書籍・雑誌

2018年6月 5日 (火)

物語を忘れた外国語 (その4)

やはりイチャモン

第十章 太陽系共通語のルーツ

―、、、、そこには映画『惑星ソラリス』の原作で有名なポーランドのスラニス<ラ>フ・レムや、、、、―(<>は引用者による)

とある。

これはスラヴ諸語を専門とされる黒田氏らしくない珍しいミスだ。

この作家のポーランド語原綴りはStanisław Lemである。ポーランド語の<ł>は勿論Lに関連するのでこのような文字なのだが、現代ポーランド語では(英語で言えば)wの発音をする。*即ち、この作家は假名書きすればスラニス<ワ>フ・レムである。

黒田氏のために辯護すると、氏はロシア語訳で読まれたのかもしれない。ロシア語(で使うキリル文字)にはこの文字は無いのでLに相当するキリル文字Лで代用する。それでうっかりされたのだろうか。タイトルはСолярис(サリャーリス)である。何故ラがラлaではなくリャとなる(と表記する)かは話がずれるので別の機会に。

実は日本へは「ソラリスの陽のもとに」のタイトルで最初はロシア語訳からの重訳で紹介された。だから私が最初に読んだ訳でも「スタニスラフ」となっていた。その後沼野充義氏**によるポーランド語からの直接訳が出て「スタニスワフ」と直された。恥ずかしながら私は最初誤植かと思い、これが正しいと分かってからも、発音しにくいなあ!と思っていた。


また、このアンドレイ・タルコフスキー(ソ聯)監督の映画「惑星ソラリス」は見たが、異世界を象徴する画像としてなんと東京の首都高速道路が出ていたので吃驚するとともに、そのお手軽さに馬鹿馬鹿しくなった。まあ当時のソ聯と日本の表面的インフラ整備状況の差を考えると仕方ない面もあるのだろうが。

そして原作は「知能を持つ海」との対話の試みを主題とする哲学的なものであるのに対し、タルコフスキーの映画はその海が主人公の記憶から作った亡き妻とのやり取りの方が主要になり、表面的ストーリーとしては面白いかもしれないが、原作の深さをかなり損ねていると私は思う。個人的な好みではあるが、原作者のレムもタルコフスキーに激怒したとのことであるから、的は得ているのではないかと自負している。

21世紀になってできたアメリカのリメイク版「ソラリス」は見ていない。アメリカであんな哲学SFをちゃんと映画に作れるのかなあ?と思うからである。「それはお前の偏見に基づく豫断だ、見る価値あるよ!」ならばお教えいただきたい。

そろそろ鉄に戻りましょうか。

以下蛇足
* 以前書いたのと同様の繰り返しで恐縮だが、この<ł>の文字は日本人にも馴染みのある単語にも出てくる。まずは通貨単位のzłoty、殆どの方がズロティと仰り銀行の両替所でも所によってはそう書いてあるが、正しくは「ズウォティ」である。ちょっと古い#が連帯のLech Wałęsa議長、日本ではワレサと紹介されているが「ヴァウェンサ」である。これにはもう一つの間違いがあり、wはウではなくVの音で読む。また語尾にある場合はFの音になる。だからStanisławの最後のwも假名書きするとフである。

#ご本人は「俺は元気で活躍しておる!」とお怒りになるだろう。鍋屋町と10歳と違わない。
これらは虞らく英語経由で紹介されるためであろう。ロシア語同様英語でもLで代用するしかない。ポーランド語を知らない大多数の英語人は(そして他のヨーロッパ人もアジア人も、、、、、)Lの音で発音する。

**弊ブログの参考記事 http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-0f0e.html  

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 4日 (月)

物語を忘れた外国語(その3)

第八章 エストニア語行き星の切符

-、、、、架空の国があれほどリアルに描かれる一方で、物語では常に非現実的に描写される空間がある。 大学だ。 -

これは黒田氏が大学教師である(であった)からそう思われる部分が多いのだろう。分り易い例として挙がっているのは、教授を呼ぶときに本や映画で「教授!」だが、現実には「先生!」である。

「鉄」が文学作品を読むと、鉄道関係はマチガイのオンパレードで、少なくとも私には気になって仕方ないし、読むのも嫌になることがある。これについてのイチャモンは、たとえば

500系のぞみは最高時速240キロ?」 

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/500240-00d6.html

また本文ではなく解説の間違いに関しては「内田百閒電車を待つ」

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-cc02.html

で書いた。

第九章 マイ・フェア・言語学者

―『ピグマリオン』、、、、スウィートは音声学者として非常に優れていた、、、、、「彼にとって、熱烈な音声学者以外の学者は皆愚か者だった」というのだから、、、、―

「ピアニストには三種類しかない。ユダヤ人か、ホモか、下手糞だ」というホロヴィッツの言葉を思い出した。この分類に従うとマルタ・アルゲリッチも内田光子も下手糞になる。ホロヴィッツはウクライナ生まれのユダヤ人だ。

