国内

2018年8月23日 (木)

天に唾する

野辺山SLランドのアングロ・フランコ・ベルジュSociété Anglo-Franco-Belge製蒸機

タイの途中ですが割込みです。

無くなるから撮りに行くなんてことは邪道だ、日頃から記録を心がけねば、、、、などとエラソーに言いながら、慌てて撮りに行くという失態を演じてしまった。

先週末、所属する海外鉄道研究会の蒸気機関車部会に出席した際に、友人から「野辺山SLランドが8月いっぱいで閉園で、先日、、、」と教えられた。迂闊だった、大感謝である。

使っている蒸機は台湾の蒜頭精糖工場で使われていたアングロ・フランコ・ベルジュ(362号、1948年製、製番2651)である。しかし、動態復原に際してボイラ修理を断念したため、キャブの後に別ボイラを背負った、なんともミットモナイ格好なので今まで見に行かなかったのである。タイでなら空気駆動でも見に行くのに、どうも首尾一貫しない。

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更に場所も車でないと行けないようなところだと思い込んでいたのである。思い込みはイケナイ、ちゃんと調べて、、、などと言っていながらこのザマである、、、、、尤も被害は己に及んだだけで、思い込みで発言してヒト様に迷惑を掛けたわけではない。

しかし、なんとも写真に撮りようが無かった。走るのは一周350mのエンドレス、背負いボイラの他に、天敵ヘッドボードがある。後者が附けられる前なら正面だけは撮れたのに、後悔先に立たずである。

なんとかこれらを目立たせないサイドヴューを撮ってきたが、まあイジマシイ。
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(他のモノはともかく軽薄なヘッドボードだけはどうしても嫌なので、雑な加工をした。)

汽笛は昼間にも拘らず野辺山駅まで届く一人前だが、スピードは出せないのでブラスト音は極めて小さく、シリンダーからの蒸気の外気排出に消されてあるのか無いのか判然としない有様、煙突からはわずかな湯気がチョロチョロと出るのが見えるだけであった。


現状はミットモナイ姿であるが、貴重なカマである。動態をご覧になりたい方は8月中に葬式鉄、、、、おっと臨終はまだだから葬式ではない、病院見舞い鉄?借金取立て鉄?をどうぞ。

静態ではあるが、井笠のコッペル7号機も展示してある。なおアングロ・フランコ・ベルジュの僚機(現地の説明パネルによると363号、1948年製、製番2657、当該機の写真は展示されていなかった)がもう一輌保管されているとのことが、これは公開されていない。

あまらぼ鍋屋町

2018年5月19日 (土)

ねじり橋 ついでに

技手

ねじり橋こと六把野井水拱橋、こんな銘が埋め込まれている。
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並んでいるうちで一番エライ人が専務取締役である。そして主任技術者、監督技手、、、と続く。今は技手などという言葉も目にしなくなった。漱石の「坊つちゃん」の末尾、主人公「坊つちゃん」は東京に戻った後、ある人の周旋で「街鉄の技手」になった、とある。専門学校(物理学校)卒では技師にはなれなかったのである。もっとも物理学校は現在は東京理科大学である。

古い言葉ではあるが、私が某社に入社し、数か月後に正社員になった時の辞令には

「 ○野×助 社員に登用する。 △級とする。 技手とする」

とあった。私は某大学卒であるが、大卒も値打ちが下がって!技師ではなかった。高卒で入った人は「技手補とする」であった。

△級というのは給料に関係するのだが、技手とか技手補の資格(?)はもう有名無実であった。級が上がるにつれ、勤続年数が増えるにつれ、技師補、副技師、技師、上級技師と上がっていく仕組みであったが、数年後にこういう意味のない資格呼称制度は廃止され、私は技師にはなれなかった。

さて、ご多分に漏れず北勢線の列車は普段はガラガラである。ただ朝や昼下がりには通学客で満員の場合もある。車でしか撮影に行ったことのない方はこういう実態をご存じかどうか、、、、

国や自治体が関連道路を拡げ―こんなことに矢鱈税金を使わないでほしいのだが―、少子化がさらに進んで通学生がもっと減少し、現在の沿線自治体からの暫定的な支援が無くなるまで、、、あと何年の猶予があるか分からないが、せいぜいこの鉄道を楽しむことにしよう。

