海外

2019年5月18日 (土)

ウェルシュプール・アンド・サンフェア軽便鉄道のフォトチャータ その5

さらに西で撮った写真を紹介します

駅間で言えば前回の続きである。この辺りは西向きに下り勾配であるが、ごく一部に逆勾配となる部分がありそこがフォトチャータでは狙い目であった。光線状態も良く、あっさり決まった。ヴィデオ屋さんはもう少しアングルを変えてやりたそうだったが、ツアリーダは次へ進んだ。*
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さて次が今回このツアー参加に当たり最も楽しみにしていた撮影地である。
Castle CaereinionHeniarth**の間、Heniarthにごく近いところでAfon Banwyバヌイ川を渡る鉄橋である。Banwy Bridgeと川の名を採っている。
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ツアリーダ自身の好みではないのか、彼は来なかったが、参加者数人が彼にことわって少し離れたこの場まで歩いた。多くはツアリーダの選定場所に残った。ヴィデオ屋さんのためにこの橋の東側まで列車は後退させてから発車する。3スパンと短いので絶景!名所!!という程ではないが、ナローの路線としては実に好ましい。*3

問題はランバイを何回繰り返すかであった。ツアリーダの声の届く範囲ではないので、終わる都度線路レヴェルまで上がって彼の動きを確認する必要があった。

列車が鉄橋を渡った後、急いで駆け上がると次の写真が撮れる。しかし、すぐに身を隠さないといけない。ツアリーダたちはここを狙って撮っているのである。
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これでこの鉄道のご紹介を一旦終ります。また行きたいし、その際にはかつて路面走行をやっていた区間の現状を再確認するなどしたいとは思うが、これよりも優先順位の高い鉄道も多いのである。

(補足・蛇足)
*この近辺は順光側に立入可能なところもあるので、駐車場所さえ確保できればチャーター運転以外でも撮影は可能である。最初の写真の正面奥の丘にも上れるのではないかと思うが、そこから見下ろす部分の線路は西に向けて下り勾配である。東行きのバンカーファーストなら良いのが撮れるのではと思うのだが、イギリス人はバンカーファースト運転は全く撮ろうとしない。現役時代のバンカーファーストの写真はいくつも残されているのに。

ただ、通常運転でもっとも問題なのは、客車から観光客がカメラ・スマホを構え、ヴィデオを廻し、沿線の撮影者を見附けると手を振る(<これはホンマに止めて慾しい!)ことである。後で結果を見て「これでは使えん」と諦めるか、フォトショップの長い作業を選ぶかを迫られる。

**:現役時代の地図を見るとHeniarth Gate Sta.とある。某国首都の環状線では鉄道会社が建設予定の新駅にXXゲイトウェイという品がなく、常識を疑うアホな名を附けようとして顰蹙を買っているが。

*3:  1マイルほど東に道路をオーヴァクロスする石積みの橋があるのだが、撮影が困難になっているのか今回はやらなかった。次にチャンスがあれば、列車写真には今や向かなくてもぜひ見たい。ナローのレイアウトには最適の素材のように思う。

次は英国を離れて別の国にしましょうか。

あまらぼ鍋屋町

2019年5月16日 (木)

ウェルシュプール・アンド・サンフェア軽便鉄道のフォトチャータ その4

       Welshpool Raven Squareを出た後、しばらくしてGolfa Bankと呼ばれる急勾配(最大1:29)にかかるが、現在では引きの取れる地点があまり無く*、今回は撮影しなかった。(あるいは私の参加できなかった第一日にやったのかもしれないが

