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2018年1月13日 (土)

キリール文字の誕生

原 求作 上智大学出版 2014

この分野には多少興味があるので、専門書はともかく一般書は(そんなに多くないし)だいたい出版されると立ち読みし、たまに買うのだが、この本は何故か見逃していた。

他用(*1)で大阪に帰った時に、J書店の梅田に初めて行った。その時に見つけたのである。J書店も、M書店もK書店も名古屋にあるが、残念ながら品揃えは、特に私の興味のある鉄と落語とこの分野は大阪に比べるとかなり見劣りがする。

前回、意外な縦書きの新書について書いたが、これも意外な縦書きであった。まずはそれに驚いた。外国語を扱うなら横書きの方が遙かに楽なのにと思ったのだ。

キリール文字とは、ロシア語などのスラヴ語で使われる文字である。ロシア文字と言う人もいるが、それはよろしくない。ウクライナ語など東欧の他のスラヴ語でも使う(*2)。現在ロシアなどの支配下にある少数民族の言語(もちろんスラヴ語系ではない)にも使われている。それどころか旧ソ連の影響下にあったモンゴルでモンゴル語の表記にも使われるようになった(*3)。文字の名称としてはあくまでもキリール文字である。英語ではCyrillic Alphabetと呼ぶ。

弊ブログを読んでいただく方にはロシア語なんか耳にしたこともない方が大部分だと思うが、ラテン文字(所謂ローマ字)とちょっと違うこの文字は何処かで目にされたことがあるのではないだろうか。

文字数は言語によって少し異なり、ロシア語に使うものは(現在は)33ある。ラテン文字と形も表す音も同じもの、形は同じだが音が違うもの、ギリシア文字にほぼ同じもの、ラテン文字やギリシア文字には無いもののがある。同じものにはA, E, O, M, Tなど、音が違うものにはB, H, Cなど、ギリシア文字にほぼ同じものにはГ, Д, Ф, Pなど(もちろん音も形も細かいことを言えば微妙に違いがあるが)、ラテン文字やギリシア文字にないものにはЖ, И, Ц, Ч, Шなどがある。

この文字は正教会の宣教師であったキリールとメフォージイ兄弟が9世紀にスラヴ語を表記するために創った、、、と言うなら簡単だが、これでは嘘である。

彼らが創ったのはキリール文字ではなくグラゴール文字と言われるものである。かなり書体が違うものが多い、なんだか古臭い。その改良版がキリール文字である。ただし、この前後関係も長らく解明されていなかった。

創ったと言っても、宣教先で「はい文字はこれです。今日からこれで聖書を書きます。」なんて気楽にやれるものではない。事前の準備初め大変な苦労があった筈なのだが、これは断片的にしかわからない。焚書などにより記録が大きく缺落している時代があるし、宗教がらみなのでプロパガンダみたいな記述で終わっているところも多い(らしい)

キリールとメフォージイと書いたが、実はキリールの方が弟である。しかしキリールの方が格段に頭が良く才能に恵まれていた。(だからキリール文字なのだ)ただ、途中で若死にしてしまった。そしてミッションはかなり年上の兄が跡を継いだ。

私はこの本のタイトルから、キリール文字とそれに直接関連することを主に書いてあるものと思ったが、そうではなかった。歴史的政治的背景、宗教的背景(カソリックと正教会の対立)が大部分を占める。だから縦書きでもよいのだ。文字に関する部分は2つの章、計40ページほどに過ぎない。白状すると、最初に立ち読みした時は「何やこれは」と思った。しかし読み始めると、当時の状況を知らずに文字のことだけをあれこれ論じるのは無理があることがよく分かった。

でもキリール文字とグラゴール文字の関係などもっと直接的に詳しく知りたい。本文の中に出てくる関連書や巻末に紹介してある参考文献をさらに読みたくなった

*1 広角専用の面白いカメラである。これについて書こうとして延び延びになっている。

*2 スラヴ語族の言語でも、キリール文字ではなくラテン文字を使うものも勿論ある。ポーランド語、チェコ語などなど。

*3 中華人民共和国の内蒙古自治区ではモンゴル文字が引き続いて使われた。

モンゴル国でもモンゴル文字への復帰が行われていると聞くが、キリール文字で教育が行き届いてしまったことや、モンゴル文字は漢字や假名と違い横書きできないということもあり、復帰はあまり進んでいないらしい。

