書籍・雑誌

2018年10月 1日 (月)

日本語を考える本を読んで 3

日本語のしくみ≪新版≫ 山田敏弘著 白水社 2015

さて、例によってイチャモンを、、、、おっと疑問点を挙げよう。

・ 「いる」と「ある」

ii の最初は「区別のしくみ」で、その中にこれについて書いたところがある。

日本語は動詞でも生きているものと生きていないものを区別する。

御承知の通り英語などではこの区別は無い。 There is XX などの言い方で、中学校で習った時には「ヒトもモノも一緒くたか、ケッタイやなあ」と思ったものだ。

例に挙がっているのは

 ディズニーランドで子どもが言いました。

     あー、プーさんがいる。  

     あー、プーさんがある。

「いる」のほうは、(共産党独裁の某覇権主義大国の指導者ではなく<引用者追記)着ぐるみを着たプーさんが、、、、、、「ある」のほうは、みやげ物屋に置いてあるぬいぐるみを、、、、

、、、、、、、

  、、、駅で「電車いるよ。」と言えばこれから動き出すことが、、、

  、、、反対に、乗物博物館に展示してある車や電車には、絶対「いる」は使いません。乗物は生き物同様、動くことを前提に「いる」を使っているのです。 (下線は引用者追記)

 

これはオカシイ。こんな「絶対に」という断定ができるだろうか?実際に博物館で子どもや鉄の言動を注意深く見聞きしていたら、こうは書かないと思う。

私の周辺の鉄はかなりの割合で、「京都鉄道博物館にいるC53はもとは交通科学館にいた機関車で、、、、」などと言う。

 

・「お茶が入りましたよ」と「お茶を入れましたよ」

   (電車内のアナウンス)ドアが閉まります。ご注意ください。

   、、、、、

    「誰が、、、、、」などと言う人は、自動詞が結果性を表すという日本語の特性を、、、、 

ここまではよい。しかし

    ただ、昔は「ドアが閉まります、、、、」と言っていた電車のアナウンスも、最近では、「 ドアを閉めます、、、、」となりました。

 ここでも著者は断定しているが、会社によって違うし、個人によって違う。

 

・「お知らせのしくみ」

電車か気動車のドアの所の写真が載せてあり続いて

    「ボタンを押せばドアが開きます。」私には、どうしても、「押さなきゃ開かない」とわざわざ言っているように思えてなりませんでした。(下線は引用者による)

 

ここでは、私には思える と断定を避けているので、その点はよいが、鍋屋町には著者が何が気に入らないのか?おっと、何を問題としたいのか?が理解できないのである。

続けて次のように書いてゐる

 

    東北地方では、条件の「ば」を、共通語より広い意味・用法で使います。、、、、、、

    、、、形として共通語にも「ば」があるため、共通語だと思っているのです。、、、、

 

著者にはどういう表記が自然に思えるのだろうか?

    ボタンを押すとドアが開きます

これなら好とされるのだろうか?鍋屋町には変わらないように感じられる。「押さないと開かない」とわざわざ言っていることにおいて変わりはない。ドアに近附いたら、勝手に開くと思っている都会モンのためには、単に開閉と書くだけでは不足で、こういう注意書きが必要なのだから。

ボタンを押してドアを開けてください

これは押し附けがましい、、、と感じる。英語ならPush to Openと簡単に書けるが、日本語では非常用設備以外は丁寧な表記が一般的だ。

 

例によってイチャモンを附けたが、それだけ面白い本で読んでみる価値が大いにあるということであるので誤解いたかないようにお願いする。

 

あまらぼ鍋屋町

2018年9月30日 (日)

日本語を考える本を読んで 2

日本語のしくみ≪新版≫ 山田敏弘著 白水社 2015

つづきです。

・ 「数のしくみ」のなかの「2系列の数字」

日本語には「ひとつ、ふたつ、みっつ、、、」と数える日本語固有(和語)の数え方と、「いち、に、さん、、、、、」と数える漢語起源の数え方があるのはご承知の通りであり、また和語では事実上「とお」までしか数えられない。*

鍋屋町はその和語のなかで、「よっつ」と「やっつ」は似ていて紛らわしいなあと思っていたが、実は「ひとつ」と「ふたつ」、「みっつ」と「むっつ」もそれぞれ相互に似ていて、ペアを成している。つまり一部の母音を入れ替えて倍数を作っているのである。(mittsu muttsuiuの違いだけ)一つだけ気附いてあとは気附かないとは我ながら鈍いことである。

