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2018年9月15日 (土)

どっこい生きていたヘンシェルのディーゼル機関車

またまたタイ12

蒸機特別列車の客車が替ったのには大変落胆したが、帰途思わぬものに出くわした。
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翌日は他用があったので翌々日に行ってみたが、同じ場所にまだ居た。チアンラック駅Chiang Rakである。

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この機関車はヘンシェルHenschel1960年代に製造した流体式のディーゼル機関車である。数年前*に南線のスラートターニー駅 Surat Thani で入換にまだ残っていたのを撮影できたが、走行シーンは見たことが無い。2年ほど*後に行った際には無くなっていた。

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さて、機関車は
12と附番されている。こんなシールが貼ってあるので、現在はタイ国鉄所属ではなくこの建設会社の所有のようだ。Italian-Thai Development、略称ITDといいタイでは最大の総合建設会社である。

残念ながら機関士も他に居た関係者も全く英語ができない。己がタイ語ができないのが悪いのだが、全く事情が分からないのがもどかしい。12とあるからには11あるいは10もあるのだろうか?

内部を見せてもらうと

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外部にあるメーカーズプレートの写真は上の右である。何故か機関士が製番は4桁と言い張って(もちろん身振りで)いたが、このようの斜めに見るとはっきり5桁で
309171964年製とわかる。元国鉄の3023であることは間違いなさそうだ。

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駐機していたのは一番西の線であった。一旦一番東の線まで轉線してから少し南のランシット
Rangsitまで移動するとのことだったが、何時間も待った挙句国鉄側から許可が出ないうちに昼休みになり誰も居なくなった。

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走行を撮影したかったが、蒸機なら兎も角、、、、、と諦めてしまい、空き腹を抱えてバンコクに戻った。

蛇足

*数年というと私などは45年くらいの感覚で使い、それが常識と思っていたのだが、最近は23年の意味で使う人が増えているらしい。そのように理解・使用する方にとってはこの文章はオカシイと思われるだろう。そういえば英語の a couple of XXというのは23のという意味で使われることが多い、三角関係ではあるまいし、カップルなら2に決まっているではないかと思うのだが。

餘談

スラートターニーに行ったのは、実はスラートターニーの一つ北のバーントゥンポー駅 Ban Thung Pho Jn. から西にでてキーリーラッタニコム駅 Khiri Ratthanikhom に至る約30㎞の盲腸線キーリーラッタニコム支線の列車に乗る為であった。この支線はパンガー湾のターヌンまで、さらにはプーケット島までの路線として計画されたが、途中で力尽きたのである。

私が行った時にはすでに一日一往復まで減便されていて、早朝キリラータニコムを出てスラートターニーまで来て、夕方キリラータニコムに戾る運用であった。そしてこの間にはバスなどもなく(だから鉄道が残っているのだが)終点キリラータニコムには宿泊施設が無いという難物であった。しかし行ってみるとセヴンイレヴンはあった。

なお、「中華特急のスローライフ」にこの支線にC56が活躍した頃の写真が載っている。(92日掲載)https://nkurashige.wordpress.com/

早くから海外に目を向けた方の成果は素晴らしいなあ、と感嘆している。

あまらぼ鍋屋町

2018年9月 6日 (木)

サームセン駅と周辺

またまたタイ9

チットラッダー王室駅を指をくわえて横目に見て先(北)へ暫く歩くと、すぐ東側に道路が沿ってスッキリ開けたところにでる。ただし街路灯が並んでいて邪魔で、避けるためにはモッタイナイが前勝ちに撮るしかない。
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バーンスーへの廻送列車である。先頭のディーゼル機関車は日立製であるが、中華人民共和国中車製の寝台編成に合わせて塗色変更された。しかし塗色変更したものが専用に使われるわけではなく、このように機関車と客車が揃うのは半数もない。

