蒸機

2018年10月16日 (火)

オートトレインAutotrain

オートトレインというと、自動車メーカーから製品の自動車を運ぶ列車あるいは旅客とともにその客の自動車を運ぶ列車*をイメージされる方がほとんどだと思うが、これからご紹介するのはそれらではない。

道の動力として実用になるものが蒸気機関しかなかった時代に、フリークエントサーヴィスの為に蒸気動車steam rail motorsが登場した。日本でも若干ながら活躍した。しかし英国では蒸気動車の登場が早かったので、その後にも乗客数の伸びがあり、室内のボイラなどのスペースのため通常の客車より輸送量の少ない蒸気動車では対処しきれなくなった。

以前、英国のディドコットスティームセンター訪問を報告した際に、制御客車(autocoachあるいはauto-trailerという)についてご紹介したことがある。
http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-22ca.html

客車の端部に設けた運転台から蒸気機関車を制御するものである。終着駅での機回しをせずに済み、そのまま反対方向に出発でき蒸気動車同様のフリークエントサーヴィスができる。この編成をオートトレインautotrainと称する。railmotor trainともいう。ディドコットで見たものは制御客車はホンモノであったが機関車が対応するものではなく、単に外見だけオートトレインを真似たものであったので、実物を見たいと思っていた。またセヴァーンヴァレーSevern Valley鉄道で以前、対応する蒸気機関車は見たことがあったが、外見を、しかも前から見ただけであった

セヴァーンヴァレー鉄道のガーラでオートトレインが走ることが分ったので、すでに2、3度訪問している鉄道ではあるが再訪することとした。

まずは走行写真をご覧戴こう。俯瞰撮影すべく牧草地の上に行ったのだが、天気の変化の激しい日で肝腎のときには雨であった。
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蛇足

*イギリスの友人にフランスのソンム湾鉄道Chemin de Fer de la Baie de Sommeに連れて行ってもらったことがあり、彼の車で英仏海峡トンネル(チャネルトンネルChannel Tunnel)を通った。レンタカーでチャネルトンネルを通ることは禁止されているので旅行者だけではできない経験であり、これはこれで面白かったが、ご紹介する機会を逃して日が経ってしまった。トンネル内でも車の中にそのまま滞在することが許される。

つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年8月23日 (木)

天に唾する

野辺山SLランドのアングロ・フランコ・ベルジュSociété Anglo-Franco-Belge製蒸機

タイの途中ですが割込みです。

無くなるから撮りに行くなんてことは邪道だ、日頃から記録を心がけねば、、、、などとエラソーに言いながら、慌てて撮りに行くという失態を演じてしまった。

先週末、所属する海外鉄道研究会の蒸気機関車部会に出席した際に、友人から「野辺山SLランドが8月いっぱいで閉園で、先日、、、」と教えられた。迂闊だった、大感謝である。

使っている蒸機は台湾の蒜頭精糖工場で使われていたアングロ・フランコ・ベルジュ(362号、1948年製、製番2651)である。しかし、動態復原に際してボイラ修理を断念したため、キャブの後に別ボイラを背負った、なんともミットモナイ格好なので今まで見に行かなかったのである。タイでなら空気駆動でも見に行くのに、どうも首尾一貫しない。

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更に場所も車でないと行けないようなところだと思い込んでいたのである。思い込みはイケナイ、ちゃんと調べて、、、などと言っていながらこのザマである、、、、、尤も被害は己に及んだだけで、思い込みで発言してヒト様に迷惑を掛けたわけではない。

しかし、なんとも写真に撮りようが無かった。走るのは一周350mのエンドレス、背負いボイラの他に、天敵ヘッドボードがある。後者が附けられる前なら正面だけは撮れたのに、後悔先に立たずである。

なんとかこれらを目立たせないサイドヴューを撮ってきたが、まあイジマシイ。
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(他のモノはともかく軽薄なヘッドボードだけはどうしても嫌なので、雑な加工をした。)

汽笛は昼間にも拘らず野辺山駅まで届く一人前だが、スピードは出せないのでブラスト音は極めて小さく、シリンダーからの蒸気の外気排出に消されてあるのか無いのか判然としない有様、煙突からはわずかな湯気がチョロチョロと出るのが見えるだけであった。