そんなショーモナイこと何の役に立つの?とのコメントが聞こえてきそうだが、日本語の起源を研究する手掛かりになっているようだ。もっとも、起源なんか探って何の役に?となると、鍋屋町としては「そやけど、オモロイやん」としか言いようが無い。

・「数人」は何人?(コラム)

最近の若い人だと数人、数年、数本などの「数」を「2か3」人と捉えている人が多いことが紹介されている。これは鍋屋町は気附かなかった。日頃お附きあいしている方は若い人だと思っていても皆さん立派な?中年で、本当に若い方があまりいらっしゃらないからだろうか。

・「教えられる」と「教えれる」

私が大阪から名古屋に移った時に非常にケッタイに感じたのが、「ら抜き言葉」と「敬語の乱れ」であった。今も違和感が非常に強い。

その頃に世の中にら抜きことばが出始めたのかなとも思ったのだが、著者(岐阜生まれ、学業や教職・研究はは名古屋、大阪、ローマなどで)によると、

   中部地方などでは「ら抜き」があたりまえです。、、、、、「ら抜き」を批判されること自体、方言差別をされているように、、、、、

名古屋人に訊ねてもイマイチ分らなかった疑問に答えが与えられた。

この部分を見て、立ち読みではなく、購入して丁寧に読んでみようと思ったのである。

「敬語の乱れ」については鉄道アナウンスについていろいろ書きたいことがあるのでいつか別稿にて書きます。

蛇足

*:タイ語では固有語を使う範囲がもっと狭く、1(ヌーン)だけ、2以降は漢語起源である。それで99まで数える。しかし百とか千などの単位となる語は漢語起源ではない。

イチャモンは次回に

あまらぼ鍋屋町


2018年9月29日 (土)

日本語を考える本を読んで 1

日本語のしくみ≪新版≫ 山田敏弘著 白水社 2015

白水社に「XX語のしくみ」というシリーズがあり、同社のPRキャッチフレーズ?では―通読できる入門書―となっている。とは言っても体系的な入門書ではなく、「こんな言語ですよ」と紹介する書である。 

そのシリーズの中の異色の存在がこの「日本語のしくみ」である。* 外国人向けの日本語紹介ではなく日本人が、「あえて外国語を学ぶのと同じように、日本語について考えていく(本書前書きから)」としている。

比較などにでてくる言語は英語、フランス語、イタリア語、漢語(所謂中国語)、韓国語(とは書かずに避けている個所もある**)、ヴィエトナム語であるが、鍋屋町としてはロシア語なども入れてくれると論議が面白くなるところがあるのにという感がした。

読むにあたって中学初級レヴェルの英語以外の予備知識は不要である

体は i とii の二部にわかれていて、とくにiiがおもしろい。一つの項目は必ず見開き2頁で終る構成になっている。厳格に2頁としているため、もう少し書けば面白いのにと思う点が幾つかある。他にコラムにして1頁で紹介している事項もある。

ずは、なるほどねえと思った部分を少しご紹介する。いずもiiにある。

・「て」と「て、」は違う? (コラム)

と題して、<て>には三つの用法すなわち、

結果をともなっていること、

同じ主語の連続する動作、

並列した二つのできごとを表す、

の三つを説明している。鉄活動で用例を鍋屋町がでっち上げてみると

ヴューカメラを持って北海道へ行く

北海道へ行って駅舎撮影をする

夏はヨーロッパへ保存鉄道撮影に行って、冬は東南アジアへ乗り潰しに行く

2者では「て」のあとに「、」は無くてよいが、3つ目では「、」があった方が良い(もちろん絶対ではない)。 この差を利用した官僚の作文テクニックとして

 A税を廃止してB税を新設する

 A税を廃止して、B税を新設する

後者なら別々の行為なので別々の審議が要るが、前者ならA税の廃止がB税の新設の前提となる、、、というのが官僚の(そしてそれに乗った政治家の)遣り口である。しかし日本語には正書法がないので絶対の基準ではない。著者も書いているようにこれは都合の良い運用である。

