言語

2018年12月 4日 (火)

京成電鉄旧博物館動物園駅 一般公開

弊ブログでは国内ものをあまり取り上げないのですが、たまには行動記録として残しておきます。

私には京成電鉄は大手民鉄の中でも最も馴染みのない鉄道の一つである。止むを得ず成田空港を利用するが中空―成田の便が取れなかった時に日暮里‐空港を利用するくらいであった。その他の区間も全て国鉄民鉄完乗のために乗ったことがあるが、再度乗る機会はほとんどない。

ローカル線は全て乗りたかったが、大手民鉄の乗り潰しなんぞはするつもりは無かった。しかし大阪南部育ち、名古屋に職を得た田舎モンになんと花のお江戸で3年半ほど勤務する機会があった。30年以上昔のことである。それで、この機会に、、、と乗ったのである。その一環で用もない上野-日暮里間も乗った。この駅の存在はその時に知ったが、ワザワザ写真を撮ることまではしなかった。

この駅自体、閉鎖の経緯、今回の公開行事については簡単にネット検索や京成のPRで見られるので「屋下屋を重ねる*」解説は控える。以下私個人の感想などだけである。

20181202pc020076 20181202pc020075
駅外観と整理券

東京に他用のあった翌日(日曜日)に行った。朝11時からだが整理券方式とのことなので、10時半過ぎに現場に着いた。ここで田舎モンは考えが甘いことを思い知らされた。天気の悪い日でも日曜なのである、残っていた整理券は15時半から入場の最終回が数枚であった。私が単独であることを知ると、掛の方は14時半からのキャンセル1枚があると言ってくださった。16時が公開終了時刻なので滞在可能時間が長いそれを貰った。入替制はとっていない。(考えが甘かったことにより、この後に行った写真展の鑑賞がわずか20分ほどになってしまった)

なお掛の方のお話では、整理券配布は10時からで、金曜日ですら11時には整理券は全く無くなったとのことである。


20181202pc0200792 20181202pc020222
左はエントランスの天井である。左下に見えているのはアナウサギなのであろう。

広い階段の左半分を使って、スライドを利用して京成電鉄やこの駅の歴史説明などがあった。

その説明の中で初めて知ったことだが、京成にも「テレビカー」があったとのこと。有名な京阪のより23か月後とのことである。そしてその当時の写真がないので探しているとのことであった。

京阪の特急は学生時代に通学に使っていたのであるが、テレビカーに乗るのは避けていた。流しているのは愚にもつかない歌謡番組か、喧しい野球中継で、この種のモノは大嫌いなのである。たまに間違って乗ってしまうと、他の車輛へ移って立つのも辛いし天井のスピーカからの大音声を46分間じっと忍耐であった。(当時は京橋~七条無停車で今より速かった)

20181202pc020195 20181202pc020196_2
人が途切れた瞬間を狙っての階段と窓口跡

20181202pc020100 20181202pc020113
今回見学できるのは途中の踊り場までであり、ホームはもとより、階段下の切符売り場にも近づけない。

そして、踊り場から下の階段にいたるところはガラスで仕切られていて、そこは落書きを楽しむ馬鹿馬鹿しいイヴェントを行っている。ガラス越しに撮影するのに落書きの無い所を探さねばならないが、ほとんど残っていなかった。この落書きは金土日の3日分を記録したのち次の週の公開に備えて消すようである。

例によってイチャモンを書いたが、30年前に機会を逃した田舎モンにはアリガタイ公開であり、関係者にお礼を申し上げる。

(蛇足)

*:現在は一般に「屋上屋を重ねる」というが、本来の言い方はこれであった。屋上に屋を重ねたら、立派なものはペントハウス、ショボイものでもテント程度にはなり、その屋の下を有効利用できる。しかし屋の下に屋を設置しても精々飾りになるだけで場所の有効利用にはならない。

あまらぼ鍋屋町

2018年11月28日 (水)

ホムトフ機関区

ホムトフChomutovはプラハの北西60kmほどにある町である。ドイツ国境まで10kmほどで、プラハよりはケムニッツ(情けないことに鍋屋町にはいまだにカール・マルクス・シュタットという強烈な名前の方がピンとくる)の方が直線距離では近いくらいである。

ここにホムトフ機関区Železniční depozitář Chomutovがあり、約100輌の車輛(うち蒸気機関車が20輌餘り)保管されている。保管には扇形庫を利用していて、見学可能な蒸機は全て轉車台とは反対側に頭を揃えている。

この保管区域は前々回書いた国立技術博物館が管理していて、開館は木曜から日曜である。見学者は(通常は)庫外のチェコ鉄道が運営管理する区域には出られない。さらに建物内(保管区域)に柵があり、その先の轉車台側は補修のために区分してあり、見学者はそこから先は行けない。