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小さなドブ川を渡る北線の各駅停車。


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更に少し北に進むとサームセン駅に着く。これはホームから。立ち位置を選べば樹が後ろの建物や派手な看板を隠してくれる。完全にはできないが。


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サームセン駅の跨線橋から。クルンテープ行列車を後追いで見ている。最後尾に廻送の機関車を附けてトップアンドテイルとなっている。*

鉄筋むき出しの柱が幾つか見えているが、以前計画され途中まで工事されたが放棄された高架工事のものである。請け負った香港の会社がHopewellという名称だったので、タイの英語鉄はホウプレス・ピラーHopeless Pillarsと呼んでいる。


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反対方向を見るとこの通り。

皆平気で線路を渡るし、それが黙認どころか、渡り板や柵の開口部まで整備されている(列車が接近すると係員が閉める)ので、跨線橋を渡る人は全く居ない。跨線橋は撮影専用である。渡り板と柵の開口部はちょっと判りにくいが丁度機関車の所にある。

大きくはないが全列車が停車する駅なので、駅前にタクシーが待っている。歩くのが面堂になって日によってはタクシーでBTSの駅まで戻った。タクシーに乗るのに罪悪感を抱く鍋屋町が歩くのが嫌になるのはタイに慣れた証拠か?

*:このように前後に機関車を附けた編成をプッシュプルと云うのは和製英語である。

あまらぼ鍋屋町

2018年9月 2日 (日)

三角線利用の方向転換

またまたタイ7

回書いたように、北線と東線で三角線を構成しているので、このような光景も稀に見られる。


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片運転台の特急用気動車一輌がGEのディーゼル機関車を従えてクルンテープ駅から出てきて北線を北上する。運転台は北側である。

北線のおそらくはバーンスーで折り返し、東線へ入りマッカサンで再度折返したのであろう。
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東線から北線への連絡線を南下する。


20180725p7252522_blog運転台は南側となって、クルンテープ駅に向かう。

ちなみにこの気動車は“長距離”特急用なのに愛称?はスプリンターSprinterである。

あまらぼ鍋屋町

2018年8月29日 (水)

変形交叉点上の北線東線分岐

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クルンテープ駅からでた線路は真北から少し北北東へ傾いた方向に直進している。その3の写真でカーヴが見えるとおりで、道路がオーヴァクロスしたすぐ北側で北北東に少しだけ向きを変える。その4でご紹介したセンセープ運河を渡ると、北線はそのまま直進するが、東線が東へ別れていく。

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北側から見たところ。クルンテープ駅から出てきた東線の列車が線路を渡って一番東の線に移る。東線が離れはじめるところは大きな踏切となっている。しかもここは道路側も変形交叉点*となっている。列車優先で遮断機を下すのではなく、信号の合間を見て警手が注意しながら遮断機を下す。このやり方はクルンテープ駅からバーンスー駅までいずれの踏切でも同様である。

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線路西側から見る。中華人民共和国の中車製最新寝台車による夜行列車が終着クルンテープ駅にむかう。

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東線の列車がクルンテープ駅に向かう。


北線の列車がクルンテープ駅に向かう。北東線の全列車も南線の一部を除く列車も通るので、これらのどちらかかもしれない。

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蛇足
*これが本来正しい「こうさてん」の漢字表記である。「又」ではなく「叉」。前者は「再び」の意、後者は「さすまた」あるいは「分岐点」の意。「差」は「ちがい」「あやまり」、日本語用法として「差す」。「交差」では言葉として意味をなさない。「叉」という漢字を排除したいがために、誤りで意味をなさない書き方に替えることを国民に強制した。戦後の愚民政策漢字制限による表記改悪の好例!?と言える。

 

あまらぼ鍋屋町

2018年8月25日 (土)

漢語(所謂中国語)の跋扈

またまたタイ3


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クルンテープ駅北のフライオーヴァから撮影している時、いきなり「パイシャフォーチョーマ」と声がかかった。リスニングは全く苦手なのであるが、漢字にすると「拍摂火車[口+馬]」([口+馬]口偏に馬の文字)だと思う。

「汽車を撮っているのかね?」と漢語(所謂中国語)であいさつ言葉もなくいきなり話しかけられたのである。

そしてその男はスマホで、どうみてもタイミング遅れで、列車を撮影してスタスタと立ち去った。

これれをどう解すべきか?