Sylfaen
フォトランバイをこの先Castle Caereinion側で繰り返した後、ここで給水となった。フォトランバイをやると水の消費が極端に増える。
全長わずか8.5マイル(現状)のこの鉄道に途中駅の給水設備は無い**。道路脇の駅なので給水車を持って来るのかと思ったがそれも見えない。不思議に思ったが、なんと編成中の無蓋車にカンヴァスで覆ったタンクを載せてあった。我ながら観察不足であった。午前中のCyfronyddでのスナップであるが、偽装!タンク車が分り易い写真を挙げておく。後尾から2輌目がそれである。
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停車して給水中
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ホースを車輛間に曳き渡している。
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Sylfaen~Castle Caereinion
上述のフォトランバイである。良い天気だが、列車が(こちらが勝手に決めた)目標地点を通過するときに限って雲がかかる。煙が途切れる、流れる、、、、とやり直しも多い。短い路線でありツアリーダーの(ほぼ)地元でもあり無理融通が効くのか、彼は完全主義を発揮してねばった。
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なおフォトランバイでない場合は車で追いかけて道路から撮影が一般的であるが、車を停める場所が非常に限られるのと、夕方遅く以外は終日逆光になる。

(蛇足)
*:当鉄道の現役時代を述べた本The Welshpool & Llanfair Light Railway by Glyn Williams (Wild Swan Publications Limited)にある建設当時や運転開始後間もないころの写真を見ると、当然ながら木が少なく開けているところもある。この本は現地で買い求めた
**:上の注に挙げた本にも記載はない。

あまらぼ鍋屋町

 

2019年5月14日 (火)

ウェルシュプール・アンド・サンフェア軽便鉄道のフォトチャータ その3(補足)

写真掲載が実に不便になり、従来と較べ思うように行かないし手間もかかる。

バグナル・モディファイド・メイヤーの円筒形ボイラーが少しでも分り易い写真を補足します。
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(蛇足)
円筒形ボイラは「マン島の鉄道6つを6日間で(その4の1)」http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/664-8a6f.html でもご紹介した。

あまらぼ鍋屋町

2019年5月12日 (日)

ウェルシュプール・アンド・サンフェア軽便鉄道のフォトチャータ その3

利用者に何のメリットもない(少なくとも積極的に説明されていない)「ココログ」の人を莫迦にしたシステム変更に邪魔され、天皇の退位即位に伴うショーモナイ話題に気をとられ、この鉄道の撮影について書くのが遅くなりました。

The Earlの故障のため、予定よりも早くCountess 0-6-0Tが2日目の午後から登場したが、このカマの写真を撮影の時系列ではなく、2日目3日目合わせて(概ね)Welshpool側から順にご紹介する。今回のシリーズの撮影はフォトチャータでのもので、通常は立入できない鉄道用地や個人の所有地内から撮影したり、それらを経由しないと容易に到着できない場所から撮影したりしている。個々の写真解説でこの点は再度述べないのでご注意いただきたい。

まずは現在の東の起点駅Welshpool Raven Squareウェルシュプール・レイヴン・スクウェアである。
現役時代はこの鉄道はウェルシュプール街中の街路を走行して、カンブリア線*のウェルシュプール駅に至っていたが、保存鉄道として再出発する際にはこの街路走行は復元されなかった**。この駅は現役時代からあったが、保存鉄道として出発するに際し起点として整備された。駅舎はイングランドのアーディズリEardisleyから移設されたものである。

東端に給水設備がある。
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掲げられているのはウェイルズの旗、Y Ddraig Gochア・ズライグ・ゴーッホである。英語に訳せばThe Red Dragon赤い龍、ウェイルズ語では名詞+形容詞の順である。なお連合王国の旗、現在のユニオンジャックはイングランド(聖ジョージ旗)、スコットランド(聖アンドリュー旗)とアイルランド(聖パトリック旗)の合成であるが、ウェイルズはハバ*3にされている。こういう事が気になるのは何度もウェイルズを訪問して贔屓になってきたからか?