見えるところに居る蒸機だけは一応撮影してきたが、柵の向こうにつまり轉車台側にあるものもあり、それらはキチンと撮れてはいない。現場の説明板はチェコ語、独逸語、英語となっていたので、それを手掛かりにいろいろと調べてみた。ただ静態保存機を延々と紹介しても退屈なブログがますます退屈になるので、ここではごく一部だけに留めよう。

入口に假置きしてあるカマ
20180927dsc_283522_s
Poldi no.7との愛称がある。工場名(元は人名か?)からと推測されるが、調べきれなかった。 800mmゲージ 0-4-0T

1937年 ČKD Českomoravská-Kolben-Daněk)製 製番1724

クラドノKladnoのプラハ製鉄所用に製造された。800B50型と呼ばれた11輌の一つ。連結器の更に前に張り出しているビームからみて推進運転専用で使われたのかもしれないが詳細は分らない。

入っていくと最初の展示はこの蒸気ロータリー
20180927dsc_2840s 20180927dsc_28422s
チェコではSM-01と呼ばれた。DRDeutsche Reichsbahn)では727541のち775002とされた。1943年製 ヘンシェルの供給であるが、下請けに多く任せていたとのこと。その具体的な輌数や部分は不明である。

DR当時はブレスラウBreslau(現在はポーランドのヴロツワフWrocław)配属であったが、ブレスラウがズデーテン地方も管轄していたので第二次大戦の終了後チェコのものとなった。リベレツ地方Liberecký kraj*で使用された。

5mまでの積雪に対応と説明板にあった。日本より雪質が軽いだろうが、車高より高いのにホンマに大丈夫?という感はする。 

422.025 (kkStB die kaiserlich-königlichen Staatsbahnen帝立王立国有鉄道(オーストリア)では178.49
20180927dsc_2867

178の最初の4輌はクラウス・リンツで1900年に製造
当機は1907První Česko-moravská továrna na stroje v Praze (チェコ-モラヴィア第一機械製作所在プラハ、ČKDの前身)の製造

ローカル線用のカマであるがサイドタンクにArcivévoda Karlとちょっとモッタイナイ立派な愛称のプレートがある。Arcivévodaはオーストリアの大公のことでカレル大公、独語でErzherzog Karl、英語でArchduke Charles(うーむ<<偏見!)の貴顕は何人か居る。

最も有名なのはナポレオン時代のオーストリア皇族で軍人カール・フォン・エスターライヒであるが、製造年代から考えると最後のオーストリア皇帝カールI世(1907年当時に皇帝は大伯父のフランツ・ヨーゼフI世でカール大公は皇位継承2位であった)であろう**

カマの方であるが1960年引退だが77年に動態復帰し2002年まで動いたとのこと

322.032 

ウースティー・テプリツェÚstí Teplice鉄道 IIIa
20180927dsc_2896s

1870年ハルトマンHartmann製 

この私鉄は石炭輸送を目的として発足したが、旅客営業も行った。IIIa9輌製造され、旅客営業に使用されたが、1924年以降のČSDでは入換機としての使用であった。

このカマはDonnersbergと名附けられたが、これはテプリツェの南東にある山ミレショフカMilešovkaの独逸名である。彫刻まで施された優美なスプラッシャーが印象的であるが、これをランボードとして使うのは面倒だっただろうと思う。

残念ながら展示されている多くの機関車はロッドの一部を外されたままで、これもその一つである。人手が無くて、搬入時其の儘なのだろうか、あるいは他の場所での運転(この機関車はもう無理だが)や展示に備えて敢えてとり附けないのか。

U47.001
20180927dsc_3015s

760mmゲージ 1907年ヘンシェル製0-4-4-0T マレー・タンク機である。***

元はセルビア国鉄用でDonja ĆuprijaRavna Reka線(ドニャ・チュプリヤ-ラヴナ・レカ)に配置された。チェコのインジフーフ・フラデツ鉄道には第一次大戦後の1921年に配置された、1961年まで使用され、65年に国立技術博物館入りしたが、92年から14年まで再度このナロー路線で使用された。同鉄道は24ČSD に編入、98年民営化Jindřichohradecké místní dráhy(JHMD インジフーフ・フラデツ地方鉄道)となっている。

(蛇足)

*:クライKrajには適切に対応する英訳、独訳が無いようで日本語訳も一定しない。チェコの地域区分・行政単位の最高位である。リベレツ・クライの主要都市はチェスカー・リーパČeská Lípa、リベレツLiberecなど。

**:カールI世の皇后ツィタは長生きした。王権神授説を信じ、退位を認めない頑固な婆さん(失礼)が居るというのを昔どこかで読んだ。死後にやっとオーストリアに戻ることができ、ウィーンのシュテファン大聖堂で葬儀が営まれた(1989)が、反対が非常に強かった。20世紀もそろそろ先が見えてきたころにハップスブルク、ブルボン、、、、でニュースに驚いた記憶がある。