蛇足

*:別方向への異色の存在として、「比較で読みとくスラヴ語のしくみ」がある。これについてはhttp://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-911e.html

で書いた。

**:某公共?放送局がこの言語の講座を始めるに際して、韓国語としても朝鮮語としても批難を浴びることを懼れ「ハングル講座」という馬鹿馬鹿しい名称にした。ハングルはあくまでもこの言語を表記するのに用いる文字のことであり、この言語のことではない。つまり日本語講座を「假名講座」と呼ぶようなものである。以降、この放送局に関係ない出版物にもハングルXXとかYYハングルという名称が跋扈し、挙句にこの言語自体をハングルとかハングル語とよぶ人まで出てくる始末である。この放送局が日本語!に対して犯した大罪の一つである。

ちなみに教えている内容実態は当然ながら韓国語であるが、学術的にはこの言語は朝鮮語である。英語ではKorean languageKoreaKoreanは高麗という語が起源)であり問題が発生しない。そして、日本に居る西欧人でも日本語をよく知らないと韓国/朝鮮という用語の差異が分らない人が居る。

なお、著者は「韓国・朝鮮語」と書いているところもある。

長くなったので、つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 5日 (火)

物語を忘れた外国語 (その4)

やはりイチャモン

第十章 太陽系共通語のルーツ

―、、、、そこには映画『惑星ソラリス』の原作で有名なポーランドのスラニス<ラ>フ・レムや、、、、―(<>は引用者による)

とある。

これはスラヴ諸語を専門とされる黒田氏らしくない珍しいミスだ。

この作家のポーランド語原綴りはStanisław Lemである。ポーランド語の<ł>は勿論Lに関連するのでこのような文字なのだが、現代ポーランド語では(英語で言えば)wの発音をする。*即ち、この作家は假名書きすればスラニス<ワ>フ・レムである。

黒田氏のために辯護すると、氏はロシア語訳で読まれたのかもしれない。ロシア語(で使うキリル文字)にはこの文字は無いのでLに相当するキリル文字Лで代用する。それでうっかりされたのだろうか。タイトルはСолярис(サリャーリス)である。何故ラがラлaではなくリャとなる(と表記する)かは話がずれるので別の機会に。

実は日本へは「ソラリスの陽のもとに」のタイトルで最初はロシア語訳からの重訳で紹介された。だから私が最初に読んだ訳でも「スタニスラフ」となっていた。その後沼野充義氏**によるポーランド語からの直接訳が出て「スタニスワフ」と直された。恥ずかしながら私は最初誤植かと思い、これが正しいと分かってからも、発音しにくいなあ!と思っていた。


また、このアンドレイ・タルコフスキー(ソ聯)監督の映画「惑星ソラリス」は見たが、異世界を象徴する画像としてなんと東京の首都高速道路が出ていたので吃驚するとともに、そのお手軽さに馬鹿馬鹿しくなった。まあ当時のソ聯と日本の表面的インフラ整備状況の差を考えると仕方ない面もあるのだろうが。

そして原作は「知能を持つ海」との対話の試みを主題とする哲学的なものであるのに対し、タルコフスキーの映画はその海が主人公の記憶から作った亡き妻とのやり取りの方が主要になり、表面的ストーリーとしては面白いかもしれないが、原作の深さをかなり損ねていると私は思う。個人的な好みではあるが、原作者のレムもタルコフスキーに激怒したとのことであるから、的は得ているのではないかと自負している。

21世紀になってできたアメリカのリメイク版「ソラリス」は見ていない。アメリカであんな哲学SFをちゃんと映画に作れるのかなあ?と思うからである。「それはお前の偏見に基づく豫断だ、見る価値あるよ!」ならばお教えいただきたい。

そろそろ鉄に戻りましょうか。

以下蛇足
* 以前書いたのと同様の繰り返しで恐縮だが、この<ł>の文字は日本人にも馴染みのある単語にも出てくる。まずは通貨単位のzłoty、殆どの方がズロティと仰り銀行の両替所でも所によってはそう書いてあるが、正しくは「ズウォティ」である。ちょっと古い#が連帯のLech Wałęsa議長、日本ではワレサと紹介されているが「ヴァウェンサ」である。これにはもう一つの間違いがあり、wはウではなくVの音で読む。また語尾にある場合はFの音になる。だからStanisławの最後のwも假名書きするとフである。

