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2018年1月

2018年1月29日 (月)

タイ 見かけた気になるもの

今回の訪問で見かけ気になっているものをご紹介する。

謎(大袈裟な!)を解明しておらず、写真をご覧いただくだけしかできず恐縮です。ご存知の方あるいは関連する情報をご存知の方のご教示を戴ければ幸いです。

まずはバンスーBang Sue機関区                      

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ちょっと前に書いたように新駅の建設工事が進んでいて、バンスー機関区の周りのものが無くなってきた。それで見えるようになったのだと思われる。

手前の塗分けの丸っこいディーゼル機関車はダヴェンポート製のもので、両運転台タイプとDD50のような片運転台タイプががある。画面に見えているのは両運。数年前には北線のウッタラディットUttaradit駅、シラアットSila At駅の入換・小運転に片運のが使われていたのを見ている。

問題は背後の茶色の機関車

通風機の特徴的な形態からズルツァーSulzer(瑞西)製の501号機から506号機のいずれかではないかと思われる。(通風機についてご教示いただき、形式図を見せていただいた、海外鉄道研究会のAさんに御礼申し上げます)

残念ながらバンスー機関区は警備が厳しい。以前、門の傍に飾ってあるコッペル(元メークローン鉄道)を撮影するのにも守衛から正式な撮影許可を要求され、随分苦労した。

そしてこれ

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タイを近代化させた名君チュラロンコーン王(ラーマ
5世)

日本で言えば明治天皇と当時の主要政治家たちの活動を兼ねて自身で行ったと考えればよいかもしれない。明治天皇と時期的にもだいたい重なる。タイが英佛などの植民地にならずに済んだのは彼の功績が非常に大きい。ビルマやヴィエトナムのその後の苦難の歴史と、現在も残る経済発展の差を考えると、当たり前とはいえ独立維持は素晴らしいことであった。

今も非常に尊敬されていて肖像画や立像がいたるところにあるし、命日(1023日)はチュラロンコーン大祭として祝日である。そして鉄はこれを忘れてはならないが、鉄道の建設(バンコクからナコーンラチャーシーマーへの最初の国営鉄道、標準軌!)*1にもかかわっている。現在の鉄にとってもっと大事なことは1023日に蒸機特別列車が運転されることか(年4回のうちの1回)

でも、どうして年代的には全く重ならないC56と組み合わせて、、、、、 *2

タイ王室と言えば多くの方が思い出すのがユル・ブリナー主演の映画「王様と私」(これはリメイク)かもしれないが、王様が父王のラーマ4世、王子がのちのチュラロンコーン王である。ただしタイでは不敬として上映禁止である。*3

*1:タイの最初の鉄道はパクナム鉄道(フアランポーン-パクナム、1893年、

1960年廃止)

*3:チュラロンコーン大王 18531910

 C56製造 193539年 軍事供出は1941

*3:タイには不敬罪がある。独立の法ではなく刑法の中に条文がある。まあ、ここの読者はタイに行くとしても、鉄をしに行くのであって、しょうもない政治活動をする方はいらっしゃらないと思うが。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月27日 (土)

タイ 懲りずにメークローン線 東線終点マーハチャイ

まずは駅本屋正面。タイではあらゆるところに国王の肖像画が飾られている。現在は「いまだ前国王のみ」「いまだ前国王と王妃」「新国王のみ」といろいろあるが、ここは新国王の肖像画が前国王・王妃の間に掲げられている。徐々に変化していくだろう。
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西線の終点メークローンMae Klongの線路上に拡げられる露店はFolding Umbrella Marketとしてあまりにも有名になり、観光客が多すぎで最早まともな写真が撮れる状態ではない。

東線の終点であるこのMaha Chai駅は市場の中にある、という表現が正しいのか、市場が駅の中に侵入してきたという言い方が正しいのか、東南アジア的混沌そのものの駅である。ただしほぼ全面的に屋根に覆われているし、ホームが阪急中津並みなので撮影は困難である。
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近年、駅の東側の線路上に露店が並びだした。数年前のバンコク居住時代にはこんなことは無かったのだが。

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列車の発車直前になってもまだこんな状態で

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やっと発車
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念のために附け加えるが、タイの車輛のトイレは60年代以前の我が国と同じである。この日本製気動車ももちろんそうである。