あまらぼ鍋屋町

2017年12月31日 (日)

タイ 火車公園にある戦後輸出のミカド

前記事で

、、、、、バンスー駅であるが、この北東に大きな公園が広がっている。元は国鉄の用地であった。道路を隔てて隣接しているのだが、、、、、

と書いたが、バンコクに詳しい方は「エエ加減なこと書きやがって、、、、」と思われただろう。厳密にはマチガイである。バンスー駅と大きな道路(上には有料道路も通る)を隔てて隣接しているのは「公園群」である。3つの公園からなり、チャトゥチャク公園は3つのうち一番東側、バンスー駅から遠い側である。

チャトゥチャク公園から西側に片側一車線の道路を隔てたところに公園が2つ南北にある。その北側の公園が本記事の火車公園である。因みに南側のはシリキット王女公園である。

さて、以前トンブリThonburi機関区に居たミカドが一台バンコク都内の公園に移ったと聞いたが、前記事の博物館などに以前に行った際にはこのミカドもチャトゥチャク公園にあると思い込んでいたので、よく分からず探索時間切れとなっていた。

最近、このカマの詳細な位置を聞いたので、今回訪ねてみたのである。State Railway Public Park タイ語ではスアン・ロッファイSuan Rot Fai、正式名称はWachirabenchathat 公園らしい。スアンは公園の意、ロットは車、ファイは火である。タイ語は形容成分が後ろに附く(*1)。つまりは火車公園=汽車公園である。チャトゥチャク公園よりかなり遅く21世紀に入ってからの整備である。公園の説明看板である。
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此処にあるカマはこれである。
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必ずと言っていいほど邪魔物があり、すっきりした写真が撮れないのは、どこの静態展示でも同様である。西側は以前は写真が撮れたようだが、現在はこんな看板が立てられた。なによりも常時路上駐車の車がある。
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*1:タクシーの行燈にはTAXI-METERと書いてある。最初に見たときは恥づかしながら理解できなかった。正しい?英語に直せば、Meter(ed) Taxiである。


続く

 

あまらぼ鍋屋町

 

 

2017年12月29日 (金)

タイ チャトゥチャック公園 協三工業製Bタンク

前記事に書いたバンスー駅であるが、この北東に大きな公園が広がっている。元は国鉄の用地であった。道路を隔てて隣接しているのだが、駅も公園も広大でバンスー駅から歩いていくのは大変だ。歩くのが好きな鍋屋町も挑戦したことが無い。バンコクで歩くのは暑くて、汚くて、何より危険である。そもそも東南アジアでは、歩道というものは歩行者が歩くためにあるのではなく、定店が商品を並べたり、露天商がテントを張ったりするためのスペースである。車道は当然車が突っ走る、歩行者優先という言葉は東南アジア諸言語の辞書にはない。

閑話休題、MRTブルーラインではバンスーから2駅離れたその名もチャトゥチャックChatuchak駅、BTSスクムヴィット線なら現在の終点(*1)モーチットMo Chitが同じところにあり、この両駅が最寄駅である。

このチャトゥチャック公園の北の端に鉄道博物館があった。

少し離れたところに今も残る案内板を信用すると、ラーマ7世のお召し車輛などを保管するために建てられたが、Prestigious Train Hallとして改修改造され、鉄道の歴史に関する事物の保存の為の展示をしているとある。展示物には蒸機、ハンスレットHunslet(案内板にある綴りHansleyはミスであろう)のディーゼル機関車、帝国陸軍の巡視車輛などがある。
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以下は私の体験と聞いた話などである。記憶違いや誤りがあるかもしれないので、ご指摘いただければ幸いである。

タイ鉄道ファン倶楽部the Thai Railfan Clubが運営にあたっていた。残念ながら2012年頃から閉鎖されたままである。私がその前に行った時は日曜のみの開業であった。訪問者数の減少によるとも、中心となって活躍していた方の引退(逝去?)とも聞く。この23年のタイの鉄道ファン(主に駅などでの撮影者であるが)の増加を見ると、もう少し持ち堪えられたら、、、、との感も抱く。

