蒸機

2018年8月 5日 (日)

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道

ナローを離れて標準機鉄道です。

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道(Virginia and Truckee Railroad, V&T)については、<「のそみ」が救った古典機>のところでほんのすこしだけ触れたが、鉄道建設の背景については省略してしまったので、少し述べることにする。

1848年、カリフォルニアで金が発見され、翌49年には、それこそ一攫千金を目指してカリフォルニアに人が殺到した。この人たちをその年に因んでフォーティーナイナーズForty-ninersと呼ぶ。*(なおカリフォルニアはこの人口増もあって翌1850年に早くも州に昇格している。)そして更にそれに因んで、アメリカンフットボールの「サンフランシスコ・フォーティナイナーズ」というプロティームがある。スポーツには全く関心のない鍋屋町であるが、名前だけは知っていた、、、、但し野球かと勘違いしていてお粗末だが。

50年には今のネヴァダ州(当時はユタ準州であった)でもモルモン教徒により金が発見されたが、カリフォルニアへの経由地つまりネヴァダは山越え(シエラネヴァダ越え)の準備地に過ぎなかった。なおカリフォルニアへのルートは逆に海側からなどもあった。

1858年までには山師たちは現在のヴァージニア・シティ周辺に恒久的なキャンプを張っていた。59年には金が発見され、金鉱石とともに青い塊が出て選鉱の妨げになっていたのだが、このような現れ方は知られておらず最初は銀とは考えられておらず、金だけに目を奪われていた山師達には見過ごされていた。しかし後には非常に価値があることがわかった

これが後にコムストック・ロウドComstock Lode(コムストックは人名、ロウドは鉱脈のこと)として知られるようになった鉱脈の発見であった。**そしてカーソン川ぞいにおおくの製錬所ができた。

しかし鉱山から製錬所への輸送コストが大きすぎた。

そのため、ヴァージニア・シティからコムストック・ロウドの最初の地ゴールド・ヒルを通り、製錬所地帯を経由して州都のカーソン・シティに至る鉄道が計画された。

全長21マイル[34km]だが、ヴァージニア・シティの標高は6,150フィート (1,874 m)、カーソン・シティは4,802フィート(1,463 m)で、鉄道の高低差1575フィート(480m)にも及ぶ

1869年に工事開始、翌70年に開業した。最盛期には一日に30ないし45本の列車が運転された。(ちょっと数値が違いすぎるが、とにかく多いことは確かだ)

1870年にはセントラル・パシフィック鉄道と連絡するためにリノRenoまでの延長工事が始まった。大陸横断鉄道は1869年に完成している、ヴァージニア・シティとサンフランシスコを結ぶと云うことである。

728月にリノまでの最初の列車が運転された。

活躍した機関車は地元だけでなく各地で(遠くペンシルヴァニア鉄道博物館もあり)保存されている。弊ブログでご紹介したように、22号機Inyo25号機および27号機はネヴァダ州立博物館で保存されているが前2者は運転可能である。

次回は保存鉄道となっている現在のヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道についてご紹介します。
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*:日本では雪山讃歌として歌われている「愛しのクレメンタイン
My Darling Clementine」の第一番の歌詞にもフォーティナイナーは登場する。というかこれでこの語を初めて知ったのであるが。
 In a cavern, in a canyon, Excavating for a mine,

   Dwelt a miner, forty-niner, And his daughter Clementine.

ちなみにこの歌の最後のところの歌詞はずいぶん移り気で薄情なのが面白い。

**:餘談になるが、トム・ソーヤ―の冒険などで有名な作家マーク・トゥウェイン(Mark Twain 本名Samuel Langhorne Clemens)は、そのペンネイム(意味は「水深2ファゾム(二尋)=約3.6m」)が示唆するように、ミズーリ生まれで少年時代をミシシッピ川ですごしているが、このペンネイムを最初に使ったのが、ヴァージニア・シティの新聞記者時代である。そしてなんとその前にはコムストック・ロウドで鉱夫をしたことがある。

あまらぼ鍋屋町

2018年7月17日 (火)