***:現場の英語解説は独逸語からの重訳と推察される。というのはその英文ではこれがテンダー機となっているからである。独逸語のTenderlokomotiveをウッカリそのまま轉用したものであろう。独逸語のテンダーロコはテンダーを備えている機関車という意味で、英語や日本語などではタンク機である。独逸語でテンダー機はSchleptenderlokomotive (テンダーを引張る機関車)という。

また独逸語のStrecke(区間、路線)を英語でRailwayと訳している箇所もあり、英語だけを見ると判断を誤りそうだ。どんな国でも現地語(ここではチェコ語)での記述が一番充実し信頼できるであろうから、少しでもわかると良いのだが。歴史的経緯から独逸語での記述は英語よりは信頼できるだろう。

つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年11月14日 (水)

トラムで暇潰し(プラハ)

鉄道以外の展示物もそれなりに面白かったが、博物館で一日居るわけにもいかないので、館内で昼食を摂った後は外に出てトラムで暇潰しとした。

20180926dsc_2361
技術博物館の近くで、、、、後は「パドゥアのアントニア教会」
Kostel Sv. Antonína Paduánskéhoである。

街中の中心で撮影したり乗ったりした後、ヴルタヴァ川Vltava沿いに少し南に行ってみた。日本ではモルダウMoldauの方が馴染みがあり、私もそうだ。しかしこれは独逸語名、およびそれに基づく英語名である。
20180926dsc_38112

20180926dsc_2603 20180926dsc_2667



夕方に街の中心に戻った。カレル橋
Karlův mostの袂である。

カレル、如何にもチェコの男の名前、カレル・チャペック、山椒魚戦争と連想が働いてしまうが、15世紀にできた橋と、兄がナチの強制収容所で亡くなった20世紀の作家とは当然ながら関係が無い。こちらのカレルは神聖ローマ帝国カルル四世に因む。英語ではCharles Bridgeとなってしまう。東京辯で言うところの「なんだかなあ」であろうか?たしかにそう書くしかないのだが、、、、*
20180926dsc_2751_2 20180926dsc_2808s
カレル橋の上にも行ってみたが大混雑、半分と言わないが三分の一くらいは某Z国**の声の大きい(失礼、、、よくとおる声の、、、)観光客であった。中欧に来た感じがしない。スメタナがこの情景を見たら京劇に想を得た曲でも書くだろうか。彫刻その他見どころがあるのだが、阿呆らしくなってさっさと宿に戻ってしまった。

<蛇足>

*:ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世というと重々しく、信徒でなくともアリガターイという感がするが、英語ではPope John Paul II(ポウプ・ジョン・ポール・ザ・セカンド)となる。なんだかポップ歌手の兄ちゃんみたいだ。如何にも鍋屋町が言いそうなイチャモンであるが残念ながら鍋屋町のオリジナルではない。どこかで読んだのだが出典を探しだせない。

ちなみにヨハネ・パウロ二世はポーランド出身で、空飛ぶ教皇と呼ばれるほど各国を訪問し、旧共産国の自由化・民主化に影響を及ぼした。現在ポーランドなどの旧共産国で蒸機撮影ができるようになったことの数十分の一くらいは-そんなことは意図していなかっただろうが-彼のお蔭と言えるかもしれない。

**:正確に言えは人口の9割以上を占める族である。

プラハのトラムも地面を這う巨大芋虫(=低床車)が跋扈していて、乗るには良いが撮影は結構効率が悪かったことを附記しておく。



あまらぼ鍋屋町

2018年11月13日 (火)

国立技術博物館(プラハ)の蒸機

チェコは前々回とその前に書いたムラデェヨフ産業鉄道Mladějovská průmyslová dráha訪問が主な目的であったが、ギリギリの日程でチェコに往復しても英国での撮影も中途半端になるのでチェコ滞在には少し余裕を持たせた。しかし他に訪問可能な蒸機運転の鉄道は既に訪問したことのあるインジフーフ・フラデツ地方鉄道Jindřichohradecké místní dráhy だけであった。しかも数年前から本来のカマではなくポーランドから持って来た(私は相応しくないと思う)Px48が主に動いている。

それで、博物館2箇所を訪問することとした。

まずはプラハの国立技術博物館Národní technické muzeumである。プラハ本駅(中央駅)Praha hlavní nádražíから地下鉄+路面電車(歩いてもしれている)で簡単に行ける。路面電車だけでも行けるが、日本と違って都市交通は乗換自由であるのでこうしても交通費節約にはならない。

ここは7,8輌の蒸機を所有しているとも聞くが、館内に展示してあるのは以下の4輌のみである。

蒸機は大ホールの一階(日米中での呼び方で)にいるが、自動車など他の展示物も多い。天井からは小型軽量の航空関係の展示が吊り下げられている。ホール四周には上まで小物の展示を伴う歩廊があるので、そこからは少し遠いが蒸機の上部も見られる。博物館にしても他の施設にしても、カマの上部の観察が可能なところは意外と少ない。鉄道模型はどうしても上から見ることが多いので、模型好きには貴重な場と言える。