単に公園と書いたが英語で厳密に言えばpublic parkである(*2)。公の地にどのようにして民間が活動主体の博物館を開くことができたのか、複雑な経緯があるのだろうか?あるいはタイ鉄道ファン倶楽部が国鉄SRTと関係があったのか?とにかく、その経緯か関係かが幸いしてか(行政にとっては災いして?)建物はまだ存在し、中の展示物も一部を除き残っている。

外観はこれである。
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外に置いてあるパシフィックの動輪セットも以前のままである。
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覗いてみると協三工業製の
600mmゲージBタンクが残っているのが確認できた(*3)。
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公園のガードマンがやってきて私がカメラを構えた窓から中を覗いた。中に何があるか、フツーのタイ人には興味も関心も無いだろうから確認しないと分からなかったのだろう。特に何も言わなかったので、もう少し別の角度から、、、と移動したが、「撮るな」と制止された。建物やその周辺に撮影禁止の表示があるわけではない。しかし彼らの業務としては取敢えず禁止しておくのが無難である。当方としてもまともな写真が撮れるわけではないので、存在を確認すれば充分である。しかし今後どうなるのだろう?

*1:2019年に一駅北へ延長開業予定である。

*2:日本語の公園と英語のparkは同義ではない、parkには私園も含まれる。しかし私園という語は今書いていて漢字変換できなかったように、日本語ではまず使われることが無い。

*3:トン・ソンブーンの遊園地Thong Somboon Clubに持って行かれて空気駆動のアトラクションになったものとは別物である。遊園地のは750mmゲージである。

あまらぼ鍋屋町

2017年12月27日 (水)

タイ 一定しないラテン文字転写

前回、タイ語(タイ文字)のラテン文字転写は一定していないと書いたが、さっそくその例に出くわしたので写真をお目にかける。

SRT南線の駅である。

まず、駅本屋のプラットホーム屋根追設部に掛っている駅名標
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ちょっと写りが小さいが KHUAN NIENG とある。

次いで、プラットホーム端の駅名標だが
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これもKHUAN NIENG となっている。

しかし、プラットホーム上の列車から一番見やすい駅名標には
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KHUAN NIANG である。

もちろん書いてあるタイ文字はどれも同じである。最後の写真のに書いてあるのが初級の教科書などに出ていて、筆記もしやすい書体である。

あまらぼ鍋屋町

2017年12月25日 (月)

タイ国鉄 バンスー駅

ドイツのナローについて書こうとして頓挫したままになっていますが、タイについて少し書きます。

まずは定点観測のようにタイに行く度に訪問する国鉄(SRT)バンスー駅(Bang Sue Junction*1)である。

タイ国鉄はこの駅を現在のバンコク駅*2に替わる主要駅にする計画らしく、高架式の壮大な駅を建設中である。今回行ってみたら、屋根の鉄骨が立ち上がってきていた。
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ジャンクションとあるように、この駅で北および北東方面と南方面の路線が大きく分かれる。南方面と言ってもここでは西へ進む。東方面への路線はバンコク駅の北ですぐに分かれていくので、東線の列車だけはバンスー駅は通らない。この新駅が完成したら、東線の列車はどうするのだろうか?バンコクの都市計画の資料を紐解けば載っているのだろうが、蒸機でもないのにそこまでするつもりはない。

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以下、以前にも書いたことですので、特にご興味のある方以外はとばしてください。

*1:本来タイ文字による元表記を添えるべきでしょうが、その能力はありませんので、カナ表記よりは多少マシ(=原音に多少でも近い)であろうラテン文字転写を添えておきます。

ただラテン文字転写は一定していません。(まあ日本語のローマ字表記も各種ありますが)

それどころかタイ文字は分かち書きをしないので、ラテン文字転写したときの分かち書きすら一定しません。

*2:タイ語ではクルンテープKrungthep駅という。タイ国鉄による英語表記はBangkokである、外国人だけはなぜかフアランポーンと呼ぶ。

そもそもタイの首都をバンコクと呼ぶのは外国人だけで、タイ人はクルンテープKrungthepと呼んでいる。儀式的な正式名称は非常に長いものであり、クルンテープはその冒頭である。首都の名前を外国人だけが全く違う名称で呼ぶのは他の国ではちょっと思い浮かばない。東京のことを外国人だけがAsakusaと呼ぶような感じである。