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こんな注意札(スズメバチの巣)もあるので気を附けないといけない。

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今の季節だけ、夕方かろうじて築堤の北側に陽が当たる。

あまらぼ鍋屋町

2018年5月18日 (金)

ねじり橋(三岐鉄道北勢線) 続

ねじり橋を反対側(南側)から見る。
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この橋が跨ぐのは、
1601年桑名城主本多忠勝が着工し1635年に完成した全長12kmの六把野井水である。4世紀に亘り田んぼに給水を続けている用水に較べると、北勢鉄道以来100年の歴史を持つナロー鉄道といえども新参者である。

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アングルによってはとても鉄道橋とは見えない。

井水であるが、「せいすい」あるいは「いすい」と読んで井戸水を言うことが多いのではないかと思うが、ここでは灌漑用水のことである。

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田植えの時期であるからか、ちょっと恐怖感を抱くような水量で流れていた。

そしてこの六把野井水であるが、「ろっぱのゆすい」と「ろっぱのいすい」(三岐鉄道ウェブサイトなど)の2通りの読みが見られる。 

三重県のホームページ(サイト)では、六把野井水は見つからなかったものの、南家城川口井水に「みなみいえきかわぐちゆすい」と假名を振っている。いろいろこの地方のことを調べていくと、大井と書いて「おおゆ」と振り假名のあるものもあった。井を「ゆ」と読むのはこの地方独特の読み方なのだろうか?あるいは私の教養不足で各地にあるものだろうか?

なお北勢線にはかつて「六把野駅」があった。これは穴太(あのう)駅と北大社(きたおおやしろ)駅の間であったが、この場所は六把野新田で、その区域は広くない。あるいは他の地名がどんどんできて(古臭い地名!)新田が狭くなったのか?ともかく六把野新田からこの六把野井水拱橋までは7~8km離れている。六把野というのはもっと広い区域を言ったのであろう。

六把野駅は北大社駅と統合され東員駅ができ廃駅になった。歩き鉄には多少なりとも不便になった。もっと不便になったのは楚原駅と終点阿下喜駅の間(約6kmある)にあった上笠田駅と六石駅が廃止され、いまやこの間には麻生田駅だけになったことである。この大築堤なら良いが他の撮影地を選択した時、往きは張り切って歩くのでそれほど感じないが、撮り終えて帰途に就くとき、特に成果が<今市どころか宇都宮>であったときは楚原に戻るにしても、麻生田まで進むにしても、実に遠く感じる。

あまらぼ鍋屋町

2018年5月17日 (木)

ねじり橋(三岐鉄道北勢線)

珍しく国内鉄です。

我家から簡単に行けるところにナローらしいナロー、貴重な762mmゲージ路線がある。そして人気撮影地までは、名古屋駅からワンコインとは行かないが500円玉三枚で往復できる*。電化路線ではあるが、まあアリガタイことである。

それは三岐鉄道北勢線、そしていつ行っても鉄の居る撮影地は楚原駅から麻生田(おうだ)方面へ1kmほどの所にある大築堤である。

(*:近鉄で行くとJRよりも片道90円餘計にかかるのでオーヴァーする。近距離なのに随分差がある。)

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この大築堤に二つ橋がある。一つは俗称めがね橋。20180510dsc_1484_2

 

何にでもイチャモンを附けるが、三連でメガネとはこれ如何に。手塚治虫の漫画に「三つ目がとおる」というのがあったが、彼が使うメガネかな?

正式名称は明智川拱橋である。「拱」は両手を胸元で組合せること、つまり拱橋(きょうきょう)とはアーチ形の橋のことである。また「拱手」というと昔の支那のお辞儀の仕方である。このような漢字語があるのに、カタカナ語の方が分り易いのは(我ながら)情けない。

もう一つの橋はこれ、ねじり橋。普通の鉄道写真(列車写真)は撮りにくい。全編成を入れると橋の特徴が分からない。
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ぐっと近づくと
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正式名称は六把野井水拱橋である。