1,  私を漢族ないし中華人民共和国あるいは台湾の人間と見た

2. 漢語(所謂中国語)でどこでも押し通すのが習慣になっている。

    1.なら特に考えることは無い、私個人の心境は兎も角として。

何も持たずにあまり観光客の多くない場所を通りかかった人だったので、海外旅行を何度も経験しているのか、少なくともタイには慣れているのかもしれない。2である可能性も大いにある。

英語人の中にはどこでも英語が通じるのが当然と思っている人が結構存在する。

現在世界で最も通用する言葉は英語である。これは英語が優れているとか習得に容易であるとかいう理由ではない。むしろ綴り字と発音の関係の非合理性と例外の多さ、発音や聴き取りが難しい(印欧語族のゲルマン語派のなかではであるが)などの難点がある。

イギリスが世界の多くの部分を支配した名残であり、その後続いてアメリカの経済力が地球中に影響を及ぼしてきたからリンガフランカとなったのである。

しかしこの地位はそう遠くない将来に崩れるのかもしれない。

敢えて暴言すれば、田舎モン丸出しで、自分の流儀で押し通すという点で、世界第二の経済大国の旅行者は、世界第一の経済大国の旅行者と似通った点があるように思う。

アユッタヤAyutthaya駅にて

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別に有っても無くてもどうでもよい案内板であるがタイ文字、ラテン文字、漢字、日本語假名と4つ表記されている。

街中の標記ではタイ文字、ラテン文字、漢字の3種のが多くなっている。数えたわけではないが、日本語を併記したものは今や完全に劣勢である。

ここでは駅のアナウンスにも驚いた。

タイ語に続いて英語でのアナウンスはクルンテープ駅や外国人旅行者の多い駅ではよくある。しかしここではさらに漢語(所謂中国語)のアナウンスがあった。録音テープを流すのではなく、駅員がその場で喋るのである。

-曼谷(バンコク)発清迈(チェンマイ)行13列車はxxyy(所定時刻ではなく遅れを考慮した予定時刻)1番線にまいります、、、、、、という具合である

日本の案内では始発駅は省略することが多い、むしろ殆どだと思うが、タイではなぜか律儀に必ず始発駅も言う。

あまらぼ鍋屋町

2018年8月20日 (月)

遅々として進んでいる

またまたタイ その1

このような激暑になることを予想したわけではないが、7月から8月に掛けてタイに行ってきた。日本の烈暑のニュースに接して、滞在を延長したかったが、安チケットでは変更はできないので憂鬱な思いで帰国した。帰国した日は名古屋の最高気温更新日であった。40.5℃。

「今年は異常だから向こうの方がかえって涼しい」のではなく、従来から、78月は名古屋や京都の方がバンコクより暑い。バンコクの暑期は45月である。単純に南の方がより暑いというものではない。

バンコクでは例によってまず国鉄SRTのバーンスー駅を見てきた。現在のバンコクのターミナル、「バンコク駅」(タイ語ではクルンテープ駅)*からここへ、中央駅を移し併せて一帯の鉄道路線を高架化する大工事が行われている。

クレーンが林立し、トラックがタイにしては忙しく走り回っている割には、半年前とそんなに差が無いようにも見えるが、やはり「遅々として進んでいる!」
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次は北側から撮影する。現在の地平駅から北線のロッブリ行き普通列車が発車していく。
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*:ガイドブックなどにフア・ランポーン駅と書いてあるものもあるが、正しい名前は本文記載の通りである。もっともタクシーに乗って「クルンテープ駅へ」と云うと「フア・ランポーンか?」と確認されることも稀にある。バンコク都内のもう一つのターミナルであるトンブリ駅との混同を避けるためかもしれないが、トンブリ駅は南線の各駅停車の一部が発着するだけで存在感が無い。行き方ばかりかそれこそ存在さえ知らない運転手もかなり居る。

