日記・コラム・つぶやき

2018年6月 5日 (火)

物語を忘れた外国語 (その4)

やはりイチャモン

第十章 太陽系共通語のルーツ

―、、、、そこには映画『惑星ソラリス』の原作で有名なポーランドのスラニス<ラ>フ・レムや、、、、―(<>は引用者による)

とある。

これはスラヴ諸語を専門とされる黒田氏らしくない珍しいミスだ。

この作家のポーランド語原綴りはStanisław Lemである。ポーランド語の<ł>は勿論Lに関連するのでこのような文字なのだが、現代ポーランド語では(英語で言えば)wの発音をする。*即ち、この作家は假名書きすればスラニス<ワ>フ・レムである。

黒田氏のために辯護すると、氏はロシア語訳で読まれたのかもしれない。ロシア語(で使うキリル文字)にはこの文字は無いのでLに相当するキリル文字Лで代用する。それでうっかりされたのだろうか。タイトルはСолярис(サリャーリス)である。何故ラがラлaではなくリャとなる(と表記する)かは話がずれるので別の機会に。

実は日本へは「ソラリスの陽のもとに」のタイトルで最初はロシア語訳からの重訳で紹介された。だから私が最初に読んだ訳でも「スタニスラフ」となっていた。その後沼野充義氏**によるポーランド語からの直接訳が出て「スタニスワフ」と直された。恥ずかしながら私は最初誤植かと思い、これが正しいと分かってからも、発音しにくいなあ!と思っていた。


また、このアンドレイ・タルコフスキー(ソ聯)監督の映画「惑星ソラリス」は見たが、異世界を象徴する画像としてなんと東京の首都高速道路が出ていたので吃驚するとともに、そのお手軽さに馬鹿馬鹿しくなった。まあ当時のソ聯と日本の表面的インフラ整備状況の差を考えると仕方ない面もあるのだろうが。

そして原作は「知能を持つ海」との対話の試みを主題とする哲学的なものであるのに対し、タルコフスキーの映画はその海が主人公の記憶から作った亡き妻とのやり取りの方が主要になり、表面的ストーリーとしては面白いかもしれないが、原作の深さをかなり損ねていると私は思う。個人的な好みではあるが、原作者のレムもタルコフスキーに激怒したとのことであるから、的は得ているのではないかと自負している。

21世紀になってできたアメリカのリメイク版「ソラリス」は見ていない。アメリカであんな哲学SFをちゃんと映画に作れるのかなあ?と思うからである。「それはお前の偏見に基づく豫断だ、見る価値あるよ!」ならばお教えいただきたい。

そろそろ鉄に戻りましょうか。

以下蛇足
* 以前書いたのと同様の繰り返しで恐縮だが、この<ł>の文字は日本人にも馴染みのある単語にも出てくる。まずは通貨単位のzłoty、殆どの方がズロティと仰り銀行の両替所でも所によってはそう書いてあるが、正しくは「ズウォティ」である。ちょっと古い#が連帯のLech Wałęsa議長、日本ではワレサと紹介されているが「ヴァウェンサ」である。これにはもう一つの間違いがあり、wはウではなくVの音で読む。また語尾にある場合はFの音になる。だからStanisławの最後のwも假名書きするとフである。

#ご本人は「俺は元気で活躍しておる!」とお怒りになるだろう。鍋屋町と10歳と違わない。
これらは虞らく英語経由で紹介されるためであろう。ロシア語同様英語でもLで代用するしかない。ポーランド語を知らない大多数の英語人は(そして他のヨーロッパ人もアジア人も、、、、、)Lの音で発音する。

**弊ブログの参考記事 http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-0f0e.html  

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 4日 (月)

物語を忘れた外国語(その3)

第八章 エストニア語行き星の切符

-、、、、架空の国があれほどリアルに描かれる一方で、物語では常に非現実的に描写される空間がある。 大学だ。 -

これは黒田氏が大学教師である(であった)からそう思われる部分が多いのだろう。分り易い例として挙がっているのは、教授を呼ぶときに本や映画で「教授!」だが、現実には「先生!」である。

