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2017年10月14日 (土)

金色夜叉

名作の片隅の鉄道情景(6)

今日の一般の文藝愛好家にとって読む価値ある作品かどうかは疑問の餘地はあるが、発表当時熱狂的に読まれ、演劇化、映画化もされており「名作」であることは間違いない。多くの人がタイトルと熱海の海岸のシーンはなんとなく知っている。しかし最後まで読んだという方は決して多くないと思う。

尾崎紅葉著 新潮文庫 196911月 読んだのは2004544刷改版 である。

使用漢字に疑問あるところ(後述)もそのまま此の版から引きます。ただし原文にはたっぷりルビが附されているが、興味深いものを除き省略します。

P.74 前編 第七章 最後

 「いえ、滊車の中で鮨を食べました」

駅瓣なのか?それとも街中で買うたかは書いていない。日本の駅瓣の起源には諸説あるが、この小説(最初の部分)が発表された1897年にはもう各所にあった。ただ鮨が駅瓣にあったのかは分からない。また鮨と言っても各種あるがどんなのだったろう?

P.92 中編 第一章 冒頭

  新橋停車場の大時計は四時を過ること二分、東海道行の列車は既に客車の扉を鎖して、機関車に烟を噴かせつつ、三十余輌を聯ねて蜿蜒として横はりたるが、、、、

、、、、駅夫は右往左往に奔走して、早く早くと、、、、、

当時はまだ小型の客車なのだが、30輌餘りは壮観だろう。

P.103 同上 最後

  「、、、、それから切符を切って、歩場(プラットフォームのルビあり)へ入るまで、、、、」

  横!横!と或いは急に、或いは緩く叫ぶ声の窓の外面を飛過るとともに、、、、

、、、、場内の彼方より轟く鐸(ベルのルビあり)の音はこの響きと混雑の中を貫きて奔注せり

 プラットフォームという英語は知られていても日本語の定訳が無いことが推測できる。歩場という語がどれだけ使われたのが分らないが、日本語らしい日本語訳ができないまま、プラットーム、短縮して”ホ”ームが定着してしまった。漢語(いわゆる中国語)では站台や月臺(月台)ができたのに。

月臺については「中華特急のスローライフ」に興味深い考察がある

https://nkurashige.wordpress.com/2017/03/17/%e6%9c%88%e5%8f%b0/

P.104 同 第二章 冒頭

 、、、、午後四時発の列車にて赴任する事をも知るを得しかば、、、、

 、、、、、遽に急ぎて、蓬萊橋口より出でんとあたかも、、、、、

蓬萊橋は汐留川にかかっていた橋。今は汐留川自体が最下流を除いて埋め立てられた。この辺りの由緒ある多くの地名も銀座一色に塗り潰された。情けない限りである。我が居住する市には「名駅」という、まるでホームレスの住所のようなのが、しかも広大な地域に広がっている。対のように「汚な小屋」という市名も近くにある。

P.388 続 第五章 冒頭

  遽に千葉に行く事有りて、貫一は午後五時の本所発を期して車を飛せしに、咄嗟、一歩の時を遅れて、二時間後の次回を待つべき倒懸の難に遭へるなり。、、、停車場前の休憩処に入りて、、、、

本所駅は現・錦糸町駅である。1915年改称。

 今は中央・総武線電車が3,4分おきに出ているかな?快速も各停もある

しかし夕方なのに(あるいは夕方だからか?)二時間間隔とは、まさに隔世の感である

P.464 続続 第一章 (一)の二 冒頭

  車は駛せ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、貫一は、、、、遣る方無き五時間の独に、、、、始て西那須野の駅に下車せり。