十三章 私的ソビエト文学案内

―チンギス・アイトマーノフ『一世紀より長い一日』、,,,の舞台は中央アジアのカザフである、、、たとえばエゲジイが働く退避駅は、、、、、二重の標記はボランルイがカザフ語で、ブランヌイがロシア語であり、、、、―

鉄道シーンがほんの少しでも、こういう本は読んでみたい。それに著者の名前が良いではないか!

それで若い時に見たソ聯のモノクロ映画を思い出した。何処で見たのかも、ストーリーすらも覚えていないが、中央アジアの乾燥地帯の虞らくはナローゲージのディーゼル機関車のシーンが印象的だった。ひょっとして、若くして亡くなったかなり年上の東京の友人の所で見たのかもしれない。かなり左翼的な人だった。ロシア語も誰かさんのように大学で仕方なくではなく、ソ聯への憧れから学んだようだった。彼は「鉄道模型趣味」の200号に「1号からの読者」としてほんの少し書いている。(なお鉄道模型趣味には最初の謄写版の1号~3号とその後の印刷の1号から-現時点の最新は917号-があるが、彼の場合は印刷の1号からであった)

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 3日 (日)

物語を忘れた外国語(その2)

第二章 ボッコちゃんの動詞活用 

「ボッコちゃん」がする鸚鵡返しに就いて

黒田氏は、―、、、、チェコ語訳には、おそらく訳者ですら気づいていない、興味深い点がある。― と書かれている。

星新一の「ボッコちゃん」はバーに居る美人ロボットだがお頭は空っぽで、たとえば「何が好きなんだい?」と訊ねられると、「何が好きかしら」と繰り返すだけ。しかしチェコ語に(というか英語以外の大抵のヨーロッパの言語に)翻訳するには、「好き」の二人称と一人称は形を変える必要がある。どの言語も大部分の動詞は規則活用するが不規則動詞もあり、よく使う動詞に限ってそうである。

チェコ語を話すボッコちゃんはこれらをしっかり覚えているわけだ。

ただ黒田氏は当然気づかれただろうが、煩雑になるので述べられなかったことがある。

御承知の通り日本語にも動詞の変化はある。しかし人称によって変化するのではなく、動詞の後にどんなものが続くかで変わる。日本語での活用は

 読む 読まない 読みます 読めば 読もう、、、、、という具合である。

客が訊ねる「○○かい?」とボッコちゃんが答える「○○かしら?」では○○の部分はたまたま同形である。しかし

 「○○かい?」に対して「嫌よ、○○しないわ!」と答えるロボットを作ると、○○の部分の形を変えないといけない。

 「食べるかい?」に対しては「嫌よ、食べないわ!」で「食べ」は変化しないが「る」が不要になる。そして

 「飲むかい?」に対して「嫌よ、飲まないわ!」となり「飲む」を「飲ま」と変える必要がある。

星新一はこれを上手に避けているのである。

 

なお、日本語の不規則動詞はたったの2つ、「する」と「来る」だけである。

日本語学習者が動詞を覚えるには否定形で覚えるのがよいと聞いたことがある。

「する」 なら する しない します すれば しよう (不規則)だが

「刷る」 だと 刷る 刷らない 刷ります 刷れば 刷ろう (規則)

「来る」 なら 来る 来ない 来ます 来れば 来よう (不規則)だが

「繰る」 だと 繰る 繰らない 繰ります 繰れば 繰ろう (規則)

つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 2日 (土)

物語を忘れた外国語

黒田龍之助 新潮社 20184

音を作ることが大切 http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-7106.html

に続いて黒田龍之助氏の本についてである。この本は17章および「はじめに」つまり事実上計18章でいろいろな本を紹介している。もとは小説新潮への連載とのことで、面白いとおもったところが多いが、私にはちょっとピンとこなかった箇所もある。もちろん意見を異にするところもある。少しご紹介しよう。

はじめに ライ麦畑の語学教師

スラヴ諸語の研究者だが、一番の専門はロシア語である著者がチェコ語で講演をすることになって、4カ月弱の期間にどういう準備をしたかが書かれている。やったことは基礎単語一万のPCへの打ち込みとチェコ語の読書だ。うーん、後者は思いつくが前者は思いつかなかった。後者はふつうチェコの文学作品をと思うがなんと星新一の作品集のチェコ語訳を選んだ。その理由はここで簡単に私が紹介するのは困難で本書を読んでいただくべきである。この本全体に通じるテーマでもある。前者の一万語はスラヴ語研究者ならでのレヴェルであろう。役に立って講演は成功したそうだ。もう少し具体的展開を知りたいが、話は本、読書、物語と言語の関係が主題となっていってこの興味深い準備の様子には戻らない。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第壱番の超印象的!オープニングテーマみたいだ。

それにしても、レイルマガジン編集者の言を借りれば「ドイツ語万年出戻り初級者」がドイツへ鉄に行く前にはどういうドイツ語復習が良いのだろうか?