クルンテープはクルンテープ・マハナコーンの略でタイの首都はこの名前である。儀式的正式名称はカナ書きすると120ないし130文字になる非常に長いものである。なぜか外国人だけがバンコクというので、タイの公機関も英語などではバンコクとしている。

現在タイ語でバンコークと云うのはチャオプラヤ川右岸(西岸)の一地域の名である。東京で喩えると、外国人だけがホンジョ(本所)と呼び、政府もそれを認めているようなものかもしれない。世界中の空港で航空機の行先表示がHONJO(NARITA)とかHONJO(HANEDA)となっている光景を想像するとおもしろい。

あまらぼ鍋屋町

2018年7月13日 (金)

ローズにて その4

前回の画面左遠方に写っているガソリンカーについて

もう少し近づくと
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この車輛はカーソン・アンド・コロラド鉄道のものではなく、デスヴァレー鉄道のガソリンカーである。従って次のようなシーンは本来なかったのである。

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デスヴァレー鉄道はカリフォルニア州ライアンRyanからの延長20マイルの硼砂(ホウシャ)輸送の鉄道であった。営業は1914年から31年まで。建設時にはハイスラーが使われたそうで、これはその後森林鉄道に移ったが、廃車解体され現存していない。

デスヴァレーとは勿論「死の谷」という恐ろしい名前で、日本なら吉祥地名に呼びかえるかもしれない。例えば生野鑛山の生野は、元来「死野(しにの)」*であったそうだし、かの吉原は「蘆原」が「悪し(あし)」に通じるので言い換えられたとのことである。もっとも大阪の「芦原橋」はそのまま駅名になっているが。

このガソリンカーはブリルJ.G. Brill1927年製で、のちにニューメキシコ州のUnited States Potash Railroadに移った。なおPotashポタッシュはここでは炭酸カリウム(単にカリともいう)で肥料などの原料になる。

 所以號生野者  此處在荒神 半殺往来之人 由此號死野 以後 品太天皇 勅云 此爲悪名 改爲生野 (播磨國風土記)、、、エラソーに書いていますが、落語を聞いての受け売りです。

続く

あまらぼ鍋屋町

2018年7月11日 (水)

ローズにて その3

ナローゲージは別称としてスリムゲージslim gaugeともいう*。ナローよりも美しい感じがあるのだろうか?日本語でもスリムは響きが良い。


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これらのカマはスリム・プリンセスと呼ばれた。たしかに好ましい機関車ではあるが、ちょっと大袈裟な感もある。頭でっかちで短足のプリンセスもいらっしゃるということだ。まあ、どこかの国でマスコミが貴婦人と呼ぶ機関車ほどは愛称とスタイルの乖離はないと思うが。(あくまで個人的見解であるので念のため)**


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非常に特徴のある、いかにもアメリカらしい(偏見かな?)テンダーである。

ソーセージ・テンダーSausage tenderと呼ばれる。燃料は重油なのでこの形態にできる。

経緯(この形状が通常の形態より資材節約になることは明らかだが)、開発者の名前を少し調べたてみたが分らない。今後続けて調査しますが、各位のご教示を戴けると有難いです。

なお、これに似てはいるが角型の炭庫を持ち、円筒状の水槽を持つものはヴァンダーヴィルト・テンダーVanderbilt tenderという。開発者Cornelius Vanderbilt IIIに因む。New York Centralなどの経営者であったCommodore(<これは愛称で提督の意)Cornelius Vanderbiltの曾孫である。こちらは採用する鉄道が非常に多く、合衆国以外でも採用された。(弊ブログではニュージーランドの例をご覧いただいたことがある。)