、、、、、、

 俥を駆りて白羽坂を、、、

西那須野駅は当時はまだ日本鉄道である。1886年那須駅として設置され、91年改称、06年国有化。

五時間とはこれはもうはるかな遠隔地という感じである。いまは普通列車に乗ると宇都宮で乗り換えを餘儀なくされるが、それでも各停で二時間半ほどである。

この時代、自動車はまだない。時代の先端を行くのは俥、ニンベンが示すように人力車である。

金色夜叉は讀賣新聞に1897年(明治30年)11日から1902年(同35年)511日までと長く連載された。尾崎紅葉が亡くなり未完に終わっている。

単行本は 春陽堂 

1898年(同31年)7月、1899年(同32年)1月、1900年(同33年)1月、1902年(同35年)4月、1903年(同36年)6月 と次々出版された。

やはりイチャモン

新潮文庫版は最後のところに 表記について として、次の通り記載されている。

新潮文庫の文字表記については、「原文を尊重する」という見地に立ち、次のように方針を定めました。

一、 旧仮名づかいで書かれた口語文の作品は、新仮名づかいに改める。

二、 文語文の作品は旧仮名づかいのままとする。

三、 旧字体で書かれているものは、原則として新字体に改める。

以下略 

どこか原文尊重なのか?これではシンチョーではなくケーソツ社である。

旧假名づかい(正假名遣い)の文を間違いなく書くのは今の教育を受けた人には難しい。しかし読むのは決して難しくない。わざわざ新假名遣いに改める必要は全くない。私は書けるようにもなりたいと勉強を始めたがまだ無理である。

この小説は文語文なので正假名遣いそのままである。これは良い。しかし何故手間をかけて新字体に改めなければならないのか?正假名づかいにマガイモノ新字体が混じって実に見苦しいし、何よりいくつかの文字、本来別の文字を統合して新字体にしたものは、元はどれだったか頭の体操を強要される。

例としては 餘(あまる)と余(わたし)を統合した余“(上記の引用にもある)や、

辨(わける)、瓣(はなびら)、辯(<ことばで>あきらかにする)、弁(かんむり)の4つを統合した“弁”などである。もっとも現代語の弁にはかんむりの意味はないが。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 8日 (日)

明治村村民登録更新

10月末で村民登録(年間パス)が切れるので、忘れないうちにと更新に行ってきた。私の住んでいるところから直線距離では遠くないのだが、公共交通機関では一旦名鉄で犬山駅まで行くしかないので時間も料金も驚くほどかかるのが難点である。

もちろんついでに写真を撮る。今回は数か月前に入手した超広角専用中判カメラ(6x12センチ、レンズは55)と、デジカメも超広角ズームだけの軽装である。これには事情があるが別途書きましょう。

ということで、超広角の写真ばかりである。
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御料車6()5号(右)である。実はお召列車には全く興味が無く、一度も撮影したことが無い。車輛を保存するのでも、こういう特殊なものを保存するくらいなら、一般的客車こそ保存すべきと考えている。まあ、美術品としては値打ちは認めるが。

5号は昭憲皇太后用とある。昭憲皇太后と呼ぶのに、どうして貞明皇太后とか香諄皇太后と呼ばないのだろうと不思議に思っていた。生前はもちろん皇太后と呼んでいた。

どうも亡くなられた後に皇太后とは呼ばないようで、昭憲「皇太后」がマチガイらしい。マチガイなら正せば好いと思うのだが、それもできないらしい。面子に拘って恥を永遠に残す。教育勅語の「一旦緩󠄁󠄁アレハ>、、、」を思い出した。

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京都市電は2号車を使っていた。


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蒸機は12号機シャープ・ストュアート。めずらしく煙を出してきた。わずかな蒸機の撮影ポジションは東に開けたところばかりで、朝の列車以外は陰の中なのが残念だ。

雑草が(おっと、こういう言い方は昭和天皇のお叱りを受ける)中途半端だ。生えるままにするならもっと盛大に、刈るならすっきりとお願いしたい。

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尾西鉄道1号ブルックス。ブルックスの保存機は少ない。右の白い建物はアメリカ・ハワイ州ヒロ市にあった日本人のための教会・のち集会所で鉄道とは関係ない。もっとも建てられた時はハワイ王国であった。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 4日 (水)

英文精読術・英文翻訳術・英文読解術

いずれも行方昭夫著 DHC それぞれ201511月、20167月、20171月、

このように立て続けに刊行された。レヴェル(おおむね難度)は刊行順ではなく、「読解術」、「精読術」、「翻訳術」の順に上がると考えてよい。

英文を正確に読むための訓練の本である。翻訳は別とは言えない、真に理解するためには翻訳できる(=自然な日本語になる)くらいにならなければいけないというのが氏のスタンスである。

近年の日本の英語教育の風潮は会話重視に傾こうとしていて、文法よりもとにかく会話が強調され、英語学者や英語実務者にはこれに疑問を呈する方が多い。もちろん読み書き聞き話すという4つがバランスよくできるようにならければいけないが、母語ではなく第二言語、第三言語、、の獲得には文法を理解習得することが缺かせない。会話で発音は重要であるが、母語同然に聞き取り話せるようになることは特別な例外を除いて不可能である。例えば西歐人の高名な日本文学者でも、喋るのを聞くと所謂「外人らしい」日本語から抜けていない方も多々いらっしゃる。しかし決して聞き辛くはない。文法的に正確な日本語であり、語の選択が適切でロジカルな話し方だからである。

