英語専門家と同等あるいはそれ以上にできないと商売にならないようだ。故米原万里(ロシア語同時訳者、作家)のエッセイには、ロシア語の通訳をする際、特に専門用語を調べるにあたって英語が缺かせない様子が面白く書かれている。

相手役は村上作品の英訳をしている米国の学者(J.ルービン)の教え子であった米国人で、お二人は絶妙のコンビであった。もちろん番組は日本語で進行する。

その後、解説進行の担当は段々と小物、失礼!気鋭の若手!に替ってきた。

もちろん若手は若手で良いところがある。昨年度の担当はバイリンガル(あるいはほとんどそうである)お二人であった。

例えばこんな例があった。最近の日本の若い人には「良い、素晴らしい」という意味で何でもかんでも「ヤバイ」という人が居て、ちょっと吃驚するのだが、英語でも同様に何についても「intense!*」というの人が居るそうだ。これはその担当者の家族の例を挙げての説明であった。普通に英語の読み書き会話を勉強してもなかなか分らない現象だろう。

あるいはこんな解説もあった。日本語で半月というが、英語ではhalf a monthというのは勿論文法的に正しく、英米人とのコミュニケーション上なんの支障もないのだが、彼らは通常そういう言い方はせず、two weeksという。つまらない例かもしれないが、なかなか気が附かないことであろう。(鍋屋町が鈍いだけ?)

そういう点で面白い番組であることは変わりなかった。ただ、16年度のシリーズは聞きとおすのに相当に忍耐を要した。喋り方が耳障りなのである。XX大学准教授という肩書の方なのに、喋り方が「、、、、ワー、 、、、、デー」なのである。

冒頭のエッセイで言う「尻力み」とはこの喋り方である。言語学、あるいは現代日本語の調査などで使う用語であるかどうかは知らない。

まあ、私が齢をとったということなのであろう。

ら抜きはもうどうしようもなく拡がってしまい、うっかりすると自分でもつられて言ってしまい愕然とすることもある。また大阪から当地に移ってきた数十年前から耳障りで気になっているので、名古屋辯ではそれが元来正しいのかもしれない。

「とかとか」はこれは本来例示に使うべき「とか」を意味もなく附けることを指している。 

*:一般的には「強烈な」という意味で用いる。 「手足をいっぱいに伸ばした」が原義(ラテン語起源)、多くの英和辞書で語義の末尾などに(米俗)として「いかす」(古う!)などと掲載されてはいる

あまらぼ鍋屋町

現在写真を扱えない状態なので暫くヴェイル・オヴ・レイドル鉄道をお休みしてほかの記事を書いていきます。

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