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2017年12月

2017年12月31日 (日)

タイ 火車公園にある戦後輸出のミカド

前記事で

、、、、、バンスー駅であるが、この北東に大きな公園が広がっている。元は国鉄の用地であった。道路を隔てて隣接しているのだが、、、、、

と書いたが、バンコクに詳しい方は「エエ加減なこと書きやがって、、、、」と思われただろう。厳密にはマチガイである。バンスー駅と大きな道路(上には有料道路も通る)を隔てて隣接しているのは「公園群」である。3つの公園からなり、チャトゥチャク公園は3つのうち一番東側、バンスー駅から遠い側である。

チャトゥチャク公園から西側に片側一車線の道路を隔てたところに公園が2つ南北にある。その北側の公園が本記事の火車公園である。因みに南側のはシリキット王女公園である。

さて、以前トンブリThonburi機関区に居たミカドが一台バンコク都内の公園に移ったと聞いたが、前記事の博物館などに以前に行った際にはこのミカドもチャトゥチャク公園にあると思い込んでいたので、よく分からず探索時間切れとなっていた。

最近、このカマの詳細な位置を聞いたので、今回訪ねてみたのである。State Railway Public Park タイ語ではスアン・ロッファイSuan Rot Fai、正式名称はWachirabenchathat 公園らしい。スアンは公園の意、ロットは車、ファイは火である。タイ語は形容成分が後ろに附く(*1)。つまりは火車公園=汽車公園である。チャトゥチャク公園よりかなり遅く21世紀に入ってからの整備である。公園の説明看板である。
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此処にあるカマはこれである。
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必ずと言っていいほど邪魔物があり、すっきりした写真が撮れないのは、どこの静態展示でも同様である。西側は以前は写真が撮れたようだが、現在はこんな看板が立てられた。なによりも常時路上駐車の車がある。
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*1:タクシーの行燈にはTAXI-METERと書いてある。最初に見たときは恥づかしながら理解できなかった。正しい?英語に直せば、Meter(ed) Taxiである。


続く

 

あまらぼ鍋屋町

 

 

2017年12月29日 (金)

タイ チャトゥチャック公園 協三工業製Bタンク

前記事に書いたバンスー駅であるが、この北東に大きな公園が広がっている。元は国鉄の用地であった。道路を隔てて隣接しているのだが、駅も公園も広大でバンスー駅から歩いていくのは大変だ。歩くのが好きな鍋屋町も挑戦したことが無い。バンコクで歩くのは暑くて、汚くて、何より危険である。そもそも東南アジアでは、歩道というものは歩行者が歩くためにあるのではなく、定店が商品を並べたり、露天商がテントを張ったりするためのスペースである。車道は当然車が突っ走る、歩行者優先という言葉は東南アジア諸言語の辞書にはない。

閑話休題、MRTブルーラインではバンスーから2駅離れたその名もチャトゥチャックChatuchak駅、BTSスクムヴィット線なら現在の終点(*1)モーチットMo Chitが同じところにあり、この両駅が最寄駅である。

このチャトゥチャック公園の北の端に鉄道博物館があった。

少し離れたところに今も残る案内板を信用すると、ラーマ7世のお召し車輛などを保管するために建てられたが、Prestigious Train Hallとして改修改造され、鉄道の歴史に関する事物の保存の為の展示をしているとある。展示物には蒸機、ハンスレットHunslet(案内板にある綴りHansleyはミスであろう)のディーゼル機関車、帝国陸軍の巡視車輛などがある。
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以下は私の体験と聞いた話などである。記憶違いや誤りがあるかもしれないので、ご指摘いただければ幸いである。

タイ鉄道ファン倶楽部the Thai Railfan Clubが運営にあたっていた。残念ながら2012年頃から閉鎖されたままである。私がその前に行った時は日曜のみの開業であった。訪問者数の減少によるとも、中心となって活躍していた方の引退(逝去?)とも聞く。この23年のタイの鉄道ファン(主に駅などでの撮影者であるが)の増加を見ると、もう少し持ち堪えられたら、、、、との感も抱く。