入口を入ったところからの光景はこれである。
20180925p9255826

右の機関車は375.007 kkStB*では 310.15 

kkStB (k.k. Staatsbahnen)は日本語訳をどうするのがよいのか、帝立王立国有鉄道か。ともかくオーストリア=ハンガリー帝国のオーストリア側国営鉄道であった。

20180925dsc_2199 20180925dsc_2134
輪配置264(アドリアティックAdriatic)の複式4気筒機、使用炭が良くないので大きな火室を採用し従輪2軸としている。1911 První Česko-moravská továrna na stroje v Praze 製番.390 日本語定訳があるのかどうか分らないが、意味としてはチェコ-モラヴィア第一機械製作所在プラハである。ČKDの前身にあたる。

優美な大きな動輪の径は2140mmあり、最高速度100km/h、ゲルスドルフKarl Gölsdorfの設計である。

愛称Hrbounとある、何かと調べてみたらネコ背。この呼び方は知らなかったが、たしかにサイドヴューは獲物に跳びかかろうとする猫族の感じはある。

テンダーは821.039 (1915年製)

375.007の背後にはこれがいる。
20180925dsc_21742
800mm
ゲージ クラウス・ミュンヘンの1884年製 0-4-0WT(ウェルタンク**)

1924年にボイラ換装されている。クラドノKladnoの製鉄所で使用された。クラドノはプラハの北西25kmほどにある都市である。レストアされて1986年ヴァンクーヴァの万博でも展示されたとのこと。

左の機関車は252.008 
20180926dsc_2341  20180925dsc_2204
オーストリア北西鉄道Rakouská severozápadní dráha(独逸語Österreichische Nordwestbahn, ÖNWB)の4-4-0急客機、ÖNWBでは Ib型、kkStBでは 301型 最高速度は80km/h

1881年ヴィーナー・ノイシュタット製Wiener Neustädter Lokomotivfabrik Aktien Gesellschaft der Lokomotiv-Fabrik vormals G. Sigl 製番2586
テンダー412.008はフローリスドルフFlorisdorf 1892年製

252.008の左手前(最初の写真では見えない位置)にはエンゲルト機がいる。
20180925p9256004 20180925dsc_2120
シュチェフラト鉄道Buštěhradská dráha(独逸語:Buschtěhrader EisenbahngesellschaftBEB)のI.103

ヴィーン・ラーブ鉄道Wien-Raaber Bahn(のちOstbahn)の自社工場製1855年製 製番295 瓣装置はグーチ式Gooch
20180926p9266254_2
名称
Kladnoについては上述の都市名からであろう。このカマはここからプラハに石炭を運ぶのに活躍した。現存するチェコ最古の蒸気機関車である。

(蛇足)
*:独逸語では形容詞は小文字で書き始めるので、略号でもそれを踏襲するのが通例である。固有名詞から派生した形容詞でも小文字で書き始めるので、この点は英語と異なる。
**:ウェルwellとは井戸のこと。日本では何故かボトムタンクとも言う。インド人が英語で書いた本で一度だけだがボトムタンクという表記を見たことがあるが、まさかそれを真似たわけではなかろう。

写真の貼附け忘れを追加しました。(11月14日)

あまらぼ鍋屋町

2018年11月 5日 (月)

エンゲルト Engerth locomotive

チェコの首都プラハPraha*の東約100kmにムラデェヨフ・ナ・モラヴィェMladějov na Moravěという小さな村がある**。ここから600ミリゲージのムラデェヨフ産業鉄道*3Mladějovská průmyslová dráha 約18kmがほぼ南に向けて伸びている。

石炭、耐火粘土など各種のもの運んだのでこういう名称なのであろう。第一次大戦後1920年には鉄道の建設は終わっていたようだが、認可は24年まで持ち越されたそうだ。

1991年に閉止され、その後は保存鉄道になった。

此処にはエンゲルトEngerth locomotiveがいてヨーロッパのファンには大いに注目されていたし、日本からの訪問者も結構いらっしゃったと思う。近年独逸からの撮影ツアーも何度かあったが日程が合わず、鍋屋町は訪問の機会を逃していた。

ところがこのエンゲルトの運転(通常使用)が今年限りになりそうだということで、英国旅行の日程を急遽一部変更して訪問した。保存鉄道で通常はディーゼル機関車使用であり、蒸機を使用する日はごく限られている。

現在ここには3台の蒸気機関車が残っている。

訪問時に動いていたのは1号機であった。

クラウスリンツの1920年製
20180928dsc_3158

20180928dsc_3454
この連接機関車はヴィルヘルム・フォン・エンゲルト*4の考案によるもので、オーストリアのゼンメリング鉄道Semmeringbahnでの使用を目的に開発された。

テンダー(と機関車本体)が連接構造になっていて、機関車側の主台枠に繋がっている。これによりテンダーの重量のかなりの部分を機関車側に掛け、動輪上重量を増大させている。