現状はミットモナイ姿であるが、貴重なカマである。動態をご覧になりたい方は8月中に葬式鉄、、、、おっと臨終はまだだから葬式ではない、病院見舞い鉄?借金取立て鉄?をどうぞ。

静態ではあるが、井笠のコッペル7号機も展示してある。なおアングロ・フランコ・ベルジュの僚機(現地の説明パネルによると363号、1948年製、製番2657、当該機の写真は展示されていなかった)がもう一輌保管されているとのことが、これは公開されていない。

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2018年8月18日 (土)

リノの隣町スパークスの静態保存

行きがけの駄賃ならぬ帰りがけの駄賃である。

帰途はリノRenoから早朝の飛行機利用であったが、その前に東隣の町スパークスSparksにある静態保存を見に行った。もっとも市街地は続いているので、車のナヴィをしていてもいつの間にかスパークスに入っていたという感じであった。

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カーソン・アンド・コロラドの8号機である。9号機の所で書くのを忘れたが、これらは2代目である。元はネヴァダ・カリフォルニア・オレゴン鉄道であることも同じである。(そこでも8号機)

ボールドウィンの1907年製テンホィーラ4-6-0 製番.31445

ネヴァダ州立鉄道博物館からの貸与で此処におかれている。
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厳重に特に蒸機のところは二重に柵で仕切られていて撮影には厄介である。ここでも一眼レフより小型軽量のミラーレスが役に立った。特にレンズ鏡胴が細く柵の間に突っ込めるのがありがたい。

ナローファンとしては残念であるが、後ろの客車と貨車は標準軌のものである。

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ネヴァダとカリフォルニア(<大袈裟な言い方ですが)はこれで終了します。

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2018年8月17日 (金)

V&T(観光・保存鉄道として)その3

前回書いたように中間駅ゴールドヒルで間に合わなかったので先に進んだ。道路は線路とずいぶん離れているのだろう、カーソン・シティのすぐ手前まで線路を望めるところは見つからなかった。それでカーソン・シティの到着の撮影となってしまった。線路はもう少し先に延びているようであったが、此処で機廻しをしてヴァージニア・シティへ折り返す。


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機廻しの様子とカーソン・シティからの折り返し発車である。
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今度はゴールドヒルに余裕を持って間に合った。
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通過してさらにヴァージニア・シティに向けて登る。

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勾配が随分急である。現地で具体的な勾配の値を調べなかったが、路線長は22.7kmに対しカーソン・シティとヴァージニア・シティは標高差が400m以上ある。

ヴァージニア・シティにもゴールドヒルにもいろいろと開拓時代を偲ばせる遺構や建物があるようだが、とても見に行く余裕はなく、これでQueen of the Short Linesへの拝謁と臣下達への表敬訪問を終えることにした。

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2018年8月16日 (木)

V&T(観光・保存鉄道として)その2

蒸機列車の出発が迫ってきたので、庫をあとにした。まずは29号機が単機でヴァージニア・シティに廻送されるが、その写真は前々回に載せた。


ヴァ―ジニア・シティーからカーソン・シティへ出ていく列車である。
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残念ながらテンダー・ファーストである。四駆ならもっと良い場所に行けるかもしれないが、レンタカーの通常の車ではこの程度のところが限度である。もう少し上ると、ヴァージニア・シティの街外れが少し見えるが餘計なものも入るのでこの高さにしたが、何も見えなくなってしまった。


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列車が下っていくのを見ると中腹に道はあるようだがレンタカーで走行してもよい道ではないし、追いつくのも無理なので良い道に戻り、途中駅のゴールドヒルGold Hillまで行って待ち構えたが、道はかなり遠回りであったようで行った後(多分)であった。

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ヴァージニア・シティの起点はこんな様子であった。ハイシーズンには最大7往復の列車があるとのことだが、ディーゼル機関車牽引の列車もある。乗って風景を見るにはよいが、全く撮影対象としようと云う気にならない機関車と客車である。しかし、このように蒸機+チャンとした客車の編成と、ディーゼル機関車+ゴンドラカーの編成を分けてくれるのは私のように撮影を優先したいものには親切である。多くの観光・保存鉄道では編成のどこかにゴンドラカーを入れるので、その処理!に苦労するのである。