全般

本の中の注について

海外のものを和訳したものには注が多く、逆は極めて少ないことが書かれている。これは数年前のNHK第二の「英語で読む村上春樹」を聞いた時にもそういう解説があったとおもう。解説は黒田氏ではなかったので念のため。黒田氏は小説の場合は鬱陶しいと感じていらっしゃるようだし、特に筋に関係なく推測できるなら要らないと考えられているようだが、私はそうは思わない。もちろん本文中に割って入るのは良くないが、欄外にあるのは良い。巻末だと参照するのが面倒だ。特にキリスト教関係や地誌・歴史に関する事項などの背景を知らずに、読み飛ばすとまずいとおもう。これは私が読むのは、小説・物語以外のものがほとんどなので、小説などにもそういう餘計な要求をするのかもしれないが。

いろいろと面白い本なので、、、つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年5月25日 (金)

タイ鉄道と日本軍

―鉄道の戦時動員の実像 19411945年―

柿崎一郎 京都大学学術出版会 20181

日本が米国と戦争をしたことを知らない若者が居るという。広島、長崎への原爆投下は知らない人は居ないだろうから、これはちょっと眉唾ものである。

しかし、大東亜戦争*でタイと日本の関係がどうであったか?となると曖昧な方が多いと思う。それが証拠に、戦後日本がタイに輸出した蒸気機関車を戦後賠償と言う方が結構いらっしゃる。賠償とは戦勝国が敗戦国に課するものである。タイは日本の同盟国であったので、そうではない。

*:この呼び方は日本の野望を表しているのでアカンと言うことで、私の世代は太平洋戦争と教えられたが、これは逆に米国の視点による偏った呼び方である。とにかくまあアジアでの第二次大戦である。

では、逆にタイの若者はよく知っているか?となると、個人的経験ではあるが、泰緬鉄道は完成できなかった、と思っていた人が居たし、タイに空爆を加えたのは日本軍だという人も居て、少し心許ない。もちろん連合国が爆撃―非戦闘員殺傷を目的とする焼夷弾投下ではなく戦略拠点への爆撃である―をしたのであり、泰緬鉄道の建設は当初計画と比べると情けない規模のモノしかできなかったのであるが、、、、

それにタイが日本軍の侵攻・通過を認める前やその後も小競り合い(死者もでた)はあった。

平和ボケで軍や戦争のことについて日本人はよく知らないと言われる。私もその範疇に入る。戦争の話となると、どうしても航空機、戦車、船の話が詳しくなり、ドンパチの戦闘行為とその元になる戦略が注目される。あるいは逆に悲惨な捕虜体験である。

しかし、戦争のためには人をそこまで運ばなければならない。兵器が要る、弾薬の補給もいる。戦闘行為だけではなく、占領を続ける行為も必要である。相手に勝てば捕虜も居る。負けると上手く退却しなければならない。なにより人間は飯を食う。住居も衣服も要る。兵隊だけではなく非戦闘員もいる。考えようによっては代わりのある!人間よりも大切な燃料も運ばなければならない。これらはどうだったか?

「輜重輸卒が兵隊ならば、蜻蛉蝶々も鳥のうち」という戯れ言葉がある。如何に日本軍が兵站**を軽視したかという象徴である。

**:今は情けないことにロジといういい加減な英略語(正しくはロジスティックスlogistics)の方が通用し、輜重(しちょう)も読めない人が結構多いだろう。

この言葉は陸軍士官学校卒業生、つまり職業軍人であった父から聞いた。餘談になるが士官学校の少し上の年次に高木正雄という非常に優秀な生徒が居た。のち韓国大統領になった朴正煕であるが、当時から注目はされていたようである。

さて、その兵站に於いて重要な役割を果たす鉄道はどうだったのか?鉄道聯隊などの軍に属する鉄道は趣味の面でも注目を集めるが、一般の鉄道はどうであったか?占領した国ならば、資材などが許す限り軍が思うように鉄道を使える。しかし、(強制的に)同盟国となったタイにおいてはどうだったのか?