あまらぼ鍋屋町

2017年12月 4日 (月)

おほえちや

少し事情があり再び更新が滞っています。それで別の話題を。

もう12年前になるが、ある若い方から原稿のチェックを頼まれたことがある。その中に一箇所だけ旧假名使い(本来は「正假名遣ひ」と書くべきでせうが、話が面倒になるのでこの文章では「旧假名使い」とします)で書かれたところがあった。ご本人の意図がどういうものであるか確かめずに、「一箇所だけ旧假名使いをするのはおかしい。」と訂正してしまった。ご本人は何もおっしゃらなかったが、視覚的効果、意表を突くことを狙ったものであったのかもしれないとあとで多少気になった。その際、「書くなら全部旧假名で」とも言ったように記憶している。

現在「旧假名使い」で書かれた文章を眼にすることは極めて稀になってしまった。第二次大戦前のものは小説であれ何であれ「旧假名使い」であったが、政府の愚民政策に従って殆ど全ての出版社が「現代假名使い、戦後略字」にわざわざ変更して出版している。

「旧假名使い」のものを読んでみられると実感されると思うが、読むのは決して難しくない。それどころか、どこが旧で新と異なっているか気が附かないくらいである。

書くのには少し練習が要りそうだ、これは新假名使いに毒されているからで、最初から旧假名使いで書いていたら難しくはない。わたしは現在練習中で、友人などへのEmailに使い始めている。まあ、このブログまで旧假名にするつもりは<現在のところは>ない。

決して難しくないことがわかる面白いものがあるのでご紹介する。

落語に「風の神送り」というのがある。桂米朝が1967年頃に復活させたものである。東京にも伝わっているかどうかは知らない。風の神送りとは「風邪がはやる時に、大勢が風の神にした人形を担ぎ、鉦太鼓ではやし立てて練り歩き、、、、あるいは川に流す」(特選“米朝落語全集第二十一集”東芝EMI の解説から抜粋、一部省略)江戸時代からの行事であるが、明治にはもう廃れたらしい。

落語の初めのところに、そのための金を集めるための帳面を作るシーンがある。

風の神送りをしようという発案は若者達であるが、世話役の年寄り(と言ってもおそらく今の私より若いのだろうが)が居る。その親爺が若者を指揮してやらせるのであるが、帳面に字を書ける者が居ない。やっと一人、假名なら書けるのが居て、それに書かせる。

(以下同じく特選“米朝落語全集第二十一集”から引く)

親爺「、、、、まあ、覚え帳とでも書いとけ」

若者「,,,、、、、、「覚えの「お」はどう書くんやったかいな」

親爺「情けないやっちゃな、お前。おくやま*の「お」や」

   (と頼りない。しかし「いろは歌」はもちろん分かっている)

若者「、、、、、、親爺さん、これでええか」

親爺「、、、、、、おーほーえーちーや、なんやこの、“おほえちや”ちゅうのん

若者「「う」が裏へ回ったんねん」

「お」という字は?というくらい頼りない若者でも「帳」は「ちやう」と書くことは分かっていたのである。

*:いろは歌の うゐのおくやま けふこえて (有為の奥山 今日越えて)

あまらぼ鍋屋町

2017年10月14日 (土)

金色夜叉

名作の片隅の鉄道情景(6)

今日の一般の文藝愛好家にとって読む価値ある作品かどうかは疑問の餘地はあるが、発表当時熱狂的に読まれ、演劇化、映画化もされており「名作」であることは間違いない。多くの人がタイトルと熱海の海岸のシーンはなんとなく知っている。しかし最後まで読んだという方は決して多くないと思う。

尾崎紅葉著 新潮文庫 196911月 読んだのは2004544刷改版 である。

使用漢字に疑問あるところ(後述)もそのまま此の版から引きます。ただし原文にはたっぷりルビが附されているが、興味深いものを除き省略します。

P.74 前編 第七章 最後

 「いえ、滊車の中で鮨を食べました」

駅瓣なのか?それとも街中で買うたかは書いていない。日本の駅瓣の起源には諸説あるが、この小説(最初の部分)が発表された1897年にはもう各所にあった。ただ鮨が駅瓣にあったのかは分からない。また鮨と言っても各種あるがどんなのだったろう?