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一箇所だけ観光をした。ボナンザ教会
Bonanza Churchの綽名のカソリック教会、正式名称はSt. Mary's in the Mountains Catholic Churchである。初期には大風や火事で破壊され何度か立て直されているようで、位置も少し動いているとのこと。この建物は1876年の建立で内部も実に美しい。現在のヴァージニア・シティの人口は900人ほどだが、最盛期1870年代には約25,000人であったとも言われ、その繁栄を偲ばせる。

続く

あまらぼ鍋屋町

 


2018年8月15日 (水)

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道(観光・保存鉄道として)

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道は1950年に廃棄されたが、1972年に観光鉄道としての再開を目指す動きが出た。

1976年には最初の運転がされた。この時の機関車が以前、ネヴァダ州立鉄道博物館でご紹介したショートラインエンタープライズ8号機である。

別アングルの写真を
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一眼レフでストロボ使用で撮った。最近導入したミラーレスの低速シャッター使用時の手振れ対策は素晴らしく、こういう狭い場所ではミラーレスを使ふことが増えたが、此処では「無い袖は振れぬ」ならぬ「無い光は写らない」であった。

運転時にはV&T28号機とされた。これはちょうど「銀河鉄道999」で機関車がC6250 とされたのと同じ附番であった。ただC6250のような長旅はできず、

28号機の運転はこのシーズンのみで終ってしまった。使用料の問題であったとのことで、機体の標記も戻された。

77年にはロングヴュー・ポートランド・アンド・ノーザン鉄道Longview, Portland and Northern Railway *のボールドウィンの1916年製コンソリが導入され、29号機となった。近年2001年から08年に掛けて修理され、今回訪問時の稼働機もこれであった。Bob C. Grayと名づけられているが、これは購入を決定差配した人の名である。
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写真はヴァージニア・シティの近くにある庫、修理工場での撮影である。前回末尾の写真の右奥に見えているところである。折角許可を得たのだが、蒸機の最後の運転時刻が迫っていて見て廻る時間がほとんど取れなかったのが残念であった。


元マクラウド・リヴァー鉄道ex-McCloud River Railroad 18号機、ボールドウィンの1914年製ミカド 今年2018年の復帰を目指しているとのことであったが、現状はフォローできていないのをお詫びする。

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いろいろとオモシロイものがありそうだ。

 

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の鉄道は Queen of the Short Linesを標榜している。

 

 

 

*ロングヴュー・ポートランド・アンド・ノーザン鉄道は1922年設立で54年には製紙工場とサザン・パシフィック鉄道を結ぶ路線を開業したが、現在は無くなった。

**マクラウド・リヴァー鉄道は1897年に森林鉄道として開業した。(カリフォルニア州)2009年に全ての営業を止めた。餘談であるが、スティーヴン・キング原作のスタンド・バイ・ミーの映画の有名?な鉄橋のシーンはこの鉄道で撮影された。この映画を見たのももう30年以上前になる。

 


つづく

 

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2018年8月 5日 (日)

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道

ナローを離れて標準軌鉄道です。

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道(Virginia and Truckee Railroad, V&T)については、<「のそみ」が救った古典機>のところでほんのすこしだけ触れたが、鉄道建設の背景については省略してしまったので、少し述べることにする。

1848年、カリフォルニアで金が発見され、翌49年には、それこそ一攫千金を目指してカリフォルニアに人が殺到した。この人たちをその年に因んでフォーティーナイナーズForty-ninersと呼ぶ。*(なおカリフォルニアはこの人口増もあって翌1850年に早くも州に昇格している。)そして更にそれに因んで、アメリカンフットボールの「サンフランシスコ・フォーティナイナーズ」というプロティームがある。スポーツには全く関心のない鍋屋町であるが、名前だけは知っていた、、、、但し野球かと勘違いしていてお粗末だが。

50年には今のネヴァダ州(当時はユタ準州であった)でもモルモン教徒により金が発見されたが、カリフォルニアへの経由地つまりネヴァダは山越え(シエラネヴァダ越え)の準備地に過ぎなかった。なおカリフォルニアへのルートは逆に海側からなどもあった。

1858年までには山師たちは現在のヴァージニア・シティ周辺に恒久的なキャンプを張っていた。59年には金が発見され、金鉱石とともに青い塊が出て選鉱の妨げになっていたのだが、このような現れ方は知られておらず最初は銀とは考えられておらず、金だけに目を奪われていた山師達には見過ごされていた。しかし後には非常に価値があることがわかった