ローズにて その6

わずか数百メートルしか走れるところが無いので、こういうシーンを作って遊ぶ(誤魔化す)しかない。

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車については解説できないのをお詫びする。ヨーロッパでもアメリカでもクラシックカーを持ってきての撮影はよくおこなわれる。

日本ではこういう時に使えそうな車がまずない。それどころか連結するに適切な客車や貨車すらないのが実態である。

この鉄道がキーラ―Keelerまでの300マイルを開通させた時、やってきた経営陣がこう言ったそうだ。

300マイル餘計に来過ぎた、あるいは300年早すぎたのか。」

しかしナローゲージの鉄道がローカル輸送の主役を張る時代は300年どころか30年も無かった。フォードTの販売はこの開業から四半世紀後である。

300年の半分近くが経過してもこの地域に大きな変化はない。あとの半分が過ぎても同じかもしれない。

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西部劇のイメージである。現役時代に無かったものは殆ど写っていない。但し皆無ではないのでマチガイ探しでもどうぞ。


ローズはこれで終わり、次へ移ります。と言ってもネヴァダ州ですが。

あまらぼ鍋屋町

2018年7月15日 (日)

ローズにて その5 夜タノ

初日に夕食も含まれていたのは、その後夜景撮影のためであった。

9号機は当然無火であるが、なんとか誤魔化してそれらしいシーンを工夫したのである。

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途中でデジカメの残り撮影可能枚数が異常に増加していることに気が附いた。RAWJPEGで撮影している設定が、知らないうちにJPEGだけに変わっていた。戻そうとしても戻らない。仕方なく予備のボディーで撮影を続けたが、気附くまでに相当撮っていた。丁寧に撮ればJPEGだけでも良いかもしれないが、後でいろいろと加工が必要な場合もあるのでRAWは私には必須である。特にこのような夜撮では。

ホテルに帰ってからも設定を戻そうとしたが戻らず、仕方なく全設定を初期化して、すべて設定しなおした。帰国してからサーヴィスセンターで相談したが、確実なことは分からなかった。ただ、ある条件下で(そういう設定には私はしない)、さらにあるボタンを押す操作(こんなことも私はしない)という稀なケースでこうなる可能性があることは分かった。サーヴィスセンターの方がこの解答にたどり着くまで半時間ほどかかった。丁寧に対応していただいて感謝なのだが、これだから電子装置は、特にボタンであれやこれややるのは嫌いだ。触れないつもりでもいつの間にか当たってしまうのだろう。夜景撮影ではありえないことではない。贅沢なのだろうができるだけ個別のダイヤルを附けてほしいものだ。それに使いもしない動画とかつまらん機能は止めてほしい。

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ターンテーブル上の蒸機を撮るのが本来であるが、ターンテーブルはまだ蒸機を乗せられる状態にはなっていないとのことで、妥協写真である。


続く

あまらぼ鍋屋町

2018年7月11日 (水)

ローズにて その3

ナローゲージは別称としてスリムゲージslim gaugeともいう*。ナローよりも美しい感じがあるのだろうか?日本語でもスリムは響きが良い。


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これらのカマはスリム・プリンセスと呼ばれた。たしかに好ましい機関車ではあるが、ちょっと大袈裟な感もある。頭でっかちで短足のプリンセスもいらっしゃるということだ。まあ、どこかの国でマスコミが貴婦人と呼ぶ機関車ほどは愛称とスタイルの乖離はないと思うが。(あくまで個人的見解であるので念のため)**


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非常に特徴のある、いかにもアメリカらしい(偏見かな?)テンダーである。

ソーセージ・テンダーSausage tenderと呼ばれる。燃料は重油なのでこの形態にできる。

経緯(この形状が通常の形態より資材節約になることは明らかだが)、開発者の名前を少し調べたてみたが分らない。今後続けて調査しますが、各位のご教示を戴けると有難いです。

なお、これに似てはいるが角型の炭庫を持ち、円筒状の水槽を持つものはヴァンダーヴィルト・テンダーVanderbilt tenderという。開発者Cornelius Vanderbilt IIIに因む。New York Centralなどの経営者であったCommodore(<これは愛称で提督の意)Cornelius Vanderbiltの曾孫である。こちらは採用する鉄道が非常に多く、合衆国以外でも採用された。(弊ブログではニュージーランドの例をご覧いただいたことがある。)