#ご本人は「俺は元気で活躍しておる!」とお怒りになるだろう。鍋屋町と10歳と違わない。
これらは虞らく英語経由で紹介されるためであろう。ロシア語同様英語でもLで代用するしかない。ポーランド語を知らない大多数の英語人は(そして他のヨーロッパ人もアジア人も、、、、、)Lの音で発音する。

**弊ブログの参考記事 http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-0f0e.html  

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 4日 (月)

物語を忘れた外国語(その3)

第八章 エストニア語行き星の切符

-、、、、架空の国があれほどリアルに描かれる一方で、物語では常に非現実的に描写される空間がある。 大学だ。 -

これは黒田氏が大学教師である(であった)からそう思われる部分が多いのだろう。分り易い例として挙がっているのは、教授を呼ぶときに本や映画で「教授!」だが、現実には「先生!」である。

「鉄」が文学作品を読むと、鉄道関係はマチガイのオンパレードで、少なくとも私には気になって仕方ないし、読むのも嫌になることがある。これについてのイチャモンは、たとえば

500系のぞみは最高時速240キロ?」 

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/500240-00d6.html

また本文ではなく解説の間違いに関しては「内田百閒電車を待つ」

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-cc02.html

で書いた。

第九章 マイ・フェア・言語学者

―『ピグマリオン』、、、、スウィートは音声学者として非常に優れていた、、、、、「彼にとって、熱烈な音声学者以外の学者は皆愚か者だった」というのだから、、、、―

「ピアニストには三種類しかない。ユダヤ人か、ホモか、下手糞だ」というホロヴィッツの言葉を思い出した。この分類に従うとマルタ・アルゲリッチも内田光子も下手糞になる。ホロヴィッツはウクライナ生まれのユダヤ人だ。

十三章 私的ソビエト文学案内

―チンギス・アイトマーノフ『一世紀より長い一日』、,,,の舞台は中央アジアのカザフである、、、たとえばエゲジイが働く退避駅は、、、、、二重の標記はボランルイがカザフ語で、ブランヌイがロシア語であり、、、、―

鉄道シーンがほんの少しでも、こういう本は読んでみたい。それに著者の名前が良いではないか!

それで若い時に見たソ聯のモノクロ映画を思い出した。何処で見たのかも、ストーリーすらも覚えていないが、中央アジアの乾燥地帯の虞らくはナローゲージのディーゼル機関車のシーンが印象的だった。ひょっとして、若くして亡くなったかなり年上の東京の友人の所で見たのかもしれない。かなり左翼的な人だった。ロシア語も誰かさんのように大学で仕方なくではなく、ソ聯への憧れから学んだようだった。彼は「鉄道模型趣味」の200号に「1号からの読者」としてほんの少し書いている。(なお鉄道模型趣味には最初の謄写版の1号~3号とその後の印刷の1号から-現時点の最新は917号-があるが、彼の場合は印刷の1号からであった)

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 3日 (日)

物語を忘れた外国語(その2)

第二章 ボッコちゃんの動詞活用 

「ボッコちゃん」がする鸚鵡返しに就いて

黒田氏は、―、、、、チェコ語訳には、おそらく訳者ですら気づいていない、興味深い点がある。― と書かれている。

星新一の「ボッコちゃん」はバーに居る美人ロボットだがお頭は空っぽで、たとえば「何が好きなんだい?」と訊ねられると、「何が好きかしら」と繰り返すだけ。しかしチェコ語に(というか英語以外の大抵のヨーロッパの言語に)翻訳するには、「好き」の二人称と一人称は形を変える必要がある。どの言語も大部分の動詞は規則活用するが不規則動詞もあり、よく使う動詞に限ってそうである。

チェコ語を話すボッコちゃんはこれらをしっかり覚えているわけだ。

ただ黒田氏は当然気づかれただろうが、煩雑になるので述べられなかったことがある。

御承知の通り日本語にも動詞の変化はある。しかし人称によって変化するのではなく、動詞の後にどんなものが続くかで変わる。日本語での活用は

 読む 読まない 読みます 読めば 読もう、、、、、という具合である。

客が訊ねる「○○かい?」とボッコちゃんが答える「○○かしら?」では○○の部分はたまたま同形である。しかし

 「○○かい?」に対して「嫌よ、○○しないわ!」と答えるロボットを作ると、○○の部分の形を変えないといけない。

 「食べるかい?」に対しては「嫌よ、食べないわ!」で「食べ」は変化しないが「る」が不要になる。そして

 「飲むかい?」に対して「嫌よ、飲まないわ!」となり「飲む」を「飲ま」と変える必要がある。

星新一はこれを上手に避けているのである。

 