「鉄」が文学作品を読むと、鉄道関係はマチガイのオンパレードで、少なくとも私には気になって仕方ないし、読むのも嫌になることがある。これについてのイチャモンは、たとえば

500系のぞみは最高時速240キロ?」 

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/500240-00d6.html

また本文ではなく解説の間違いに関しては「内田百閒電車を待つ」

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-cc02.html

で書いた。

第九章 マイ・フェア・言語学者

―『ピグマリオン』、、、、スウィートは音声学者として非常に優れていた、、、、、「彼にとって、熱烈な音声学者以外の学者は皆愚か者だった」というのだから、、、、―

「ピアニストには三種類しかない。ユダヤ人か、ホモか、下手糞だ」というホロヴィッツの言葉を思い出した。この分類に従うとマルタ・アルゲリッチも内田光子も下手糞になる。ホロヴィッツはウクライナ生まれのユダヤ人だ。

十三章 私的ソビエト文学案内

―チンギス・アイトマーノフ『一世紀より長い一日』、,,,の舞台は中央アジアのカザフである、、、たとえばエゲジイが働く退避駅は、、、、、二重の標記はボランルイがカザフ語で、ブランヌイがロシア語であり、、、、―

鉄道シーンがほんの少しでも、こういう本は読んでみたい。それに著者の名前が良いではないか!

それで若い時に見たソ聯のモノクロ映画を思い出した。何処で見たのかも、ストーリーすらも覚えていないが、中央アジアの乾燥地帯の虞らくはナローゲージのディーゼル機関車のシーンが印象的だった。ひょっとして、若くして亡くなったかなり年上の東京の友人の所で見たのかもしれない。かなり左翼的な人だった。ロシア語も誰かさんのように大学で仕方なくではなく、ソ聯への憧れから学んだようだった。彼は「鉄道模型趣味」の200号に「1号からの読者」としてほんの少し書いている。(なお鉄道模型趣味には最初の謄写版の1号~3号とその後の印刷の1号から-現時点の最新は917号-があるが、彼の場合は印刷の1号からであった)

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 3日 (日)

物語を忘れた外国語(その2)

第二章 ボッコちゃんの動詞活用 

「ボッコちゃん」がする鸚鵡返しに就いて

黒田氏は、―、、、、チェコ語訳には、おそらく訳者ですら気づいていない、興味深い点がある。― と書かれている。

星新一の「ボッコちゃん」はバーに居る美人ロボットだがお頭は空っぽで、たとえば「何が好きなんだい?」と訊ねられると、「何が好きかしら」と繰り返すだけ。しかしチェコ語に(というか英語以外の大抵のヨーロッパの言語に)翻訳するには、「好き」の二人称と一人称は形を変える必要がある。どの言語も大部分の動詞は規則活用するが不規則動詞もあり、よく使う動詞に限ってそうである。

チェコ語を話すボッコちゃんはこれらをしっかり覚えているわけだ。

ただ黒田氏は当然気づかれただろうが、煩雑になるので述べられなかったことがある。

御承知の通り日本語にも動詞の変化はある。しかし人称によって変化するのではなく、動詞の後にどんなものが続くかで変わる。日本語での活用は

 読む 読まない 読みます 読めば 読もう、、、、、という具合である。

客が訊ねる「○○かい?」とボッコちゃんが答える「○○かしら?」では○○の部分はたまたま同形である。しかし

 「○○かい?」に対して「嫌よ、○○しないわ!」と答えるロボットを作ると、○○の部分の形を変えないといけない。

 「食べるかい?」に対しては「嫌よ、食べないわ!」で「食べ」は変化しないが「る」が不要になる。そして

 「飲むかい?」に対して「嫌よ、飲まないわ!」となり「飲む」を「飲ま」と変える必要がある。

星新一はこれを上手に避けているのである。

 