橋は1916年竣工、コンクリートブロック製。個人的には煉瓦積みのねじり橋ほどの風格を感じないが、コンクリートブロック製は現存する唯一と言われている珍しいものとのこと(三岐鉄道ウェブサイト)画面下に見える用地境界標、近鉄マークが入っている。これが三岐鉄道のものに取り換えられることは今後起きるのだろうか?
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長くなったので、、、つづく

あまらぼ鍋屋町

2018年3月23日 (金)

京都鉄道博物館見学(その2)

以下ついでに?見てきたものである。

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半分にぶった切られたが蒸気機関車館の出入口として餘生を送ってきた二条駅本屋は出口(および土産物店)としてそのままだ。

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入り口近くの良い位置に233がある。汽車製造会社1903/製番11  鉄道作業局A10形改番で230型。英国製のA8型をモデルに設計した国産初の量産機。

左側は壁とエスカレータに近い。左側を見るのは困難だが、エスカレータから上部を見られる。気になるところを観察するには何度も乗る必要があろうが。きちんとロッドを下げた位置で展示されているのは嬉しい。


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旧番の40で展示されているが1801、これもよい位置に置いてある。両側を拝むことができ、これも右側のロッドがきちんと下がっているのが嬉しい。キットソン 1881/製番2453 鉄道作業局B2型 改番で1800
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このブログでは蒸機以外はあまり相手にしないのだが、ちょっと例外措置

EF52は戦後阪和線(と中央東線)で使用されたので、小学生の頃からよく目にした。もちろん関西線の蒸機を見たり、それの牽く列車で田舎へ帰ったりが一番の楽しみであったが、阪和線のEF52は大きくて子供の目にはカッコよかった。まあ技術面、実用面ではその大きさや重さが問題だったそうだが、、、、のちにED60ED61が入ったが、小さくみすぼらしく、EF52EF58に替って、いくら旧型電機(というより当時はデンカン=電関と言った)でもデッキの無いのは価値無し!と思ったものだ。のちのEF58騒ぎには驚くばかりである。

EF52は鉄道省の指揮で各社に製作させたがEF521は日立製作所1928年

扇形庫は本館の人気のおかげでカマの周りに集っているのが少ないのが有難かった。ただ一般人の蒸機への関心が低下しているとしたら(假定ではなく現実か?去る者は日々に疎し)、近い将来各地で蒸機の動態保存運転取りやめという事態に結びつくだろう。

しかし、、、、見学者に実にZ国人が多い。大声(失礼、、、よくとおる声)ですぐにわかる。鉄道ファンでもない外国人が見て面白いのだろうか?と不思議に思う。多くの博物館美術館が休みの月曜日に行ったのが拙かったのか?(当館は水曜休み)

公式ウェブサイトには英語他のページが少しあるが、パンフレットはZ国語はもとより、英語のすらないのだ。

困るのは地鶏と瓦器鶏である。日本人でも結構時間が掛かるが、Z国人は自分でも子供でも、ケッタイな気取ったポーズを附けるのが常で餘計に時間が掛かる。仕方なく、その気取ったポーズを見ながら終わるのを待つのだが、噴き出さないように苦労する。

あまらぼ鍋屋町

2018年3月22日 (木)

京都鉄道博物館見学

梅小路蒸気機関車館のころは何度も訪問した。

弁天町*の交通科学博物館(元は交通科学館)を閉鎖して、そこの展示車輛ももってきた。扇形庫の横に近代的建造物ができるということで、建設計画を耳にした時は「なんと無粋な、、、」と呆れた。開館後は大入り満員という報道に気後れして、京都にはよく行くのに、これまで全く行ったことがなかった。英国の友人すら行ったのに、、、、

18切符のシーズンになると混雑が激しくなるかもしれないと思い、二月終わりの平日に初めて行った。

実はこの模型がどうなったか確認したくて行ったのである。

故三ツ矢明氏が製作されたライヴスティームである。改装増設前は旧二条駅舎本屋を利用した出入り口建物内に7台すべて展示されていた。

模型ではあるが、複式や動力伝達の特殊構造に挑戦した素晴らしいものである。ただし当時は一切の解説が無かったし、興味を持って見ている見学者は殆どいなかったかもしれない。解説が無いことに関して、私は蒸気機関車館側に特殊構造に関する知識を有する方がいらっしゃらないのではと危惧していたが、三ツ矢氏が亡くなられているため、これらの作品の製作記を掲載された鉄道模型趣味誌との著作権関係がネックになっているのではないかと指摘された方もあった。