P.92 中編 第一章 冒頭

  新橋停車場の大時計は四時を過ること二分、東海道行の列車は既に客車の扉を鎖して、機関車に烟を噴かせつつ、三十余輌を聯ねて蜿蜒として横はりたるが、、、、

、、、、駅夫は右往左往に奔走して、早く早くと、、、、、

当時はまだ小型の客車なのだが、30輌餘りは壮観だろう。

P.103 同上 最後

  「、、、、それから切符を切って、歩場(プラットフォームのルビあり)へ入るまで、、、、」

  横!横!と或いは急に、或いは緩く叫ぶ声の窓の外面を飛過るとともに、、、、

、、、、場内の彼方より轟く鐸(ベルのルビあり)の音はこの響きと混雑の中を貫きて奔注せり

 プラットフォームという英語は知られていても日本語の定訳が無いことが推測できる。歩場という語がどれだけ使われたのが分らないが、日本語らしい日本語訳ができないまま、プラットーム、短縮して”ホ”ームが定着してしまった。漢語(いわゆる中国語)では站台や月臺(月台)ができたのに。

月臺については「中華特急のスローライフ」に興味深い考察がある

https://nkurashige.wordpress.com/2017/03/17/%e6%9c%88%e5%8f%b0/

P.104 同 第二章 冒頭

 、、、、午後四時発の列車にて赴任する事をも知るを得しかば、、、、

 、、、、、遽に急ぎて、蓬萊橋口より出でんとあたかも、、、、、

蓬萊橋は汐留川にかかっていた橋。今は汐留川自体が最下流を除いて埋め立てられた。この辺りの由緒ある多くの地名も銀座一色に塗り潰された。情けない限りである。我が居住する市には「名駅」という、まるでホームレスの住所のようなのが、しかも広大な地域に広がっている。対のように「汚な小屋」という市名も近くにある。

P.388 続 第五章 冒頭

  遽に千葉に行く事有りて、貫一は午後五時の本所発を期して車を飛せしに、咄嗟、一歩の時を遅れて、二時間後の次回を待つべき倒懸の難に遭へるなり。、、、停車場前の休憩処に入りて、、、、

本所駅は現・錦糸町駅である。1915年改称。

 今は中央・総武線電車が3,4分おきに出ているかな?快速も各停もある

しかし夕方なのに(あるいは夕方だからか?)二時間間隔とは、まさに隔世の感である

P.464 続続 第一章 (一)の二 冒頭

  車は駛せ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、貫一は、、、、遣る方無き五時間の独に、、、、始て西那須野の駅に下車せり。

、、、、、、

 俥を駆りて白羽坂を、、、

西那須野駅は当時はまだ日本鉄道である。1886年那須駅として設置され、91年改称、06年国有化。

五時間とはこれはもうはるかな遠隔地という感じである。いまは普通列車に乗ると宇都宮で乗り換えを餘儀なくされるが、それでも各停で二時間半ほどである。

この時代、自動車はまだない。時代の先端を行くのは俥、ニンベンが示すように人力車である。

金色夜叉は讀賣新聞に1897年(明治30年)11日から1902年(同35年)511日までと長く連載された。尾崎紅葉が亡くなり未完に終わっている。

単行本は 春陽堂 

1898年(同31年)7月、1899年(同32年)1月、1900年(同33年)1月、1902年(同35年)4月、1903年(同36年)6月 と次々出版された。

やはりイチャモン

新潮文庫版は最後のところに 表記について として、次の通り記載されている。

新潮文庫の文字表記については、「原文を尊重する」という見地に立ち、次のように方針を定めました。

一、 旧仮名づかいで書かれた口語文の作品は、新仮名づかいに改める。

二、 文語文の作品は旧仮名づかいのままとする。

三、 旧字体で書かれているものは、原則として新字体に改める。

以下略 

どこか原文尊重なのか?これではシンチョーではなくケーソツ社である。

旧假名づかい(正假名遣い)の文を間違いなく書くのは今の教育を受けた人には難しい。しかし読むのは決して難しくない。わざわざ新假名遣いに改める必要は全くない。私は書けるようにもなりたいと勉強を始めたがまだ無理である。

