海外

2018年6月18日 (月)

何とかと煙は (その1)

パソコンが絶不調でブログ更新が滞っています。

列車の写真は、列車全体がスッキリ見えて、機関車の形式や番号が確認できスタイルや特徴がはっきり分るのが望ましい。特殊構造・形状の機関車の場合は尚更である、、、、などと言っているが、実は俯瞰撮影しかも大俯瞰も大好きである。大学時代以来の悪友は高いところに登るのを私の名を採って「Tゴッコ」と嗤う。

以前ご紹介したウェイルズのヴェイル・オヴ・レイドル鉄道であるが、この3月と4月に再訪した。まずは3月であるが、これはまさに「Tゴッコ」の為であった。

この鉄道はウェイルズのアベラストゥウス*Aberystwythから谷に沿ってのぼるナローである。概要はヴェイル・オヴ・レイドル鉄道(その1)(http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/index.html)以降に書いた。

数年前に初めて訪問した際には友人のレンタカーであったが、雨のため途中までしか探訪しなかった。再訪で列車に乗った際に、大俯瞰ができるのではないかと谷の向こう側の斜面に注目した。それで英国の友人に地形図の入手を依頼したが、彼は5万分の1図ばかりではなく、この辺りのハイキングガイドブックも入手してくれた。

英国は鉄道用地はもとより、個人所有の農地も牧草地も全て厳重に囲われていて入れないが、ところどころにパブリック・フットパスpublic footpathがあり、そこでの散歩などを楽しむことができる。このハイキングガイドは地形図よりもずっと詳細に、当地のそれを解説してあった。

今年の3月に毎日4往復の列車が設定される週を狙って訪問した。オフシーズンは通常2往復である。

残念ながらお天気は写真のとおりであった。陰鬱な天気に慣れているはずのロンドンっ子が「ウェイルズは、、、、」と莫迦にする?くらいだから当然と言えば当然である。

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リクエストストップのレイドル・フォールズ
Rheidol Falls駅で降りて、まずは谷へ下ったのだが、この日はかなり降った翌日で、三脚を杖替わりにして(本来こんなことをしてはいけないのだが、怪我でもしたら大変だ)ソロソロと歩いたにも拘らず何度も滑ったり、尻餅を搗いたりした。

駅名のレイドル・フォールズは上の右の写真である。

川を渡って谷底の道路へ出てから今度は上り、滑りやすくてガイドブックの所要時間ではとても登れなかった。

見下ろしている区間は列車進行方向で表示するとアベルフルードAberffrwd~レイドル・フォールズRheidol Fallsである。
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下の蛇行する池は水力発電所**の下池、クーム・レイドル貯水池Cwm Rheidol Reservoirである。

別のイメージを求めて、崖を主体にしてみた。
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別の日にクーム・レイドル貯水池の畔から見上げて撮影した。
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少し花が咲いているところと樹に附いた水が光っている部分が混在している。

つづく

あまらぼ鍋屋町

以下蛇足

*:アベリストゥウイスと假名を振ってある地図も見かけるが、ウェイルズ語ではこの綴りの最初のyは軽くアと発音する。(ただしこの綴りの後に出てくるyはイの音でヤヤコシイ)

列車内のアナウンス等でもそう言っている。但しアベリストゥウイスと発音する英語人は多いし、それでもウェイルズ人には通じる。

**その名もRheidol Power Station 出力56MWで(日本のと較べると)それほど大きくないのだが、揚水式以外ではウェイルズ及びイングランドでは最大の水力発電所である。

水力発電所から丘を見上げる。登ったのは背後の丘の稜線、ずっとずっと右のほうである。
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2018年5月25日 (金)

タイ鉄道と日本軍

―鉄道の戦時動員の実像 19411945年―

柿崎一郎 京都大学学術出版会 20181

日本が米国と戦争をしたことを知らない若者が居るという。広島、長崎への原爆投下は知らない人は居ないだろうから、これはちょっと眉唾ものである。

しかし、大東亜戦争*でタイと日本の関係がどうであったか?となると曖昧な方が多いと思う。それが証拠に、戦後日本がタイに輸出した蒸気機関車を戦後賠償と言う方が結構いらっしゃる。賠償とは戦勝国が敗戦国に課するものである。タイは日本の同盟国であったので、そうではない。