現在展示されているのは習作―しかし素晴らしい完成度である-との1号機とトラムロコ-我々は屋台店と俗称するが-である。氏の作品のメインである特殊構造機が展示されていないのが惜しい。案内板には特殊構造について触れてある。

訊ねてみると、修理中との返事であったが、、、、、是非復活展示してほしいものだ。
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さて、ここで嬉しいのはライヴスティームと言う正しい用語を使っていることである。英語其の儘で分りにくいためか、かなり以前からミニSLなるケッタイな用語が跋扈している。

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用語と言えば、模型レイアウトはここもジオラマなる語に置き換えられている。以前書いたことがあるかと思うが、模型界では長年レイアウトと言ってきた。レイアウト
layoutは正しい英語である。ただし餘りにも多義の言葉であるし、適切な日本語訳語ができなかった。しかしジオラマはオカシイ。ジオラマdioramaはフランス語起源で英語ではダイアラマと発音する。透視画、立体模型、撮影セットなどの意味であり、従来は模型界では車輛がもし含まれていても添え物、それが動かないもののことを称していた。

今までになかった新しいアングルとして轉車台と扇形庫を見下ろすことができる。
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*:ベン天は元来「辯才天」=名(の文字)は体を表すで学問藝術のヒンドゥー教の女神=の略であるが、転化して「辨財天」(こちらは財を管理する)ともされた。個人的には後者だけに馴染みがあり、前者は今回念のために調べるまで知らなかったことを白状しておく。ともあれこの駅の設置は、四つの弁、瓣、辯、辨を一つにした暴挙(「弁」の文字は元来他の字の略ではなくカンムリを意味する固有の文字なので、特に悪質な暴挙である)の後であり、当初から「弁」天町である。

ついでに見てきた?ものもあるので、、、続く

あまらぼ鍋屋町

2017年10月 8日 (日)

明治村村民登録更新

10月末で村民登録(年間パス)が切れるので、忘れないうちにと更新に行ってきた。私の住んでいるところから直線距離では遠くないのだが、公共交通機関では一旦名鉄で犬山駅まで行くしかないので時間も料金も驚くほどかかるのが難点である。

もちろんついでに写真を撮る。今回は数か月前に入手した超広角専用中判カメラ(6x12センチ、レンズは55)と、デジカメも超広角ズームだけの軽装である。これには事情があるが別途書きましょう。

ということで、超広角の写真ばかりである。
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御料車6()5号(右)である。実はお召列車には全く興味が無く、一度も撮影したことが無い。車輛を保存するのでも、こういう特殊なものを保存するくらいなら、一般的客車こそ保存すべきと考えている。まあ、美術品としては値打ちは認めるが。

5号は昭憲皇太后用とある。昭憲皇太后と呼ぶのに、どうして貞明皇太后とか香諄皇太后と呼ばないのだろうと不思議に思っていた。生前はもちろん皇太后と呼んでいた。

どうも亡くなられた後に皇太后とは呼ばないようで、昭憲「皇太后」がマチガイらしい。マチガイなら正せば好いと思うのだが、それもできないらしい。面子に拘って恥を永遠に残す。教育勅語の「一旦緩󠄁󠄁アレハ>、、、」を思い出した。

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京都市電は2号車を使っていた。


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蒸機は12号機シャープ・ストュアート。めずらしく煙を出してきた。わずかな蒸機の撮影ポジションは東に開けたところばかりで、朝の列車以外は陰の中なのが残念だ。

雑草が(おっと、こういう言い方は昭和天皇のお叱りを受ける)中途半端だ。生えるままにするならもっと盛大に、刈るならすっきりとお願いしたい。

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尾西鉄道1号ブルックス。ブルックスの保存機は少ない。右の白い建物はアメリカ・ハワイ州ヒロ市にあった日本人のための教会・のち集会所で鉄道とは関係ない。もっとも建てられた時はハワイ王国であった。

あまらぼ鍋屋町

2017年9月 9日 (土)