それを詳しく調査した本である。

―本書はタイ国立公文書館に所蔵されていた第2次世界大戦中の軍事輸送に関する豊富な資料を用いて、戦時中の日本による鉄道の戦時動員の全体像の構築と、それに対するタイ側の対応を明らかに、、、―(本書終章から引用、下線は引用者による)

日本は敗戦時にかなりの、殆どと言ってもよい、資料を破棄したので、資料はタイ側のものに頼ることになったのが、当然タイ語でありハードルが高い。著者はタイ語の教科書(その名も「教科書タイ語」(めこん))も書いていらっしゃるほどの方である。そして何より大事なことは著者はタイで学ばれただけではなく、鉄道ファンでありタイ全土を(おそらくは何度も)旅行されているのである。

の本は学術書であり決して読みやすい本ではない。論証のために少しくクドク書かれているところもある。またタイの地名に馴染みのない方は、添えられている地図や略図と見比べて読み進める必要があるだろう。幸い私はタイの鉄道はマレーシア国境の一区間を除いて完乗し、区間によっては何度も乗っているので、鉄道沿いの地名だけには馴染みがあり、この点では苦労しなかった。もちろんその町をよく知っているという訳ではなく、こんな感じの駅だったとか、静態保存の蒸機を撮るために降りた場合は駅附近の町はどんなだったとか、宿泊した場合は汚いホテルだったとか、そういうドーデモエエことばかりであるが。

読み進めるのに全く支障はないが、本文の注は当該ページに附されていてタイ語文献の名がどんどん出てくる。これはラテン文字転写で書かれているが、それがどういう意味かは英語でも日本語でも示されていない。巻末の引用文献リストのタイ語文献名はタイ文字とそのラテン文字転写のみで書かれている。逆に引用文献リストの外国語!文献名はごく一部の英語を除き日本語のオンパレードである。

なおタイの鉄道に関しては同じ著者による

「王国の鉄路」 京都大学学術出版会 学術選書048 

がある。本来はこちらをご紹介する文を先に書くべきであったのだろうが、弊ブログを始める前の2010年の出版であり、時機を逸してしまった。

また、タイに関する予備知識を得るには同じ著者の「物語 タイの歴史」(中公新書)をお勧めできる。

あまらぼ鍋屋町

2018年5月 9日 (水)

音をつくることが大切

ロシア語だけの青春

-ミールに通った日々-  黒田龍之助 現代書館

割込みです。黒田氏の本は面白い。特にスラヴ語関係のものは著者の長く深い体験が反映されるので尚更で、一気に読んでしまう。

幾つかの著書を読んできて、氏が代々木にあったロシア語学校で学んだこと。そしてその名はミール(ロシア語で平和の意*)ということは分かっていた。そのミールが東一夫、多喜子夫妻により設立運営されていたことも分ったが、なぜその塾のようなものが日本のロシア語界で、尊敬の眼差しで見られていたかは分からなかった。

その鍵は「ひたすら発音、そして暗唱 他のやり方は知らない」(帯から)にあった。

たしかに、いくら努力してもネイティヴと全く同様の発音を獲得できる人はごく稀である、少々間違った発音でも通じることは多い。

しかし、だからと言って学習の段階で手を抜いてはイケナイ。大袈裟なくらいにその言語の発音の特徴を真似し、微妙な差に注意を払って学ばなければならない。

特にロシア語の場合はウダレーニエ(強弱アクセント)が重要である。弱いところは母音が変りさえする。日本語は高低アクセントである。英語も強弱アクセントであるが高低も絡む。

タイトルにした「音をつくることが大切」はミールの教授陣が生徒に対して繰り返し言った言葉とのこと。名門大学や定評ある大学院の学生でも発音がおかしいと容赦なく指導されたとのこと。ちなみに黒田氏が中途入学された上智大学の外国語学部では「鬼のイスバ(イスパニア語=スペイン語)地獄のロシア」と言われるほど厳しかったそうであるが、、、、

80年代に中華人民共和国河北省で撮影した時のことを思い出した。ガイドなんぞは使わず、タクシーで撮影したのだが、私がタクシー運転手とのコミュニケーションに苦労しているからか、怪しげな所へ行こうとするからか?日本語を話せるという中国人が2日目に附いてきた。公安だったのか?今と違ってタクシーの運転手のご機嫌を損ねると行動できなかったのである。さてこの男、北京語言学院(現在は北京語言大学)の日本語科を卒業したといった。同国の外国語教育の超名門である。しかし非常に下手糞で半分くらいは何を言っているのか分からなかった。当然ながらガイド料やチップなんぞは拂わない。幸い附いてきたのはその日だけだった。彼は嘘をついていたのかもしれないが、有名学校を卒業していても実力の無いものが居るのは事実である。