もっとも行方氏は従来の英語教育により日本人は「会話はできないが英語を読んで理解することはできる」という世間一般の見解には与されていない。だからこそ真に英語を読めるようになるための諸著作を世に出してこられたのである。私もそれらの著作はいくつか読んで、それこそ「頭をガツン」とやられる点が著作ごとに何箇所かあった。

今回の3著作はこれまでの氏の著作、あるいは他の語学書と異なり、とにかく懇切丁寧に優しく(易しくではない)を旨としている。其の為スペースをたっぷりとった贅沢なレイアウトになっている。また、モームの短編を丸ごと一冊読んでいくことにより飽きさせない。

「読解術」では

本文を小セクションに分け、語釈、イディオム、設問 となっていて、更に

設問に対する正解、質疑応答、訳が記載されている。また(主として若い)学習者用に英語よろず相談室(Q&A)があり、そこには行方氏の若い頃の学習史もかなり詳しく記されている。

「精読術」では

本文を小セクションに分け、さらに12文毎に分け、語釈、試訳、決定訳、解説が記されている。次の「翻訳術」でもそうであるが試訳と決定訳の差には、訳として自然な日本語になっているかどうかだけでなく、そもそもきちんと読めているかどうかを自ら確認するための指摘も多い。

「翻訳術」では

本文をセクションに分けた後、さらに小セクションに分けて

若干の語釈を加えたあと、本文からのアプローチとして解説があり、試訳と翻訳が示される。そして、試訳からのアプローチとして更に解説がある。

翻譯の心得その1、2「暗記用例文集」として合わせて100の文が挙げてあり、その1では各文に実に詳細な解説が、その2には翻訳テクニック毎に数頁の解説がある。

また、ユニークなのは文法解説の詳細や参考例を「英文法解説(改訂第三版)」江川泰一郎 金子書房19916月 に委ねてある、つまり同書の何頁のどこどこを見よとの指示されているところがあることである。これは特に「精読術」に多い。当然(故)江川氏の諒解のもとに行われている訳だが、非常に有効なやり方である。*

繰り返し強調されていることは、少しでも疑問に思ったら「まず辞書を引け」である。それを怠ってエエ加減な推測をしても誤解・誤訳に終わる。

日本の「外国語-日本語」辞書は実によくできている。とくに英和辞書は殆どのものがすばらしいのである。鍋屋町は時々重箱の隅をつついてみせるが、それこそ枝葉末節である。大抵の場合は該当する訳語、それが無くても類似の概念が見つかるのである。

これは日本語が同系統の言語が存在しない孤立言語であることも寄与しているのであろう。丁寧に説明しないと分からない、誤解を招くという事項が多々ある。

数年前にオーストリアの語学学校で短期受講したことがあるが、その時に他国からの受講生が使っていた「露独」「伊独」といった辞書は、まるで単語帳のようなもので、説明が殆どないのに驚いた。逆に言えば、縁戚にあたる言語の話者である彼らにはそれで充分なのであろう。

とにかく文句のつけようがないシリーズであるが、イチャモン大好き鍋屋町としては、どうしても書いておきたいことがある。

それはサブタイトルが「餘りにもアホらしい」ということである。

つまりサブタイトルを附けて並べると

英文読解術 東大名誉教授と名作・モームの「物知り博士」で学ぶ

英文精読術 東大名誉教授と名作・モームの「赤毛」を読む

英文翻訳術 東大名誉教授と名作・モームの「大佐の奥方」を訳す

オオモノ、真に優れた人に肩書きは要らない。英文学者として傑出し、特にモーム研究の大家である行方氏を凡百の東大名誉教授と一緒にすることは、非常に失礼である。東大教授や東大名誉教授だからアリガターイと思うのは軽佻浮薄である。営業政策とはいえ情けない。

注*:この本は1953年初版、64年改訂版発行なので私も高校時代に改訂版を使うてたのかな?と思ったが、どうも記憶に無い。今回購入して念のために行方氏の指示通りに該当箇所を読んで確認したが、よくできた文法解説書である。