もともと観光客の多いところではあるが、以前は線路上の露店が無かったからそこには当然ながら殆ど観光客もおらず、駅の前の道路のマーケットから、フェリー乗り場の方に多かっただけである。

他の撮影者が画面に入った写真は鉄道写真として価値ゼロである。この男は直前にすっとこの位置に入って構えた。鉄かどうかは分からないが、カメラの構えはしっかりしている。
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やはり私には鉄道の利用者も、鉄道員も、誰も居ない写真が性にあう。人を入れての写真が上手い人は尊敬する。

駅を出てすぐ東に以前の気動車(ご覧のとおり日本製)が長年放置されている。背後は最近できた建物だ。
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あまらぼ鍋屋町

2018年1月25日 (木)

タイ 懲りずにメークローン線 プロム・デーンからコック・クヮイ

バーン・ナム・チュットBang Nam Chuet~プロム・デーンPhrom Daen

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ヨーク見ると緑の向こうに建物が、、、、

いろいろな漁の方法がある。趣味の釣りに来ている人間もゼロではなさそうだが、大抵は食べるために捕る。

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もう少し列車が見えるように草刈りを始めてみたが、ゴミが目立つようになるだけなので止めてしまった。蒸機の場合とは我ながら呆れるほど熱意が違う。後ろの白い建物は処分すべきかどうか。

コック・クヮイKhok Khwaiの少し南西(バンコームBan Khom側)

ここも水路が整備されて、大袈裟に言えば新しいアングルができた。
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あまらぼ鍋屋町

2018年1月23日 (火)

タイ 懲りずにメークローン線 サム・イェーク附近

ちょっととばして南へ、水辺を走るところである。前にもこの辺りの写真をご紹介したが別アングルのを。鳥取の砂場を砂丘と言えるなら、ここは立派な水郷であろう。

サム・イェークSam Yaek ~ プロム・デーン Phrom Daen
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この手摺の無い立派な!道にバイクも走る。子供が溺れるなんていうことは起らないのだろうか?美しい水!を見ていると、幼稚園の頃だったか工場の廃水層に落ちたのを思い出した。かなり粘度があってすぐ沈まずに済み、助かった。

ラン・ポRang Pho ~サム・イェーク
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運河扱いなのだろうか、それとも洪水対策なのか。ごく小さな川だったのが改修拡幅されて北へ延長されようとしている。延長工事の所は重機がいるだけなので写真に撮らなかったが。

今回はラン・ポには降りなかったが、1時間ヘッドで運転している時はほぼ中間点のここが交換駅である。信号機もないし、タブレット交換も無いので写真的には詰まらない。

車上信号?そんな高級なものはない。運転指令と目視確認だけ。だから待っていた列車は対向列車が駅へ進入してまだ止まらないうちにズルズルと動き出す。だからどうしたと言われても困るが、その背景を知ると知らないでは、、、、、、

あまらぼ鍋屋町

2018年1月21日 (日)

タイ 懲りずにメークローン線 タラート・プルーからワット・サイ

タラート・プルーTalat Phlu駅とクロン・トン・サイKhlong Tong Sai駅のほぼ中間でBTSシーロム線がオーヴァクロスしている。BTSのウターカートWutthakat駅は西へ300m餘りのところにあるが、メークローン線には駅もないし相互の連絡なんぞは無い。
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BTS
は頻繁に走っているが、メークローン線は後ろ向きで妥協しても30分に一回。タイミングは合わない。

クロン・トン・サイまでの間には、切取りようによっては街中と思えないような所もあるのだが正面写真しか撮れない。
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クロン・トン・サイは朝夕しか列車が止まらない。その少し南の踏切である。日本では自転車乗りが横着な運転をするが、東南アジアではモータバイクも横着である。タイでは右側通行なのか左側通行なのか分からないような情景である。
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次のチョム・トン
Chom Thongも朝夕しか列車が止まらない。運河を越える橋を挟んで両側にプラットホームがあり、東側のプラットホームは東行き(ウォンウィエンヤイ行き)、西側のは-もしこれをプラットホームと呼べるならというような酷いものであるが-西行き(マーハチャイ行き)が止まる。

此処は何回か撮っているので、別アングルのをと工夫したが、、、、(イマイチどころか)宇都宮か
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チョム・トンとワット・サイ
Wat Saiの間ではほんのちょっとサイドに寄れる所がある。

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汚いドブだが幸い写真に臭いは写らない。臭いを感じるような写真を撮れないといけないのかな?