ただし、最初のゼンメリング鉄道用のものはロッドが中間軸を駆動し、それが歯車で前後の全動軸に伝達される構造であった。しかしこの歯車駆動、全軸駆動は当時の工作精度も手傳って実用面では問題が多く、後には現在みられる機関車のようにテンダーの連接構造だけが採用されていくことになった。

連接構造のためにキャブ内はこのようになっている。
20180928p9286945

つまり床も機関車側とテンダー側に分れていて、相対的に動く。機関士やカマ焚きが立つ床はテンダー側である。

同様のエンゲルト機(テンダー側は無動力)はマリアツェル鉄道、ピンツガウ地方鉄道*5、など++(いずれもオーストリア)でも運転されている。なお、ツィラタール鉄道*6にも近年ボスニアから似た外観の機関車が導入され、こちらばかり運転されているが、これは純粋にテンダー機である。++

 

庫内には5号機がいた。撮影チャーターではないので外で撮ることは叶わなかったが、ストロボで苦労して撮影していたら、電燈を点けてくださった。

クラウスリンツの1929年製

並んだ状態の写真は撮れなかったので分りにくいが、1号機と較べるとかなり大きい。
20180928dsc_3122
壁ギリギリで右側はマトモな写真は撮れなかったので、ここに挙げることは省略する。

来年からはこのBS80型が使用される予定のことである。
20180928dsc_3150
作業中で機械工具類が多く、これ以上サイドに寄れなかった。4号機(第2代)であるが現地では銘板や表記を確認できなかった。

1951 ČKD (Českomoravská-Kolben-Daněk*7)

走行写真は次回にします。

最後になりましたが、海外鉄道研究会のMさんに現地の地図、撮影適地などを教えていただきました。ここに記して感謝申し上げます。

(以下蛇足)

*:英語ではPrague

**:近くの比較的大きな町としてはチェスカー・トシェボヴァーČeská Třebováがあり、まともなホテルがある。鉄道の少し南のモラフスカー・トシェボヴァーMoravská Třebováの街にもホテルがあるので、車で行くならこちらの方が便利であろう。ペーパードライヴァの私は荷物と日程の都合でプラハに宿をとり、出庫時の情景を撮影するため夜明け前の列車で出て深夜の列車で戾った。

*3:坐りの悪い訳語であるが、当該鉄道のウェブサイトの英語ページがMladějov industrial railwayとしているので(独逸語も同様)、それに従った。

*4:Wilhelm Freiherr von Engerth,  ヴィルヘルム・フォン・エンゲルト男爵

シレジア(現ポーランド)生まれのオーストリアの土木建築および機械技術者 鉄道ではゼンメリング鉄道、StEGdie Österreichisch-ungarische Staatseisenbahn-Gesellschaft)などで活躍したが、ドナウ川の治水、ウィーン世界博覧会など広く従事し貴族院議員にも選ばれ、爵位を得た。

5:これも少し坐りの悪い訳語と思う。(「富山地方鉄道」ファンの皆さん、ごめんなさい)

独逸語ではPinzgauer Lokalbahnピンツガウアー・ロカールバーン。独逸語では英語と強勢位置が違うので、ローカルではなくロカールである。

*6:Zillertalbahn、チラタールという表記も見るが、独逸語のZは英語で言えばTSの音であり、CHの音ではない。昔の日本人はtsuは発音できてもtsatsiなどは発音できなかったのでchachiなどで代用してきた。定着してしまった例にはチューリッヒZürich,(ツューリッヒ)があり、同市のウェブサイト日本語ページもチュとしている。しかし今日の日本人は発音できるので、定着してしまったものは仕方ないにせよ、この鉄道はツィラタールと表記する方がベターと思う。鉄道関係で同様の例にはツィタウZittauなどがある。チでも否定するつもりはないが、年寄り臭い。

餘談になるが、独逸語では語頭がzすなわち英語のts音で始まる語が大変多いが、兄弟言語である英語にはtsで始まる(一般の)単語は皆無であった。一般化した英単語でtsで始まる語は日本語からの輸入のTSUNAMI(津波)が最初と言える。

*7:チェコスロヴァキア、現チェコ最大のメーカ・エンジニアリング会社(の一つ)。路面電車ファンにはタトラのメーカとしてお馴染みだろう。

++ 原文にカンチガイによる誤りがありましたので訂正しました。メイルでご指摘をいただきました。感謝いたします。

ヴァルトフィアテル鉄道(Waldviertelbahn)にエンゲルトがあるとご教示いただいきましたが鍋屋町は未見です。

あまらぼ鍋屋町

2018年10月 1日 (月)