説明や例文のあとに書いてある<<参考>>、「解説」が痒いところに手が届くようで、さらにうっかりミスをしないように、注意を喚起していて、「ああそうや、こういうニュアンスや!、用心用心」というのは何点か(具体的に何かは個人的秘密!)あった。活用していこうと思う

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 1日 (日)

比較で読みとくスラヴ語のしくみ

三谷恵子著 白水社 20167

白水社に「xx語のしくみ」というシリーズがある。シリーズでも全てを読む人はまずいないだろう。そのXX語の超入門というか、入門以前というか、紹介の本である。この本はそのシリーズの兄貴分、おっと姉貴分である。

読後感-というのは語学書に対して適当ではないかもしれないが-を一言でいえば、疑問に答えてくれるとともに更に好奇心を刺戟する本である。

文字と音のしくみ

語のしくみ

文のしくみ

からなり、全体で250ページ弱とコンパクトで読み通すことが期待されている。

記述はどの項目も2ページに収められている。これは「XX語のしくみ」に倣っているのだろう。あとで読み返すときなどに見やすいが、「紙面の都合上(涙)いきなり答えにいきます、、、」と書かれているところがあるように無理もある。惜しい、そこ(その理由)を知りたいと思うところが出てくる。

扱われている言語は日本人にも馴染のある(いや、ほとんど無いでしょうねえ)ロシア語から、大抵の方がおそらくその名すら耳にしたことが無いであろう上ソルブ語、下ソルブ語*まで多様である。当然ながら「共通スラヴ語」(祖語)やスラヴ語最古の文献である古教会スラヴ語**もでてくる。

本文中に出てくるキリル文字による綴りには多くは読み假名がふってあるが、キリル文字の知識なしに読み通すのは辛いかもしれない。(度々書くが、ロシア文字という呼び方は誤りである。)

古教会スラヴ語の文字(キリル文字にないもののみ)と音は冒頭に簡単に説明されている。IPA(国際音声記号)については最新版のあるサイトを紹介してあるだけで、説明なく使われている。

鍋屋町が、ほんの少し分かるのはロシア語だけである。これも運用能力はない。大学で第二外国語として最低限「可」を貰わないといけないので、授業に出てテストを受けて答案用紙に名前を書いた。実はこうすれば、最低限「可」が貰えるというのがロシア語選択の最大の理由であった。まあ白紙ではみっともないので多少何か書いた。今にして思えば、鉄にもっと役立つドイツ語にしておけば良かったかとも反省するが、落第してはなんにもならない。

また最近は漢語(漢族の言葉という意味、所謂中国語)が人気だそうだが、当時は選択肢になかった。まだ臺灣を切って中華人民共和国と国交を結ぶ前で、かの国の蒸気機関車の状況についてもほとんど知られていなかった。

の大学時代のロシア語の試験の思い出である。

ある学生「試験問題のY番が汚れていて読めません、取り換えて下さい」

ロシア語のU先生「君は新聞の印刷が汚れていたらイチイチ新聞社へ電話して取換えを頼むのかね?そのまま判読しなさい」

 まあ、答えに何が書いてあっても落第させない心算だから言えることである。

U先生は先年亡くなられた。イマドキこんな度胸のある先生はまだいらっしゃるだろうか?

本のご紹介から大幅に脱線してしまったので戻ります。

この本は其々の言語について概観するものではない。あくまでも比較し「しくみ」を見ていくことに重きを置いている。つまりこれを読んでロシア語とかポーランド語とはどんなものだということを知るのは無理である。其々の言語についての概要(もちろん超概要であるが)を知るには同じ著者の「スラヴ語入門」三省堂2011年がよい。というか日本語で読めるものとしては現在容易に入手できる唯一かもしれない。

一箇所だけ誤植というかミスを見つけた。

P.62 コラム 同じ音を表す2つの文字 のなかの表(チェコ語とポーランド語とロシア語で「狭い」と「ナイフ」を比較)であるが、ナイフのところロシア語がキリル文字表記の нож ではなくnožとなっている。これはロシア語のキリル文字のラテン文字翻字ではない。セルビア語だろうか?