沿線撮影の前に発車シーンを撮影する。
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英語の鉄用語ではfalse start(贋の発車)と言うこともある。まあ一般の辞書には出ていない語義である。(一般の用語・語義としては陸上や水泳競技などのスタート時の不正・反則のこと)

駅の西端には展示館があり、Bagnall Modified MeyerMonach (1953年バグナルW.G. Bagnall Ltd.製)が展示されている。英国で製造された最後の産業用ナロー蒸機*4の一つである。
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バグナルの円筒ボイラーを使用しているのでメイヤーで通常見られるキャブ下(2つの台車間)の火室の下方への突出しがない。

(補足・蛇足)
*カンブリア線はシュルースベリShrewsbury(ここはまだイングランド)から西へ向かいマカンセスMachynllethの一つ西のドヴィージャンクションDovey Junctionで分岐してウェイルズ西海岸のアベラストゥウィスAberystwythおよびプスヘリPwllheriに至る線である。
**惜しいことである。もし復元されていたら、旧東独のバートドーベランBad Doberanのような人気を博していただろうと思う。
*3:伊賀辯などの関西言葉で仲間外れのこと、村八分からか?
*4:1970年代初頭に製造されたハンスレットのサドルタンク(インドネシアの製糖工場で使用)という単発の例外がある。他にもあるかもしれないが。

つづく

あまらぼ鍋屋町

2019年4月20日 (土)

モファット博物館

名作の片隅の鉄道情景 (その8)

いまだにこころぐの変更に(特に写真をあげたとき)に慣れないので、別のを割り込ませます。

原題はThe Moffat Museum  
エレナー・エステス Eleanor Estes(米)作、松野正子訳 岩波少年文庫2005年初版 

モファットきょうだい物語The Moffats series 全四巻の最終巻である。第1巻から第3巻が1941年から43年にかけて毎年出版されたのに対し、この第4巻はなんと40年もたった83年に出版された。しかし第1巻から巻を追うごとに1年経過、きょうだいが1歳づつ成長していくのは第3巻から第4巻にかけても同様である。

第1巻から第3巻の原題と邦題は次の通りである.
The Moffats (1941)    元気なモファットきょうだい
The Middle Moffat (1942) ジェーンはまんなかさん
Rufus M. (1943)     すえっ子のルーファス
子供向けに分り易い邦題に意訳しているが、この第四巻は訳者の判断で博物館も漢字を採用している。假名では子供にも却って判りにくいだろう。「まんなか」や「すえっ子」も漢字を使った方がよかったのではと思うが、これは訳者が違うことに因るのだろう。第3巻までは故渡辺茂男の訳であった。この第四巻が出版された時はまだ存命であったが、上述の通り第四巻だけは松野氏の訳である。

エステスは1906 年生まれ 1988年に亡くなった米国の児童文学作家でこの本ではなく他の本(ジンジャー・パイ)でニューベリー賞(Newbery Medal)を受賞している。ニューベリー賞は米国でもっとも重要な児童文学賞の一つで、前年に米国人或いは米国在住者が英語で出版した児童文学に与えられる。他に年に数冊選ばれるNewbery Honor Winnerがあり、エステスも生涯で3冊が選ばれているが、この本では他の賞も含め受賞は無いようだ。

なぜ第3巻から30年も経ってから第4巻を出したのかは分からない。強い思い入れがあったのだろうとしか言いようが無い。まあきょうだいの上の二人が就職、あるいは結婚するので一区切りにはなる。時代設定は第3巻で第一次大戦の終結で発表時の20年餘り前、第4巻では発表時点から半世紀以上前のお話となっている。

鉄道が出てくるのが片隅とはいえないほどの分量を占めているので、タイトルに偽りありだがお見逃しを乞う。全体は10章構成であるが、鉄道が登場するのは第7章「ジェーン“八時十五分”の汽車に乗る」とその前の第6章「へい越しの会話」にあるそれに関する話題、そして路面電車がでてくるのが第8章「一台一ドルの市街電車」である。どちらも短編の物語として独立させることが可能と思える。

父が無くなって母が一人で四人兄弟を育てているつましい生活を送る家庭。その町はコネティカット州クランベリーCranbury。この名の町も同州に実在するが、このお話の舞台としては作者が住んでいたウェスト・ヘイヴンWest Havenをモデルとしているとのことである。