単に公園と書いたが英語で厳密に言えばpublic parkである(*2)。公の地にどのようにして民間が活動主体の博物館を開くことができたのか、複雑な経緯があるのだろうか?あるいはタイ鉄道ファン倶楽部が国鉄SRTと関係があったのか?とにかく、その経緯か関係かが幸いしてか(行政にとっては災いして?)建物はまだ存在し、中の展示物も一部を除き残っている。

外観はこれである。
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外に置いてあるパシフィックの動輪セットも以前のままである。
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覗いてみると協三工業製の
600mmゲージBタンクが残っているのが確認できた(*3)。
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公園のガードマンがやってきて私がカメラを構えた窓から中を覗いた。中に何があるか、フツーのタイ人には興味も関心も無いだろうから確認しないと分からなかったのだろう。特に何も言わなかったので、もう少し別の角度から、、、と移動したが、「撮るな」と制止された。建物やその周辺に撮影禁止の表示があるわけではない。しかし彼らの業務としては取敢えず禁止しておくのが無難である。当方としてもまともな写真が撮れるわけではないので、存在を確認すれば充分である。しかし今後どうなるのだろう?

*1:2019年に一駅北へ延長開業予定である。

*2:日本語の公園と英語のparkは同義ではない、parkには私園も含まれる。しかし私園という語は今書いていて漢字変換できなかったように、日本語ではまず使われることが無い。

*3:トン・ソンブーンの遊園地Thong Somboon Clubに持って行かれて空気駆動のアトラクションになったものとは別物である。遊園地のは750mmゲージである。

あまらぼ鍋屋町

2017年12月27日 (水)

タイ 一定しないラテン文字転写

前回、タイ語(タイ文字)のラテン文字転写は一定していないと書いたが、さっそくその例に出くわしたので写真をお目にかける。

SRT南線の駅である。

まず、駅本屋のプラットホーム屋根追設部に掛っている駅名標
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ちょっと写りが小さいが KHUAN NIENG とある。

次いで、プラットホーム端の駅名標だが
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これもKHUAN NIENG となっている。

しかし、プラットホーム上の列車から一番見やすい駅名標には
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KHUAN NIANG である。

もちろん書いてあるタイ文字はどれも同じである。最後の写真のに書いてあるのが初級の教科書などに出ていて、筆記もしやすい書体である。

あまらぼ鍋屋町

2017年12月25日 (月)

タイ国鉄 バンスー駅

ドイツのナローについて書こうとして頓挫したままになっていますが、タイについて少し書きます。

まずは定点観測のようにタイに行く度に訪問する国鉄(SRT)バンスー駅(Bang Sue Junction*1)である。

タイ国鉄はこの駅を現在のバンコク駅*2に替わる主要駅にする計画らしく、高架式の壮大な駅を建設中である。今回行ってみたら、屋根の鉄骨が立ち上がってきていた。
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ジャンクションとあるように、この駅で北および北東方面と南方面の路線が大きく分かれる。南方面と言ってもここでは西へ進む。東方面への路線はバンコク駅の北ですぐに分かれていくので、東線の列車だけはバンスー駅は通らない。この新駅が完成したら、東線の列車はどうするのだろうか?バンコクの都市計画の資料を紐解けば載っているのだろうが、蒸機でもないのにそこまでするつもりはない。

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以下、以前にも書いたことですので、特にご興味のある方以外はとばしてください。

*1:本来タイ文字による元表記を添えるべきでしょうが、その能力はありませんので、カナ表記よりは多少マシ(=原音に多少でも近い)であろうラテン文字転写を添えておきます。

ただラテン文字転写は一定していません。(まあ日本語のローマ字表記も各種ありますが)