あまらぼ鍋屋町

2018年1月19日 (金)

タイ 懲りずにメークローン線 タラート・プルー

タラート・プルーTalat Phluの駅本屋はちょっとしゃれた建物である。
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最近はどこでも地鶏が名産である。新聞か雑誌を見ているので、それに紹介でもされたのだろうか?

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珍しくスッキリと建物内から列車を取れると思ったが、、、、直前にオバサン、失礼お客様が、、、

タラート・プルーの直ぐ西で道路がオーヴァクロスしている。道路がメークローン線をオーヴァクロスする所は東線で他に3ケ所、西線で1ケ所あるが、記憶の限り歩道が併設されているのは此処だけである。大きな道路なので歩道は東と西に別々にある。まあ、上から見下ろせるというだけでマトモな写真にはならないが、一応記録として。

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東側歩道上からタラート・プルーを発車する列車を見下ろす。


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西側歩道上から、道路の下をくぐってタラート・プルーに進入しようとする列車を見る。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月17日 (水)

タイ 懲りずにメークローン線 ウォンウィエンヤイ

廃車体の話ばかりでは恐縮なので、動いているモノの話をします。毎度懲りずに撮りに行くメークローン線です、、、、車輛は詰まらないし、見る方は飽きが来たかもしれませんが。

メークローン線はターチン川を挟んで東西2つの路線からなる。西側は極端に線路の状態が悪くなったので20155月から2年近く長期運休して補修し、昨年4月に運行再開した。ただし一日4往復の運転はそのままである*1。それでローカル線好き鉄の勝手な言い種であるが、線路が立派になりあまり面白くなくなった。補修前の状況、補修中の状況、補修後の状況、それぞれ弊ブログでご紹介したことがある。

今回は東側のウォンウィエンヤイWong Wian YaiとマーハチャイMaha Chaiの間を撮影した。この区間は発足時にはターチン鉄道であったが、すぐに西側のメークローン鉄道と合併して新たにメークローン鉄道となった。現在は終日およそ1時間間隔、ラッシュ時に少しだけほぼ30分間隔の時間帯ありで運転されている。 

西線は車でのアクセスが(運転手に道路を説明出来ればの話であるが)容易であるし、本数が少ないので追っかけも可能だが、東線は車で撮影地に近附くのはごく一部を除いて無理である。幸い列車の遅れは精々5分から10分なので、時刻表を手にのんびり歩けばよい。

 

は東から順番に、と云っても面白い撮影地は飛び飛びであるが。

現在の起点ウォンウィエンヤイ

駅正面側は以前載せたことがあるので、裏側と云うかホーム側。下に書く理由で元来は中間駅でご覧のように棒線駅である。

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ウォンウィエンヤイと次の駅タラート・プルーTalat Phluのほぼ中間
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何故か知らないが、この辺りはムスリムが多い。

右手奥に建設中の高層ビルが見えるが、バンコクではもう次から次に高層ビルが建設されていて田舎名古屋なんぞは足許にも及ばない。見えている建設中の高層ビルはチャオプラヤ川の近くにあるが、このメークローン線は以前はチャオプラヤ河畔まで達していた。邪魔者扱いされて、その河畔のクローンサーンKhlong San駅とウォンウィヤイの間は61年に廃止された。当時は(日本でもそうだったが)鉄道を眼の敵にする政策が流行ったのだ。あとの道路を一度歩いてみたが、もちろん何の痕跡も無かった。

*1:長期運休の直前には線路状態の悪さから定常的に大幅な遅延が続き、一日3往復に減便されていた。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月15日 (月)

タイ 2種類のボールドウィンの3気筒パシフィック

先日の協三工業のカマの記事でハジャイ(ハートヤイ)Hat Yaiに行った目的は他にもあったと書いたが、その一つがこれである。

日本では3気筒の蒸機はコピー目的で米アルコAlcoからサンプル輸入した8200型(のちC526輌とそれを真似して日本のプラクティスと改悪を加えたC5397輌に終わった。現場では持て餘し短命に終わった。のちの(日本としては)大型パシフィックC592気筒に戻った。