また、発音を学ぶに際して必ずしもネイティヴスピーカが優れているとは言えないとも書いてある。ネイティヴで外国人に教えている人間は、下手糞な発音に慣れ過ぎているのである。特に英語なんかはそうかもしれない。また、自分で苦労して獲得したものではないから教え方も分っていない人が居るようだ。

以下蛇足

*ミール:мир 平和、ロシアの宇宙ステーションの名にも採用された、またトルストイの「戦争と平和」はВойна и мир (ヴァイナ・イ・ミール)

同じ発音(ミール)で“世界”の意をもつ語がある。以前はміръと表記されたが、1918年の正書法改革でіの文字が廃止され、表記上区別がつかなくなった。なお当時は平和のミールはмиръと表記された。この二つの語は文脈によっては区別がつかない可能性もある。こんなことでは改悪と思うが外国人が口を出すことではなかろう。

ただ日本語については言う権利があろうし、言うべきである。なぜ旧()假名使いをやめて新假名使いにしたのか?なんでもかんでも発音通りにすればよいというものではない。

そもそも無理で、一時的に出来たとしても、すぐに発音は変っていく。漢字のくだらない制限も要らないし害を及ぼすだけだ。駐とん地(養豚場?)、処方せん(処方しません?)、ら致(これは最近は拉致と書かれているようだが)、、、じつに見苦しい。

ましてや過去の文献や文学を新假名遣いや戦後略字に書き換えるのは是非やめてもらいたいものだ。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月13日 (土)

キリール文字の誕生

原 求作 上智大学出版 2014

この分野には多少興味があるので、専門書はともかく一般書は(そんなに多くないし)だいたい出版されると立ち読みし、たまに買うのだが、この本は何故か見逃していた。

他用(*1)で大阪に帰った時に、J書店の梅田に初めて行った。その時に見つけたのである。J書店も、M書店もK書店も名古屋にあるが、残念ながら品揃えは、特に私の興味のある鉄と落語とこの分野は大阪に比べるとかなり見劣りがする。

前回、意外な縦書きの新書について書いたが、これも意外な縦書きであった。まずはそれに驚いた。外国語を扱うなら横書きの方が遙かに楽なのにと思ったのだ。

キリール文字とは、ロシア語などのスラヴ語で使われる文字である。ロシア文字と言う人もいるが、それはよろしくない。ウクライナ語など東欧の他のスラヴ語でも使う(*2)。現在ロシアなどの支配下にある少数民族の言語(もちろんスラヴ語系ではない)にも使われている。それどころか旧ソ連の影響下にあったモンゴルでモンゴル語の表記にも使われるようになった(*3)。文字の名称としてはあくまでもキリール文字である。英語ではCyrillic Alphabetと呼ぶ。

弊ブログを読んでいただく方にはロシア語なんか耳にしたこともない方が大部分だと思うが、ラテン文字(所謂ローマ字)とちょっと違うこの文字は何処かで目にされたことがあるのではないだろうか。

文字数は言語によって少し異なり、ロシア語に使うものは(現在は)33ある。ラテン文字と形も表す音も同じもの、形は同じだが音が違うもの、ギリシア文字にほぼ同じもの、ラテン文字やギリシア文字には無いもののがある。同じものにはA, E, O, M, Tなど、音が違うものにはB, H, Cなど、ギリシア文字にほぼ同じものにはГ, Д, Ф, Pなど(もちろん音も形も細かいことを言えば微妙に違いがあるが)、ラテン文字やギリシア文字にないものにはЖ, И, Ц, Ч, Шなどがある。

この文字は正教会の宣教師であったキリールとメフォージイ兄弟が9世紀にスラヴ語を表記するために創った、、、と言うなら簡単だが、これでは嘘である。

彼らが創ったのはキリール文字ではなくグラゴール文字と言われるものである。かなり書体が違うものが多い、なんだか古臭い。その改良版がキリール文字である。ただし、この前後関係も長らく解明されていなかった。

創ったと言っても、宣教先で「はい文字はこれです。今日からこれで聖書を書きます。」なんて気楽にやれるものではない。事前の準備初め大変な苦労があった筈なのだが、これは断片的にしかわからない。焚書などにより記録が大きく缺落している時代があるし、宗教がらみなのでプロパガンダみたいな記述で終わっているところも多い(らしい)

キリールとメフォージイと書いたが、実はキリールの方が弟である。しかしキリールの方が格段に頭が良く才能に恵まれていた。(だからキリール文字なのだ)ただ、途中で若死にしてしまった。そしてミッションはかなり年上の兄が跡を継いだ。