なお、日本語の不規則動詞はたったの2つ、「する」と「来る」だけである。

日本語学習者が動詞を覚えるには否定形で覚えるのがよいと聞いたことがある。

「する」 なら する しない します すれば しよう (不規則)だが

「刷る」 だと 刷る 刷らない 刷ります 刷れば 刷ろう (規則)

「来る」 なら 来る 来ない 来ます 来れば 来よう (不規則)だが

「繰る」 だと 繰る 繰らない 繰ります 繰れば 繰ろう (規則)

つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年6月 2日 (土)

物語を忘れた外国語

黒田龍之助 新潮社 20184

音を作ることが大切 http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-7106.html

に続いて黒田龍之助氏の本についてである。この本は17章および「はじめに」つまり事実上計18章でいろいろな本を紹介している。もとは小説新潮への連載とのことで、面白いとおもったところが多いが、私にはちょっとピンとこなかった箇所もある。もちろん意見を異にするところもある。少しご紹介しよう。

はじめに ライ麦畑の語学教師

スラヴ諸語の研究者だが、一番の専門はロシア語である著者がチェコ語で講演をすることになって、4カ月弱の期間にどういう準備をしたかが書かれている。やったことは基礎単語一万のPCへの打ち込みとチェコ語の読書だ。うーん、後者は思いつくが前者は思いつかなかった。後者はふつうチェコの文学作品をと思うがなんと星新一の作品集のチェコ語訳を選んだ。その理由はここで簡単に私が紹介するのは困難で本書を読んでいただくべきである。この本全体に通じるテーマでもある。前者の一万語はスラヴ語研究者ならでのレヴェルであろう。役に立って講演は成功したそうだ。もう少し具体的展開を知りたいが、話は本、読書、物語と言語の関係が主題となっていってこの興味深い準備の様子には戻らない。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第壱番の超印象的!オープニングテーマみたいだ。

それにしても、レイルマガジン編集者の言を借りれば「ドイツ語万年出戻り初級者」がドイツへ鉄に行く前にはどういうドイツ語復習が良いのだろうか?

全般

本の中の注について

海外のものを和訳したものには注が多く、逆は極めて少ないことが書かれている。これは数年前のNHK第二の「英語で読む村上春樹」を聞いた時にもそういう解説があったとおもう。解説は黒田氏ではなかったので念のため。黒田氏は小説の場合は鬱陶しいと感じていらっしゃるようだし、特に筋に関係なく推測できるなら要らないと考えられているようだが、私はそうは思わない。もちろん本文中に割って入るのは良くないが、欄外にあるのは良い。巻末だと参照するのが面倒だ。特にキリスト教関係や地誌・歴史に関する事項などの背景を知らずに、読み飛ばすとまずいとおもう。これは私が読むのは、小説・物語以外のものがほとんどなので、小説などにもそういう餘計な要求をするのかもしれないが。

いろいろと面白い本なので、、、つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年5月25日 (金)

タイ鉄道と日本軍

―鉄道の戦時動員の実像 19411945年―

柿崎一郎 京都大学学術出版会 20181

日本が米国と戦争をしたことを知らない若者が居るという。広島、長崎への原爆投下は知らない人は居ないだろうから、これはちょっと眉唾ものである。

しかし、大東亜戦争*でタイと日本の関係がどうであったか?となると曖昧な方が多いと思う。それが証拠に、戦後日本がタイに輸出した蒸気機関車を戦後賠償と言う方が結構いらっしゃる。賠償とは戦勝国が敗戦国に課するものである。タイは日本の同盟国であったので、そうではない。

*:この呼び方は日本の野望を表しているのでアカンと言うことで、私の世代は太平洋戦争と教えられたが、これは逆に米国の視点による偏った呼び方である。とにかくまあアジアでの第二次大戦である。