タイにも3気筒機が居た、そして日本よりも長く活躍した。パシフィックだけでなくミカドも居た。2気筒機と較べてトルク変動が少ない、ボイラのドラフト(通風)が平均化などのメリットがあることを考えれば貨物機にも3気筒をというのは当然の選択であろう。と云うよりむしろ3気筒機はイギリスやドイツで貨物機として開発が始まっている。

フアヒンHua Hin駅に静態保存されているボールドウィンの3気筒ミカドについては

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-26b4-1.html

で書いた。

ボールドウィンの3気筒パシフィックの一つはチュムポーンChumphonの駅前に保存されている。235号機 製番586751926年製、実際には229ではと言われている
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C52,C53と同様に中央シリンダの瓣位置は左右のシリンダの瓣位置から合成される。この為の連動梃はC53などではシリンダの前側にあるが、このカマではシリンダの後ろ側(キャブ側)にある。
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しかし、同じボールドウィンの
3気筒パシフィックなのにここハートヤイに静態保存のは3つの気筒に個別のワルシャート式の瓣装置を備えている。244号機、製番604101928年製と言われる。
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中央用のエキスパンションリンクは左側(日本流にいえば公式側)に出され、左側瓣装置用のものと並んでいる。左側の連接棒(カップリングロッド)が下がった位置になっているので、仕組みが一番見やすいが、これら2つのエキスパンションリンクがそれぞれ前後に大きく振れた位置にあるので分かりやすい。
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タイでは(まあ日本でもそうだが)必ずしもカップリングロッドを下げた位置で展示しないので、これは偶然なのか?それとも偶々こだわる担当者に恵まれたのか?

さて更にもう一つの目的、ここで見たかったものは日立製の蒸気クレーンであるが、もう解体されたのか機関区の奥の見えない所に置かれているのか、残念ながら確認できなかった。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月13日 (土)

キリール文字の誕生

原 求作 上智大学出版 2014

この分野には多少興味があるので、専門書はともかく一般書は(そんなに多くないし)だいたい出版されると立ち読みし、たまに買うのだが、この本は何故か見逃していた。

他用(*1)で大阪に帰った時に、J書店の梅田に初めて行った。その時に見つけたのである。J書店も、M書店もK書店も名古屋にあるが、残念ながら品揃えは、特に私の興味のある鉄と落語とこの分野は大阪に比べるとかなり見劣りがする。

前回、意外な縦書きの新書について書いたが、これも意外な縦書きであった。まずはそれに驚いた。外国語を扱うなら横書きの方が遙かに楽なのにと思ったのだ。

キリール文字とは、ロシア語などのスラヴ語で使われる文字である。ロシア文字と言う人もいるが、それはよろしくない。ウクライナ語など東欧の他のスラヴ語でも使う(*2)。現在ロシアなどの支配下にある少数民族の言語(もちろんスラヴ語系ではない)にも使われている。それどころか旧ソ連の影響下にあったモンゴルでモンゴル語の表記にも使われるようになった(*3)。文字の名称としてはあくまでもキリール文字である。英語ではCyrillic Alphabetと呼ぶ。

弊ブログを読んでいただく方にはロシア語なんか耳にしたこともない方が大部分だと思うが、ラテン文字(所謂ローマ字)とちょっと違うこの文字は何処かで目にされたことがあるのではないだろうか。

文字数は言語によって少し異なり、ロシア語に使うものは(現在は)33ある。ラテン文字と形も表す音も同じもの、形は同じだが音が違うもの、ギリシア文字にほぼ同じもの、ラテン文字やギリシア文字には無いもののがある。同じものにはA, E, O, M, Tなど、音が違うものにはB, H, Cなど、ギリシア文字にほぼ同じものにはГ, Д, Ф, Pなど(もちろん音も形も細かいことを言えば微妙に違いがあるが)、ラテン文字やギリシア文字にないものにはЖ, И, Ц, Ч, Шなどがある。

この文字は正教会の宣教師であったキリールとメフォージイ兄弟が9世紀にスラヴ語を表記するために創った、、、と言うなら簡単だが、これでは嘘である。

彼らが創ったのはキリール文字ではなくグラゴール文字と言われるものである。かなり書体が違うものが多い、なんだか古臭い。その改良版がキリール文字である。ただし、この前後関係も長らく解明されていなかった。