なお、日本語の不規則動詞はたったの2つ、「する」と「来る」だけである。

日本語学習者が動詞を覚えるには否定形で覚えるのがよいと聞いたことがある。

「する」 なら する しない します すれば しよう (不規則)だが

「刷る」 だと 刷る 刷らない 刷ります 刷れば 刷ろう (規則)

「来る」 なら 来る 来ない 来ます 来れば 来よう (不規則)だが

「繰る」 だと 繰る 繰らない 繰ります 繰れば 繰ろう (規則)

つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 2日 (土)

物語を忘れた外国語

黒田龍之助 新潮社 20184

音を作ることが大切 http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-7106.html

に続いて黒田龍之助氏の本についてである。この本は17章および「はじめに」つまり事実上計18章でいろいろな本を紹介している。もとは小説新潮への連載とのことで、面白いとおもったところが多いが、私にはちょっとピンとこなかった箇所もある。もちろん意見を異にするところもある。少しご紹介しよう。

はじめに ライ麦畑の語学教師

スラヴ諸語の研究者だが、一番の専門はロシア語である著者がチェコ語で講演をすることになって、4カ月弱の期間にどういう準備をしたかが書かれている。やったことは基礎単語一万のPCへの打ち込みとチェコ語の読書だ。うーん、後者は思いつくが前者は思いつかなかった。後者はふつうチェコの文学作品をと思うがなんと星新一の作品集のチェコ語訳を選んだ。その理由はここで簡単に私が紹介するのは困難で本書を読んでいただくべきである。この本全体に通じるテーマでもある。前者の一万語はスラヴ語研究者ならでのレヴェルであろう。役に立って講演は成功したそうだ。もう少し具体的展開を知りたいが、話は本、読書、物語と言語の関係が主題となっていってこの興味深い準備の様子には戻らない。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第壱番の超印象的!オープニングテーマみたいだ。

それにしても、レイルマガジン編集者の言を借りれば「ドイツ語万年出戻り初級者」がドイツへ鉄に行く前にはどういうドイツ語復習が良いのだろうか?

全般

本の中の注について

海外のものを和訳したものには注が多く、逆は極めて少ないことが書かれている。これは数年前のNHK第二の「英語で読む村上春樹」を聞いた時にもそういう解説があったとおもう。解説は黒田氏ではなかったので念のため。黒田氏は小説の場合は鬱陶しいと感じていらっしゃるようだし、特に筋に関係なく推測できるなら要らないと考えられているようだが、私はそうは思わない。もちろん本文中に割って入るのは良くないが、欄外にあるのは良い。巻末だと参照するのが面倒だ。特にキリスト教関係や地誌・歴史に関する事項などの背景を知らずに、読み飛ばすとまずいとおもう。これは私が読むのは、小説・物語以外のものがほとんどなので、小説などにもそういう餘計な要求をするのかもしれないが。

いろいろと面白い本なので、、、つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年5月31日 (木)

電動車

電動車という語を見てどういうものを思い浮かべるだろうか?

善良なる非鉄の皆さんなら、電気自動車かな?と思われるかもしれない。あるいは身体障碍者や老人が使う電動カートか。しかし「鉄」なら、電車、正確に言えば電気動力の動力分散式の車輛編成*、のうち動力つまりモータがついている車輛のことだと言うだろう。

*英語にはEMU=electric multiple unitという言い方があるが、鉄以外の英語人にはまず通じない。日本語では電車としか言いようがない。

さて、あるところで鉄道用と比べるとかなり小規模の海底隧道工事の写真と解説を見た。そのうちの隧道内に管を敷設する工事で、運搬の手法について

―,,,立坑から降ろして搬入、シールドトンネル内では電動車により運搬し、溶接で繋いで敷設し、、、、― と説明している。

電動車に新しい語義を加えたようだ。

蓄電池機関車と書いても読者に理解してもらえないから、、、というより記事を書いた方が機関車という語をもう知らない可能性が高いと思う。今は鉄道車輛は何を見てもデンシャだけど、流石に人が乗らないのはデンシャとは言えないという意識が働くのか。

しかしちょっと待て、この説明文を書いたのは広報担当者だろう。そうすると単に現場で聞いた用語をそのまま使った可能性もある。

工事現場や建設工事業界では、(トロッコでは手押しイメージが強いから?)現在はこういうギョーカイ用語を使っているのだろうか?鉄でもそれこそトロッコを追いかけている人には当たり前のことで、「、、、EMUの中で附随車に対して電動車?うん、そういう用法もあるねえ」と仰るのだろうか?