では、逆にタイの若者はよく知っているか?となると、個人的経験ではあるが、泰緬鉄道は完成できなかった、と思っていた人が居たし、タイに空爆を加えたのは日本軍だという人も居て、少し心許ない。もちろん連合国が爆撃―非戦闘員殺傷を目的とする焼夷弾投下ではなく戦略拠点への爆撃である―をしたのであり、泰緬鉄道の建設は当初計画と比べると情けない規模のモノしかできなかったのであるが、、、、

それにタイが日本軍の侵攻・通過を認める前やその後も小競り合い(死者もでた)はあった。

平和ボケで軍や戦争のことについて日本人はよく知らないと言われる。私もその範疇に入る。戦争の話となると、どうしても航空機、戦車、船の話が詳しくなり、ドンパチの戦闘行為とその元になる戦略が注目される。あるいは逆に悲惨な捕虜体験である。

しかし、戦争のためには人をそこまで運ばなければならない。兵器が要る、弾薬の補給もいる。戦闘行為だけではなく、占領を続ける行為も必要である。相手に勝てば捕虜も居る。負けると上手く退却しなければならない。なにより人間は飯を食う。住居も衣服も要る。兵隊だけではなく非戦闘員もいる。考えようによっては代わりのある!人間よりも大切な燃料も運ばなければならない。これらはどうだったか?

「輜重輸卒が兵隊ならば、蜻蛉蝶々も鳥のうち」という戯れ言葉がある。如何に日本軍が兵站**を軽視したかという象徴である。

**:今は情けないことにロジといういい加減な英略語(正しくはロジスティックスlogistics)の方が通用し、輜重(しちょう)も読めない人が結構多いだろう。

この言葉は陸軍士官学校卒業生、つまり職業軍人であった父から聞いた。餘談になるが士官学校の少し上の年次に高木正雄という非常に優秀な生徒が居た。のち韓国大統領になった朴正煕であるが、当時から注目はされていたようである。

さて、その兵站に於いて重要な役割を果たす鉄道はどうだったのか?鉄道聯隊などの軍に属する鉄道は趣味の面でも注目を集めるが、一般の鉄道はどうであったか?占領した国ならば、資材などが許す限り軍が思うように鉄道を使える。しかし、(強制的に)同盟国となったタイにおいてはどうだったのか?

それを詳しく調査した本である。

―本書はタイ国立公文書館に所蔵されていた第2次世界大戦中の軍事輸送に関する豊富な資料を用いて、戦時中の日本による鉄道の戦時動員の全体像の構築と、それに対するタイ側の対応を明らかに、、、―(本書終章から引用、下線は引用者による)

日本は敗戦時にかなりの、殆どと言ってもよい、資料を破棄したので、資料はタイ側のものに頼ることになったのが、当然タイ語でありハードルが高い。著者はタイ語の教科書(その名も「教科書タイ語」(めこん))も書いていらっしゃるほどの方である。そして何より大事なことは著者はタイで学ばれただけではなく、鉄道ファンでありタイ全土を(おそらくは何度も)旅行されているのである。

の本は学術書であり決して読みやすい本ではない。論証のために少しくクドク書かれているところもある。またタイの地名に馴染みのない方は、添えられている地図や略図と見比べて読み進める必要があるだろう。幸い私はタイの鉄道はマレーシア国境の一区間を除いて完乗し、区間によっては何度も乗っているので、鉄道沿いの地名だけには馴染みがあり、この点では苦労しなかった。もちろんその町をよく知っているという訳ではなく、こんな感じの駅だったとか、静態保存の蒸機を撮るために降りた場合は駅附近の町はどんなだったとか、宿泊した場合は汚いホテルだったとか、そういうドーデモエエことばかりであるが。

読み進めるのに全く支障はないが、本文の注は当該ページに附されていてタイ語文献の名がどんどん出てくる。これはラテン文字転写で書かれているが、それがどういう意味かは英語でも日本語でも示されていない。巻末の引用文献リストのタイ語文献名はタイ文字とそのラテン文字転写のみで書かれている。逆に引用文献リストの外国語!文献名はごく一部の英語を除き日本語のオンパレードである。

なおタイの鉄道に関しては同じ著者による

「王国の鉄路」 京都大学学術出版会 学術選書048 

がある。本来はこちらをご紹介する文を先に書くべきであったのだろうが、弊ブログを始める前の2010年の出版であり、時機を逸してしまった。

また、タイに関する予備知識を得るには同じ著者の「物語 タイの歴史」(中公新書)をお勧めできる。

あまらぼ鍋屋町

2018年5月 9日 (水)