私はこの本のタイトルから、キリール文字とそれに直接関連することを主に書いてあるものと思ったが、そうではなかった。歴史的政治的背景、宗教的背景(カソリックと正教会の対立)が大部分を占める。だから縦書きでもよいのだ。文字に関する部分は2つの章、計40ページほどに過ぎない。白状すると、最初に立ち読みした時は「何やこれは」と思った。しかし読み始めると、当時の状況を知らずに文字のことだけをあれこれ論じるのは無理があることがよく分かった。

でもキリール文字とグラゴール文字の関係などもっと直接的に詳しく知りたい。本文の中に出てくる関連書や巻末に紹介してある参考文献をさらに読みたくなった

*1 広角専用の面白いカメラである。これについて書こうとして延び延びになっている。

*2 スラヴ語族の言語でも、キリール文字ではなくラテン文字を使うものも勿論ある。ポーランド語、チェコ語などなど。

*3 中華人民共和国の内蒙古自治区ではモンゴル文字が引き続いて使われた。

モンゴル国でもモンゴル文字への復帰が行われていると聞くが、キリール文字で教育が行き届いてしまったことや、モンゴル文字は漢字や假名と違い横書きできないということもあり、復帰はあまり進んでいないらしい。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月12日 (金)

入門!論理学

野矢茂樹  中公新書 2006年初版

縦書きで文字を書くことはもう全く無い。現に今、キーボードを叩いて出てくる文字は横書きだ。日常(と言っても年に一回ないし数回であるが)税務署への提出書類とか郵便局とか銀行とかの届け全て横書きで、そこへの署名捺印も横書きである。手書きでメモをする時も横書き、縦書きは葬式-厳密には告別式かな-、写真展などで記帳する時くらいなものであろう。縦に、それも慣れない筆ペンで署名すると、下手糞な字がますますバランスを崩すので我ながら情けない。写真展くらい横書きにしてくれればよいのにといつも思う。

しかし、出版社はどういう訳か縦書きに拘る。文藝、特に古典は縦書きでないといけないだろうが、新書などは横書きの方がよほど良いのに、と思う。

この本は、出版社に「タテ書きでやりたい」と言われ、著者が「それはムリです」と答えたものの是非にと頼まれ「そうかい、やってやろうじゃないか」と作ったものらしい。(本書「はじめに」にある)中公新書の表紙も中扉も横書きなのだが、、、、、

野矢氏の本は幾つか読んだ。いま覚えているのは、「新版論理トレーニング」、「論理トレーニング101題」、「入門!言語学(西村義樹氏との共著)」くらいだが、どれも面白かった。でも実はこれらは「論理学」の本ではない。

論理を言葉だけで説明(論証)していくのは面倒なものである。通常は記号をどんどん使う(記号論理学)、そうすれば表現がクドクならずに論理を厳密に表示できる。今回読んだ本は、この方法を避けて「普通の日本語」?だけで説明論証していく試みである。普通の日本語の假名漢字以外に使っているのはローマ字と矢印だけである。ローマ字もその気になれば、甲乙丙、、、とやれば済むので、実際には矢印だけである。

例を挙げると

Aではない)ではない → A

といった具合である。

使う言葉は「ではない」「かつ」「または」「ならば」、、と常識的なものである。しかしこれらを使って厳密に一歩一歩論じていく。もちろん基礎の基礎である、逆、裏、対偶もド・モルガンの法則も説明がある。

たしかに取っつき易く、面白が、読んでいくと面倒になるところもある。平たく言えば「此処は記号使うたほうが簡単やろなあ」と思うところもある。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月20日 (金)

闘う文豪とナチス・ドイツ

副題は-トーマス・マンの亡命日記- 池内 紀 中公新書 20178

その国あるいはその勢力範囲の蒸機や鉄道に興味を抱くと、附随してそこの文化と言語にも興味がわいてくる。存じ上げている鉄道ファンの中にはこの本来附随の筈の方が圧倒的に優勢になり、ジャワ島の製糖線蒸機よりもインドネシアに熱中した方や、ミャンマーの蒸機が事実上なくなる前にミャンマー自体に憑かれてしまった方がいらっしゃるが、私はそこまでにはならない。まあ興味は持ち続けるが。

それで私自身のドイツに関してであるが、友人に連れられて行った蒸機現役最末期の東独旅行が最初であった。関連してドイツ語とドイツ文化圏への興味も途切れ途切れながらも持ち続けている。私淑する先生は小塩節さんとこの本の著者である池内紀さんである。お二人とも読みやすい、しかし内容が濃い本を幾つも出されている。