この小説は文語文なので正假名遣いそのままである。これは良い。しかし何故手間をかけて新字体に改めなければならないのか?正假名づかいにマガイモノ新字体が混じって実に見苦しいし、何よりいくつかの文字、本来別の文字を統合して新字体にしたものは、元はどれだったか頭の体操を強要される。

例としては 餘(あまる)と余(わたし)を統合した余“(上記の引用にもある)や、

辨(わける)、瓣(はなびら)、辯(<ことばで>あきらかにする)、弁(かんむり)の4つを統合した“弁”などである。もっとも現代語の弁にはかんむりの意味はないが。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 8日 (日)

明治村村民登録更新

10月末で村民登録(年間パス)が切れるので、忘れないうちにと更新に行ってきた。私の住んでいるところから直線距離では遠くないのだが、公共交通機関では一旦名鉄で犬山駅まで行くしかないので時間も料金も驚くほどかかるのが難点である。

もちろんついでに写真を撮る。今回は数か月前に入手した超広角専用中判カメラ(6x12センチ、レンズは55)と、デジカメも超広角ズームだけの軽装である。これには事情があるが別途書きましょう。

ということで、超広角の写真ばかりである。
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御料車6()5号(右)である。実はお召列車には全く興味が無く、一度も撮影したことが無い。車輛を保存するのでも、こういう特殊なものを保存するくらいなら、一般的客車こそ保存すべきと考えている。まあ、美術品としては値打ちは認めるが。

5号は昭憲皇太后用とある。昭憲皇太后と呼ぶのに、どうして貞明皇太后とか香諄皇太后と呼ばないのだろうと不思議に思っていた。生前はもちろん皇太后と呼んでいた。

どうも亡くなられた後に皇太后とは呼ばないようで、昭憲「皇太后」がマチガイらしい。マチガイなら正せば好いと思うのだが、それもできないらしい。面子に拘って恥を永遠に残す。教育勅語の「一旦緩󠄁󠄁アレハ>、、、」を思い出した。

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京都市電は2号車を使っていた。


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蒸機は12号機シャープ・ストュアート。めずらしく煙を出してきた。わずかな蒸機の撮影ポジションは東に開けたところばかりで、朝の列車以外は陰の中なのが残念だ。

雑草が(おっと、こういう言い方は昭和天皇のお叱りを受ける)中途半端だ。生えるままにするならもっと盛大に、刈るならすっきりとお願いしたい。

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尾西鉄道1号ブルックス。ブルックスの保存機は少ない。右の白い建物はアメリカ・ハワイ州ヒロ市にあった日本人のための教会・のち集会所で鉄道とは関係ない。もっとも建てられた時はハワイ王国であった。

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 4日 (水)

英文精読術・英文翻訳術・英文読解術

いずれも行方昭夫著 DHC それぞれ201511月、20167月、20171月、

このように立て続けに刊行された。レヴェル(おおむね難度)は刊行順ではなく、「読解術」、「精読術」、「翻訳術」の順に上がると考えてよい。

英文を正確に読むための訓練の本である。翻訳は別とは言えない、真に理解するためには翻訳できる(=自然な日本語になる)くらいにならなければいけないというのが氏のスタンスである。

近年の日本の英語教育の風潮は会話重視に傾こうとしていて、文法よりもとにかく会話が強調され、英語学者や英語実務者にはこれに疑問を呈する方が多い。もちろん読み書き聞き話すという4つがバランスよくできるようにならければいけないが、母語ではなく第二言語、第三言語、、の獲得には文法を理解習得することが缺かせない。会話で発音は重要であるが、母語同然に聞き取り話せるようになることは特別な例外を除いて不可能である。例えば西歐人の高名な日本文学者でも、喋るのを聞くと所謂「外人らしい」日本語から抜けていない方も多々いらっしゃる。しかし決して聞き辛くはない。文法的に正確な日本語であり、語の選択が適切でロジカルな話し方だからである。

もっとも行方氏は従来の英語教育により日本人は「会話はできないが英語を読んで理解することはできる」という世間一般の見解には与されていない。だからこそ真に英語を読めるようになるための諸著作を世に出してこられたのである。私もそれらの著作はいくつか読んで、それこそ「頭をガツン」とやられる点が著作ごとに何箇所かあった。