音をつくることが大切

ロシア語だけの青春

-ミールに通った日々-  黒田龍之助 現代書館

割込みです。黒田氏の本は面白い。特にスラヴ語関係のものは著者の長く深い体験が反映されるので尚更で、一気に読んでしまう。

幾つかの著書を読んできて、氏が代々木にあったロシア語学校で学んだこと。そしてその名はミール(ロシア語で平和の意*)ということは分かっていた。そのミールが東一夫、多喜子夫妻により設立運営されていたことも分ったが、なぜその塾のようなものが日本のロシア語界で、尊敬の眼差しで見られていたかは分からなかった。

その鍵は「ひたすら発音、そして暗唱 他のやり方は知らない」(帯から)にあった。

たしかに、いくら努力してもネイティヴと全く同様の発音を獲得できる人はごく稀である、少々間違った発音でも通じることは多い。

しかし、だからと言って学習の段階で手を抜いてはイケナイ。大袈裟なくらいにその言語の発音の特徴を真似し、微妙な差に注意を払って学ばなければならない。

特にロシア語の場合はウダレーニエ(強弱アクセント)が重要である。弱いところは母音が変りさえする。日本語は高低アクセントである。英語も強弱アクセントであるが高低も絡む。

タイトルにした「音をつくることが大切」はミールの教授陣が生徒に対して繰り返し言った言葉とのこと。名門大学や定評ある大学院の学生でも発音がおかしいと容赦なく指導されたとのこと。ちなみに黒田氏が中途入学された上智大学の外国語学部では「鬼のイスバ(イスパニア語=スペイン語)地獄のロシア」と言われるほど厳しかったそうであるが、、、、

80年代に中華人民共和国河北省で撮影した時のことを思い出した。ガイドなんぞは使わず、タクシーで撮影したのだが、私がタクシー運転手とのコミュニケーションに苦労しているからか、怪しげな所へ行こうとするからか?日本語を話せるという中国人が2日目に附いてきた。公安だったのか?今と違ってタクシーの運転手のご機嫌を損ねると行動できなかったのである。さてこの男、北京語言学院(現在は北京語言大学)の日本語科を卒業したといった。同国の外国語教育の超名門である。しかし非常に下手糞で半分くらいは何を言っているのか分からなかった。当然ながらガイド料やチップなんぞは拂わない。幸い附いてきたのはその日だけだった。彼は嘘をついていたのかもしれないが、有名学校を卒業していても実力の無いものが居るのは事実である。

また、発音を学ぶに際して必ずしもネイティヴスピーカが優れているとは言えないとも書いてある。ネイティヴで外国人に教えている人間は、下手糞な発音に慣れ過ぎているのである。特に英語なんかはそうかもしれない。また、自分で苦労して獲得したものではないから教え方も分っていない人が居るようだ。

以下蛇足

*ミール:мир 平和、ロシアの宇宙ステーションの名にも採用された、またトルストイの「戦争と平和」はВойна и мир (ヴァイナ・イ・ミール)

同じ発音(ミール)で“世界”の意をもつ語がある。以前はміръと表記されたが、1918年の正書法改革でіの文字が廃止され、表記上区別がつかなくなった。なお当時は平和のミールはмиръと表記された。この二つの語は文脈によっては区別がつかない可能性もある。こんなことでは改悪と思うが外国人が口を出すことではなかろう。

ただ日本語については言う権利があろうし、言うべきである。なぜ旧()假名使いをやめて新假名使いにしたのか?なんでもかんでも発音通りにすればよいというものではない。

そもそも無理で、一時的に出来たとしても、すぐに発音は変っていく。漢字のくだらない制限も要らないし害を及ぼすだけだ。駐とん地(養豚場?)、処方せん(処方しません?)、ら致(これは最近は拉致と書かれているようだが)、、、じつに見苦しい。

ましてや過去の文献や文学を新假名遣いや戦後略字に書き換えるのは是非やめてもらいたいものだ。

あまらぼ鍋屋町

2018年1月13日 (土)