日本語を考える本を読んで 3

日本語のしくみ≪新版≫ 山田敏弘著 白水社 2015

さて、例によってイチャモンを、、、、おっと疑問点を挙げよう。

・ 「いる」と「ある」

ii の最初は「区別のしくみ」で、その中にこれについて書いたところがある。

日本語は動詞でも生きているものと生きていないものを区別する。

御承知の通り英語などではこの区別は無い。 There is XX などの言い方で、中学校で習った時には「ヒトもモノも一緒くたか、ケッタイやなあ」と思ったものだ。

例に挙がっているのは

 ディズニーランドで子どもが言いました。

     あー、プーさんがいる。  

     あー、プーさんがある。

「いる」のほうは、(共産党独裁の某覇権主義大国の指導者ではなく<引用者追記)着ぐるみを着たプーさんが、、、、、、「ある」のほうは、みやげ物屋に置いてあるぬいぐるみを、、、、

、、、、、、、

  、、、駅で「電車いるよ。」と言えばこれから動き出すことが、、、

  、、、反対に、乗物博物館に展示してある車や電車には、絶対「いる」は使いません。乗物は生き物同様、動くことを前提に「いる」を使っているのです。 (下線は引用者追記)

 

これはオカシイ。こんな「絶対に」という断定ができるだろうか?実際に博物館で子どもや鉄の言動を注意深く見聞きしていたら、こうは書かないと思う。

私の周辺の鉄はかなりの割合で、「京都鉄道博物館にいるC53はもとは交通科学館にいた機関車で、、、、」などと言う。

 

・「お茶が入りましたよ」と「お茶を入れましたよ」

   (電車内のアナウンス)ドアが閉まります。ご注意ください。

   、、、、、

    「誰が、、、、、」などと言う人は、自動詞が結果性を表すという日本語の特性を、、、、 

ここまではよい。しかし

    ただ、昔は「ドアが閉まります、、、、」と言っていた電車のアナウンスも、最近では、「 ドアを閉めます、、、、」となりました。

 ここでも著者は断定しているが、会社によって違うし、個人によって違う。

 

・「お知らせのしくみ」

電車か気動車のドアの所の写真が載せてあり続いて

    「ボタンを押せばドアが開きます。」私には、どうしても、「押さなきゃ開かない」とわざわざ言っているように思えてなりませんでした。(下線は引用者による)

 

ここでは、私には思える と断定を避けているので、その点はよいが、鍋屋町には著者が何が気に入らないのか?おっと、何を問題としたいのか?が理解できないのである。

続けて次のように書いてゐる

 

    東北地方では、条件の「ば」を、共通語より広い意味・用法で使います。、、、、、、

    、、、形として共通語にも「ば」があるため、共通語だと思っているのです。、、、、

 

著者にはどういう表記が自然に思えるのだろうか?

    ボタンを押すとドアが開きます

これなら好とされるのだろうか?鍋屋町には変わらないように感じられる。「押さないと開かない」とわざわざ言っていることにおいて変わりはない。ドアに近附いたら、勝手に開くと思っている都会モンのためには、単に開閉と書くだけでは不足で、こういう注意書きが必要なのだから。

ボタンを押してドアを開けてください

これは押し附けがましい、、、と感じる。英語ならPush to Openと簡単に書けるが、日本語では非常用設備以外は丁寧な表記が一般的だ。

 

例によってイチャモンを附けたが、それだけ面白い本で読んでみる価値が大いにあるということであるので誤解いたかないようにお願いする。

 

あまらぼ鍋屋町

2018年9月30日 (日)

日本語を考える本を読んで 2

日本語のしくみ≪新版≫ 山田敏弘著 白水社 2015

つづきです。

・ 「数のしくみ」のなかの「2系列の数字」

日本語には「ひとつ、ふたつ、みっつ、、、」と数える日本語固有(和語)の数え方と、「いち、に、さん、、、、、」と数える漢語起源の数え方があるのはご承知の通りであり、また和語では事実上「とお」までしか数えられない。*

鍋屋町はその和語のなかで、「よっつ」と「やっつ」は似ていて紛らわしいなあと思っていたが、実は「ひとつ」と「ふたつ」、「みっつ」と「むっつ」もそれぞれ相互に似ていて、ペアを成している。つまり一部の母音を入れ替えて倍数を作っているのである。(mittsu muttsuiuの違いだけ)一つだけ気附いてあとは気附かないとは我ながら鈍いことである。

そんなショーモナイこと何の役に立つの?とのコメントが聞こえてきそうだが、日本語の起源を研究する手掛かりになっているようだ。もっとも、起源なんか探って何の役に?となると、鍋屋町としては「そやけど、オモロイやん」としか言いようが無い。

・「数人」は何人?(コラム)

最近の若い人だと数人、数年、数本などの「数」を「2か3」人と捉えている人が多いことが紹介されている。これは鍋屋町は気附かなかった。日頃お附きあいしている方は若い人だと思っていても皆さん立派な?中年で、本当に若い方があまりいらっしゃらないからだろうか。