まず第7章「ジェーン“八時十五分”の汽車に乗る」
結婚したて(結婚式はこの第四巻の第5章にある)の姉のシルビーが住むニューロシェルを妹のジェーンが訊ねていくのである。ニューロシェルNew Rochelleもニューヨーク州に実在する町である。そして鉄道はニューヨーク・ニューヘイヴン・アンド・ハートフォード鉄道である。
ジェーンが汽車に乗るのは初めてである。情景の描写はいかにも汽車の雰囲気で好ましい。当時はまだ蒸機牽引であった。

     汽車が走りだしました。シュッシュッシュッシュッ、だんだん速くなっていきます。そしてジョーイは見えなくなりました。、、、、
     座席はほこりっぽいビロードで、色があせていて、汽車独特のにおいがしました。

     車掌さんは女の人の切符にパチンと穴をあけて、前の座席の背もたれの切り込みにさしました。

この女の人が途中の駅で間違えて降りてしまう。ジェーンはそれを何とかしようと自分も降りるが汽車は出発してしまう。
なんとジェーンは駅にハンドカーがあるのを見附け、鉄道会社の人にそれで列車を追いかけるように頼むのである。いくら昔(第一次大戦終結の翌年)といっても、アメリカ合衆国のちゃんとした鉄道でこういうことは無理だろう。まあ子供向けのお話としては面白い。そして列車が可動橋で止まっているところで追い附く。
その橋のあるハウサートニック川と表記してある川はフーサトニック川Housatonic Riverであろう。ハウサー、、、と発音する人も居るのかもしれない。*
ここには掛かっているN.Y.N.H&H鉄道の橋はバスキュール橋bascule bridgeという形式(カウンターウェイトが附いている)のはね橋である。

第8章「一台一ドルの市街電車」
末っ子のルーファスは市電の車庫がお気に入りで、時々遊びに行く。
ある日ともだちのペニーと車庫に行った時、いつも車庫の奥に押し込まれれている小さな電車に乗ることを許される。そして、この電車を買って時々外に出してやりたいと其処に居る従業員に言う。従業員は(当然冗談で)1ドルと言ってしまう。当時の1ドルはどれくらいか?ルーファスの兄のジョーイが1週間(5日間)アルバイトをして稼ぐ金が1ドルである。

それをルーファスが貰って車庫へ行くのだが、、、、
結果は? 当然買えないのだが、まずまず嬉しい結果になる。

どちらの章もこどもが鉄道に触れるときのみずみずしい憧れをよく描いている。

<やはりイチャモン>
(第7章)
、、、車掌さんは、、、、、、
それから、うしろへ行って、ジェーンたちの乗っている車両とうしろの車両をつないでいるデッキ(連結器)に両足をふんばって立ちました。
-うーん、デッキに立つのは問題ないが、連結器それも走行中のそれには鉄道員といえども絶対に乗ってはいけないのだが、、、原文に問題があるのか?訳に問題があるのか?

<蛇足>
*単語にもよるが標準と違う発音をする人は結構いる。
例えば、赤毛のアンの著者はL.M.モンゴメリー(Lucy Maud Montgomery)であるが、私がタイ時代に通勤の暇潰しに聴いたことのあるオーディオブックでは「モントゴメリー」と普通は読まないtをハッキリと発音していたのが印象的であった。もっとも少数派である。

あまらぼ鍋屋町

2019年4月 9日 (火)

ウェルシュプール・アンド・サンフェア軽便鉄道のフォトチャータ その2

こころぐはまだ何か手直しを続けているようですが、ここらで一度こちらもテストとして写真をあげてみます。

翌日はご覧の通りのウェイルズらしい曇天となった。移動日はかならず快晴、撮影日は曇天ないし雨天になる。もう諦めの心境である。
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Sylfaenサルヴァエン方面からCyfronyddカヴロニッズに入ってくる列車である。カマは全て西の終点のLlanfair Caereinionサンフェエア・カエレイニオンに向いている。そして線路は大部分が西に向けて下っている。機関車はThe Earl0-6-0Tベイヤー・ピーコックBeyer Peacockの製番34961902年製である。 この鉄道への新製配置である。