キリール文字の誕生

原 求作 上智大学出版 2014

この分野には多少興味があるので、専門書はともかく一般書は(そんなに多くないし)だいたい出版されると立ち読みし、たまに買うのだが、この本は何故か見逃していた。

他用(*1)で大阪に帰った時に、J書店の梅田に初めて行った。その時に見つけたのである。J書店も、M書店もK書店も名古屋にあるが、残念ながら品揃えは、特に私の興味のある鉄と落語とこの分野は大阪に比べるとかなり見劣りがする。

前回、意外な縦書きの新書について書いたが、これも意外な縦書きであった。まずはそれに驚いた。外国語を扱うなら横書きの方が遙かに楽なのにと思ったのだ。

キリール文字とは、ロシア語などのスラヴ語で使われる文字である。ロシア文字と言う人もいるが、それはよろしくない。ウクライナ語など東欧の他のスラヴ語でも使う(*2)。現在ロシアなどの支配下にある少数民族の言語(もちろんスラヴ語系ではない)にも使われている。それどころか旧ソ連の影響下にあったモンゴルでモンゴル語の表記にも使われるようになった(*3)。文字の名称としてはあくまでもキリール文字である。英語ではCyrillic Alphabetと呼ぶ。

弊ブログを読んでいただく方にはロシア語なんか耳にしたこともない方が大部分だと思うが、ラテン文字(所謂ローマ字)とちょっと違うこの文字は何処かで目にされたことがあるのではないだろうか。

文字数は言語によって少し異なり、ロシア語に使うものは(現在は)33ある。ラテン文字と形も表す音も同じもの、形は同じだが音が違うもの、ギリシア文字にほぼ同じもの、ラテン文字やギリシア文字には無いもののがある。同じものにはA, E, O, M, Tなど、音が違うものにはB, H, Cなど、ギリシア文字にほぼ同じものにはГ, Д, Ф, Pなど(もちろん音も形も細かいことを言えば微妙に違いがあるが)、ラテン文字やギリシア文字にないものにはЖ, И, Ц, Ч, Шなどがある。

この文字は正教会の宣教師であったキリールとメフォージイ兄弟が9世紀にスラヴ語を表記するために創った、、、と言うなら簡単だが、これでは嘘である。

彼らが創ったのはキリール文字ではなくグラゴール文字と言われるものである。かなり書体が違うものが多い、なんだか古臭い。その改良版がキリール文字である。ただし、この前後関係も長らく解明されていなかった。

創ったと言っても、宣教先で「はい文字はこれです。今日からこれで聖書を書きます。」なんて気楽にやれるものではない。事前の準備初め大変な苦労があった筈なのだが、これは断片的にしかわからない。焚書などにより記録が大きく缺落している時代があるし、宗教がらみなのでプロパガンダみたいな記述で終わっているところも多い(らしい)

キリールとメフォージイと書いたが、実はキリールの方が弟である。しかしキリールの方が格段に頭が良く才能に恵まれていた。(だからキリール文字なのだ)ただ、途中で若死にしてしまった。そしてミッションはかなり年上の兄が跡を継いだ。

私はこの本のタイトルから、キリール文字とそれに直接関連することを主に書いてあるものと思ったが、そうではなかった。歴史的政治的背景、宗教的背景(カソリックと正教会の対立)が大部分を占める。だから縦書きでもよいのだ。文字に関する部分は2つの章、計40ページほどに過ぎない。白状すると、最初に立ち読みした時は「何やこれは」と思った。しかし読み始めると、当時の状況を知らずに文字のことだけをあれこれ論じるのは無理があることがよく分かった。

でもキリール文字とグラゴール文字の関係などもっと直接的に詳しく知りたい。本文の中に出てくる関連書や巻末に紹介してある参考文献をさらに読みたくなった

*1 広角専用の面白いカメラである。これについて書こうとして延び延びになっている。

*2 スラヴ語族の言語でも、キリール文字ではなくラテン文字を使うものも勿論ある。ポーランド語、チェコ語などなど。

*3 中華人民共和国の内蒙古自治区ではモンゴル文字が引き続いて使われた。

モンゴル国でもモンゴル文字への復帰が行われていると聞くが、キリール文字で教育が行き届いてしまったことや、モンゴル文字は漢字や假名と違い横書きできないということもあり、復帰はあまり進んでいないらしい。

あまらぼ鍋屋町

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