・「教えられる」と「教えれる」

私が大阪から名古屋に移った時に非常にケッタイに感じたのが、「ら抜き言葉」と「敬語の乱れ」であった。今も違和感が非常に強い。

その頃に世の中にら抜きことばが出始めたのかなとも思ったのだが、著者(岐阜生まれ、学業や教職・研究はは名古屋、大阪、ローマなどで)によると、

   中部地方などでは「ら抜き」があたりまえです。、、、、、「ら抜き」を批判されること自体、方言差別をされているように、、、、、

名古屋人に訊ねてもイマイチ分らなかった疑問に答えが与えられた。

この部分を見て、立ち読みではなく、購入して丁寧に読んでみようと思ったのである。

「敬語の乱れ」については鉄道アナウンスについていろいろ書きたいことがあるのでいつか別稿にて書きます。

蛇足

*:タイ語では固有語を使う範囲がもっと狭く、1(ヌーン)だけ、2以降は漢語起源である。それで99まで数える。しかし百とか千などの単位となる語は漢語起源ではない。

イチャモンは次回に

あまらぼ鍋屋町


2018年9月29日 (土)

日本語を考える本を読んで 1

日本語のしくみ≪新版≫ 山田敏弘著 白水社 2015

白水社に「XX語のしくみ」というシリーズがあり、同社のPRキャッチフレーズ?では―通読できる入門書―となっている。とは言っても体系的な入門書ではなく、「こんな言語ですよ」と紹介する書である。 

そのシリーズの中の異色の存在がこの「日本語のしくみ」である。* 外国人向けの日本語紹介ではなく日本人が、「あえて外国語を学ぶのと同じように、日本語について考えていく(本書前書きから)」としている。

比較などにでてくる言語は英語、フランス語、イタリア語、漢語(所謂中国語)、韓国語(とは書かずに避けている個所もある**)、ヴィエトナム語であるが、鍋屋町としてはロシア語なども入れてくれると論議が面白くなるところがあるのにという感がした。

読むにあたって中学初級レヴェルの英語以外の予備知識は不要である

体は i とii の二部にわかれていて、とくにiiがおもしろい。一つの項目は必ず見開き2頁で終る構成になっている。厳格に2頁としているため、もう少し書けば面白いのにと思う点が幾つかある。他にコラムにして1頁で紹介している事項もある。

ずは、なるほどねえと思った部分を少しご紹介する。いずもiiにある。

・「て」と「て、」は違う? (コラム)

と題して、<て>には三つの用法すなわち、

結果をともなっていること、

同じ主語の連続する動作、

並列した二つのできごとを表す、

の三つを説明している。鉄活動で用例を鍋屋町がでっち上げてみると

ヴューカメラを持って北海道へ行く

北海道へ行って駅舎撮影をする

夏はヨーロッパへ保存鉄道撮影に行って、冬は東南アジアへ乗り潰しに行く

2者では「て」のあとに「、」は無くてよいが、3つ目では「、」があった方が良い(もちろん絶対ではない)。 この差を利用した官僚の作文テクニックとして

 A税を廃止してB税を新設する

 A税を廃止して、B税を新設する

後者なら別々の行為なので別々の審議が要るが、前者ならA税の廃止がB税の新設の前提となる、、、というのが官僚の(そしてそれに乗った政治家の)遣り口である。しかし日本語には正書法がないので絶対の基準ではない。著者も書いているようにこれは都合の良い運用である。

蛇足

*:別方向への異色の存在として、「比較で読みとくスラヴ語のしくみ」がある。これについてはhttp://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-911e.html

で書いた。

**:某公共?放送局がこの言語の講座を始めるに際して、韓国語としても朝鮮語としても批難を浴びることを懼れ「ハングル講座」という馬鹿馬鹿しい名称にした。ハングルはあくまでもこの言語を表記するのに用いる文字のことであり、この言語のことではない。つまり日本語講座を「假名講座」と呼ぶようなものである。以降、この放送局に関係ない出版物にもハングルXXとかYYハングルという名称が跋扈し、挙句にこの言語自体をハングルとかハングル語とよぶ人まで出てくる始末である。この放送局が日本語!に対して犯した大罪の一つである。

ちなみに教えている内容実態は当然ながら韓国語であるが、学術的にはこの言語は朝鮮語である。英語ではKorean languageKoreaKoreanは高麗という語が起源)であり問題が発生しない。そして、日本に居る西欧人でも日本語をよく知らないと韓国/朝鮮という用語の差異が分らない人が居る。

なお、著者は「韓国・朝鮮語」と書いているところもある。

長くなったので、つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年9月15日 (土)

どっこい生きていたヘンシェルのディーゼル機関車

またまたタイ12

蒸機特別列車の客車が替ったのには大変落胆したが、帰途思わぬものに出くわした。
20180728p72826812blog

翌日は他用があったので翌々日に行ってみたが、同じ場所にまだ居た。チアンラック駅Chiang Rakである。

20180730dsc_2783blog

この機関車はヘンシェルHenschel1960年代に製造した流体式のディーゼル機関車である。数年前*に南線のスラートターニー駅 Surat Thani で入換にまだ残っていたのを撮影できたが、走行シーンは見たことが無い。2年ほど*後に行った際には無くなっていた。

20180730dsc_2765 20180730dsc_2761


さて、機関車は
12と附番されている。こんなシールが貼ってあるので、現在はタイ国鉄所属ではなくこの建設会社の所有のようだ。Italian-Thai Development、略称ITDといいタイでは最大の総合建設会社である。

残念ながら機関士も他に居た関係者も全く英語ができない。己がタイ語ができないのが悪いのだが、全く事情が分からないのがもどかしい。12とあるからには11あるいは10もあるのだろうか?