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背景の山はシエラネバダ山脈である。実はシエラネバダ山脈というのは法隆寺テンプルみたいな言い方である。Sierra Nevadaもスペイン語からきている。Sierraはノコギリ、転じて尖った山脈のことである。

Nevadaはスペイン語のnevar (ネバール、雪が降る)の過去分詞(の女性形)(雪が積もった、白い)に基づく、だから彼方此方にネバダの地名が存在しておかしくないのである。なおスペイン語としては「ネバダ」(bの音)であるが、英語としては「ネヴァダ」(vの音)と発音する。ここはカリフォルニア州ではあるが、ついてに脱線すると、ネヴァダ州では正確に言うと「ネヴァダ」ではなく「ネヴャダ」、つまりキャットCatと言うときの音で発音する。そしてネヴァダンおっとネヴャダンはこれに非常に強いこだわりがあるようだ。

*:このカーソン・アンド・コロラド鉄道を記録した本に

Slim Gauge through the Sand (by George Turner, 出版Transanglo Books、初版1963)というのがある。当然絶版であるが、古書は時に入手可能である。入手したのは64年の二版であった。写真は全てモノクロの100ページ餘りの本で、路線図、主要駅の構内配置図、機関車(特に9号機)の図面、客車・貨車の図面、駅舎図面など要領よく纏めてある
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**:昔の「鉄道模型趣味」誌に「
D51を見たあるアメリカ人(ヨーロッパ人?)が『ナローにしてはバランスの取れたスタイルのカマだ』、、、、」と書いてあったのを思い出した。具体的な出典はわからない。

続く

あまらぼ鍋屋町

2018年6月28日 (木)

ネヴァダ州立鉄道博物館 外周の運転路線

当日運転していたものである。

トゥーソン・コーネリア・アンド・ヒラ・ベンド鉄道Tucson, Cornelia & Gila Bend R.R.* 401号 
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駅に停車中である。台枠が車体前面ぎりぎりに出ている理由はすぐ後に#。 

エドワーズ・レイル・カー・カンパニーEdwards Rail Car Company製*2、元ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道50号ウォショウ・ゼファWashoe Zephyr*3

これも新製当時はガソリンカーであった。1943年に別のガソリンエンジンに換装され、#台枠が少し伸び、ラジエータの形状変更がある。さらに1997年の修復時にディーゼルエンジンに換装、99年に流体変速機に変更されている。

博物館および庫の外周を(見たところほぼ完全な)円形の線路があり開館日には運転しているようである。駅は円の東側から北側にのびる線上にある。円の西側からも北上する線があり、両者は先で合流し全体でバンジョーのような形になっている。また西側の線からは二本線路が南下していて円形の線路と平面交叉したあと、一本は庫へもう一本は庫の東側を通過して南にある転車台に続いている。

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轉車台の横を通る

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円形の線路と2本の南北の線の平面交叉を通過する。

一周乗ろうかとも思ったが、もう一箇所別の蒸機の運転を撮ることを優先した。

あまらぼ鍋屋町

以下蛇足(注)

* アリゾナ州アホAjo New Cornelia 銅鉱山からほぼ北へ同州ヒラ・ベンドGila Bendまでを結んだ43マイルの鉄道で1916年から1985年まで営業した。旅客営業もあった。ヒラ・ベンドでサザン・パシフィック鉄道に連絡した。

Ajoはスペイン語でアホと読み(アが高く強いので、関西辯の阿呆とはアクセントが異なる)ニンニクの意であるがネイティヴ・アメリカンの言葉に当てはめたものと考えられる。

Gila Bendはアリゾナ州の町、名は同様にネイティヴ・アメリカンの言葉に基づくと考えられ、スペイン語読みをしてヒラである。大きな町との位置関係を言うと、鉄道名に入れられているトゥーソンから西北西へ約120マイルにある。コーネリア(アホ)は同じくトゥーソンから西へ同じくらいの距離にある。