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背景の山はシエラネバダ山脈である。実はシエラネバダ山脈というのは法隆寺テンプルみたいな言い方である。Sierra Nevadaもスペイン語からきている。Sierraはノコギリ、転じて尖った山脈のことである。

Nevadaはスペイン語のnevar (ネバール、雪が降る)の過去分詞(の女性形)(雪が積もった、白い)に基づく、だから彼方此方にネバダの地名が存在しておかしくないのである。なおスペイン語としては「ネバダ」(bの音)であるが、英語としては「ネヴァダ」(vの音)と発音する。ここはカリフォルニア州ではあるが、ついてに脱線すると、ネヴァダ州では正確に言うと「ネヴァダ」ではなく「ネヴャダ」、つまりキャットCatと言うときの音で発音する。そしてネヴァダンおっとネヴャダンはこれに非常に強いこだわりがあるようだ。

*:このカーソン・アンド・コロラド鉄道を記録した本に

Slim Gauge through the Sand (by George Turner, 出版Transanglo Books、初版1963)というのがある。当然絶版であるが、古書は時に入手可能である。入手したのは64年の二版であった。写真は全てモノクロの100ページ餘りの本で、路線図、主要駅の構内配置図、機関車(特に9号機)の図面、客車・貨車の図面、駅舎図面など要領よく纏めてある
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**:昔の「鉄道模型趣味」誌に「
D51を見たあるアメリカ人(ヨーロッパ人?)が『ナローにしてはバランスの取れたスタイルのカマだ』、、、、」と書いてあったのを思い出した。具体的な出典はわからない。

続く

あまらぼ鍋屋町

2018年7月 9日 (月)

ローズLawsにて その2

昨年秋ここローズに9号機の僚機18号機が運ばれてきて、僅か数百メートルの線路上ではあるが、2日間にわたって運転された。
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これがその撮影会の入場券である。初日の夕食附きであった。食いもんや宿のことはすぐ忘れる鍋屋町であるので何を食べたかの記憶はない。最近は料理を撮影する方も多いが、ローカル色豊かな特別な料理ならともかく、そういうのは私の趣味ではない。オーストラリアに行った時は話のネタにとカンガルー料理だけは撮影したが、そんなローカル色豊かな食事でもハードディスクのゴミになっただけであった。

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18号機は9号機と同様元NevadaCaliforniaOregon Railwayのカマであったが、これは12号機であった。ボールドウィンの4-6-0 1911年製 製番37395 である。

前回にも名前を出したのにご紹介しなかったこのネヴァダ・カリフォルニア・オレゴン鉄道について簡単に紹介する。

発足時の名はNevada Oregon Railroadで計画ではオレゴン州北部コロンビア川岸のダルズThe Dalles(佛語起源)までを結ぶ筈であった。1882年のリノ~オナイダOneida(カリフォルニア州)間30マイルの開業に始まり、段階的に北進開業し、オレゴン州南部のLakeviewレイクヴューに1912年に到達したが力盡きた。全長383km。まあ大袈裟な名前に関して辛うじて嘘ではないという言い訳はできたということだ。1925年にサザンパシフィック鉄道が買収した。

餘談であるが経由地のカリフォルニア州アルトゥラスAlturasの西には第二次大戦末期に日本の風船爆弾が到達したとの記録がある。撃ち落とされた。冷静に考えれば成果があがるとは考えられない攻撃方法である点は特攻隊と同じだが、まあ攻撃側の人的資材的損耗から言えばこの方がましであろう。

18号機の復原について

同じカリフォルニア州であるが、ローズの南65kmほどのインディペンデンスIndependenceでカーソン・アンド・コロラド鉄道を復活させようという活動がされている。

18号機はここで2016年に動態復帰したのだが、このイヴェントのためローズに運んできて9号機と対面させるとともに、走らせたのである。

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続く

あまらぼ鍋屋町

2018年7月 7日 (土)