これが後にコムストック・ロウドComstock Lode(コムストックは人名、ロウドは鉱脈のこと)として知られるようになった鉱脈の発見であった。**そしてカーソン川ぞいにおおくの製錬所ができた。

しかし鉱山から製錬所への輸送コストが大きすぎた。

そのため、ヴァージニア・シティからコムストック・ロウドの最初の地ゴールド・ヒルを通り、製錬所地帯を経由して州都のカーソン・シティに至る鉄道が計画された。

全長21マイル[34km]だが、ヴァージニア・シティの標高は6,150フィート (1,874 m)、カーソン・シティは4,802フィート(1,463 m)で、鉄道の高低差1575フィート(480m)にも及ぶ

1869年に工事開始、翌70年に開業した。最盛期には一日に30ないし45本の列車が運転された。(ちょっと数値が違いすぎるが、とにかく多いことは確かだ)

1870年にはセントラル・パシフィック鉄道と連絡するためにリノRenoまでの延長工事が始まった。大陸横断鉄道は1869年に完成している、ヴァージニア・シティとサンフランシスコを結ぶと云うことである。

728月にリノまでの最初の列車が運転された。

活躍した機関車は地元だけでなく各地で(遠くペンシルヴァニア鉄道博物館もあり)保存されている。弊ブログでご紹介したように、22号機Inyo25号機および27号機はネヴァダ州立博物館で保存されているが前2者は運転可能である。

次回は保存鉄道となっている現在のヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道についてご紹介します。
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*:日本では雪山讃歌として歌われている「愛しのクレメンタイン
My Darling Clementine」の第一番の歌詞にもフォーティナイナーは登場する。というかこれでこの語を初めて知ったのであるが。
 In a cavern, in a canyon, Excavating for a mine,

   Dwelt a miner, forty-niner, And his daughter Clementine.

ちなみにこの歌の最後のところの歌詞はずいぶん移り気で薄情なのが面白い。

**:餘談になるが、トム・ソーヤ―の冒険などで有名な作家マーク・トゥウェイン(Mark Twain 本名Samuel Langhorne Clemens)は、そのペンネイム(意味は「水深2ファゾム(二尋)=約3.6m」)が示唆するように、ミズーリ生まれで少年時代をミシシッピ川ですごしているが、このペンネイムを最初に使ったのが、ヴァージニア・シティの新聞記者時代である。そしてなんとその前にはコムストック・ロウドで鉱夫をしたことがある。

あまらぼ鍋屋町

2018年7月17日 (火)

ローズにて その6

わずか数百メートルしか走れるところが無いので、こういうシーンを作って遊ぶ(誤魔化す)しかない。

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車については解説できないのをお詫びする。ヨーロッパでもアメリカでもクラシックカーを持ってきての撮影はよくおこなわれる。

日本ではこういう時に使えそうな車がまずない。それどころか連結するに適切な客車や貨車すらないのが実態である。

この鉄道がキーラ―Keelerまでの300マイルを開通させた時、やってきた経営陣がこう言ったそうだ。

300マイル餘計に来過ぎた、あるいは300年早すぎたのか。」

しかしナローゲージの鉄道がローカル輸送の主役を張る時代は300年どころか30年も無かった。フォードTの販売はこの開業から四半世紀後である。

300年の半分近くが経過してもこの地域に大きな変化はない。あとの半分が過ぎても同じかもしれない。

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西部劇のイメージである。現役時代に無かったものは殆ど写っていない。但し皆無ではないのでマチガイ探しでもどうぞ。


ローズはこれで終わり、次へ移ります。と言ってもネヴァダ州ですが。

あまらぼ鍋屋町

2018年7月15日 (日)

ローズにて その5 夜タノ

初日に夕食も含まれていたのは、その後夜景撮影のためであった。

9号機は当然無火であるが、なんとか誤魔化してそれらしいシーンを工夫したのである。

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途中でデジカメの残り撮影可能枚数が異常に増加していることに気が附いた。RAWJPEGで撮影している設定が、知らないうちにJPEGだけに変わっていた。戻そうとしても戻らない。仕方なく予備のボディーで撮影を続けたが、気附くまでに相当撮っていた。丁寧に撮ればJPEGだけでも良いかもしれないが、後でいろいろと加工が必要な場合もあるのでRAWは私には必須である。特にこのような夜撮では。