*:この呼び方は日本の野望を表しているのでアカンと言うことで、私の世代は太平洋戦争と教えられたが、これは逆に米国の視点による偏った呼び方である。とにかくまあアジアでの第二次大戦である。

では、逆にタイの若者はよく知っているか?となると、個人的経験ではあるが、泰緬鉄道は完成できなかった、と思っていた人が居たし、タイに空爆を加えたのは日本軍だという人も居て、少し心許ない。もちろん連合国が爆撃―非戦闘員殺傷を目的とする焼夷弾投下ではなく戦略拠点への爆撃である―をしたのであり、泰緬鉄道の建設は当初計画と比べると情けない規模のモノしかできなかったのであるが、、、、

それにタイが日本軍の侵攻・通過を認める前やその後も小競り合い(死者もでた)はあった。

平和ボケで軍や戦争のことについて日本人はよく知らないと言われる。私もその範疇に入る。戦争の話となると、どうしても航空機、戦車、船の話が詳しくなり、ドンパチの戦闘行為とその元になる戦略が注目される。あるいは逆に悲惨な捕虜体験である。

しかし、戦争のためには人をそこまで運ばなければならない。兵器が要る、弾薬の補給もいる。戦闘行為だけではなく、占領を続ける行為も必要である。相手に勝てば捕虜も居る。負けると上手く退却しなければならない。なにより人間は飯を食う。住居も衣服も要る。兵隊だけではなく非戦闘員もいる。考えようによっては代わりのある!人間よりも大切な燃料も運ばなければならない。これらはどうだったか?

「輜重輸卒が兵隊ならば、蜻蛉蝶々も鳥のうち」という戯れ言葉がある。如何に日本軍が兵站**を軽視したかという象徴である。

**:今は情けないことにロジといういい加減な英略語(正しくはロジスティックスlogistics)の方が通用し、輜重(しちょう)も読めない人が結構多いだろう。

この言葉は陸軍士官学校卒業生、つまり職業軍人であった父から聞いた。餘談になるが士官学校の少し上の年次に高木正雄という非常に優秀な生徒が居た。のち韓国大統領になった朴正煕であるが、当時から注目はされていたようである。

さて、その兵站に於いて重要な役割を果たす鉄道はどうだったのか?鉄道聯隊などの軍に属する鉄道は趣味の面でも注目を集めるが、一般の鉄道はどうであったか?占領した国ならば、資材などが許す限り軍が思うように鉄道を使える。しかし、(強制的に)同盟国となったタイにおいてはどうだったのか?

それを詳しく調査した本である。

―本書はタイ国立公文書館に所蔵されていた第2次世界大戦中の軍事輸送に関する豊富な資料を用いて、戦時中の日本による鉄道の戦時動員の全体像の構築と、それに対するタイ側の対応を明らかに、、、―(本書終章から引用、下線は引用者による)

日本は敗戦時にかなりの、殆どと言ってもよい、資料を破棄したので、資料はタイ側のものに頼ることになったのが、当然タイ語でありハードルが高い。著者はタイ語の教科書(その名も「教科書タイ語」(めこん))も書いていらっしゃるほどの方である。そして何より大事なことは著者はタイで学ばれただけではなく、鉄道ファンでありタイ全土を(おそらくは何度も)旅行されているのである。

の本は学術書であり決して読みやすい本ではない。論証のために少しくクドク書かれているところもある。またタイの地名に馴染みのない方は、添えられている地図や略図と見比べて読み進める必要があるだろう。幸い私はタイの鉄道はマレーシア国境の一区間を除いて完乗し、区間によっては何度も乗っているので、鉄道沿いの地名だけには馴染みがあり、この点では苦労しなかった。もちろんその町をよく知っているという訳ではなく、こんな感じの駅だったとか、静態保存の蒸機を撮るために降りた場合は駅附近の町はどんなだったとか、宿泊した場合は汚いホテルだったとか、そういうドーデモエエことばかりであるが。

読み進めるのに全く支障はないが、本文の注は当該ページに附されていてタイ語文献の名がどんどん出てくる。これはラテン文字転写で書かれているが、それがどういう意味かは英語でも日本語でも示されていない。巻末の引用文献リストのタイ語文献名はタイ文字とそのラテン文字転写のみで書かれている。逆に引用文献リストの外国語!文献名はごく一部の英語を除き日本語のオンパレードである。