*2 Edwards Rail Car Companyは 1920年から1942年にノースカロライナ州スタンフォードで操業していた。ただし20年以前にも創業者が所属していたAtlantic and Western Railway(ノースカロライナ州)で若干製造したものがある。

*3 ウォショウ・ゼファはネヴァダ州西部シエラネヴァダ山脈の麓で主に夏に観測される風で、普通の昼間に上昇、夜間に下降とは逆パターンになる。ゼファ(そよ風)の名ではあるがかなり強くなるとのことである。

2018年6月26日 (火)

ネヴァダ州立鉄道博物館 その他の展示など(2)

次いで別棟の庫である。

ここの見学は傳手を頼っての事前手配までは必要無いが、博物館で申し出て開けてもらう必要があり、忙しい時は難しいかもしれない。また逆に見学者の多いシーズンには開いているのかもしれないが、そこまでは確認しなかった。

元ショート・ライン・エンタープライズNo.8
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標準軌のアメリカン
4-4-0、クックCooke Locomotive and Machine Works*の製番18611888年製である。

ダーダネル・アンド・ラッセルヴィル鉄道8号機、メトロ-ゴールドウィン-メイヤー所属、ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道28号機、ショート・ライン・エンタープライズ8号機と変遷した。 **

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道
No.25(二代目)
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二代目などと書くと(或いは、このカマは該当しないが、鉄道を移るなどで番号や名前を変えると)落語家か歌舞伎俳優が襲名するみたいだ、、、、冗談はさておき、ボールドウィンの
25016番、1905年製の標準軌のテンホィーラ 4-6-0である。これも時々火が入るらしい。

次にご紹介するのは拙ブログとしては珍しく、カマではないが、多くの方にオモロイなあ!と同感いただけると思う。

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道 ガゾリン動車22
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McKeen Motor Car 70とも称される。マッキーン・モータ・カーズMcKeen Motor Car Company*3の1910年製である。全長は22mある。

新製時はガソリンエンジン搭載チェイン駆動であったが、丁度100年後2010年に動態に復帰した際にエンジンと駆動部は復原不可能でディーゼルエンジンおよび流体変速機使用となった。 いずれにせよ英語では単にMotor Car と呼んでいる。他にアセチレン燈が修復不可能であった。しかしこれ以外は史的に非常に貴重なものと認められ2012年にNational Historic Landmarkに指定されている。流線型の本格的流行は1930年代なのでそれに先行すること20年餘りである。

これも友人が外に出すのを予め依頼してくれたものである。内部の見学も可能であった。

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どうもクドクドと書き過ぎです。今回で終ろうとしたのですが、長くなったので、、、また続く

あまらぼ鍋屋町

以下蛇足()

 クックは1901年に他の7社とともにアルコAmerican Locomotive Companyとなった。

** Dardenelle & Russellville RRはアーカンソー州ラッセルヴィル(ここでユニオンパシフィックに接続)から同ダーダネルに至る5マイル弱の標準軌鉄道である

Short Line Enterprisesは主に19世紀の機関車やその他車輛を保存運転したカリフォルニア州の組織で、多くはメトロ-ゴールドウィン-メイヤー、20世紀フォックス、パラマウントから得たものであった。活動時期は1967年から88年までで、現在はFillmore and Western Railwayの一部となっている。

更に餘談:Kansasはカンザス{}なのにArkansasをアーカンソーと読むのはケッタイなモノである。まあ英語はこういう奇妙な発音ばかりであるが。北米の佛語によるらしい。この地域でスペイン語はよく聞くが佛語は実際には聞いたことが無い。標準的佛語では語尾のasではsは読まず、aだけ読んとアとなる(はず)。

*3 McKeen Motor Car Companyはユニオンパシフィックの動力車機械部門の長であったウィリアム・マッキーンがネブラスカ州オマハに作った会社で1905年から17年に掛けてガソリンカーを152輌製造したとのことである。

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