今回の3著作はこれまでの氏の著作、あるいは他の語学書と異なり、とにかく懇切丁寧に優しく(易しくではない)を旨としている。其の為スペースをたっぷりとった贅沢なレイアウトになっている。また、モームの短編を丸ごと一冊読んでいくことにより飽きさせない。

「読解術」では

本文を小セクションに分け、語釈、イディオム、設問 となっていて、更に

設問に対する正解、質疑応答、訳が記載されている。また(主として若い)学習者用に英語よろず相談室(Q&A)があり、そこには行方氏の若い頃の学習史もかなり詳しく記されている。

「精読術」では

本文を小セクションに分け、さらに12文毎に分け、語釈、試訳、決定訳、解説が記されている。次の「翻訳術」でもそうであるが試訳と決定訳の差には、訳として自然な日本語になっているかどうかだけでなく、そもそもきちんと読めているかどうかを自ら確認するための指摘も多い。

「翻訳術」では

本文をセクションに分けた後、さらに小セクションに分けて

若干の語釈を加えたあと、本文からのアプローチとして解説があり、試訳と翻訳が示される。そして、試訳からのアプローチとして更に解説がある。

翻譯の心得その1、2「暗記用例文集」として合わせて100の文が挙げてあり、その1では各文に実に詳細な解説が、その2には翻訳テクニック毎に数頁の解説がある。

また、ユニークなのは文法解説の詳細や参考例を「英文法解説(改訂第三版)」江川泰一郎 金子書房19916月 に委ねてある、つまり同書の何頁のどこどこを見よとの指示されているところがあることである。これは特に「精読術」に多い。当然(故)江川氏の諒解のもとに行われている訳だが、非常に有効なやり方である。*

繰り返し強調されていることは、少しでも疑問に思ったら「まず辞書を引け」である。それを怠ってエエ加減な推測をしても誤解・誤訳に終わる。

日本の「外国語-日本語」辞書は実によくできている。とくに英和辞書は殆どのものがすばらしいのである。鍋屋町は時々重箱の隅をつついてみせるが、それこそ枝葉末節である。大抵の場合は該当する訳語、それが無くても類似の概念が見つかるのである。

これは日本語が同系統の言語が存在しない孤立言語であることも寄与しているのであろう。丁寧に説明しないと分からない、誤解を招くという事項が多々ある。

数年前にオーストリアの語学学校で短期受講したことがあるが、その時に他国からの受講生が使っていた「露独」「伊独」といった辞書は、まるで単語帳のようなもので、説明が殆どないのに驚いた。逆に言えば、縁戚にあたる言語の話者である彼らにはそれで充分なのであろう。

とにかく文句のつけようがないシリーズであるが、イチャモン大好き鍋屋町としては、どうしても書いておきたいことがある。

それはサブタイトルが「餘りにもアホらしい」ということである。

つまりサブタイトルを附けて並べると

英文読解術 東大名誉教授と名作・モームの「物知り博士」で学ぶ

英文精読術 東大名誉教授と名作・モームの「赤毛」を読む

英文翻訳術 東大名誉教授と名作・モームの「大佐の奥方」を訳す

オオモノ、真に優れた人に肩書きは要らない。英文学者として傑出し、特にモーム研究の大家である行方氏を凡百の東大名誉教授と一緒にすることは、非常に失礼である。東大教授や東大名誉教授だからアリガターイと思うのは軽佻浮薄である。営業政策とはいえ情けない。

注*:この本は1953年初版、64年改訂版発行なので私も高校時代に改訂版を使うてたのかな?と思ったが、どうも記憶に無い。今回購入して念のために行方氏の指示通りに該当箇所を読んで確認したが、よくできた文法解説書である。

説明や例文のあとに書いてある<<参考>>、「解説」が痒いところに手が届くようで、さらにうっかりミスをしないように、注意を喚起していて、「ああそうや、こういうニュアンスや!、用心用心」というのは何点か(具体的に何かは個人的秘密!)あった。活用していこうと思う

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 1日 (日)

比較で読みとくスラヴ語のしくみ

三谷恵子著 白水社 20167

白水社に「xx語のしくみ」というシリーズがある。シリーズでも全てを読む人はまずいないだろう。そのXX語の超入門というか、入門以前というか、紹介の本である。この本はそのシリーズの兄貴分、おっと姉貴分である。