ホテルに帰ってからも設定を戻そうとしたが戻らず、仕方なく全設定を初期化して、すべて設定しなおした。帰国してからサーヴィスセンターで相談したが、確実なことは分からなかった。ただ、ある条件下で(そういう設定には私はしない)、さらにあるボタンを押す操作(こんなことも私はしない)という稀なケースでこうなる可能性があることは分かった。サーヴィスセンターの方がこの解答にたどり着くまで半時間ほどかかった。丁寧に対応していただいて感謝なのだが、これだから電子装置は、特にボタンであれやこれややるのは嫌いだ。触れないつもりでもいつの間にか当たってしまうのだろう。夜景撮影ではありえないことではない。贅沢なのだろうができるだけ個別のダイヤルを附けてほしいものだ。それに使いもしない動画とかつまらん機能は止めてほしい。

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ターンテーブル上の蒸機を撮るのが本来であるが、ターンテーブルはまだ蒸機を乗せられる状態にはなっていないとのことで、妥協写真である。


続く

あまらぼ鍋屋町

2018年7月11日 (水)

ローズにて その3

ナローゲージは別称としてスリムゲージslim gaugeともいう*。ナローよりも美しい感じがあるのだろうか?日本語でもスリムは響きが良い。


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これらのカマはスリム・プリンセスと呼ばれた。たしかに好ましい機関車ではあるが、ちょっと大袈裟な感もある。頭でっかちで短足のプリンセスもいらっしゃるということだ。まあ、どこかの国でマスコミが貴婦人と呼ぶ機関車ほどは愛称とスタイルの乖離はないと思うが。(あくまで個人的見解であるので念のため)**


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非常に特徴のある、いかにもアメリカらしい(偏見かな?)テンダーである。

ソーセージ・テンダーSausage tenderと呼ばれる。燃料は重油なのでこの形態にできる。

経緯(この形状が通常の形態より資材節約になることは明らかだが)、開発者の名前を少し調べたてみたが分らない。今後続けて調査しますが、各位のご教示を戴けると有難いです。

なお、これに似てはいるが角型の炭庫を持ち、円筒状の水槽を持つものはヴァンダーヴィルト・テンダーVanderbilt tenderという。開発者Cornelius Vanderbilt IIIに因む。New York Centralなどの経営者であったCommodore(<これは愛称で提督の意)Cornelius Vanderbiltの曾孫である。こちらは採用する鉄道が非常に多く、合衆国以外でも採用された。(弊ブログではニュージーランドの例をご覧いただいたことがある。)


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背景の山はシエラネバダ山脈である。実はシエラネバダ山脈というのは法隆寺テンプルみたいな言い方である。Sierra Nevadaもスペイン語からきている。Sierraはノコギリ、転じて尖った山脈のことである。

Nevadaはスペイン語のnevar (ネバール、雪が降る)の過去分詞(の女性形)(雪が積もった、白い)に基づく、だから彼方此方にネバダの地名が存在しておかしくないのである。なおスペイン語としては「ネバダ」(bの音)であるが、英語としては「ネヴァダ」(vの音)と発音する。ここはカリフォルニア州ではあるが、ついてに脱線すると、ネヴァダ州では正確に言うと「ネヴァダ」ではなく「ネヴャダ」、つまりキャットCatと言うときの音で発音する。そしてネヴァダンおっとネヴャダンはこれに非常に強いこだわりがあるようだ。

*:このカーソン・アンド・コロラド鉄道を記録した本に

Slim Gauge through the Sand (by George Turner, 出版Transanglo Books、初版1963)というのがある。当然絶版であるが、古書は時に入手可能である。入手したのは64年の二版であった。写真は全てモノクロの100ページ餘りの本で、路線図、主要駅の構内配置図、機関車(特に9号機)の図面、客車・貨車の図面、駅舎図面など要領よく纏めてある
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**:昔の「鉄道模型趣味」誌に「
D51を見たあるアメリカ人(ヨーロッパ人?)が『ナローにしてはバランスの取れたスタイルのカマだ』、、、、」と書いてあったのを思い出した。具体的な出典はわからない。

続く

あまらぼ鍋屋町

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