 

注*:「神様がラウジッツを創造され、悪魔がそこに褐炭を埋めた」という諺がある。ドイツ語圏(ドイツ東部)に残された唯一のスラヴ語であるが、ラウジッツ地方の褐炭採掘、ナチによるソルブ語使用禁止、その後もコンビナート建設、外部からの労働者移入などにより消滅の危機に瀕している。上ソルブ語は南部でザクセン州、下ソルブ語は北部でブランデンブルク州である。

**:古代教会スラヴ語とも呼ぶ(木村彰一の名著タイトルにはこちらが使われている)が、日本語の「古代」が喚起するイメージほど古くはなく、9世紀から11世紀ころである。

 
あまらぼ鍋屋町

2017年9月24日 (日)

今更ながらロムニー(6)模型レイアウト

前述のようにニューロムニーではかなり停車時間があった。

ここにはビュフェと模型の展示がある.

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列車の発車までわずか数分しか残り時間が無かったが、模型はどんなのがあるかと中に入ってみた。
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小さなショウケースに分けての展示が多そうだ。断定せず曖昧な書き方なのは、とにかくチラチラと見渡しただけなのである。

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せっかくの小さなケースなら模型の前や後ろも観察できるようにしてくれるとアリガタイのだが、、、

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レイアウト*は当然イギリスで最もポピュラーな
OOスケールであろうと思ったのがが、なんとHOスケールである。**
これはハウウィCaptain J.E.P. Howeyのカナダ好きが反映されたものか?それともドーヴァー海峡、海峡トンネルを経て歐州大陸が近いことに因るのか?

にかく、時間が殆どなくてスナップ写真を数枚撮っただけである。是非再訪したい。

注:*毎度言うことだが、こういうのはジオラマと呼ぶのは本来の用法と異なり不適当である。

まあ、言語変化の歴史は「間違い、無教養が勝利していく」宿命にあるのだが。これはボヤきだすとキリが無いので別に書きま<せう>!

** HOスケールは1フット(1フィート)を3.5mmに作る、即ち1/87で歐州やアメリカで主流。

OOスケールは1フットを4mmに作る、即ち1/76でイギリスで主流。ゲージは16.5mmなので、ここはスケールに合わない。

では日本は?HOではありません、OOでもありません。1/80です。でも模型の箱にはHOと書いてあるではないか?ハッキリ言ってインチキ、ウソです。

私が屋下屋を架す解説をするよりも、詳細正確な解説が

https://www.imon.co.jp/models/hovs16.mbr/html

にあります。他にもありますがこれが一番充実していると思います。

あまらぼ鍋屋町

2017年9月12日 (火)

今更ながらロムニー(2)チキチキバンバン

イギリスの子供向けファンタジーにチキチキバンバンというのがある。なんと007シリーズの原作者イアン・フレミングの作である。ミュージカル映画にもなっていて、こちらの方が有名だろう。英語の題はChitty Chitty Bang Bangなので假名で書くならチティチティだが、(当時の)日本人には言い難かったので誰かが変えたのであろう。*

このチティチティバンバンは車の名であり、主題歌にもなっている。その中で

Chitty Bang BangChitty Chitty Bang Bang のフレーズが、音痴の鍋屋町でも覚えているくらい楽しい強烈なリズムに乗せて何度も繰り返される。知らなかったのだが日本語のもある。

悪い癖で新シリーズを始めると別の話が割り込む?

そうではない。

実はこの空飛ぶ車にはモデルがあり、そのものズバリChitty Bang Bangという。飛びはしないが航空機エンジンを搭載したとんでもない代物であったらしい。所有者はルイス・ズボロウスキCount** Louis Zborowski、大金持ちのレーシングドライヴァであった。

そして彼は鉄道ファンでもあり、友人で同じくレーサーで且つ(ボロウスキほどではないものの)大金持ちのハウウィCaptain J.E.P. Howeyとともに15インチ軌間の鉄道建設を目指した。すでに有った15インチ軌間のレイヴングラス・アンド・エスクデイル鉄道の買収を試みたこともあったとのことである。この鉄道については弊ブログの

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-25bd.html

以降でご紹介した。

ズボロウスキは鉄道の開業(1927)どころか発注した機関車の到着を見ることもなく、1924年にレースで事故死したが、ハウウィはこのロムニーに土地を確保し鉄道を建設開業することに成功した。Captain Howey の名を冠したホテルが、ニューロムニーの駅の向かいにある。

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ニューロムニーに進入の列車から、画面右の建物がThe Captain Howey Hotel、その向こうに小さく見えている屋根がニューロムニー駅である。

注:

*:ティはチに言い換えるのが通常のやり方だが、それではチチチチになってしまう。

餘談に入込んでしまうが、チとティに関しては日本人の発音能力の変遷を窺える面白い例がある。英語からきたカタカナ語の発音と表記である。

team」これは多くの人がチームと発音表記する。ただ最近はティームと発音し表記する人も居る。しかし「teacher」となると、これをチーチャーと発音表記する人は居ない。ティーチャーである。カタカナ語としての受入年代が違うのである。つまり、チームはずっと昔にカタカナ語として定着したが、ティーチャーは比較的最近で日本人がチとティの区別ができるようになってからなのである。その結果、「teaching team」を假名表記すると、同じteaなのに「ティーチング・チーム」とケッタイなことになる。

**:カウントは大陸側でのタイトルで、英国ではearl伯爵に相当する。なお伯爵夫人は英国でもcountessと称するのでヤヤコシイ。

つづく

あまらぼ鍋屋町

2017年8月25日 (金)

パニアタンクを撮りたくて(4)

更に南に20分餘り步くと英国の鉄道には珍しく生垣や柵に邪魔されない長く開けた区間がある。駅間としては変らず、ノースブリッジ~アーディントン・ホールトである。

すでに前々回(2)に此処で撮った写真の一部を載せたが、別のアングルの写真をご覧いただく。

保存鉄道では運転区間がそれほど長くないので、行か戻りか何れかはテンダーファースト、バンカーファーストで運転されるものが殆どである。ターンテーブルやワイ(WYE、三角線)を持たない鉄道も多い。英国でもそうで、行帰りともチムニーファーストとなる鉄道は非常に少ない。そしてカマの向きはだいたい一定である。

しかしこの鉄道はカマの向きがまちまちである。そして何かの折に向きを変えている。撮りたいカマがどちらを向いているか、地元鉄ならともかく我々は運を天に、ではなく鉄道の運用担当の気紛れに、任せるしかないのである。

しかし今回は違う。この訪問時はガラ*と銘打ってはいなかったが、機関区のバックヤード見学などがありちょっとした祭りで、カマの向きは全て北向き、即ち勾配上り方向に揃えられた。それで、この場所での撮影は大いに期待していたのである。

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実は最初に考えた構図とはちょっと違う。

少し頭の螺子が緩んでいると思しき英国鉄が居て、直前に線路に近附いたのである。普通は邪魔をされてもあまり故障を述べない他の英国鉄すら声をあげた。

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菜の花を入れてみたが遠くてイジマシイ感が強い。

*:gala、祝祭の意 発音は前のaが多少長くガーラと書いた方が近い、あるいはゲイラ(米) 起源は仏語

音楽関係でよく使われる言葉であるが、保存鉄道のガラ(祭り)では多くの機関車を繰り出し列車を増発したり、他鉄道からの訪問機関車が動いたりする。ちなみにJRのガーラXXという駅名も登録商標とのことであるが、同じ単語である。

あまらぼ鍋屋町

2017年8月 5日 (土)

ヴェイル・オヴ・レイドル鉄道(その5)

弊ブログでは珍しくディーゼル機関車の写真である。
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10号機 ほとんどアベラストゥウィスの入換に従事するのみらしい。

Baguley-Drewry Ltd.製造の部品を使って1987Brecon Mountain Railwayが組み立てたものである。バグレー・ドゥルーリは入換機やレイルカーを製造販売した会社であるが、その初期と末期にのみ製造をしており中間の期間は他社に製造させたものの販売会社であった。現在は廃業しているとのこと。ブレコン・マウンテンはこの鉄道と同じ1 ft 11 3⁄4 in (603 mm)ゲージの保存鉄道で、ウェイルズの首都かつ最大の都市であるカーデイフCardiffの北約30kmにある。

なぜ、この機関車をお目にかけるかと言うと、ここに注目していただきたい。
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これが終点の駅名に採用されたDevil’s Bridgeである。なおウェイルズ語ではPontarfynachポンタルヴァナッフと呼ぶが、こちらは Mynachマナッフにかかる橋の意であり、悪魔は地名には含まれていない。

グランドキャニオンに次いで、オマケの観光をした。

機関車に描かれた絵(シール?)では解りにくいが、三重の橋である。最初に三重と聞いた時は、どういう構造なのかと疑問に思ったが、、、、単に次々と上に掛けられ下を廃用としたということであった。
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傳説ではこうなっている。(この種の傳説は当然ながら各地にある)

あるお婆さんの飼っていた牛が川の対岸に行ってしまって困っていた。そこへ悪魔が現れて、「橋を掛けてやろう、その代り最初に渡った生き物の魂を貰う」契約成立!