創ったと言っても、宣教先で「はい文字はこれです。今日からこれで聖書を書きます。」なんて気楽にやれるものではない。事前の準備初め大変な苦労があった筈なのだが、これは断片的にしかわからない。焚書などにより記録が大きく缺落している時代があるし、宗教がらみなのでプロパガンダみたいな記述で終わっているところも多い(らしい)

キリールとメフォージイと書いたが、実はキリールの方が弟である。しかしキリールの方が格段に頭が良く才能に恵まれていた。(だからキリール文字なのだ)ただ、途中で若死にしてしまった。そしてミッションはかなり年上の兄が跡を継いだ。

私はこの本のタイトルから、キリール文字とそれに直接関連することを主に書いてあるものと思ったが、そうではなかった。歴史的政治的背景、宗教的背景(カソリックと正教会の対立)が大部分を占める。だから縦書きでもよいのだ。文字に関する部分は2つの章、計40ページほどに過ぎない。白状すると、最初に立ち読みした時は「何やこれは」と思った。しかし読み始めると、当時の状況を知らずに文字のことだけをあれこれ論じるのは無理があることがよく分かった。

でもキリール文字とグラゴール文字の関係などもっと直接的に詳しく知りたい。本文の中に出てくる関連書や巻末に紹介してある参考文献をさらに読みたくなった

*1 広角専用の面白いカメラである。これについて書こうとして延び延びになっている。

*2 スラヴ語族の言語でも、キリール文字ではなくラテン文字を使うものも勿論ある。ポーランド語、チェコ語などなど。

*3 中華人民共和国の内蒙古自治区ではモンゴル文字が引き続いて使われた。

モンゴル国でもモンゴル文字への復帰が行われていると聞くが、キリール文字で教育が行き届いてしまったことや、モンゴル文字は漢字や假名と違い横書きできないということもあり、復帰はあまり進んでいないらしい。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月12日 (金)

入門!論理学

野矢茂樹  中公新書 2006年初版

縦書きで文字を書くことはもう全く無い。現に今、キーボードを叩いて出てくる文字は横書きだ。日常(と言っても年に一回ないし数回であるが)税務署への提出書類とか郵便局とか銀行とかの届け全て横書きで、そこへの署名捺印も横書きである。手書きでメモをする時も横書き、縦書きは葬式-厳密には告別式かな-、写真展などで記帳する時くらいなものであろう。縦に、それも慣れない筆ペンで署名すると、下手糞な字がますますバランスを崩すので我ながら情けない。写真展くらい横書きにしてくれればよいのにといつも思う。

しかし、出版社はどういう訳か縦書きに拘る。文藝、特に古典は縦書きでないといけないだろうが、新書などは横書きの方がよほど良いのに、と思う。

この本は、出版社に「タテ書きでやりたい」と言われ、著者が「それはムリです」と答えたものの是非にと頼まれ「そうかい、やってやろうじゃないか」と作ったものらしい。(本書「はじめに」にある)中公新書の表紙も中扉も横書きなのだが、、、、、

野矢氏の本は幾つか読んだ。いま覚えているのは、「新版論理トレーニング」、「論理トレーニング101題」、「入門!言語学(西村義樹氏との共著)」くらいだが、どれも面白かった。でも実はこれらは「論理学」の本ではない。

論理を言葉だけで説明(論証)していくのは面倒なものである。通常は記号をどんどん使う(記号論理学)、そうすれば表現がクドクならずに論理を厳密に表示できる。今回読んだ本は、この方法を避けて「普通の日本語」?だけで説明論証していく試みである。普通の日本語の假名漢字以外に使っているのはローマ字と矢印だけである。ローマ字もその気になれば、甲乙丙、、、とやれば済むので、実際には矢印だけである。

例を挙げると

Aではない)ではない → A

といった具合である。

使う言葉は「ではない」「かつ」「または」「ならば」、、と常識的なものである。しかしこれらを使って厳密に一歩一歩論じていく。もちろん基礎の基礎である、逆、裏、対偶もド・モルガンの法則も説明がある。

たしかに取っつき易く、面白が、読んでいくと面倒になるところもある。平たく言えば「此処は記号使うたほうが簡単やろなあ」と思うところもある。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月10日 (水)