なおタイの鉄道に関しては同じ著者による

「王国の鉄路」 京都大学学術出版会 学術選書048 

がある。本来はこちらをご紹介する文を先に書くべきであったのだろうが、弊ブログを始める前の2010年の出版であり、時機を逸してしまった。

また、タイに関する予備知識を得るには同じ著者の「物語 タイの歴史」(中公新書)をお勧めできる。

あまらぼ鍋屋町

2018年5月14日 (月)

夜タノだけに訪問したLeighton Buzzard Light Railway(その5)

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目の毒である。私はカマ屋であるが、こういうのは是非詳細に見たい。残念ながらこれ以上近附けない。

 

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奥の少し高い線路にPC Allen、手前にJennieである。人気の構図で、実は柵の所で撮影者がひしめきあっていた。と言っても日本の撮影地の所謂“激パ”とは全くレヴェルが違う。もう少し右側からも撮ってみたかったが、これが柵の右終点だった。

 

オマケ、龍頭蛇尾
20171028dsc_4251sPenlee  0-4-0WT

Stahlbahnwerke Freudenstein 1901年製 製番73 Berlinの愛称もあるようだが、銘板はPenleeとなっている。コーンウォールのPenlee Quarry railwayで使用された。

シュタールバーンヴェルケ・フロイデンシュタインはOrenstein & Koppelで働いていたJulius Freudensteinが設立した会社であるが、あまり成功せず、10年ほどでコッペルに吸収された。

後に見える木造車も気になるし、今回撮影できなかったカマも結構な数ある。この鉄道<も>どうしても再訪の必要がありそうだ。

この項終わり

あまらぼ鍋屋町

2018年5月12日 (土)

夜タノだけに訪問したLeighton Buzzard Light Railway(その4)

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Page’s Park Station構内を走るPC Allen0-4-0WT Orenstein & Koppel 1913年製 製番5834 スペインTorrelavegaトレラベガのSolvay Alkali Works(ソルベー法炭酸ナトリウム製造工場)で使われた。PC Allenはこのカマを保存のために63年に購入したファンの名前である。


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普通はこういう重機との並び写真は忌避するが、砂採り鉄道としては嬉しい。このような軽油?ガソリン?エンジン使用のショベルはいつ頃から使われ出したのだろうか。この鉄道の現役時代の初め、Hudswell-Clarkeの蒸機(軍用のものを轉用)がうまくいかず、すぐに内燃動力にとって代わられたようだ。現地で買い求めたパンフレットにはカラーだが古そうな砂採取風景の写真があり、虞らくは同形のショベルが写っている。

続く

あまらぼ鍋屋町

2018年5月10日 (木)

夜タノだけに訪問したLeighton Buzzard Light Railway(その3)

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Page’s Park Station
を出発するChalonerである。

ウェイルズのカーナヴォンのDe Winton1877年製、製番不明 車輪配置は0-4-0VBT

VBは縦型ボイラを意味する。

北ウェイルズのスレート採掘輸送に使われた。このメイカーの同様の縦型ボイラ機にはVale of Rheidol Railwayヴェイル・オヴ・レイドル鉄道、Talyllyn Railwayタラシン鉄道の博物館、Brecon Mountain Railwayブレコン・マウンテン鉄道(カマは個人所有)などで展示、修理待ちのがある。
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最近、中国の炭鉱線で壮大に火の粉をあげて走行する蒸機を夜間撮影するのが流行しているが、それに比べると数千分の一の線香花火である。
Stonehenge Worksにて。

このカマはできれば細部もじっくり観察したいものである。

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Page’s Parking構内を走るDiana

Sirdar Class 0-4-0T Kerr Stuart1917年製 製番1158

ウェイルズのKerry TramwayOakeley Slate Quarry (フェスティニオグFfestiniog Railwayの終点Braenau Ffestiniogの町にある)、Pen-yr-Orsedd Quarryでスレート輸送に使われた。

現在個人所有で、ヴェイル・オヴ・レイドルでレストアされ、Bala Lake バラ・レイクRailwayをベースとしている。バラ・レイク鉄道は残念ながらまだ訪問したことが無い。

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続く

あまらぼ鍋屋町

2018年5月 8日 (火)

夜タノだけに訪問したLeighton Buzzard Light Railway(その2)