名松線

尾鷲まで遠征したので帰途、名松線に寄った。

名松線は2009年の豪雨で土砂崩れ、路盤流出があり家城から終点伊勢奥津までが運休となった。そのまま廃線と思ったが、「線路に隣接する山の工事は治山事業として、三重県が工事を行い、線路周辺の水路整備については、津市が行う*」とJR東海、三重県、津市で取り決めがなされ昨年復旧、運転を再開した。この田舎(失礼、長閑な地)は起点附近(松阪市)を除き今や県庁所在地なのである。

運賃収入で賄えないが、地元が必要とする路線についてはこのように取り決めるのが当然であろうと思う。また国として国土の安全の観点から維持すべき路線もあると思う。そういうものは当然国が何らかの支援をしなければならないのは言うまでもない。ただしこの名松線の家城から先は乗客数が3ケタに届かないそうだし、鉄道を維持するのが適当かどうかは鉄道好きとしても疑問には思う。

兎も角折角復旧したのだから、何度目の訪問になるのか、遅くなったが乗りに行くことにした。
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中間の家城、ここで乗り継ぎとなる列車が多い。朝だったので各駅で高校生を拾ってきて満員となったが全部ここで降りた。宮脇俊三が朝夕の通学生について「騒がしいが大事なお客である」旨を何度か著書に書いているが、その数は近年激減している。カメラを構えてものの2分も経たずに駅舎周辺に生徒はいなくなり、私の好みの駅舎だけの写真が撮れた。満員と書いたものの、それは気動車
2輌の編成だからそうなっただけである。

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伊勢奥津駅や伊勢八知駅は建替えられたので、昔ながらの面影を傳えるのはこの伊勢竹原駅しかない。当然駅員無配置なので窓が打ち付けで閉ざされているのが無残ではあるが、致し方ない。貴重なのはむしろ便所であろう。「トイレ」ではない。モノの性質上内部の写真は載せないが、鍋屋町が恐怖心を抱く蜘蛛が巣を張っていた。

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使用車輛はキハ11で、松坂~家城は殆どが2輌編成、家城~伊勢奥津は単行である。まったく寫慾をそそらない車輛である。JR東海らしいといえばそれまでだが。

キハ11という形式称号は私にとっては北海道の国鉄気動車である。(旧型式キハ48000形) 一度「え!まだ残ってるの?」と言って恥をかいた。寒地用が棕櫚の生えている地へ来るのも変だから、二重に恥をかいたのだが。
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伊勢奥津の駅構内、元駅構内と言った方がよいだろうか、には蒸機時代の給水塔が残っている。前回訪問時とは異なり、蔦が絡まり廃線ムードたっぷりになっていた。安全確保のため立入禁止の柵もできている。
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伊勢奥津までの開業で終ってしまったが、ご承知の通り、名松線の名は名張、松は松阪である。もう何年前になるか、
2度目の訪問時は暫定終点伊勢奥津から計画上終点の名張まで、がら空きの三重交通バスに乗車してみた。名張まで来ると完全に大阪通勤圏、名古屋へ戻るよりはるかに近いので近鉄で大阪(か京都)へ帰ったはずだが覚えていない。このバス便は今や早朝に1本あるだけで名松線からの乗継ぎはできない。(逆方向は乗継可能) バスは趣味の範疇から外れるし、夜行バスなんぞは絶対乗りたくないが、こういうのは乗っておいてよかったと思う。

*:津市ホームページ JR名松線復旧・整備事業 から抜粋、一部省略した

あまらぼ鍋屋町

2017年9月 7日 (木)

尾鷲林業物語(企画展)

尾鷲市にある三重県立熊野古道センターでやっている展示を見てきたのでご紹介する。

企画展「尾鷲林業物語~森林鉄道と索道の軌跡~」
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尾鷲林業の歴史、索道の歴史、銚子川流域における軌道と索道の歴史、大杉谷森林鉄道の盛衰と大杉谷国有林の変遷、赤羽川流域軌道の盛衰からなっている。

索道、軌道、インクライン別に纏められたパネルの他、現地調査で見附けられたレイルや枕木、車輪、転轍機、搬器、人搬用箱などが展示されている。人搬用箱は畳一枚の大きさ、床面に座って乗るのだが、その状態で手すりは腰のあたりまで。これに乗って谷を渡るのは高所恐怖症でなくてもキ×○マが縮み上がったことだろう。