2つの協三工業製32号機

先日はバンコク都チャトゥチャク公園の(元)博物館に協三工業のBタンク33号機がまだ残っているのを確認したが
http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-207c.html
他にも協三工業のBタンクがある。

数年前の旅行でハジャイ(ハートヤイ)Hat Yai*1に32号機があるのを確認したが、すっきりとした写真が撮れなかった。あるブログ*2を見たら写真が撮りやすそうだったし、他の目的もあったので行ってみることにした。他の目的については後日別途書きます。


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駅本屋のすぐ前に置いてある。整備しなおしたところのようでピッカピカである。右側はこのようにすっきりと撮れる。左側は撮りにくい。駅の荷物扱いの場所になっていて、乗客は立ち入れないようだ。

協三工業製 1949年 600mmゲージ ナコーン・ラチャシーマーのスンヌーン森林鉄道Sung Noen wood lineで使用された。

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以前すっきりと撮れなかったのは、この場所ではなく、少し離れた公園にあったのかもしれない。夕方でもう薄暗かったようにも記憶している。

ある英国のサイト*2を見ると、この32号機が今はサラヤーSalayaの近くにあることになっている。どういうことだろう?他の協三を番号だけ32にしたのか?そこの電話番号を調べて状況を訊ねればよいのだが、兄たり難く弟たり難い英語で、やり取りしても埒が明かないだろうし、サラヤーは他に見たいもの(C56)もあったので行ってみた。http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/c56-db58.html

ここで書いたように最初に行った時は年末年始の休業であった。仕方なく再訪することとした。Chomchei Caféという。

しかしドジなことに月曜休業を知らずに行った。守衛にそれを告げられ、さすがに再再訪は面倒だなあと思っていたところに、経営者がたまたま他用で来られて、ご厚意で入れてもらえることになった。カフェと言う名だが、建物が幾つかあり、それを見て廻る遊園地のようになっている。だから月曜休業なのだ。

入って行くと
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でも少し変だ、近附くとこの通り。


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なんとレプリカとも言えないような代物であった。まあ仕方なく前後左右から撮っておいた。キャブ内も作ってあるが、いい加減な見かけだけである。面白いのは標準軌に作ってあることだ。
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下廻りはこの通り。ピストンを動かそうとしても、一般的な鉄道模型のように逆に動輪側からモータで動かそうとしても、これでは動かしようがない。
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ハジャイにある実物No.32のタイ語と英語のいい加減な説明プレートまで忠実に-WHEELWHELLとしたスペルミスまでも-模してあるのにロッドを再現することはできなかったようだ。絵本や漫画でもこの辺りは必ずと言っていいほど間違っているのは少し考察に値するかもしれない。

*1 実際の発音はハジャイともハチャイとも聞こえる。ラテン文字転写もHadyaiとなっているばあいがある。

なお、ハートヤイは(日本の)外務省から危険情報-不要不急の渡航は止めてください-が発出されているので申し添えます。

深南部はイスラムの過激派と言われるものがしばしば爆弾テロ事件を起こしている。背景、真相は単純な分離独立運動ではないとも言われるが、論じること私の手に餘る。いずれにせよ、鉄道駅、高級ホテル(と言ってもバンコクなどと違い価格はたいしたことはなく鍋屋町でも泊まれる)、ショッピング街などがターゲットとなるの厄介である。

現在南部では鉄道の切符は普通列車に短距離乗る場合でも身分証明書が無いと買えない。外国人の場合はパスポートで、乗車券にパスポート番号が撃ちこまれる。

*2 中華特急のスローライフ

https://nkurashige.wordpress.com/


*3
International Steam Locomotives 2017

 http://www.internationalsteam.co.uk/internat.htm


あまらぼ鍋屋町

2018年1月 6日 (土)

タイ ランシットのミカド2輌

バンスー駅から―今回の一連のレポートはバンスーを中心に廻ってます―北へ約25km、ランシットRangsit駅がある。
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現在バンコク都市交通のレッドラインの建設が進められているが、現計画での北の端が此処ランシットである。但しこの北にも、線路の直近には多少の空き地もあるものの市街地が続き、名門タマサート大学の広大なキャンパスもある。将来は延長されるだろう。レッドラインはSRT在来線と同様の米軌である。スワンナプームSuvarnabhumi空港ができる前の主要空港であったドンムアンDon Mueang空港はここから南へ僅か10kmほどであり、首都バンコクと一体化していると言っても良い。