あまらぼ鍋屋町

2018年5月16日 (水)

始末の極意

「始末の極意」と云う落語がある。ここで下手な解説をするより、実際に見て(あるいはCDなどで聞いて)いただくのが良い。実にイロイロと馬鹿馬鹿しい極端な始末(ひょうじゅん語、きょうつう語で言えばケチであろうが、「始末」にはできる限り無駄な金やものを使わないということに力点があり、ちょっとニュアンスが違う)が紹介される。

これで思い出すのが我が母親の始末である。大正生まれ、まあ貧乏でもなく裕福でもない家に育ったのだが、もって生まれた気質か戦中戦後の物の無い時代を経験していたからか、物を捨てられなかった。また水道のタップを捻ってジャーッと勢いよく出すと「メータが廻りすぎて損や」とよく𠮟られたことも思い出す。容積型のメータなのでそんなことは無いと思うのだが。

住んでいた大阪の地下鉄沿線の住宅地にも、昔はイロイロと物売りが来たし、訳の分からんもんも来た。

その中で面倒なのは獅子舞である。大抵は一人で来て、玄関で獅子をあちらこちらに向けて、口をカタカタ言わせる。御払い、厄払いということであろう。堅気の人間ではないので、ちょっと掴ませないと帰らない。今なら「ケーサツ呼ぶぞ」で済むのだろうが。

それで、そういうのがやってくると母親は応対に出ない。私の役目である。幼時なら獅子舞などは怖いのだが、小学生になるともう大丈夫である。母は「これやっとき」と、なんと十円玉一枚を私に渡す。大人が十円玉一枚を出すわけにはいかないが、子供なら、と考えたのである。

しかし、、、、、私にはその十円をやるのが実にモッタイナかった。当時は国鉄の初乗りが十円(子供は五円)であったし、何より十円玉一枚あればタコ焼き一舟七個入りが買えたのである。「始末の極意」では信心家と称する主人公は住吉っさん(大阪の住吉神社、現在は住吉大社という)の四つの社に参詣する際、初めの三社では賽銭箱の隅に一銭玉を載せては引込めし、四つ目でやっと「御一同さんに」と放り込む。私はこの獅子舞対策の後遺症か神社でお賽銭をあげるようなことはしないし、そもそも近寄りもしない。お祓いはもとよりお御籤とかご祈祷とかお布施とか、全部嫌いである。

あまらぼ鍋屋町

2018年4月10日 (火)

これは翻訳機?(ディドコット餘談)

日本人が海外旅行に行くようになって、「日本人は何でもすぐに写真を撮る」とか「眼鏡を掛けてカメラをぶら下げていたら日本人」などと揶揄されたものである。今は国によらず誰もがデジカメやスマホを持っていて、何でも矢鱈に写真を撮るようになった。

しかし今でも、特に西欧の白人の高齢者には日本人(あるいは今ならZ国人主体のアジア人と言い換えるべきか)がパシャパシャと写真を撮るのを快く思っていない人が居るようだ。滅多に文句を言われることは無いが、露骨に嫌な顔をされることはままある。

特に私が感じるのは、展示物の説明板などをメモ撮りするときである。かれらはそれらを撮らずにその場で読む。当然である。地元の常設展示の解説日本語をメモ撮りする日本人がまず居ないのと同じことである。


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ここでブロードゲージのカマと客車の解説が冊子になっていたのを撮影したのだが、なんと先に読み終わった小母さん(失礼、私より若いかも)がページ繰りを手伝ってくれた。