橋完成のあと、お婆さんはパンを向こう側に投げて犬を最初に渡らせた。悪魔は去ってしまった。さすがに契約社会である。悪魔ですら契約を守る。最初に渡った「人間の魂」としなかった悪魔のドジである。それとも、おばんがタチ悪い?

「契約は置いといて、そこを何とか」の日本なら悪魔はどうするだろう?

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現地の案内板である。

この地点で、上の写真でいえば向こう側でマナッフ川は3段の瀧となっている。そちらの見学には45分かかるし、滑りやすいと脅しが書いてあったで断念した。この旅行ではあとまだ2カ所の鉄道の撮影が残っていた。蒸機の撮影でもないのにドジな怪我をしてはなんにもならない。10分で済む三重橋の見学撮影だけにした次第である。尤も10分コースも階段は濡れて滑りやすかった。

駅の裏手をちょっと歩けば絶景が開けるグランドキャニオンとは違い、橋は駅から歩いて数分離れていたので観光に要した時間はずっと長かった。

さて、次はどの鉄道を書くかな。

あまらぼ鍋屋町

2017年8月 4日 (金)

ヴェイル・オヴ・レイドル鉄道(その4)

谷の名であり鉄道名に採用されたRheidolであるが、英語人は殆どの人がライドルと読む。しかしウェイルズ語の読みとしてはレイドルである。 “rh”の綴りは英語(に入り込んだ単語)*では単にrの音であるが、ウェイルズ語では「r」と「h」が混じった響きの音である。「フレ」と書きたいが、それだと二重子音と誤解される虞があるので単に「レ」としておく。「レ」とでも書けばより近いかもしれないが、そんなルールは一般的ではない。

ケチな鍋屋町はタクシーに乗ると罪悪感を抱く。しかし、この鉄道は2往復しかなかった。光線状態が良いのは最初の列車であることが分ったからには、現地へ行くのに鉄道に頼るわけにはいかない。バスがあるが、平日の朝は月火水曜だけというケッタイな設定である。しかもそれに乗っても撮影地に間に合わない可能性が高い。幸いまずますの大きさの町で駅前にタクシー乗り場があり、結構な頻度でタクシーがやってくる。なお夏のハイシーズンなら列車が45往復あるが、光線状態が良いのは最初の列車であるという事情は変わらない。

タクシー代の元を取る為?タクシーの運転手にいろいろ教えてもらった。その一つがRheidolの読み方である。彼はこの鉄道の終点Devil’s Bridgeから数キロの所で生まれ育ったとのことで、まさにうってつけであった。

彼曰く

-まずねえ、ウェイルズ語は北と南でかなり違う。我々のように子供の時から喋るのもいるし、学校で習って覚えるのもいる。これは地域差だが、もちろん個人差もある。

、、、まあ僕はレイドルと発音するね、勿論ライドルと言われても分るよ。

ということでこの記事ではレイドルを採用したのである。

さて、タクシーを奮発したので無事この地点にたどり着いた。待つこと暫し。
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一度木立に隠れた後、手前に飛び出してくる
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谷の向こうの尾根を見ると開けたところが幾つかある。その辺りからも鉄道を見下ろして写真が撮れそうだ。パンフレットや参考にした本にある写真はどうもそれらしい。

あとはどうやってそこへ行くかだが、鉄道の売店でハイキングの本があったので開いてみるとルートが幾つも書いてあった。そのうちの23に撮影地がありそうだ。当然その本を購入した。さっそくこの夏(前述のように4ないし5往復運転する日がある)にでもと思ったが、事情があり延期と相成った。時間ができたので念のために地形図も購入して検討することとしよう。

あと一回オマケを書く予定です。

注 *:例を挙げると”rhythm”リズム、rhetoric”レトリックなど

あまらぼ鍋屋町

2017年7月24日 (月)

漢文力

「漢文力」 加藤徹 著  中央公論新社刊20048月、 中公文庫20078

以前、「白文攻略 漢文法ひとり学び」(白水社)について触れたことがあるが、

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/2-634e.html
その著者が広島大学時代の講義を元に作られた本とのことである。加藤氏は現在、明治大学教授、専門は京劇とのことであるが、漢文・漢語(いわゆる中国語)も教え、また小説家でもある。