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冴えない天気の中、場所を変えて何度か撮影しているうちに機関車の真空ブレーキが故障した。

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しかたなくディーゼル機関車の救援を呼んでサンフェエア・カエレイニオンに戻った。折角のチャーターなのに故障で申し訳ないということで、鉄道は併設のカフェでコーヒーとケーキを無料サーヴィスしてくれた。その間に本来翌日のみ走らせる予定だったカウンテスを準備した。画面右に見える。Countess 0-6-0Tの同形機 当然ながら同じくベイヤー・ピーコックで製番も連番34961902年製である。

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カヴロニッズでの入換情景である。

つづく

あまらぼ鍋屋町

2019年3月31日 (日)

ウェルシュプール・アンド・サンフェア軽便鉄道のフォトチャータ その1

Welshpool and Llanfair Light Railway

Light Railway と軽便鉄道、それぞれの国の根拠法、環境、傳統などウルサイことをいうと違いもあるのですが、まあ一般的に無難な訳として採用しておきます。なお日本語文献、記事、地図などで「スランフェア」と書いているものもありますが、ここでは発音の仕組みから、また原語を聞いた時の印象に近い「サンフェア」と記します。假名では表記がそもそも無理で、sでも英語のthでもないので妥協としてスラと書くのもアリかも知れませんが、s+lのような二重子音という誤解を招く可能性を私は避けたいのです。

日本には結構な数があったが、英国では珍しい2フィート6インチ(762mm)軌間の鉄道である。以前にもこの鉄道について書いたことがあるので概説はそれをご覧ください。

http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/index.html


そこで書いたように、沿線撮影はなかなか難しい鉄道である。車を使って近くまで行けても駐車場所もなく、立入りできる場所もない。それである英国人がフォトチャータを企画しているのを知り、参加することにした。そのため此処に挙げる写真には鉄道用地、周辺の私有地など普通は立入禁止の場所で撮影したものが含まれる。写真キャプションで個々に示すことはしないので、ご注意いただきたい。

このフォトチャータは3日間行われた。初日は機関車にウェザリングを施して現役時代にできるだけ似せる。二日目は同じ機関車を綺麗に磨いたもので行う。三日目は別の機関車で行うというものであった。

残念ながら初日は参加できなかった。昨年末にご紹介した「我々のは保存鉄道ではない」としてご紹介したLynton & Barnstaple Ryで撮影した翌日の移動日だったのである。車なら撮影後頑張って走れば夜遅くに到着するなり、途中で宿泊して朝早く此処へ来るのも可能であろうが、バスと列車とタクシー(この鉄道の起点サンフェアへは使えるバスが無い。日によってはとんでもない遠廻りのものがあるらしいが)の乗継では無理であった。ただ夕方チャーター列車が起点サンフェアに帰着するところにはギリギリ間に合った。

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到着後の給水である。

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そして明日に備えて化粧(ウェザリング)落しである。

ココログがリニューアルされたが、リンクが切れたり表示や操作に戸惑ったりとPC音痴には非常に困った事態である。ユーザ側には何が改良されたのか分からない。単に使い勝手が悪くなっただけである。そもそも私にとっては、ココログの一番の問題はカテゴリーの数が少なく、かつデフォルトのものを削除変更できないことである。できれば国別に分類したいのだが。

つづく

あまらぼ鍋屋町

2019年3月14日 (木)

フェスティニオグ鉄道のヴィクトリアン・ウィークエンド再訪 5

さらに順に駅・停留所をたどります

キャンベルズ・プラットフォーム Campbell’s Platform

今回は何故か車窓からのスナップもしなかった。過去の写真はあるが掲載は止めておきます。沿線在住者およびそこでの宿泊者しかこの停留所での乗降はできない。従って全列車が通過する。直ぐ下に民家があるので車が入れる道はあるが私道であり、駐車できる場所も当然ながら無い。タナブルフかズィアストからパブリック・フットパスで行くしかないが、途中の登り降りが激しくかなり時間が掛かる。