このランシット市に日本製のミカド2輌がある。A(*1)という工場なのだが、タイ語の名前や表記が分からず場所も不明で行きそびれていた。先年亡くなったバンコク在住のドイツ人の友人が随分以前に見に行ったことがあるとのことだった。次の私のバンコク訪問時に記憶を辿りながら一緒に探そうと言ってくれたのだが、その約束を果たす前に彼は故郷ハンブルクの教会経由であの世に行ってしまった。

別の筋から工場の所在するソイSoiの名前が分かったので、それを頼りに訪問した。ソイとは道路から分岐している(ほとんどが行き止まりの)通りのこと、従って中心の道路とその両側に出る多くのソイで魚の骨のような構成になる。

訪問すると守衛所のところでかなり待たされたが入れてくれた。守衛がずっと附ききりで少々鬱陶しかったが、予告も無しに変なコン・イプン(日本人)が来て「蒸気機関車が二つあるだろう、写真を撮らせろ」とやったわけであるから当然の措置で、入れてくれただけで感謝しなければならない。英語の話せる工場幹部か技術者に会えれば、経緯を詳しく訊ねようかと、お土産のカレンダーまで用意していったのだが、会えずに終わった。少なくとも守衛にOKを出した人間は居るはずなのだが。

機関車はこれである。工場の建物建設で段々と内部に取り込まれてしまったようだが、2008年頃の写真と較べるとそれほど差は無いようだ。(*2)
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351353、いずれも1936年の汽車製造のものである。

階上で何か工事をしているのか353

は大部分が保護シートで覆われているのが残念である。

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2

輌の機関車の間にクラシックカーが見える。工場オーナーの趣味なのだろうか?残念ながら車のことは全く無知であるので解説できない。

最後に建物の外から一枚。隣の建物がすぐ背後に迫っていて引きが取れず、友人から安く譲ってもらったミラーレス機用超広角ズームが役に立った。(*2)
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*1:英国のサイトに英語で工場名までは出ているが、詳細な所在地は書いていない。鉄道とは無関係の工場であり訪問者を大歓迎するというスタンスでもなさそうだ。それでこの記事でもA

とだけしておき、場所については詳細を記載しなかった。まあ、このブログを見て、しかも現状の写真を見て、行ってみようと思われる方は出てこないだろう。万々一、そのような奇特な方がいらっしゃる場合は、ご連絡いただければ詳細場所をお伝えします。

*2:追記です。
最後のサイドヴュー写真を見た友人が、カマの周辺はあまり変化はないものの、彼が訪問した時には建物の壁があり私の撮影位置からは見えなかったと教えてくれた。今後どうなっていくのだろうか?

あまらぼ鍋屋町

2018年1月 4日 (木)

タイ サラヤーのC56

バンスー駅から南線で西へ(この辺りでは南線は東西に走っている)30km弱、快速や各停列車で小一時間のところにサラヤーSslaya駅がある。

この近くのFilm Archive (Public Organisation)と称する所にC56の静態保存があるとのことで訪ねてみた。まあ、C56はいまも幾つかの場所で見られるし、所詮日本のカマだし、、、、と思っていたが、展示状況を紹介してある写真を見ると、すっきりと撮れそうなので行くこととした。それに説明にはカマは施設の外と書いてあった。実はこのC56は以前はバンコク都内エッカマイEkkamaiScience Museumに他の2輌の機関車とともに展示してあったが、狭いところに押し込められ雑草に埋もれ、まともに見学撮影できる状況ではなかった。*1

 

厳密には最寄駅はもう一つ西の小駅ワットスワンWat Suwanであるが、急行も止まるサラヤーなら少なくともモーターサイ(バイクタクシー)は居るだろうと期待したのである。なんと駅前にはタクシーが居た。この辺りでは一番の町の主要駅であるナコーンパトムNakhon Pathomですらタクシーもトゥクトゥクも居ないので、これには驚いた。ただタクシーは居たが運転手たちは誰もこのアーカイヴのことを知らない。博物館のようなものだと説明してもダメである。タイ語の綴りをメモしてくるべきだったと反省した。まずはもう一つの目的地へタクシーで行ったが、そちらは年末年始休業で入れなかった。そこから駅へ戻る途中、件のアーカイヴだか博物館だかに一番近そうなところでタクシーを捨て、あとは尋ね歩くことにした。