そして質問された「それは翻訳機なの?」

「英語は読めるのだが、あなた方母語話者のような速さで読めないし、分からない単語もあるので撮っておいてホテルや帰国してから読むのである」とご説明した。私の見るところ一般的な英語人は、「外国語でなんとか用が足せる程度にはできる」という状態がどんなものかをうまく想像できないようだ

自動翻訳は近年ある程度は精度が向上している、ハンドマイク様の器械で数言語に自動通訳できるものが、特に災害時対応などに実用化された、あるいはされつつある、とのニュースもどこかで読んだことがある。

理窟の上ではカメラ様のモノで撮ってすぐに翻訳して画像にすることは可能であろう。しかし、そのようなものが実用化されても、私としては元の文章(の画像)は残しておきたい。

あまらぼ鍋屋町

2018年2月 5日 (月)

懐かしい紙幣と硬貨

三菱東京UFJ銀行貨幣資料館には、現代の紙幣や硬貨も展示してある

小学生のときに五千円札、一万円札が相次いで発行された。先にも述べたが当時は高額札と言えば聖徳太子だった。まあこれらの写真はやめておこう。

板垣退助の百円札は懐かしい。高校生の頃に大阪では次第に少なくなってきたが、大学生になって北海道に鉄に行くと、盛んに流通していた。学生時代最後の鉄旅行ではピン札の百円を何枚も集めた。しかしのちに金が無くなって使ってしまった。

一円はアルミの一円しか記憶が無い。ごく幼いころは旧の黄銅貨や紙幣だったはずだが記憶が無い。五十円の紙幣も覚えていない。展示によると流通枚数は少なかったとのことだが、物心ついてもカネにさわる環境ではなかったのか。もっとも五十円ともなると子供には縁のない大金だ。

五円は穴無しのがまだ多く流通していた。自分の生年より古いから、それだけでアリガターイと思った。鉄になって古い車輛や建造物を見るときの心理もこの延長線上にある。
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十円はギザ、そのうちにギザなしになり、それだけの差で値打ちが下がったような気がした。

五十円はニッケル、最初は穴無し、ついで穴あきになった。これも穴あきの方が値打ちが無いと思った。
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貨幣資料館で見ると記憶ほどは大きくない。現行の五十円硬貨が出た時に、十円より小さいあまりのみすぼらしさに吃驚したものだが、その反動で以前のは大きかったと思い込んだのかもしれない。

お菓子を買いに行くときは十円玉を数枚持っていった。今と違ってパックではない。みな量り売りである。「おばちゃん、○○、50匁(もんめ)チョーダイ」メートル法ではなかった。

大阪でも駅の自動販売機が登場した頃である。全て単能機で、国鉄では運賃別に何台か並んでいた。餘談になるが、大阪市営地下鉄は全線均一15円で大人小人の区別がなかった。だから大人20円、小人10円の設定になった時は、私には値下がりだった。運賃の値下げは生涯ただ一度の経験だ。

自動販売機は当初はレヴァーが附いていて、金を入れたあと、そのレヴァーをガチャンと引き下げると切符がコトンと出てきた。このレヴァー式はすぐに姿を消した。小松左京の「紙か髪か」にこのレヴァー式のシーンが出ている。貴重な文献!だ。もっともこのショートショートではレヴァーをガチャガチャやっても切符が出てこなくなったのである。何故かは原作をお読みください。

あまらぼ鍋屋町

2018年2月 3日 (土)

五十銭銀貨、一銭銅貨

五十銭銀貨は次の落語にも出てくる。

「足上り」

足が上がるとはイマドキ聞かない言葉であるが“馘首”になること。四谷怪談を背景にした芝居話である。しかし上方落語の通例で怪談と言っても少しも怖くなく馬鹿馬鹿しいのである。大店の番頭が店の金を使い込んでの芝居見物、お附きの丁稚を先に帰す。主人にことがバレテしまう丁稚と主人のやりとり、番頭が帰ってきてから丁稚とのやり取りと、大作ではないが面白いシーンの連続である。以下は丁稚が先に帰る場の独白である。同じく「特選!!米朝落語全集」東芝EMIから引く(第五集