ズィアスト Dduallt

前々回はこの駅をぐるっと回っているスパイラルだけご紹介したので、周辺で撮影したものやプラットフォームで、あるいはプラットフォームからの写真をご覧いただこう。

まずはキャンベルズ・プラットフォーム側からオープンスパイラルへ入る直前である。
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前位は先々回ご紹介したブランシュである。次位はリッドLyd、「我々のは保存鉄道ではない」http://dampflok.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-0695.html

で訪問機visiting engineとして走っていたのをご紹介した。ここが本拠地である。

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同じ場所で。一見普通の0-4-4Tのタンク機関車に見えるが、これはシングルフェアリーである。

私も以前は誤解していたのだが、フェアリーとは必ずしも双頭の機関車のことではない。フェアリーとは全ての車輪がボギー台車構造の機関車のことをいう。ボギーの駆動部一つのものはシングルフェアリーと呼ぶ。

このタリエシンTaliesinは最初はヴァルカンthe Vulcan Foundry1876年に製造されたものである。そのごいろいろと経緯はあったが1935年に廃車解体となった。これは1999年にボストンロッジ工場で製造されたレプリカである。ごく一部にオリジナルパーツを使用している。

20mほど後ろへ撮影位置を変えると、スパイラルを上ってくるのが撮影できる。
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2つのボギー駆動部をもつものがダブルフェアリーである。ズィアスト駅で待機中のデイヴィッド・ロイド=ジョージ、通常はこの駅で機関車が待機することは無い。特別運転の時だけである。

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またダブルフェアリーが載せているボイラは、あくまでも一つである。火室、煙管部、煙室、煙突などは前後に1つづつ計2つある。しかし水胴は一つに繫がっている、従って保安上重要で複数設置を義務附けられる水面計も4つではなく2つである。

ダブルフェアリーのメルズィン・エムリスの牽く貨物列車である。オープンスパイラルの立体交叉部を下っている。

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スパイラルを廻って駅ホームを通過してポルスマドッグ方面に下っていく。同じ場所で(まあ2-3mは動いたかもしれないが)の撮影である。一般客は乗車できない。
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今回はこの先のタナグリシャイTanygrisiau*と終点ブラエナイ・フェスティニオグBlaenau Ffestiniogには行かなかった。特別運転で本数が増えるのはズィアストまでがほとんどであったからである。以前の写真はあるが、いまさらということで省略する。

*タナブルフとは異なり、駅名標はじめ、なぜかこれは分かち書きは可能ではあるがしないのが一般的である。うーん、初学者以前の者には手に餘る。

 

さて次は何を書きましょうか。

 

あまらぼ鍋屋町

2019年3月12日 (火)

フェスティニオグ鉄道のヴィクトリアン・ウィークエンド再訪 4

ペンリンPenrhyn

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ポルスマドッグ行は普通の機関車の場合はバンカーファースト/テンダーファーストの運転となる。

ここには駅舎に隣接してヴォランティア達のための宿舎があり、常時なにがしか彼らの車が駐車してある。駅を通過するチムニーファーストの列車を撮るとどうしてもそれらの車が入るのでこの写真を採用した。

2号機プリンスPrince サドルタンク機であるがご覧のようにテンダーも持ち、車輪配置は0-4-0STTと表記する。 1864年ジョージ・イングランドGeorge England and Co. 製*である。当鉄道で運転可能な一番古いカマである。

*:このイングランドは姓である。日本にも日本という極めて珍しい姓の方がいらっしゃるそうだが。

リウ・ゴッフRhiw Goch Passing Loop

列車交換ができる信号場である。ここは乗降禁止なので、車窓からの写真のみである。なお動力に馬を使用していた時代には此処は馬の交換地点(の一つ)であったとのこと。現在此処に行ける道はないので、勤務する人は列車で行く。