ローズにて その1

<カーソン・アンド・コロラド鉄道>

カーソン・アンド・コロラド鉄道はネヴァダ州マウンドハウスMound Houseからカリフォルニア州キーラーKeelerまでを結んでいた3フィート軌間の鉄道である。全長は約300マイルあった。

有名な都市などとの位置関係を言うと、マウンドハウスはネヴァダ州の州都カーソン・シティの北東に隣接している。キーラーはロス・アンジェルスの北300kmほどのところにあり。デスヴァレー国立公園の西にあたる。

キーラーまで開業したのは1883年、1930年代から部分廃止が始まり、最終運転は1960年であった。略史を以下に示す。

1880年 Carson and Colorado Railroad設立

1882年 Benton, California まで開業(200マイル)

    路線の最高地点モンゴメリ峠(*Montgomery Pass 7100フィート)を越え、3.2‰(最大?)の勾配で下り、ネヴァダ州からカリフォルニア州に入って最初の駅である。

1883年 Keelerまで開業

 1886年までに鉱山業はピークをすぎる

1892年 負債軽減のため再編Carson and Colorado Railwayとなる 

1900年 Southern Pacific Companyに売却

 San Antonioで銀鉱脈発見

 1904年 Goldfield(ネヴァダ州)で金発見

1905年 Churchill から Hazen建設

1905年 Mound Houseからネヴァダ州Minaまで標準軌に改軌

SP3フィートナロー子会社であるNevada and California Railroadに吸収

1912 Nevada and California RailroadCentral Pacific Railroadに再編

此の頃(から)はSouthern Pacific Keeler Branchと呼ばれていた

30年代、40年代 部分廃止

1960年 最終運転429

1961年 撤去

<ローズLaws

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終点キーラーから手前
()75マイルほどの所にローズという駅があった。現在はLaws Railroad Museum and Historic Siteというのがあり、駅舎や小さな鉱山設備などの他Southern Pacific 9号機(元Nevada–California–Oregon Railway9号機)が静態保存(屋外展示)されている。

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ボールドウィンの4-6-0 1909年製 製番34035である。

上述のKeeler Branchの最末期1954年にディーゼル機関車が導入され、他機(8号機と18号機)が廃車、寄贈された際にもこのNo.9のみは予備機として残された。


続く

あまらぼ鍋屋町

2018年6月26日 (火)

ネヴァダ州立鉄道博物館 その他の展示など(2)

次いで別棟の庫である。

ここの見学は傳手を頼っての事前手配までは必要無いが、博物館で申し出て開けてもらう必要があり、忙しい時は難しいかもしれない。また逆に見学者の多いシーズンには開いているのかもしれないが、そこまでは確認しなかった。

元ショート・ライン・エンタープライズNo.8
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標準軌のアメリカン
4-4-0、クックCooke Locomotive and Machine Works*の製番18611888年製である。

ダーダネル・アンド・ラッセルヴィル鉄道8号機、メトロ-ゴールドウィン-メイヤー所属、ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道28号機、ショート・ライン・エンタープライズ8号機と変遷した。 **

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道
No.25(二代目)
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二代目などと書くと(或いは、このカマは該当しないが、鉄道を移るなどで番号や名前を変えると)落語家か歌舞伎俳優が襲名するみたいだ、、、、冗談はさておき、ボールドウィンの
25016番、1905年製の標準軌のテンホィーラ 4-6-0である。これも時々火が入るらしい。

次にご紹介するのは拙ブログとしては珍しく、カマではないが、多くの方にオモロイなあ!と同感いただけると思う。

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道 ガゾリン動車22
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McKeen Motor Car 70とも称される。マッキーン・モータ・カーズMcKeen Motor Car Company*3の1910年製である。全長は22mある。

新製時はガソリンエンジン搭載チェイン駆動であったが、丁度100年後2010年に動態に復帰した際にエンジンと駆動部は復原不可能でディーゼルエンジンおよび流体変速機使用となった。 いずれにせよ英語では単にMotor Car と呼んでいる。他にアセチレン燈が修復不可能であった。しかしこれ以外は史的に非常に貴重なものと認められ2012年にNational Historic Landmarkに指定されている。流線型の本格的流行は1930年代なのでそれに先行すること20年餘りである。