トーマス・マン ノーヴェル文学賞受賞者であるが、そんなものは貰っても貰わなくても今となっては関係ない20世紀の大文豪である。もちろん存命時にはそれが有形無形の、そして良い影響も悪い影響も本人にも周りにも与えていた。

マンは厖大な日記を書いた。初期のものは自ら焼き捨てたが、最後のものは封印し後世に残した。二度目の封印は有能な娘のエーリカが父を葬ったのち558月に行った。開封は758月。エーリカは69年に亡くなっていた。カタリーナ(カトヤ、カーチヤ)夫人の方がずっと長生きした。

小塩節さんは某ラジオ局のドイツ語講座の講師を長く勤められた。私は背伸びして入門篇ではなく、小塩さんの応用篇を聴いたことがある。交流のあったカーチヤ夫人の思い出が語られていた。またエーリカのことを語学の天才とおっしゃった。例えば英語での講演をするときには英訳は彼女の役目だった。しかしそれにとどまらず、有能な秘書、情報収集掛り、助言者であった。

原書は)全32冊、総計5118頁、、、、、激動の時代を証言する、ヨーロッパ精神史の貴重なドキュメント、、、、原書刊行時には「この日記以外に何ひとつ書かなかったと仮定しても、トーマス・マンがその時代のもっとも重要な作家のひとりであるだろうことは疑いを容れない」とも評される (紀伊国屋書店ウェブサイトから、一部省略)

読んでみたいとも思うが、訳書で全10巻。こういう比較はミットモナイが、安くない本で全て買うとヨーロッパへの航空券が買える。まあドイツ文学の学徒でもないから、抄録やエッセンスが分るような解説が無いものかと思っていた。日本人の例で言えば、永井荷風の「断腸亭日乗」は岩波版で3000ページに及ぶが、摘録や抄録朗読CDなどがある。そういうものが無いかなあという願望である。

抄録の代わりに読むことにした。碩学かつ名文家の解説であるので関連事象や周辺事情も非常に分り易い。

長くアメリカで後にスイスで亡命生活を送り、ついにドイツに戻ることが無かったことは知ってはいたが、その発端や詳細についてはまるで無知であった。

どうしてヒットラーのような怪物が生まれ、人はどうしてそれの成長をゆるし、あるいはどのようにそれと戦ったのか。

そして現在から振り返るともっと重要な点かと思うが、その怪物が滅びてからもどうしてマンはドイツへ戻らなかったのか?戻れなかったのか?

今の日本のことを考えよう。

ある種の人はドイツは周辺国とそこの人々に詫びたのに、同じ敗戦国なのに日本は、、、、、などと言い続ける。そもそもどこまで真実で、どこからが誇張で言い掛かりであるのか。個々人がどう考えるのか?ドイツではナチにだけ責任を押し附け、一般人は知らん顔を決め込んだのではないのか?

真の民主主義国どうしでは戦争に至った実績は無いと言われる。英国とアルゼンチンがフォークランド戦争(西語ではマルビナス戦争)を戦った時、後者は軍事政権であった。日本の周辺の覇権的な国々や跳ね上がりの国々はどうなのか?近い将来どうなると予想すべきか?アジアでも自由主義、民主主義が発展できるのか?

評論家のお手軽な時勢解説本もそれなりにオモシロイかもしれないが、時には真の闘争者の足跡に思いを致すのも良かろう。手に軽い新書なのに読後感は重い。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月14日 (土)

金色夜叉

名作の片隅の鉄道情景(6)

今日の一般の文藝愛好家にとって読む価値ある作品かどうかは疑問の餘地はあるが、発表当時熱狂的に読まれ、演劇化、映画化もされており「名作」であることは間違いない。多くの人がタイトルと熱海の海岸のシーンはなんとなく知っている。しかし最後まで読んだという方は決して多くないと思う。

尾崎紅葉著 新潮文庫 196911月 読んだのは2004544刷改版 である。

使用漢字に疑問あるところ(後述)もそのまま此の版から引きます。ただし原文にはたっぷりルビが附されているが、興味深いものを除き省略します。

P.74 前編 第七章 最後

 「いえ、滊車の中で鮨を食べました」

駅瓣なのか?それとも街中で買うたかは書いていない。日本の駅瓣の起源には諸説あるが、この小説(最初の部分)が発表された1897年にはもう各所にあった。ただ鮨が駅瓣にあったのかは分からない。また鮨と言っても各種あるがどんなのだったろう?