帰りに小遣いまでもろうた。、、、、紙に包んで二枚。、、、、五十銭銀貨やったら一円。そんなべらぼうなこと、、、、。そやけど穴はあいてないさかいに、五十銭銀貨やなかったら、、、、二銭。

、、、、、縁にギザギザがあったら五十銭銀貨やし、ギザギザが無かったら一銭玉やし、ギザギザが、、、、あるある。

その五十銭銀貨と一銭玉(銅貨)である。(三菱東京UFJ銀行貨幣資料館)
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時代が下がって両者が小さくなっても同じような大きさである。
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展示には全ての硬貨が網羅されている訳ではないし、各2種類のみ挙げた)

展示に寸法は書いていないが見較べるとほんの少し五十銭が大きいようだ。しかし単独でしかも手探りでは、ギザしか違いが判らないだろう。今の貨幣だと触ればすぐ区別ができるから、こんなセリフは成立しないし、第一お小遣いに貨幣はあり得ない。

日本はチップの習慣が無い幸いな国であるが、海外では悩まされる。食事の後に小銭を残す場合は別だが、何かを頼むときのチップに硬貨は失礼だというのが通念である。アメリカで最近は一ドル硬貨も流通しているが、一ドル札がいつまでも存続しているのはチップに便利だからとの俗説がある。イマドキもう1ドルではチップにならないから、硬貨を流通させるようになったのか?

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2018年2月 1日 (木)

武内宿禰壹圓札

落語を聞くと、時に昔のお金の話が出てくる。

「二人ぐせ」

変な口癖のある二人、一人は何かあると「飲める」(それで一杯飲める)という。もう一人は何かあると「つまらん」という。前者は「人間が卑しい見られる」、後者は「陰気な、いやーな気になる」と、互いにこれを直しあいしようとする。(以下の対話部分は「特選!!米朝落語全集」(第三十九集)東芝EMIから引く)

「ただでは直らんわい。どや、一回言うたら円スケちゅうのは」

-ええ

「一円の罰金ちゅうねん」

、、、、

「、、、、、武内宿禰一枚、なあ」

-、、、あっさり言うけどなあ、お前。五十銭銀貨二枚枚いうたらかなりのもんやで、お前。、、、、、

あとどうなったかは、落語をお聞きいただきたいが、私が気になっていたのは、武内宿禰の壹圓札と五十銭銀貨である。いつ頃の話だろう?

まあ、この話は時代設定をいつにしても違和感を感じさせないものであるが、60年代から80年代半ばまでは同時代の設定にするとやり難かったはずだ。この頃は千円も、五千円も、一万円も、高額紙幣が全て聖徳太子であった。

しかし、現在のことにして、「福澤諭吉一枚」「樋口一葉二枚」でもあまり面白くないと思う。やはり紙幣と硬貨でないといけない。

この紙幣や硬貨を見に三菱東京UFJ銀行貨幣資料館に行った。この博物館はずっと昔は栄の東海銀行本店にあった。貨幣の展示だけでなく、歌川廣重の「東海道五十三次」の浮世絵をおよそ2カ月毎の展示替えで見せている。展示替えがあるたびに案内が来るので、散歩買い物がてらこの版画展示を見に行くのだが、今回はしっかりとお金の展示も見てきた。

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武内宿禰壹圓札の時代は実に長いことが分った。傳説上のご本人も何代もの天皇に仕えた長寿者であるから、それに倣ったのか?1889年に発行開始、当初は番号が漢数字であったが、1916年からアラビア数字になった。

兌換券なので金に(日本は実質的には銀本位制だった、金本位制は1897年から)交換してもらえるが、なんとその旨を裏面には英語で書いてあることはこれを見るまで知らなかった。

1943年から同じく武内宿禰の図柄で(但し肖像が中央)壹圓札が出ている。しかしもう五十銭が銀貨の時代ではない。

あまらぼ鍋屋町

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