これも友人が外に出すのを予め依頼してくれたものである。内部の見学も可能であった。

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どうもクドクドと書き過ぎです。今回で終ろうとしたのですが、長くなったので、、、また続く

あまらぼ鍋屋町

以下蛇足()

 クックは1901年に他の7社とともにアルコAmerican Locomotive Companyとなった。

** Dardenelle & Russellville RRはアーカンソー州ラッセルヴィル(ここでユニオンパシフィックに接続)から同ダーダネルに至る5マイル弱の標準軌鉄道である

Short Line Enterprisesは主に19世紀の機関車やその他車輛を保存運転したカリフォルニア州の組織で、多くはメトロ-ゴールドウィン-メイヤー、20世紀フォックス、パラマウントから得たものであった。活動時期は1967年から88年までで、現在はFillmore and Western Railwayの一部となっている。

更に餘談:Kansasはカンザス{}なのにArkansasをアーカンソーと読むのはケッタイなモノである。まあ英語はこういう奇妙な発音ばかりであるが。北米の佛語によるらしい。この地域でスペイン語はよく聞くが佛語は実際には聞いたことが無い。標準的佛語では語尾のasではsは読まず、aだけ読んとアとなる(はず)。

*3 McKeen Motor Car Companyはユニオンパシフィックの動力車機械部門の長であったウィリアム・マッキーンがネブラスカ州オマハに作った会社で1905年から17年に掛けてガソリンカーを152輌製造したとのことである。

2018年6月24日 (日)

ネヴァダ州立鉄道博物館 その他の展示など(1)

まずは本館の展示から

ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道(V&T No. 22 Inyo 標準軌

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車輪配置はご覧のとおりアメリカン 4-4-0である。

前回書くのを忘れたが、Glenbrookは米国で運転可能な一番古いナロー蒸機であるが、このカマも同年1875年製で独立記念日などの特別な際に運転される。ボールドウィン 製番3693 

Virginia and Truckee Railroadに就いては前回の蛇足()*3に記した。V&Tでの用途廃止後パラマウント映画に購入され、数多くのハリウッド映画に出演した。

Joe Douglas 

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0-4-2STとすべきか?博物館ウェブサイトでは0-4-2T としている。ごく薄いがサドルタンクがあり後部にもタンクがある。ポーターPorter5131882年製のスリーフータである。

最初はDayton, Sutro & Carson Valley Railroad*で働いた。のちにカリフォルニアのLake Arrowhead Development Co.に移り、そこでのダム**建設後は長らく放置された。

カリフォルニア州のパームビーチ持っていかれ、所有者が何度も代わるなどの紆余曲折をへたのち、動態へ戻すことが企画され、70年にボイラ水圧テストまで実施したが何故か完成検査には至らずに終わった。最終的にNevada State Railroad Museum 1994年に購入することができ、銀ブーム時代の貴重な遺産は最初に働いた場所の近くに戻ってきたのである。

 

Virginia and Truckee Railroadのテンホィーラ4-6-027号機
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ボールドウィンの394531913年製である。同鉄道に新製配置された最後の機関車であり、また最終列車を牽引したとのことである。

別棟の庫などについては次回にします。

あまらぼ鍋屋町

以下蛇足()

*この鉄道はGold CanyonからDayton(ネヴァダ州カーソンシティの北東)の短い馬車鉄道をCarson & Colorado RailroadMound House からDaytonを開業したのに合わせて機関車使用に変更したものであった。ただしJoe Douglasは変更開業*当初からの機関車ではなく、所有者が替った際の発注である。路線はすぐにSutroCarson Valley に延長された。

**カリフォルニア州サンベルナ―ディオSan Bernardino

2018年6月22日 (金)

「のぞみ」が救った古典機

写真1枚だけ昨年10月に載せたが、そのままにしてしまった米国のスリーフータの話である。

まずはそのモーガル(2-6-0)、別アングルの写真をご覧いただこう。
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ネヴァダ州カーソン・シティCarson City(*)にあるネヴァダ州立鉄道博物館Nevada State Railroad Museum(**)にある。