P.92 中編 第一章 冒頭

  新橋停車場の大時計は四時を過ること二分、東海道行の列車は既に客車の扉を鎖して、機関車に烟を噴かせつつ、三十余輌を聯ねて蜿蜒として横はりたるが、、、、

、、、、駅夫は右往左往に奔走して、早く早くと、、、、、

当時はまだ小型の客車なのだが、30輌餘りは壮観だろう。

P.103 同上 最後

  「、、、、それから切符を切って、歩場(プラットフォームのルビあり)へ入るまで、、、、」

  横!横!と或いは急に、或いは緩く叫ぶ声の窓の外面を飛過るとともに、、、、

、、、、場内の彼方より轟く鐸(ベルのルビあり)の音はこの響きと混雑の中を貫きて奔注せり

 プラットフォームという英語は知られていても日本語の定訳が無いことが推測できる。歩場という語がどれだけ使われたのが分らないが、日本語らしい日本語訳ができないまま、プラットーム、短縮して”ホ”ームが定着してしまった。漢語(いわゆる中国語)では站台や月臺(月台)ができたのに。

月臺については「中華特急のスローライフ」に興味深い考察がある

https://nkurashige.wordpress.com/2017/03/17/%e6%9c%88%e5%8f%b0/

P.104 同 第二章 冒頭

 、、、、午後四時発の列車にて赴任する事をも知るを得しかば、、、、

 、、、、、遽に急ぎて、蓬萊橋口より出でんとあたかも、、、、、

蓬萊橋は汐留川にかかっていた橋。今は汐留川自体が最下流を除いて埋め立てられた。この辺りの由緒ある多くの地名も銀座一色に塗り潰された。情けない限りである。我が居住する市には「名駅」という、まるでホームレスの住所のようなのが、しかも広大な地域に広がっている。対のように「汚な小屋」という市名も近くにある。

P.388 続 第五章 冒頭

  遽に千葉に行く事有りて、貫一は午後五時の本所発を期して車を飛せしに、咄嗟、一歩の時を遅れて、二時間後の次回を待つべき倒懸の難に遭へるなり。、、、停車場前の休憩処に入りて、、、、

本所駅は現・錦糸町駅である。1915年改称。

 今は中央・総武線電車が3,4分おきに出ているかな?快速も各停もある

しかし夕方なのに(あるいは夕方だからか?)二時間間隔とは、まさに隔世の感である

P.464 続続 第一章 (一)の二 冒頭

  車は駛せ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、貫一は、、、、遣る方無き五時間の独に、、、、始て西那須野の駅に下車せり。

、、、、、、

 俥を駆りて白羽坂を、、、

西那須野駅は当時はまだ日本鉄道である。1886年那須駅として設置され、91年改称、06年国有化。

五時間とはこれはもうはるかな遠隔地という感じである。いまは普通列車に乗ると宇都宮で乗り換えを餘儀なくされるが、それでも各停で二時間半ほどである。

この時代、自動車はまだない。時代の先端を行くのは俥、ニンベンが示すように人力車である。

金色夜叉は讀賣新聞に1897年(明治30年)11日から1902年(同35年)511日までと長く連載された。尾崎紅葉が亡くなり未完に終わっている。

単行本は 春陽堂 

1898年(同31年)7月、1899年(同32年)1月、1900年(同33年)1月、1902年(同35年)4月、1903年(同36年)6月 と次々出版された。

やはりイチャモン

新潮文庫版は最後のところに 表記について として、次の通り記載されている。

新潮文庫の文字表記については、「原文を尊重する」という見地に立ち、次のように方針を定めました。

一、 旧仮名づかいで書かれた口語文の作品は、新仮名づかいに改める。

二、 文語文の作品は旧仮名づかいのままとする。

三、 旧字体で書かれているものは、原則として新字体に改める。

以下略 

どこか原文尊重なのか?これではシンチョーではなくケーソツ社である。

旧假名づかい(正假名遣い)の文を間違いなく書くのは今の教育を受けた人には難しい。しかし読むのは決して難しくない。わざわざ新假名遣いに改める必要は全くない。私は書けるようにもなりたいと勉強を始めたがまだ無理である。

この小説は文語文なので正假名遣いそのままである。これは良い。しかし何故手間をかけて新字体に改めなければならないのか?正假名づかいにマガイモノ新字体が混じって実に見苦しいし、何よりいくつかの文字、本来別の文字を統合して新字体にしたものは、元はどれだったか頭の体操を強要される。

例としては 餘(あまる)と余(わたし)を統合した余“(上記の引用にもある)や、

辨(わける)、瓣(はなびら)、辯(<ことばで>あきらかにする)、弁(かんむり)の4つを統合した“弁”などである。もっとも現代語の弁にはかんむりの意味はないが。

あまらぼ鍋屋町

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