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(右上)カメラの顔認識機能というのは私には「悪魔の発明」としか思えない。こういう状況で我々が撮りたいのは風景や機関車などであって、窓から顔を出しているオジサンの髭面や薄めのおつむではない。これが絶世の美女であっても同じことで、ここでピントを合わせるべきものは悪魔でも風景の方である。それをカットしてトリミングすればよいと仰る方がいらっしゃるかもしれないが、それはどこにもピントの合っていない左上のような下手糞写真にしかならない。

もちろん顔認識機能はOFFという設定にしてあるのだが、他のボタン操作などなにかの拍子にゾンビのように奈落の底(MENU階層の最深部)から蘇えってきて肝腎要の時に邪魔をするのである。根本的に機能を除去したいのだが、果たしてできるものかどうか?こういう時にはカメラメーカのサーヴィスセンタは冷たい対応である。

窓から顔を出して写真を撮るのは大抵の鉄道で御法度であるが、この鉄道はクリアランスが非常に小さいので特に危険であることを申し添えます。

プラス停留所Plas Halt

ここはリクエストストップであるが、前後には線路沿いに開けた区間もないのでまだここで降りて撮影したことが無い。
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plas
はウェイルズ語で宮殿palaceないし mansion(日本語のマンションではなく英語(など)で本来の意の大邸宅)のことで、Plas Tan y Bwlchという現在はスノードニアの研究啓蒙施設に利用されている美しい大邸宅が近く(但し線路からはかなり下)にある。そこからの眺めは非常に素晴らしいとのことであるが、上にある線路は見えそうにない。

タナブルフTan-y-Bwlch

駅前に車でも入ることができ、駅前及び下の道路沿いに駐車場がある。カフェや幼児の遊戯施設もある。大抵の列車がここで給水する。

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2号機プリンスを前からご覧いただく。

蒸機以外でもこういうのは面白いと思うので、ご紹介したく写真を載せる次第である。20181005dsc_5695

1918年ボールドウィン(米国)製である。第一次世界大戦のフランスで使用された。最初は0-4-0PM、つまりガソリンエンジン搭載で先輪は無かった。戦後の1925年(当然現役時代の)フェスティニオグ鉄道が購入した。1956年ディーゼルエンジンに換装、翌年先輪が追加されている。名前モエルウィン(モウルウィンくらいが良いかもしれない)Moelwynはタナブルフの北にある「草木のない岩山」から採られたが、”Bald"winと意味も音も掛けた言葉遊びでもある。

日本やドイツでこういうコステュームで行事をすると大変な騒ぎになるだろう。戦勝国とは良いものである。もっとも日本は第一次世界大戦では戦勝側であるが。

つづく

あまらぼ鍋屋町

2019年3月10日 (日)

フェスティニオグ鉄道ヴィクトリアン・ウィークエンド再訪 3

2回では他の鉄道では今やまず見られない変な車輛や運轉などをご覧いただいたので、普通に近いものをご覧いただこう。とは言っても一般的な蒸機とはかなり形態が違うが。今回見た駅の紹介を兼ねて23回にします。

まずは起点のポルスマドッグPorthmadog駅構内である。線路は大きくカーヴして海に向かうが、現在は海運との連繋は無い。
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この緑のガーラットはウェルシュハイランド鉄道Welsh Highland Railwayのもので、元は南アフリカ国鉄South African Railways NGG16クラス、1958年マンチェスターのベイヤー・ピーコックBeyer, Peacock and Companyで製造されたものである。

ウェルシュハイランド鉄道もフェスティニオグ鉄道が経営している。

写真には入っていないがこの右側はプラットフォームも線路も真直ぐに伸びていて、ウェルシュハイランド鉄道始発駅として使われている。

ウェルシュハイランド鉄道の路線は駅を出てすぐに踏切で道路を渡るが、長く斜めに渡るので路面走行区間であるかのような趣がある。いつも鉄や観光客がカメラやスマホを構えている。