また尾鷲営林署が1966年に撮影した「大杉谷国有林をたずねて」という8ミリ(多分)のヴィデオが上映されている。(約13分)

期   間: 平成2992日(土)~1119日(日)会期中無休

   間: 午前9時~午後5    

  料: 無料

詳細は下記

http://www.kumanokodocenter.com/event/sinrintetudou.html

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また講演会が二つある。

銚子川流域森林鉄道と索道を訪ねて~」

日 時:108日(日) 午後130分~3

定 員:80名(要申込・先着順)

講 師:片岡督 氏、曽野和郎 氏 

    『三重県の森林鉄道~知られざる東紀州の鉄道網~』著者(共著)

 受 附:98日(金)~105日(木)※定員になり次第締切

 電話またはメイルで(上記のサイト参照)希望者が多いと思われるので申込は早めにどうぞとのこと。 面白そうだが、残念ながら鍋屋町は他用があり行けない。

もう一つは

「大杉谷森林鉄道の今~現地踏査から見えるもの~」

日 時:910日(日) 午後130分~3

残念ながらこの受附は(満員になっていないとしても)7日で終了している。

あまらぼ鍋屋町

2017年8月31日 (木)

写真展のはしご(続)

モノクロームの国鉄蒸機 形式写真館 諸河 久写真展

キヤノンギャラリー 名古屋 96日まで

http://cweb.canon.jp/gallery/schedule/nagoya.html

東京は終わっているが、このあと大阪、福岡がある。
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ウルサイことを言えば形式写真には該当しないものが殆どであるが、全て止まりで各蒸機の細部までよく描写されていて、美しい写真である。


原版は 大判(4x5インチあるいはそれ以上)

シノゴ(4x5インチの大判)と、解説に記載されていないが画質から推定して中判(6x6または6x7センチ)

である。勿論モノクロフィルム使用で、その原版

(ネガ)を高画素デジカメで複写し必要な補正を施している。

写真集に掲載されている写真ではあるが、()大伸しで見るのは全く別の醍醐味である。プリントなら印画紙の方が私の好みであるが、当節デジ変換で印刷は致し方ないだろう。

デジの利点として明部暗部の調整がしやすいので、ピーカンに晴れた時の写真も見やすくなっている。ただ、それでも曇天時のほうがモノクロでは落ち着いた雰囲気になり、細部もよりよく見えて好ましいのが多い。

20170831p8310460_2手抜きスタンプ  此処は“ぎんざ”とちゃいまっせ!

それにしても、往時は構内で撮影する許可が簡単に得られたのだ。

現在、日本でも欧米でも餘程の機会に恵まれないと、機関車のキチンとした止まり写真は不可能になってしまった。その稀な機会は撮影会、ツアーなどであるが、同好者がひしめきあって実にやりにくい。特にシノゴカメラを使うのは、他の参加者とペースが合わない。また機関車だけ往時の姿でも機関区や駅の雰囲気は復原すべくもない。

撮影会は酷いものは三脚不可である。たとえば2年ほど前、名鉄のデキの引退の際に舞木検査場で撮影会があったのだが、三脚不可とのことでアホラシテ抽選に応募さえしなかった。三脚なしでは大判カメラは勿論、高画質のデジカメでも真に大伸しに堪える写真は撮れない。

またシノゴのフィルムは、一枚ずつ封筒に入ってそのまま明所に取出せるクイックロード(フジ)などの製造販売が終った。昔ながらに生フィルムを完全暗黒の所で(あるいはチェンジバッグを使って)ホルダーに出し入れする必要がある。この生フィルム、もし空港の保安検査で見せろと言われるとお手上げである。鍋屋町は昔シンガポールで経験した。その時はたまたまチェンジバッグが手元にあり難を逃れた。この危うい経験は繰り返したくない。海外でのシノゴカメラ使用は閉ざされたに等しい。

あまらぼ鍋屋町

写真集にはすべて大判カメラ使用としてあるとのご指摘を受けましたので、一部修正しました。ただ画質からすると本当に大判カメラかなと個人的に疑問は残ります。(2107.9.17追記修正)