Baldwin1875年にCarson and Tahoe Lumber and Fluming CompanyC&TL&F3フィート軌間)に納入した2輌の一つ(1号機)である。製番3712Glenbrookと名付けられた。グレンブルックはネヴァダ州(州昇格1894年)とカリフォルニア州(同1850年)にまたがるタホー湖Lake Tahoe東岸(ネヴァダ側)にあり、此処に製材所が設けられた。材木は坑木用などであった。製材されたものは鉄道でスプーナ峠Spooner Summitまで上げられ、そこからは人工水路でカーソン・シティの近くまで落とされた。そこからは標準軌のヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道(*3)Virginia and Truckee Railroadに載せられヴァージニア・シティに運ばれた。

その後伐採できる森も少なくなったのでC&TL&Fの創設者Duane I. Bliss 1899年にC&TL&Fを閉鎖し、観光化が進んでいたタホー湖の西岸(カリフォルニア州側)にLake Tahoe Railway & Transportation (LTR&T) (*4)をつくりGlenbrookもここに移った。

のちにこの鉄道もサザン・パシフィック鉄道に吸収、標準軌化された。Bliss一族は1937年にGlenbrookNevada County Narrow Gauge Railroad(*7)に売却した。部品取用であったが、この鉄道も42年に閉鎖され、Glenbrookはすでに外装もはがされていたが解体は免れていた

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の娘にHope Blissという人が居た。第二次大戦のため鉄屑需要が急増したので、Glenbrookも解体の危機に瀕したが、彼女が一族を説得してGlenbrookを買戻しネヴァダ州博物館Nevada State Museumに寄贈した。1943年のことである。

当時彼女はすでに70歳を超えていたので、2000年代初めのこの機関車の動態復原開始を知ることはなかったであろう。復原完成は2015年である。

Hopeつまり「のぞみ」さんである。日本の「のぞみ」さんはそんなに数が多くなく、虞らく大部分が女性であろう。男性なら「のぞむ」さんだろうか。Hope(*5)さんも管見のかぎり、稀ではないが多くはない女性の名前である。ただしアメリカの古い鉄道が好きでこの名前を知らない人はまずいないであろうMallory Hope Ferrell(*6)のようにミドルネイムになっている男性は居る。

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動態ではあるが、火が入れられることは滅多にない。運転される可能性が高いのは
74日の独立記念日である。訪問した日(20179月)はアメリカの友人の手配で引きだしていただいたが、火は入っていない。
オリジナルの塗色と塗分けが施され美しい。
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長くなったので、この博物館の他の機関車に就いては次回に

あまらぼ鍋屋町

以下蛇足

*カーソン・シティは州都であり、州の北西でカリフォルニア州に近い所にある。50kmほど北にネヴァダ州第二の都市リノRenoがあり、空港はこちらにあるので私も西海岸からリノへのフライトを利用した。

シティまでが名前である。全く同名の市がミシガン州にもあり、シティが附かないカーソンがお隣カリフォルニア州にある。ややこしいが、州はすなわち国なので全く同名でも問題ないのである。

なおネヴァダで一番大きい都市は有名なラスベガスLas Vegasである。餘談になるが、英語ではラスヴェガスであるが、(現代)スペイン語ではfの音はあるが対となる有声vの音は無く、bの音を用いる。つまりベガスと発音する。同様にスペインの高速列車AVE(Alta Velocidad Española)もアヴェではなくアベである。なおaveは鳥の意があり、それと引掛けてある。

**この博物館はNevada Southern Railroad Museum (Boulder City)も運営している。

*3 ヴァージニア・アンド・トラッキー鉄道(V&T)は1868年にカーソン・シティとヴァージニア・シティ間(カーソン・シティの北東、V&Tの路線長で21マイル)で開業した標準軌鉄道である。大陸横断鉄道の開通は1869年であるが、V&Tは大陸横断鉄道が来たリノ側(北側)からヴァージニア・シティへの延長工事を70年に開始し、72年に開業させている。

4 カリフォルニア州のタホー・シティTahoe Cityとサザン・パシフィック鉄道(SP 大陸横断鉄道開業当時はセントラルパシフィック鉄道)を結ぶ鉄道であった。SPとの連絡はトラッキーTruckeeで、1846-47年冬のドナー隊の悲惨な遭難で有名なドナー峠Donner Passの東10

