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2018年2月 5日 (月)

懐かしい紙幣と硬貨

三菱東京UFJ銀行貨幣資料館には、現代の紙幣や硬貨も展示してある

小学生のときに五千円札、一万円札が相次いで発行された。先にも述べたが当時は高額札と言えば聖徳太子だった。まあこれらの写真はやめておこう。

板垣退助の百円札は懐かしい。高校生の頃に大阪では次第に少なくなってきたが、大学生になって北海道に鉄に行くと、盛んに流通していた。学生時代最後の鉄旅行ではピン札の百円を何枚も集めた。しかしのちに金が無くなって使ってしまった。

一円はアルミの一円しか記憶が無い。ごく幼いころは旧の黄銅貨や紙幣だったはずだが記憶が無い。五十円の紙幣も覚えていない。展示によると流通枚数は少なかったとのことだが、物心ついてもカネにさわる環境ではなかったのか。もっとも五十円ともなると子供には縁のない大金だ。

五円は穴無しのがまだ多く流通していた。自分の生年より古いから、それだけでアリガターイと思った。鉄になって古い車輛や建造物を見るときの心理もこの延長線上にある。
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十円はギザ、そのうちにギザなしになり、それだけの差で値打ちが下がったような気がした。

五十円はニッケル、最初は穴無し、ついで穴あきになった。これも穴あきの方が値打ちが無いと思った。
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貨幣資料館で見ると記憶ほどは大きくない。現行の五十円硬貨が出た時に、十円より小さいあまりのみすぼらしさに吃驚したものだが、その反動で以前のは大きかったと思い込んだのかもしれない。

お菓子を買いに行くときは十円玉を数枚持っていった。今と違ってパックではない。みな量り売りである。「おばちゃん、○○、50匁(もんめ)チョーダイ」メートル法ではなかった。

大阪でも駅の自動販売機が登場した頃である。全て単能機で、国鉄では運賃別に何台か並んでいた。餘談になるが、大阪市営地下鉄は全線均一15円で大人小人の区別がなかった。だから大人20円、小人10円の設定になった時は、私には値下がりだった。運賃の値下げは生涯ただ一度の経験だ。

自動販売機は当初はレヴァーが附いていて、金を入れたあと、そのレヴァーをガチャンと引き下げると切符がコトンと出てきた。このレヴァー式はすぐに姿を消した。小松左京の「紙か髪か」にこのレヴァー式のシーンが出ている。貴重な文献!だ。もっともこのショートショートではレヴァーをガチャガチャやっても切符が出てこなくなったのである。何故かは原作をお読みください。

あまらぼ鍋屋町

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