当日撮影できた蒸機を順にご紹介する。

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カマはRishra  0-4-0T  Baguley Cars Ltd. 1921年製 製番2007


このメイカーの蒸機としては唯一の動態保存らしい。インドのカルカッタ(現コルカタ)で給水所の石炭輸送に使われていた。

此処では小さすぎて通常の客車牽引には使われていないとのこと。

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撮影者が立入れる区域は厳格に柵で区切られている、従ってあまり凝ったアングルは採れない。ゲージュツ写真を目指したい人には不満があるだろう。しかし、撮影者がお互いに支障になることはあまりない。上は例外的である。

右に見えるカマであるが、
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Jennie 

此処のカマではなくAmerton RailwayStaffordshireにある)からの訪問機である。

Wren Class  0-4-0ST ハンスレットHunslet2008年製 製番3905

実はオリジナルデザインはKerr StuartWren Classで、その1941年製最終機のほぼ正確なコピーである。もっともこの最終機も当時すでに(1930

年に)暖簾を譲り受けていたハンスレット製である。
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当鉄道にもこのWren Classが居る。修理中であったのかこの時は見られなかった。代わりにPage's Park Station

に展示してあった模型の写真を。Pixieという名である。
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実車は Kerr Stuart 1922年 製番4260

Devonで道路建設や採石場で使われた。

続く

あまらぼ鍋屋町

2018年5月 6日 (日)

夜タノだけに訪問したLeighton Buzzard Light Railway(その1)

 

 

所謂SLブームの頃、ある雑誌に「夜も楽しく」という記事があった。どの雑誌の何号だったか?夜<も>楽しく鉄道写真を撮りましょう、ということで夜間撮影の勧めであった。それで夜間撮影のことを「夜タノ」というファン(我が友人たちもそうだが)が現れたが、この語は鉄の間でも市民権?は得ていないようだ。

 

「夜はどこかで飲みましょう」とか、「怪しげなところに繰り出しましょう」とかを想起させる語なので、勘違いする方が結構多い。同様に市民権を得ていないと思われる言い方にはゲバ(ゲバ棒=三脚のこと)があり、当時は通用していたが今や殆ど使われないものに丸井写真(駅の近くで撮影したもの、すること)、キオスク写真(駅構内で撮影したもの、すること)などがある。

 

倫敦(ユーストン)から北西へ約40km、一時間足らずの所にLeighton Buzzard レイトン・バザードと云う町がある。19世紀から砂の採取がされていて、馬車軌道(のち蒸気動力も)による輸送があった。第一次大戦の勃発により鋳型用の砂がベルギーから得られなくなったので、代替供給源としてここレイトン・バザードのものに白羽の矢が立ち、採掘(輸送)量が増加した。しかし道路の傷みが激しく1919年に2フィート軌間のLeighton Buzzard Light Railwayが開業した。採掘所のDouble Archesと町の南の本線のGrovebury Sidingsを結んでいた。第二次大戦後再度道路輸送が増えてきて69年に廃止された。

廃止前に保存団体が設立され、現在はStonehenge WorksPage’s Parking間、全長3マイル弱の保存鉄道となってある。

昨年10月末、ここで夜間撮影大会が開かれたので参加した。昼間も撮影したかったのだが、当日は昼間の列車走行はなく、庫などへの立入を厳しく規制している保存鉄道なので、昼の撮影は今回は断念した。今後機会があれば各機関車を良い光線条件できちんと撮影したい。

BRの駅は町の南西であるが、現在の起点Page’s Park Stationは町の南東側にある。両者の間は約2.5kmなので歩いて行ける。

夕方にPage’s Park Stationに着いた時には、もうカマの一部は庫から出ていた。
20171028dsc_4185このカマはDoll 車輪配置0-6-0TAndrew Barcley Co.1919年製、製番1641である。

最初はOxfordshireの鉄鉱石採掘場で使われたが、Bilston Furnaceでの使用が長かった。1966年にBressingham Steam Museumに移り、当鉄道が1972年に購入し2004

年に新しいボイラに換装された。

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この列車で夜間撮影が行われる終点のStonehenge Worksに向かった。併行して道路があるので、多くの参加者は車で直接撮影会場へ向かったのではないかと思われる。


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Stonehenge Worksではこのカマだけが光線状態が悪い所に停車したままであった。

続く

あまらぼ鍋屋町

2018年4月30日 (月)