マイル弱にある。

*5 ただしスペイン語で同義のエスペランサEsperanzaはよくある女性の名前である。 スペイン語のzは英語ならばthまたはsの音(地域による)で濁らない。

*6 Mallory Hope Ferrell アメリカの鉄道に関して厖大な著作がある。扱った鉄道は西部が多いが全米に渡っている。

*7 Nevada County Narrow Gauge Railroad
カリフォルニア州(<注意!)ネヴァダ郡ネヴァダ・シティーから南南西へ同州プラサーPlacer郡コルファックスを結ぶ長22.5マイルの3フィート軌間の鉄道で営業は1876年から1942年であった。大陸横断鉄道とはコルファックスで連絡した。有名な都市からの位置関係を言えば、コルファックスはサクラメントの北東約50マイルにある。現在Nevada County Narrow Gauge Railroad Museumがネヴァダ・シティーにあり、ここにはGlenbrookの僚機Tahoeが展示されているとのことだが、今回は行けなかった。

蛇足(注)を一つ忘れたので*7として追記しました。また本文中の表記の誤り(漏れ)を訂正しました。(624日 あまらぼ鍋屋町)

 

2018年6月19日 (火)

何とかと煙は (その2)

さて、3月の撮影は残念ながら曇天に終わったので再履修をしたい。

4月にまた英国に行ったが、これは海外鉄研の仲間のレンタカーに乗せてもらっての撮影であり、本来の目的は別物である*。ただリーダーの意向でヴェイル・オヴ・レイドル鉄道も1列車だけやることになった。

3月に登った場所を提案したが、そんなに高いところまで長い距離を歩いて登るのは嫌だと言う否定的意見が当然出たし、撮影の後できる限り速やかに次の撮影地に向かった方が良いと言うリーダーの判断に従い、良い天気なので残念であったが次の機会を目指すことにした。

それでヴェイル・オヴ・レイドル鉄道の撮影では弊ブログのヴェイル・オヴ・レイドル鉄道(その4http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/4-d538.htmlでご紹介した地点に他のメンバーを案内したあと、私は周辺で別のアングルを探す心算であった。

さて当日、その地点へ車で向かう途中、メンバーの一人が「あそこに線路が見える」と声をあげた。私は後部座席でノンビリしていたので全く気附かなかった。急遽車を停めてもらい降りて確認してみると、線路の見えるところが想像とは少し違ったが確かに見える。昨年と同じ写真を撮るよりこの方が良い。それで他のメンバーを昨年の地点に行くパブリック・フットパス入口まで案内し、再度この地点まで戻って降ろしてもらった。


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長々と書いてきたが要はアベラストゥウィスから鉄道の終点デヴィルズ・ブリッジに向かう道路A4120からである。この辺りでは道路は稜線を走っているのである。丘に登るTゴッコどころか、車を降りたその場所である。駅で言えば(列車の進行方向で)カぺル・バンゴーCapel Bangor  ナンタローネンNantyronenである。

あまりにも列車が小さいので、「これならお前が<細いボイラにボックス動輪だから醜いと貶すC57>が<ケッタイなしょぼいヘッドボードを着けて>、<煙草同様に毛嫌いする12系客車>を牽く列車でも同じではないか?」と言われそうだ。

また、もう少し列車が手前に来てからシャッターを切った方が良い。当然それも撮ったのだが、あまりにも風が強く画角がずれてしまったのである。GITZOの大型三脚で、雲台は使わずレヴェラーに直附けで、脚も伸ばさなかったのだが及ばなかった。

さて次は何を書こうか?パソコン何とかしないと、、、、

あまらぼ鍋屋町

以下蛇足

*:本来の目的は例年4,5月に行われる蒸機牽引列車によるブリテン島一周ツアーを追いかけて撮影することである。列車名(=ツアー名)はGreat Britain ○である。○はローマ数字、毎年一つづつ大きくなる。今年2018年はXI11eleven)であった。

誤りと一部舌足らずで誤解を与えかねない点がありましたので、その点を削除しました (あまらぼ鍋屋町)

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