内部を見せてもらうと

20180730p7302721_2 20180730p7302740
外部にあるメーカーズプレートの写真は上の右である。何故か機関士が製番は4桁と言い張って(もちろん身振りで)いたが、このようの斜めに見るとはっきり5桁で
309171964年製とわかる。元国鉄の3023であることは間違いなさそうだ。

20180730dsc_2785
駐機していたのは一番西の線であった。一旦一番東の線まで轉線してから少し南のランシット
Rangsitまで移動するとのことだったが、何時間も待った挙句国鉄側から許可が出ないうちに昼休みになり誰も居なくなった。

20180730dsc_2825
走行を撮影したかったが、蒸機なら兎も角、、、、、と諦めてしまい、空き腹を抱えてバンコクに戻った。

蛇足

*数年というと私などは45年くらいの感覚で使い、それが常識と思っていたのだが、最近は23年の意味で使う人が増えているらしい。そのように理解・使用する方にとってはこの文章はオカシイと思われるだろう。そういえば英語の a couple of XXというのは23のという意味で使われることが多い、三角関係ではあるまいし、カップルなら2に決まっているではないかと思うのだが。

餘談

スラートターニーに行ったのは、実はスラートターニーの一つ北のバーントゥンポー駅 Ban Thung Pho Jn. から西にでてキーリーラッタニコム駅 Khiri Ratthanikhom に至る約30㎞の盲腸線キーリーラッタニコム支線の列車に乗る為であった。この支線はパンガー湾のターヌンまで、さらにはプーケット島までの路線として計画されたが、途中で力尽きたのである。

私が行った時にはすでに一日一往復まで減便されていて、早朝キリラータニコムを出てスラートターニーまで来て、夕方キリラータニコムに戾る運用であった。そしてこの間にはバスなどもなく(だから鉄道が残っているのだが)終点キリラータニコムには宿泊施設が無いという難物であった。しかし行ってみるとセヴンイレヴンはあった。

なお、「中華特急のスローライフ」にこの支線にC56が活躍した頃の写真が載っている。(92日掲載)https://nkurashige.wordpress.com/

早くから海外に目を向けた方の成果は素晴らしいなあ、と感嘆している。

あまらぼ鍋屋町

2018年9月 6日 (木)

サームセン駅と周辺

またまたタイ9

チットラッダー王室駅を指をくわえて横目に見て先(北)へ暫く歩くと、すぐ東側に道路が沿ってスッキリ開けたところにでる。ただし街路灯が並んでいて邪魔で、避けるためにはモッタイナイが前勝ちに撮るしかない。
20180721dsc_18332blog
バーンスーへの廻送列車である。先頭のディーゼル機関車は日立製であるが、中華人民共和国中車製の寝台編成に合わせて塗色変更された。しかし塗色変更したものが専用に使われるわけではなく、このように機関車と客車が揃うのは半数もない。

20180721dsc_18412blog
小さなドブ川を渡る北線の各駅停車。


20180721dsc_18472blog
更に少し北に進むとサームセン駅に着く。これはホームから。立ち位置を選べば樹が後ろの建物や派手な看板を隠してくれる。完全にはできないが。


20180720dsc_1766blog
サームセン駅の跨線橋から。クルンテープ行列車を後追いで見ている。最後尾に廻送の機関車を附けてトップアンドテイルとなっている。*

鉄筋むき出しの柱が幾つか見えているが、以前計画され途中まで工事されたが放棄された高架工事のものである。請け負った香港の会社がHopewellという名称だったので、タイの英語鉄はホウプレス・ピラーHopeless Pillarsと呼んでいる。


20180720dsc_1754blog
反対方向を見るとこの通り。

皆平気で線路を渡るし、それが黙認どころか、渡り板や柵の開口部まで整備されている(列車が接近すると係員が閉める)ので、跨線橋を渡る人は全く居ない。跨線橋は撮影専用である。渡り板と柵の開口部はちょっと判りにくいが丁度機関車の所にある。

大きくはないが全列車が停車する駅なので、駅前にタクシーが待っている。歩くのが面堂になって日によってはタクシーでBTSの駅まで戻った。タクシーに乗るのに罪悪感を抱く鍋屋町が歩くのが嫌になるのはタイに慣れた証拠か?

*:このように前後に機関車を附けた編成をプッシュプルと云うのは和製英語である。

あまらぼ鍋屋町

より以前の記事一覧