読後感-というのは語学書に対して適当ではないかもしれないが-を一言でいえば、疑問に答えてくれるとともに更に好奇心を刺戟する本である。

文字と音のしくみ

語のしくみ

文のしくみ

からなり、全体で250ページ弱とコンパクトで読み通すことが期待されている。

記述はどの項目も2ページに収められている。これは「XX語のしくみ」に倣っているのだろう。あとで読み返すときなどに見やすいが、「紙面の都合上(涙)いきなり答えにいきます、、、」と書かれているところがあるように無理もある。惜しい、そこ(その理由)を知りたいと思うところが出てくる。

扱われている言語は日本人にも馴染のある(いや、ほとんど無いでしょうねえ)ロシア語から、大抵の方がおそらくその名すら耳にしたことが無いであろう上ソルブ語、下ソルブ語*まで多様である。当然ながら「共通スラヴ語」(祖語)やスラヴ語最古の文献である古教会スラヴ語**もでてくる。

本文中に出てくるキリル文字による綴りには多くは読み假名がふってあるが、キリル文字の知識なしに読み通すのは辛いかもしれない。(度々書くが、ロシア文字という呼び方は誤りである。)

古教会スラヴ語の文字(キリル文字にないもののみ)と音は冒頭に簡単に説明されている。IPA(国際音声記号)については最新版のあるサイトを紹介してあるだけで、説明なく使われている。

鍋屋町が、ほんの少し分かるのはロシア語だけである。これも運用能力はない。大学で第二外国語として最低限「可」を貰わないといけないので、授業に出てテストを受けて答案用紙に名前を書いた。実はこうすれば、最低限「可」が貰えるというのがロシア語選択の最大の理由であった。まあ白紙ではみっともないので多少何か書いた。今にして思えば、鉄にもっと役立つドイツ語にしておけば良かったかとも反省するが、落第してはなんにもならない。

また最近は漢語(漢族の言葉という意味、所謂中国語)が人気だそうだが、当時は選択肢になかった。まだ臺灣を切って中華人民共和国と国交を結ぶ前で、かの国の蒸気機関車の状況についてもほとんど知られていなかった。

の大学時代のロシア語の試験の思い出である。

ある学生「試験問題のY番が汚れていて読めません、取り換えて下さい」

ロシア語のU先生「君は新聞の印刷が汚れていたらイチイチ新聞社へ電話して取換えを頼むのかね?そのまま判読しなさい」

 まあ、答えに何が書いてあっても落第させない心算だから言えることである。

U先生は先年亡くなられた。イマドキこんな度胸のある先生はまだいらっしゃるだろうか?

本のご紹介から大幅に脱線してしまったので戻ります。

この本は其々の言語について概観するものではない。あくまでも比較し「しくみ」を見ていくことに重きを置いている。つまりこれを読んでロシア語とかポーランド語とはどんなものだということを知るのは無理である。其々の言語についての概要(もちろん超概要であるが)を知るには同じ著者の「スラヴ語入門」三省堂2011年がよい。というか日本語で読めるものとしては現在容易に入手できる唯一かもしれない。

一箇所だけ誤植というかミスを見つけた。

P.62 コラム 同じ音を表す2つの文字 のなかの表(チェコ語とポーランド語とロシア語で「狭い」と「ナイフ」を比較)であるが、ナイフのところロシア語がキリル文字表記の нож ではなくnožとなっている。これはロシア語のキリル文字のラテン文字翻字ではない。セルビア語だろうか?

 

注*:「神様がラウジッツを創造され、悪魔がそこに褐炭を埋めた」という諺がある。ドイツ語圏(ドイツ東部)に残された唯一のスラヴ語であるが、ラウジッツ地方の褐炭採掘、ナチによるソルブ語使用禁止、その後もコンビナート建設、外部からの労働者移入などにより消滅の危機に瀕している。上ソルブ語は南部でザクセン州、下ソルブ語は北部でブランデンブルク州である。

**:古代教会スラヴ語とも呼ぶ(木村彰一の名著タイトルにはこちらが使われている)が、日本語の「古代」が喚起するイメージほど古くはなく、9世紀から11世紀ころである。

 
あまらぼ鍋屋町

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