漢文の読み書きの本ではない

「思考を鍛える道具としての漢文」を読み二十一世紀の諸問題を考えるための論説力を鍛えることを目的とする、とある。まあ-特に論説力云々は-ちょっと大袈裟すぎるように思うが、謂わんとすることは分かる。

五部からなり各部3~5章の構成なので、各章が講義1、2回の素材だったのだろうか。内容は独立しているので、それぞれの拾い読みができる。

構成は白文(本来は漢字だけがずらずら並んでいるモノ、この本では句読点は附いている)、訓み下し文、現代語訳と並んでいるが、漢文の語法解説、使用されている漢字の解説は一切なしである。そのあと講義調の説明論説と続く。

ベースが大学の(教養部かな?)講義なので、著者ご自身が反省と書いていらっしゃるように説教調が気になるところもあるが、結構、知らなかったなあ!という事項が多くて面白い。まあ誰かさんがいいトシして教養不足ということであろう。

いろんなエピソードが紹介されていて、その大部分が興味深いが、私が一番印象に残ったのは次である。

花園口決堤事件(日本では当時は黄河決潰事件と呼んだ。現在は「決壊」と書くことが多いが「決潰」が本来の書き方である。)

敵軍の進行を食い止めるために、自国や占領域の道路や鉄道、特に橋梁の破壊は珍しくないが、堤防の破壊は禁じ手である。生物兵器や化学兵器の使用に匹敵する。

「漢文力」から引くと

  、、、紀元前六五一年、斉の桓公、、、、一種の国際条約である「葵丘の盟*」を、、、結んだ。、、、第五条で「防を曲ぐる無かれ」(堤防を切ってはならぬ)、、、、初めて破られたのは、二十世紀の戦争でした。一九三八年六月九日、日本軍の進撃に恐れをなした中国軍**は、鄭州の花園口で黄河の堤防を切って人口の大洪水を起こし、、、、、、この洪水で河南・安徽・蘇州の広大な地域が水没し、住民の死者は数十万人にのぼったと、、、、

*:読みは、キキュウノメイ

**:(引用者注)この中国軍とは国民党軍のことである。

敵の日本軍へのダメージより自国民へのダメージ、その後の国土荒廃が凄まじい。

沖縄戦で日本軍が沖縄住民を殺害したり、自決を強要したりという話が(どこまで真実でどこからが誇張・虚構かはともかく)傳えられているが、それこそ桁違いである。

中国共産党の非道な行いは現在もなお続いていて、いろいろと報道されているが、当時の国民党も負けず劣らずだった。

もちろん、他国を侵略した日本が元凶であることは言うまでもないが、これは残念ながら後講釈である。当時はそういう世界情勢で、日本やドイツは身の程を辨えずに、英米仏蘇などを先達と見做し真似をしたということである。

他国占領、植民地などは「経済的に儲からないから」しない方が良いと<積極的に>考えた(=先を見通せた)経済学者・政治家は石橋湛山などごく少数であった。他国への進出侵略をしない方が良いと考えた謂わば良識派の人も大部分は、「無理だろう(=英米に負けるから)」くらいな<消極的な>考えであったとされる。

この点についてもこの本の戦略・戦術・戦闘術のところで「南轅北轍(なんえんほくてつ)」という成語を挙げて紹介している。轅は「ながえ」車の前方に突き出した棒、轍は「わだち」、進行方向を間違えていることを言う。つまり戦略の過ちは戦術では補えないこと。

この本は韓国語と漢語(所謂中国語)にも翻訳されているとのことで、韓国にはともかく本場にも日本人の書いた「漢文の知恵」が逆輸出されているわけである。

ついでながら朝鮮語や越南(ヴィエトナム)語の文化圏では日本と同様につい近年まで漢文が謂わば公用語であった。朝鮮語については漢語由来の語彙がどの程度あるのか知らないが、ヴィエトナム語はその単語の7割くらいが漢語から取り入れられているとも聞く。ヴィエトナム駐在時に街のローマ字#の看板や表示を見ながら、これが漢字やチュノム##で書いてあったら、ある程度は推測できるのに惜しいなあと思ったことである。

#:ヴィエトナム語ではローマ字によるヴィエトナム語表記をクォックグーと呼んでいる。なんのことはない「国語」!である。

##:字喃、漢字をさらに複雑化したようなヴィエトナム語用の文字

あまらぼ鍋屋町

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