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常識的に歩いてくるところではない、みな車で来る。駅に居るタクシー運転手が知らないのは当然である。入り口はこれである。この状況を見て直ぐに廻れ右したくなった。


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南側には建物が、北側には何か看板が立ち、すっきり撮れない。もっと早く来るべきであった。前に乗っている兵士の人形は銃や偵察用の双眼鏡ではなくハンディーの映画カメラを構えている。

C5647SRTでは738番と書いてある、、、が実際には733C5641)ではないかと云われる。あちこちの部品には様々な機番の刻印がある。多いのはもちろんC5641である。
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中にはC56151C56158も部品だけ出征!?している。*2
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キャブからも人形が前を見ている。残念ながらキャブ内立入は禁止である。

ロッドはピカピカに磨かれている、、、、と思ったらニス塗であった。鉄道や機関車に全く知識のない人、特に子供連れが来て展示物に触りまくる遊園地としては止むを得ない選択かも知れない。


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ロッドの上に乗っている人形は喜劇王バスター・キートン
Buster Keatonである。そういえばこの名をもじった益田喜頓という喜劇俳優も居たことを思い出した。映画演劇にはあまり興味が無いが、本家キートンの映画には鉄道シーンが結構あるようだ。

左側が第三動輪であるが、3ft6inから米軌へ改造時に動輪の当りを避けるために火室を凹めたのがよくわかる。

後ろには一見木造客車が附いていた。コンテナから改造したものとのことである。台車も穿いていない。内部には映画関係の資料が展示されている。ほんの少し鉄道の写真もあった。今まで他でも見たことのあるのが大半であったが、幾つか初見のものがあった。構わないとのことで一応メモ写真は撮っておいた。著作権は既に切れているとは思うがここで紹介するのは控える。

*1 他の1輌はハノマークの3気筒パシフィックで、これは現在ナコーン・チャイシーNakhon ChaisiJesada Technik Museum(綴り注意!)にある。
http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/3-d02d.html 
でご紹介した。

もう1輌メークローン鉄道の2号機、クラウスの0-4-2TはパクナムPak Namに移されたと報告されているが、私は實見していない。
*2 戦時に供出されたC56は1から90までで、91以降は日本に残った。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月 1日 (月)

タイ 火車公園にある戦後輸出のミカド(続)

続きです

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1950
年 中日本重工業三原製作所製 
三菱重工業がGHQの財閥解体指令で三社に分割されていた時代である。

トンブリの機関区から移転に当たっての説明がタイ語と英語で書かれている。
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英語の説明ではあっさりと三菱重工業としてある。タイ語でもおそらくは同様であろう。
どこが話の出所なのかこれらの機関車が戦時賠償と誤って語られることがある―むしろ非常に多く、西欧人鉄も誤解しているのが多い―のはどうしてであろうか? 両国の友好云々と書いてあるのは却って誤解を招くだろうか?まあ、看板に「戦時賠償ではアリマセン」などと書くわけにもいかないが。

もっと言えば、タイは第二次大戦中は日本の同盟国であった。もちろん日本が強要し、タイは状況からして受け入れざるを得なかったのであるが、植民地にしたわけでもなく、敵国として占領したわけでもない。まあ初期に部分的交戦はあり、日本は無茶な要求などもしたのであるが。
周辺のビルマが英領、ヴィエトナムが佛領、インドネシアが蘭領等々となったのと違い、タイはずっと独立国の地位を維持してきたアジアでは稀な国である。*2

前記事の最初の写真の左隅に見えるのは蒸機のキャブである。全体像はこれ。
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本来こんな位置に前照燈は無いがキャブの上に飾りとしてつけたのであろう。

同様のものがもう一つあった。ガラスの位置には時計の文字盤がある、時計はもちろん壊れている。
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*2:もっとも日本が強要したということを連合国が戦後認めたので、国連(=連合国)は旧敵国とは見做さなかったし、国連へも発足の翌年
46年に加盟している。因みに日本は56年である。餘談ながらタイは国際的な立ち廻りが実に上手いと感じる。軍事政権となると機械的に弾圧を加える単純思考の米国も現在のタイの軍事政権にほとんど制裁を加えていないようだ。

あまらぼ鍋屋町

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