それどころかタイ文字は分かち書きをしないので、ラテン文字転写したときの分かち書きすら一定しません。

*2:タイ語ではクルンテープKrungthep駅という。タイ国鉄による英語表記はBangkokである、外国人だけはなぜかフアランポーンと呼ぶ。

そもそもタイの首都をバンコクと呼ぶのは外国人だけで、タイ人はクルンテープKrungthepと呼んでいる。儀式的な正式名称は非常に長いものであり、クルンテープはその冒頭である。首都の名前を外国人だけが全く違う名称で呼ぶのは他の国ではちょっと思い浮かばない。東京のことを外国人だけがAsakusaと呼ぶような感じである。

あまらぼ鍋屋町

2017年12月 4日 (月)

おほえちや

少し事情があり再び更新が滞っています。それで別の話題を。

もう12年前になるが、ある若い方から原稿のチェックを頼まれたことがある。その中に一箇所だけ旧假名使い(本来は「正假名遣ひ」と書くべきでせうが、話が面倒になるのでこの文章では「旧假名使い」とします)で書かれたところがあった。ご本人の意図がどういうものであるか確かめずに、「一箇所だけ旧假名使いをするのはおかしい。」と訂正してしまった。ご本人は何もおっしゃらなかったが、視覚的効果、意表を突くことを狙ったものであったのかもしれないとあとで多少気になった。その際、「書くなら全部旧假名で」とも言ったように記憶している。

現在「旧假名使い」で書かれた文章を眼にすることは極めて稀になってしまった。第二次大戦前のものは小説であれ何であれ「旧假名使い」であったが、政府の愚民政策に従って殆ど全ての出版社が「現代假名使い、戦後略字」にわざわざ変更して出版している。

「旧假名使い」のものを読んでみられると実感されると思うが、読むのは決して難しくない。それどころか、どこが旧で新と異なっているか気が附かないくらいである。

書くのには少し練習が要りそうだ、これは新假名使いに毒されているからで、最初から旧假名使いで書いていたら難しくはない。わたしは現在練習中で、友人などへのEmailに使い始めている。まあ、このブログまで旧假名にするつもりは<現在のところは>ない。

決して難しくないことがわかる面白いものがあるのでご紹介する。

落語に「風の神送り」というのがある。桂米朝が1967年頃に復活させたものである。東京にも伝わっているかどうかは知らない。風の神送りとは「風邪がはやる時に、大勢が風の神にした人形を担ぎ、鉦太鼓ではやし立てて練り歩き、、、、あるいは川に流す」(特選“米朝落語全集第二十一集”東芝EMI の解説から抜粋、一部省略)江戸時代からの行事であるが、明治にはもう廃れたらしい。

落語の初めのところに、そのための金を集めるための帳面を作るシーンがある。

風の神送りをしようという発案は若者達であるが、世話役の年寄り(と言ってもおそらく今の私より若いのだろうが)が居る。その親爺が若者を指揮してやらせるのであるが、帳面に字を書ける者が居ない。やっと一人、假名なら書けるのが居て、それに書かせる。

(以下同じく特選“米朝落語全集第二十一集”から引く)

親爺「、、、、まあ、覚え帳とでも書いとけ」

若者「,,,、、、、、「覚えの「お」はどう書くんやったかいな」

親爺「情けないやっちゃな、お前。おくやま*の「お」や」

   (と頼りない。しかし「いろは歌」はもちろん分かっている)

若者「、、、、、、親爺さん、これでええか」

親爺「、、、、、、おーほーえーちーや、なんやこの、“おほえちや”ちゅうのん

若者「「う」が裏へ回ったんねん」

「お」という字は?というくらい頼りない若者でも「帳」は「ちやう」と書くことは分かっていたのである。

*:いろは歌の うゐのおくやま けふこえて (有為の奥山 今日越えて)

あまらぼ鍋屋町

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