新規に作った保存鉄道(The Bredgar & Wormshill Light Railway) その5

起点のWarren Woodには大型ライヴスティームやもっと小型の模型のレイアウトもある。「ジオラマ」(=車輛が走れない)ではなく、ちゃんと車輛が走行する「レイアウト」である。これらまで見ていると時間がとても足りないのでチラッと見たり数カット撮ったりしただけである。


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ライヴスティームは7
1/4インチゲージ、10 1/4インチゲージ、15インチゲージがある。

一番手前のJack15インチゲージである。即ち軌間はロムニー鉄道などと同じである。

最後に此処の異端児である。
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105号機 Siam 0-6-0T Henschel製 1956/製番29582

バンコク南東のChonburi Sugar Refinery Ltdが購入使用したが、運材鉄道も経営する企業と合併したので、そちらにも使用された。

このカマは2フィート6インチ軌間なので此処では走らせられず、ウェルシュプール・アンド・サンフェアWelshpool & Llanfair Railwayで運転したことがある。

この項終わり

あまらぼ鍋屋町

2018年4月28日 (土)

新規に作った保存鉄道(The Bredgar & Wormshill Light Railway) その4

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1
号機は庫の奥に押し込まれていた。 Bronhilde 0-4-0WT Schwartzkopff*シュヴァルツコップ製 1927/製番9124

ハンブルクの銅精錬所 Norddeeutsche Affinerieで使用された

タイでの撮影に続いてミラーレスの超廣角ズームが活躍したが、、、やはり標準で撮りたかった

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3号機 Lady Joan 0-4-0ST Hunslet製 1922/製番1420

Y Felinheliア・ヴェリンヘリ(以前の名はPort Dinorwic、現ウェルシュ・ハイランド鉄道WHRの終点であるカルナーヴォンCaernavonの近く)での入換機として製造された。Portクラスと称する。1号機、Lady Joan、再度1号機と名前が変遷している。LlanberisサンベリスのGilfach Dduでキャブ撤去などスレート鉱山への使用のための改造がなされた。現在は個人所有となっているが、ここで活躍している。

現地で求めたパンフレットには3の文字は附いていないので最近の附番かと推測できる。


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4号機 Armistice 0-4-0ST Bagnallバグナル製 1919/製番2088

英政府が国防事業に使うために発注したが、完成時には第一次大戦は終わっていたため、Minworthミンワース(ウォーリックシャーにありバーミンガムの北東)の下水事業で使われた。


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7号機 Victory 0-4-2T Decauvilleドコーヴィル製 1897/ 製番246

クイーンズランドの製糖工場Invicta Mill 他2カ所で働いた。

*:餘談になるがこの機関車メイカー(のちBerliner Maschinenbau AG)のシュヴァルツコップと、ソプラノの大歌手で独逸語に非常にこだわりを持った(エリーザベト・)シュヴァルツコップElisabeth Schwarzkopfは綴りが違う。さらに脱線するが小塩節が某ラジオドイツ語講座で彼女の厳しい指導ぶりを紹介したことがある。彼女に歌唱を非常に褒められて「一生の楽しみとなさい」と言われれば、プロとして通用しないという宣告であったという。

続く 

 

あまらぼ鍋屋町

2018年4月26日 (木)

新規に作った保存鉄道(The Bredgar & Wormshill Light Railway) その3

かなり終点寄りであるが中間駅(HaltChalkhole Fallチョークホウル・フォールが森の中にある。
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その先の森の中で
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8号機 Helga 0-4-0WT Orenstein & Koppel製 1936/製番12722

北ドイツの各種大型建設現場で使われた

ボイラは当地へ来てから新製のものを附けられた

終点はStony Shawストウニー・ショー
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折り返す形で引上げ線があり、貨物ホームと上屋がある。
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号機 Eigiau 0-4-0WT Orenstein & Koppel製 1912/製番5668

海外産の蒸機は英国の産業用としては稀である。最初はPort Sunlight(リヴァプールの西)のガーデンヴィレッジ建設に従事した。その後はLlyn Cowlyd シン・カウリッド(スノードン山の北東にある貯水池、発電にも使用)で使われた時に近くの湖に因みこの名がつけられた。その後ウェイルズ最大のスレート生産地であったPenryhn ペンリンQuarryで使われた。

続く

あまらぼ鍋屋町

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