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上は同じカマがポルスマドッグへ到着するところである。スマホを隠す為にシャッターを切るのを遅らせたが、、、、

なおウェルシュハイランド鉄道は駅間が長く、列車本数も多くないので、沿線での走行写真撮影は車がないと不可能に近い。

ポルスマドッグの駅からブラエナイ・フェスティニオグ方面へ出ると、すぐに前回ご紹介したコブthe Cobを通る。道路、鉄道が共用しているが、鉄道は南側の高い所を通っているので、乗用車などは隠せるが大型トラックやバスは見えてしまう。
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このカマはブランシュBlancheという名である。 1893年ハンスレット Hunslet Engine Co.の製造で、Penrhyn Quarry Railway(敢えて訳せばペンリン*採石()鉄道、これもスレート輸送)をで長年使われた後此処に来た。ペンリン時代は路線長10km弱と運転距離が短いのでサドルタンク0-4-0STであったが、ここではテンダーを追加されている。2003年に新しいボイラ―に換装され、以前の訪問時はボストンロッジ工場で大掛かりな検査を受けていた。17年にそれが終っているので、当面活躍が続くだろう。

*:前々回に写真を載せた当鉄道のペンリン駅とは全く別で、ウェイルズ北海岸のバンゴールBangorのペンリン港へスレートを運んだ。

なおポルスマドッグ発車後やコブで煙モクモクが撮れるのではないかと期待する方がいらっしゃるが、これは無理である。地元からの要請により、ここで黒煙を出すことは禁止されている。そもそも黒煙が出るのは、炭質の悪さ、投炭技術の拙さなどに起因する燃焼不良なので本来は罐焚きひいては鉄道会社にとって恥づべきことである。一部の蒸機撮影ファンも爆煙崇拝はそろそろ止めてはどうだろうか。

コブの南東側終点では線路は大きくカーヴしているが、そこにボストンロッジ工場Boston Lodge Worksがある。それを通り過ぎたところに最初の駅ボストンロッジがある。
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デイヴィッド・ロイド=ジョージ(英語読み)と名附けられたダブルフェアリーがスレート貨車の空車編成を牽いてボストンロッジ駅を通過する。手前に大きく写っている道を左手に行くとボストンロッジ工場に至る。このダブルフェアリーは1992年!にここで製造されたものでダブルフェアリーとしては世界最新機である。

David Lloyd-Georgeはウェイルズ出身の英国(連合王国)首相で、この地方が地元なのである。今に至るもウェイルズ出身の唯一の首相である。なおLloyd-George全体が姓である。初回訪問時はこのカマは灰色であったがいつの間にか塗り替えられた。

なお上述の道の途中から少々(でもないか)分りにくい間道を辿るとコブを大俯瞰する地点に出る。初回訪問時のその写真は以前載せた。

次の駅はミンフォルズMinfforddである。線路はミンフォルズの直前(ポルスマドッグ側)でBRの線路を跨いでいる。そこにBRの同名の駅があり、相互に乗換案内はあるが実用としてはどうだろうか。

ヴィクトリアン・ウィークエンドの夜間運転(と言っても日暮れから暫くの間のみ)はポルスマドッグと当駅の間を主体に行われた。乗車を楽しむ人が多くて撮影を主にする人はそんなに多くなかったが、撮影ツアーや撮影大会のようなリーダーというか現場を仕切る人が居ないので、撮影者相互がじゃまになってロクな写真は撮れなかった。こういう状況でもカマに接近するなどして忍耐強くねばって印象的な良い写真をモノにされる方もいらっしゃるが、当方は周りの状況まで入れた写真が好みである。まあ正直に言えば、齢の所為か辛抱が足りなくなっている。
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カマはダブルフェアリーのメルズィン・エムリス
Merddin Emrys 1879年ボストンロッジ工場製、デイヴィッド・ロイド=ジョージとは逆にここで一番古いダブルフェアリーなので古代(6世紀)のウェイルズの詩人の名がぴったりである。

つづく

あまらぼ鍋屋町

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